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コネクト・クエスト  作者: ノリト ネギ
冒険の始まり
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第一章 突然の失業

 降り積もった大量の雪が、どこまでも続く斜面を真っ白に染めあげる。

 普段は吹雪くその大地には、空から暖かい光が差し込んでいるものの、周囲の空気は凍えるほどに息苦しい。

 雪が音を吸収するからか、耳が痛いほどに静かなその大地で、一人と一体はにらみ合うように相対する。

 一人は人間だ。暖かそうな服を着てはいるものの、吐く息は一瞬白く染まって消えていく。

 もう一体は異形の生物だが、姿形は人間に近しい。

 モンスター。人間を滅ぼすために生み出されたこれらは、今日も世界中で命を奪っている。

 少年は一人ではない。

 少し離れた場所では、三人の仲間がうずくまっている。しかし、この戦いには参戦できない。

 一人は負傷し、二人は戦意を失っているからだ。

 ゆえに少年は一人で戦う。

 眼前のモンスターは、この大陸の人間全てに脅威をもたらす存在だ。

 だから倒す。少し前まではそう思っていた。

 今は違う。仲間を守るために倒さなければならない。

 少年の右手には灰色の片手剣が握られている。決して優秀な武器ではないが、それでも目の前の悪意を粉砕することは可能だ。

 腰には灰色の短剣がぶら下がっている。今はまだ、鞘に収まったまま出番を待っている。

 鎧の類は一切見に付けていない。金欠のせいでもあるが、どちらかと言えば普段着が最も動き易いという判断だ。

 少年よりも少し高い位置から見下ろすそれは黒一色の新種だ。闇そのものが具現化したような色合いをしているが、体格は人間の子供に近い。

 全身からは同色の炎がゆらゆらと燃えている。

 白い一対の目以外は闇に飲み込まれており、二足歩行をしていようと、少年からすればやはりモンスター以外の何者でもない。

 右腕は切り落とされている。人間なら致命傷だが、この存在にとってはどうということもない。

 両者は歩みを進めながら言葉を交わす。自己紹介を兼ねたそれが済む頃には、吐息が触れそうなほど接近する。

 少年はモンスターを見下ろす。

 モンスターは人間を見上げる。

 戦いが再開される。

 モンスターの先制攻撃は間に合わない。少年の膝が黒い体を後方に吹き飛ばしたからだ。

 その後はモンスターの一方的な猛攻が続く。

 繰り出される攻撃魔法は強力だが、少年は傷を負いながらも反撃を試みる。

 隙をつき、少年は腰の短剣を矢のように放り投げる。

 夜よりも暗い体に深々と刺さる短剣。それに気づいたモンスターは、一旦攻撃の手を止める。


「シフト」


 モンスターは女の声で奥の手を披露する。

 ここからが本番だと、少年もすぐに理解する。いや、理解させられる。

 戦況は一変し、少年は打つ手を失う。それでも諦めない。


「ざーんねんでしたー! キャハハ」

「殴ることもできないのか」

「そうでーす!」


 女の耳障りな笑い声が、静かな雪原をやかましくかき乱す。

 諦めない。笑うモンスター同様、自分にも奥の手があるのだから。

 戦いを終わらせるため。

 三人の仲間を守るため。

 少年は、絆を力に変えて立ち向かう。


「コネクト」


 物語は、少年と妹が旅立つところから始まる。



 ◆



「すまんが見回り制度は廃止になった。おまえさんには本当に申し訳ないと思うが、予算が工面できん以上やむをえんのじゃ」


 突然の解雇通告が、脳の血流を鈍らせる。

 老人は申し訳ないと視線を落とすが、目の前の少年も別の理由でそうしてしまう。

 給料日ではないにも関わらず、なぜ町長官邸に呼ばれたのか不思議だった。こんなことになるとは夢にも思わず、今は立ち尽くすことしかできない。

 十八年間、この港町で生きてきたが、ここ最近は確かに違和感を抱いていた。

 昔と比べて町民が減ってしまった。

 だからと言って、それが自分に関係してくるとはこれっぽっちも思っておらず、この通告には唖然としてしまう。

 この港町で二番目に大きな建物の一室で、イリックは何の前置きもなしに現実を突きつけられる。

 イリック。十八歳。中肉中背の少年。着ている服は妹に選ばせている程度に、趣味以外には無関心な若者だ。今日の服装もありきたりな茶色い上着と黒いズボン。いつ買ったか覚えてすらいない。

 職業は、町の近隣に生息するモンスターを討伐しながらの見回りだ。しかし、それも過去系となってしまう。

 見回りを終えた後ということもあり、イリックは片手剣と短剣を家に置いてきたから町長会館に足を運ぶ。

 以前から、この町の現状については何となく察していた。しかし、こんなことになるとはこれっぽっちも想像できていなかった。

 この大陸に存在する三つの国が発展したことで、ここ、サラミア港から徐々に活気のようなものが失われてしまう。町民が他所に移住を始めたからだ。

 漁が盛んなため、サラミア港は決して滅びはしない。だが、一時は随分と増えた人口も今ではすっかり元通りだ。

 随分と寂れた港町になったが、これが本来の姿なのかもしれない。

 解雇を言い渡された少年は、愕然としながらも黒い髪をかき分けながら状況を整理する。

 イリックの仕事は見回りだ。具体的には、サラミア港の周辺に生息するモンスターの討伐を生業としている。

 見回りという仕事は故郷の平和に貢献でき、その上やりがいもある。帰り道の海岸で釣りも満喫できてしまう。

 給料は驚くほど少なかったが、豊かな町ではないためそれは諦めていた。


(この仕事、気に入ってたんだけどなぁ)


 そうは思っても、こうなってしまってはどうすることもできない。雇われていた身としては、受け入れざるをえない。


「わかりました。今までお世話になりました」


 なんとか搾り出せた返事と共に、イリックは短い黒髪を揺らしながら頭を下げる。

 両親を失った自分に仕事を与えてくれた人物は紛れもなく目の前の町長だ。そのことも含めて礼を述べる。

 イリックは八年前に両親を殺され、その翌年から見回りを始める。


(七年間も故郷の平和を守ってきたのか)


 感慨深いものの、今はそれどころではない。

 町から一歩外に出れば、そこはモンスターの生息域だ。砂漠のようなアイール砂丘も例外ではない。

 イリックはある目的から鍛錬を重ね、気づけば近隣のモンスターを倒せる程度には成長する。

 その実力に目をつけた町長は、アイール砂丘の見回りという仕事を斡旋する。

 この目論見は見事に成功し、町の平和は一層確かなものとなる。

 イリックは仕事にありつけ、サラミア港は平和になり、唯一割を食ったのは冒険者と呼ばれる自由人達だ。

 冒険者。自分達の意志でモンスターを倒す彼らだが、その動機は様々だ。

 戦うことが好きだから。

 腕を磨きたいから。

 金を稼ぎたいから。

 残念ながら、モンスターを倒すだけでは金持ちになれない。牙や角、皮や肉を戦利品として頂いたとしても、売却額はたかがしれているからだ。

 では、どうすればいいのか。

 そこで、ギルド会館と呼ばれる冒険者用の仕事斡旋上が登場する。

 そこでは、モンスターの討伐といった仕事がクエストとして発行される。冒険者はそれを受注し、達成後、ギルドから成功報酬を得るという仕組みだ。

 サラミア港にもギルド会館は存在する。

 常駐する冒険者も相応にいたのだが、イリックが見回りを開始して数年後、彼らの多くは余所に移らざるをえなくなる。

 たった一人の少年が、隣接するアイール砂丘からことごとくモンスターを駆逐するからだ。

 ゆえに、クエストが減ってしまう。

 その上、イリックは見回りを毎日、それこそ晴れの日も曇りの日も雨の日も一日も休まず継続する。

 その結果、サラミア港は今まで以上の平和を手に入れる。

 ギルドとサラミア港を根城にする冒険者は、イリックの特殊な事情を知っており、誰一人文句は言わないが、そのバイタリティには舌を巻かざるをえない。

 しかし、状況が変わる。町民の減少に伴い財政が悪化してしまう。町の議会は情報を集め議論し、一つの結論を導き出す。

 見回りではなく、モンスター討伐のクエストをギルドに都度依頼した方が安く済む。町の平和もそれで十分維持されるだろう、と。

 誰が悪いわけでもなく、こうなってしまったのだから仕方ない。

 イリック、十八歳。この年齢で職を失う。



 ◆



 海から運ばれてくる潮風はどこか冷たく、まるで心情を代弁しているよう。ふと空を見上げると太陽は沈みかけており、薄暗い空は夜の訪れを感じさせる。

 風向きが変わる。アイール砂丘から吹く風は幾分砂を含んでおり、口を開けているとそれらが入り込んでしまう。

 イリックはぐっと口をつぐむ。

 固められた白い砂の道を歩いていると、やがて辿り着く。

 深みのある茶色い木材で建てられた一軒家は、両親が遺してくれた大事な我が家だ。一階建てのありふれた形からは安心感を抱くことができるものの、今はなぜか胸が痛い。

 四角い二つの窓からは、ぼんやりと灯りが漏れている。

 今日の夕食は、見回りの帰りに釣ったイサシ料理だろう。

 そんなことを考えながらも、より大事なことがあると我に返る。

 妹には何て伝えよう?


(考えるまでもないか)


 鍵のかかっていない玄関を開け、イリックは大きく息を吸う。


「ただいま」

「おかえりー」


 家の奥から元気な声が返ってくる。

 玄関に足を踏み入れた時点で、焼けた魚の匂いが漂ってくる。香ばしさの中に海に匂いが隠れており、思わず鼻がスンと動く。

 好きな匂いだ。しかし、今日は素直に喜べない。

 手ぶらゆえ自室に戻る必要もなく、イリックはそのまま台所に向かう。

 そこには、新妻のように料理を張り切る少女が立っていた。


「話があるんだけど……」


 言いたくないが言わないわけにもいかず、落ち込みたいがそれよりも先にやらなければならないことがある。

 手を止め、んー? と振り返るその動きに連動して、頭部から垂れるサイドポニーがぐいんと揺れる。

 ネッテ。十五歳。イリックの三歳年下の妹だ。

 年齢よりも低い身長のせいで、二人が並べば誰が見ても兄妹にしか見えない。

 どういうわけか兄とはあまり似ておらず、例えば髪の色もイリックが黒に対してネッテは綺麗な灰色だ。長い髪は左耳のすぐ後ろで束ね、左肩に乗っかっている。

 まだ十五歳だからこれから成長するの! と以前吠えていたが、まっ平らな胸は子供の頃から平原のままだ。


「仕事クビになった」


 兄は町長に負けじと、単刀直入に事実を告げる。言い訳がましくうじうじと外堀を埋めるつもりはない。そうするだけの余裕がないだけかもしれない。

 イリックの発言にネッテは目をパチクリさせる。イリックとしては早く何か言って欲しいのだが、それを急かすのも兄としてどうなのだろうと踏みとどまる。


「えっと……、毎日の見回りのこと?」

「そう」


 イリックの仕事はそれだけだ。


「どうしてー?」

「町の財政が悪化したから、今後はギルドにモンスターの討伐を依頼するんだってさ」


 ネッテの問いかけに、イリックは町長から教えてもらった事情をそのまま伝える。

 自分は納得できたがネッテは理解してくれるだろうか、と心配になってしまう。

 この町には学校が無いため仕方のないことだが、それを差し引いてもネッテの頭は若干アレだ。

 傾げた首を元に戻し、料理を再開するネッテをイリックは黙って見守る。


「そっか~。それじゃ仕方ないのかな? これからどうしよっか」


 珍しく物分りの良い妹にイリックは感動すら覚える。もしかしたら頭の悪さが都合よく作用しただけかもしれないが、そのことには触れない。

 これからどうするか? 当然考えなければならない。

 ゆえに、トボトボと帰り道を歩きながら、既に二つの案を思い描いている。

 釣具店の店員。これが第一候補。

 漁師ギルドの店員。これが第二候補。

 イリックの趣味は釣りだ。七歳から鍛錬を始めた理由がまさに釣りのためだった。

 町の中で釣りをする分には必要ないのだが、周囲に広がるアイール砂丘で釣りをするためにはどうしても体を鍛える必要があった。

 モンスターとの戦闘。町の外に出るということはそういうことだ。

 ギルド会館で冒険者から片手剣の扱い方を習い、時には練習相手になってもらった。才能が無かったらしく時間はかかったが、それでも十一歳の時点で周辺に生息するモンスターなら倒せるようになった。

 釣具店や漁師ギルドで働きたい。愚直なまでに釣りを愛するイリックが、こう思うのは自然なことと言える。

 運よく、サラミア港にはどちらも存在しており、何よりその仕事なら食いっぱぐれることはない。給料もグンと上がるはず。今までが少なすぎたとも言える。

 見回りの給料は平均的な世帯の半分未満だった。それでも生活できた理由は、子供二人だったことと釣りのおかげだ。最もかさむ食費を釣った魚で何とかカバーできた。

 イリックは自分の趣味を誇る。楽しいだけではなく、実益まで得られるのだから、のめり込まない理由がない。

 一方、何かを思いついたのか、ネッテが料理の手を止めてハッとする。


「あ、いっそ冒険者になろう!」


 良いこと思いついた! みたいな顔をしてるがその案は却下だ。兄は他にしたいことがあるのだから。



 ◆



 冒険者。モンスター退治、アイテム収集、商人や旅人の護衛や物資の輸送といった危険な仕事を生業とする人々を指す職業。

 三大大国であるデフィアーク共和国、ガーウィンス連邦国、サウノ商業国のいずれかで冒険者登録を行うと、活動が可能となる。

 イリックも子供の頃は人並みに憧れていた。しかし、今は違う。十八歳だから子供ではない、という意味ではなく、冒険を夢見ることはもうしない。

 八年前に誓ったからだ。二度とネッテを危険な目に合わせない。そして俺が養う、と。

 冒険者は危険な職業だ。見回りは違うのかと問われればその通りだが、冒険者よりは幾分ハードルは低い。

 ネッテに平和な生活を過ごさせたいなら、冒険者はありえない。

 何より釣りに関する仕事に就きたい。

 どちらが本音か。両方だ。どちらも満たす仕事となると必然的に限られてしまう。

 釣具店、もしくは漁師ギルドに就職。

 都合よくサラミア港にはどちらも存在しており、早速明日にでも話を聞きに行こうとイリックは企てる。

 もしダメだった場合、その時はその時考えるまでだと開き直っている。

 とにもかくにも今言えることは一つ。


「だから冒険者にはならないって」


 テーブルの上に並べられた夕食にかじりつきながら、イリックはきっぱりと言い放つ。

 料理はネッテの担当だ。料理と言わず、家のことはネッテが率先してこなす。兄としてはただただありがたい。

 イリックが日々の鍛錬で戦い方を学んだように、ネッテも料理に励み、今ではイリックの舌を唸らせるまでに成長している。

 このイサシの塩焼きなんて最高だ。塩をまぶして焼いただけ。

 サラミア風サラダも最高だ。野菜やイサシを切って混ぜただけ。

 手の込んだ料理が存在しない今日の献立では、ネッテの実力を説明しにくい。強いて挙げるなら、イサシは器用に捌かれている。あまり大きくない海水魚を三枚におろしてあるのだから、それだけでも十分だろう。

 ネッテの手料理を食べていると時々ふと考えてしまう。母親の手料理はどんな味だったろう? 最後に食べたのは八年前ゆえ、もう思い出すことはできない。

 両親と過ごした時間と母親の手料理は、既に思い出と化している。


「え~、一緒になろうよ~」

(一緒に!?)


 おまえもなるのか、とイリックは驚く。冷静に考えれば、二人で冒険するのだから、兄しか冒険者にならないという選択は変な話だ。

 それでもイリックは怯まない。驚いてはしまったが、そのことは棚に上げて反論を開始する。


「冒険者になるにしても、先ずは三大大国に行かないといけないんだぞ。歩き……は論外だから定期船を使うにしても、旅費なんかうちにはないだろ」


 イリックは自分の発言に悲しくなるも、つまりはそういうことだ。

 サラミア港では冒険者になれない。

 冒険者認定を行える場所は三大大国のギルド会館に限られており、サラミア港からはデフィアーク共和国が地理的に最も近いが、海を渡る定期船に乗船するためには運賃がかかり、二人分となるとそこそこの金額になってしまう。

 運賃くらいなら捻出できなくはないだろうが、デフィアーク共和国に着いたら無一文というわけにもいかない。

 デフィアーク共和国には知り合いも家もなく、鼻息荒く辿り着いたとしても、ここでの生活とは比較にならないほど出費がかさむ。

 宿に泊まれば宿泊費がかかる。

 食事も全て外食だ。

 何より、冒険者になるなら装備を新調しなければならない。最低でも、ネッテ用の新しい短剣二本と防具は必要不可欠だ。刃がかけているオンボロ短剣をいつまでも使わせるわけにはいかない。

 そういったことを踏まえると、イリックは金銭的な理由から不可能だと言い放つしかない。


「いっそのこと、このお家売っちゃうとか? さすがにそれはないかー」


 ネッテは自分で言っておきながら、ケラケラと笑い飛ばす。

 対照的に、その手があったか、とイリックは驚きの表情を浮かべる。バカな妹に連続して驚かされたことにはいささか腹が立つが、今は横に置いておく。

 冒険者になった場合、活動拠点はこんなへんぴな港町というわけにはいかない。

 ここ、サラミア港はトリストン大陸のもっとも西に位置する上、周囲にはこれといった洞窟や遺跡は存在しない。全くないわけではないが、西の洞窟は封鎖されており、北の谷は危険過ぎる。

 一般的に、冒険者は三大大国で活動する。駆け出し冒険者はデフィアーク共和国かガーウィンス連邦国を選び、腕に自信のある者はサウノ商業国でクエストを探し、仲間を集め、冒険に旅立つ。

 サラミア港や他の小さな村で活動する冒険者も少なからず存在するが、彼らには彼らなりの理由や信念があり、普通は三大大国と相場が決まっている。

 家を売るという提案は、実は冒険者を目指す上では検討しうる妙案と言える。しかし、それはこの二人にとって現実的ではない。

 我が家には今は亡き両親との思い出が詰まっている。

 二人で暮らすには広すぎるこの家はイリックが生まれる直前に立てられた。新しくはないが、綺麗に使ってきたことから決して汚れてもおらず、売りに出せばそこそこの値段がつきそうだ。いや、そういうことではない。手放すつもりはない。


「とにかく俺は反対だからな。冒険者なんて不安定な仕事じゃなく、安定した職に就いてやる」


 趣味と実益を兼ねて釣具店か漁師ギルドで働く。イリックの頭に浮かぶ選択肢はこの二つだけ。

 日中は釣り道具や釣り仲間に囲まれ、休日は釣りを楽しむ。想像するだけで震えてしまう。


「二人で冒険、絶対楽しいと思うけどな~。先ずはデフィアーク行ってみたい!」

「デフィアークね~。俺も一度くらいは行ってみたいけど……」


 デフィアーク共和国はサラミア港の南に位置する。定期船で海を渡れば半日だが、徒歩で陸路を進むなら十日以上かかる。

 科学技術に優れた国であり、機船を開発、生産しているのもこの国だ。

 冒険者になるためには、この国に立ち寄るのが最も現実的な案である。


「その次はサウノ!」

(単なる町巡りじゃん……)


 サウノ商業国は大陸の中央に位置する。商人や村を失った人達が集まり、三大大国にまで成長した。

 人の往来が最も多い国と言われており、それはすなわち発行されるクエストの数も多く、腕に自信のある冒険者が集う場所でもある。

 サラミア港とその周囲に広がるアイール砂丘しか知らないイリックとネッテにとって、他の国は憧れの地だ。

 人はどれだけいるのだろう?

 街並みはどんな感じだろう?

 お店では何を売っている?

 どれだけ想像しようと、サラミア港で生まれ育った二人には到底わからない。


「給料の良い仕事に就けたら、いずれ旅に連れてってやるよ」


 こんな落とし処はどうだ、とイリックはぱっと思いついた割りには悪くないと自画自賛の案を提示する。

 考えてみたら、ネッテを旅はおろか他国に連れて行った記憶がない。というか自分もそんな経験はない。

 両親が生きていればそれも可能だったろうが、今は自分が父親代わりな以上、がんばるのは自分の役目だ。


「ん~、それじゃそれで我慢する!」


 笑顔で承諾するネッテの素直さには感心したが、我慢という単語は寝るまで頭に残り続けた。

 妹に我慢などさせたくはないのだが……。しかし、この選択はネッテのためでもある、と自分に言い聞かせて納得することにした。



 ◆



 翌日、普段通り朝を過ごしたイリックは、開店時間と共に家を飛び出す。目指すは第一志望の釣具店。

 茶色や薄茶色の家々が並ぶ住宅の密集地帯を抜け、ギルドの大きな建物を横目に石造りの階段を軽快に駆け下りる。

 そこを抜けると、波の音と共に青い海が出迎えてくれる。

 左前方の港に目を向けるも、定期船は停泊しておらず、景色としてはインパクトに欠けるがそれも見慣れた光景だ。

 このまま真っ直ぐ進めばお気に入りの釣りポイントだが、さらに海沿いに進めば目的地が見えてくる。

 この町では比較的繁盛しているにも関わらず、飾ったことは何もせず、ただ愚直に売り物を陳列している店がそこにある。木製の看板も四角い扉もすっかり黒く染まっているが、そういうものと割り切れば味がある。

 イリックは扉をギィっと開けて店内に足を踏み入れる。


「おう、イリック。いらっしゃい」

「おはようございます」


 強面の男性がカウンターからイリックを歓迎する。顔の作りも去ることながら、髪の毛が一本も生えていない頭が独特の雰囲気を醸し出している。全て抜け落ちてしまったのか、そういう髪型なのか、常連のイリックもそこまでは把握できていない。

 見た目の怖さに反して中身はやさしく、無口なようで話好きと、ギャップの固まりのような人物だが、この店の店長だ。

 普段ならかじり付くように魅入る釣竿やルアーをスルーし、イリックは真っ直ぐカウンターへ向かう。今日は買い物に来たわけではない。

 椅子に座りペンを走らせ何かを記入している店長の前に立ち、イリックはすうっと息を吸う。


「あのう……。雇ってもらうことは可能でしょうか?」


 いつものように生餌でも買いに来たのだろうと予想していた店長は、強面な表情をさっと変化させる。驚きのあまり、目を見開いた。


「見回りはどうした?」


 イリックはサラミア港では有名人だ。両親を亡くし、妹を養う少年。この時点で既に十分だが、一人でアイール砂丘の見回りまでこなすのだから、当然と言えば当然である。


「昨日、クビになりました。今後はギルドに依頼するそうでして……」

「そうなのか、随分とひどい話じゃねーか。ネッテちゃんのこともあるから、次の仕事を探さないといけないんだな」

「はい。釣り道具の知識はいくらかあります。どうでしょうか?」


 店長は腕を組む。

 今更説明されるまでもなく、イリックの知識や情熱など十二分に把握できている。

 金銭的に余裕がないため、いつまでも古い釣竿を使い、購入するのはいつも決まって安い生餌だけ。

 うらやましそうに釣竿やルアーを眺める姿は、この店の名物になっている。

 昨日今日の間柄ではない。イリックの都合も事情も知っている。この店で雇えるだけの人材でもある。

 しかし、店長は首を縦に振れない。なぜなら……。


「悪いが今は募集してないんだ。客足が年々減っている関係で、むしろ減らそうと思ってるくらいでな……」


 イリックの第一志望はあっさりと砕かれた。


 しかし、落ち込んでいる暇は無い。時間はいくらでもあるのだから暇してもいいのだろうが、とにもかくにも足だけは動かす。

 イリックの次なる目的地は漁師ギルド。

 来た道を戻り、階段をせっせと上がる。

 途端、黒がかった建物が目の前にいくつも現われる。そこはギルド地帯であり、イリックの目的地は眼前にそびえ立っている。

 その名の通り、漁師を取りまとめるために結成されたギルドが漁師ギルドであり、周囲の海域で漁をするには欠かせない組織だ。

 また、釣り人へのサポートにも取り組んでおり、情報提供、魚の買取、最近では釣り方の指導すら始めている。

 釣り好きのイリックも時折足を運ぶ。

 釣った魚はネッテに調理させるため、魚の取れ具合や大きさを調べる際に漁師ギルドを訪れる。


「おはようございます」

「あら、イリック。いらっしゃい」


 受付の女性とも見知った仲であり、イリックはギルド長がいないか問いかける。

 予想通り、奥の部屋にいるらしく、受付の横から廊下を進み目的の部屋を目指す。


「どうぞ」


 イリックのノックに呼応して、中から低い声が返ってくる。


「おはようございます」


 ギルド長とも知り合いゆえ、イリックは臆することなく扉を開ける。

 広くない部屋には、肌色に近い茶色の机と椅子が置いてあり、両側には黒味がかった茶色い棚がドスンと置かれている。

 先ほどの店長とは正反対に、髪とヒゲに覆われた顔の持ち主が、左側の棚を漁りながら立っている。しかし、やはり顔つきは強面だ。


「おう。イサシ釣れてるか? 塩焼きなんか最高だろう!」

「もちろん。焼いてよし、生もよし。毎日食べても飽きません」


 世間話が始まってしまったが、今は話すべきことがあり、イリックは早速本題に入る。

 見回りが廃止されたから漁師ギルドで働かせてくれ。

 しかし、そんなイリックの願いはここでも受け入れてはもらえない。

 漁自体は他国へ輸出するため影響を受けないが、町民の減少に伴い釣り人も減り、そのせいで今は人員を増やす余裕がない、というのがギルド長の言い分だ。冷静に考えれば当然のことだ。


 人が減り、サラミア港に余裕がなくなり、見回りが廃止され、釣具店も売り上げを落とし、漁師ギルドもそれは同じ。

 見回りが廃止された時点で気づくべきだった。この町には、もしかしたらもう仕事は残っていないのかもしれない。空いた席に運よく収まることができれば仕事にもありつけるだろうが、少なくとも、希望の釣具店と漁師ギルドには断られてしまう。

 ではどうするか。

 イリックはしょんぼりと帰り道を歩きながら、次の案を考える。


(市場の魚屋はどうだろう? って、思いつくのはやっぱり魚がらみなんだな)


 魚から離れられない自分の一途っぷりに呆れつつ、せっかく思いついたのだから踵を返し市場に向かう。


 帰宅時間が少し遅くなっただけで、成果は得られなかった。


 やりたい仕事はこの町ではできない。なんとも悲しい現実だが、そういうことらしい。

 ではどうする? 生きていくためには働かなければならず、となると仕事をえり好みしていられるほど余裕もない。

 釣りしか取り得のない十八歳を雇ってくれる店があるのだろうか。

 もう少ししたら町長官邸に出向いて、仕事を紹介してもらおう。それくらいのことはしてくれるはず。この際わがままは言わない、どんな仕事でもいい。

 昼食で膨れた腹を摩りながら、イリックは居間のカーペットに寝転がる。台所からはネッテが食器を洗う音が聞こえてくる。

 この平和な空間を守るためなら何でもしてやる。ふつふつと似合わないやる気がたぎってくる。

 普段ならアイール砂丘を歩いている時間だが、イリックは満腹感に襲われウトウトと神戸を垂れる。

 精神的に疲れているのかもしれない。そう解釈し、このまま寝てしまおうかと思い始めた矢先だった。

 コンコンコンと誰かが玄関の扉をノックする。


「は~い!」


 タイミング良く食器を洗い終えたネッテがそのまま玄関に向かう。

 誰だろう? もしかしたら都合が変わって、釣具店の店長が雇いに来たのかもしれない。 そんな都合の良いことを考えながら、イリックはぴょんと体を起こす。

 そっと耳を澄ます。ここからでも玄関でのやり取りは聞き取れる。


「ネッテちゃん、相変わらずかわいいね」


 このかすれた老人のような声は……。


「あ、町長さん、お久しぶりです!」


 町長だ。

 普段から町の女の子にセクハラをしているようだが、ネッテにはしない方がいいと忠告した方がいいだろうか? 多分、指はおろか腕くらいはへし折られてしまう。

 傷害事件を未然に防ぐため、イリックも玄関に向かう。

 そもそも町長がここに来た理由は自分だろうと容易に想像できる。


「こんにちは」

「お、イリック。実は話があっての」


 イリックの顔を見て町長は白いヒゲに手を添える。

 イリックが落ち込んでいないか心配していたが、見た目だけなら元気そうで安心する。もっとも、そう見えるだけで内心は酷く落ち込んでいるのだが。

 一方でイリックは察する。町長は昨日とは別件で訪れたのだろう、と。玄関で立ち話をするわけにもいかず、三人は居間で腰を落ち着かせることにした。


「話って何ですか? 実は俺も相談したいことがありまして……」

「ほう、先に言うてみい」

「俺でもできそうな仕事ってありませんか? 実は何件か当たってみたんですが、どこも募集してなくて断られたんです」


 人が減り、店の売り上げは落ち、それに対応するため規模を縮小させ、結果サービスが低下してさらに人が減る。そんな悪循環漂うサラミア港において、手に職のないイリックが仕事を見つけるのは困難だ。

 ふむ、と町長は深刻そうな表情を浮かべて再びヒゲを触る。なでなで。邪魔そうに見えるが触り心地は悪くなさそうだ。


「それについてはワシの方で探してみよう。じゃが、先にこの依頼を頼まれてはくれんかのう。あぁ、くえすとっちゅうのが今風な言い方じゃったか」


 依頼でもクエストでも構わないが、どちらにせよめんどう事に巻き込まれそうだ、とイリックは警戒する。既に首を左右に振りたいのだが、報酬を聞いてから判断することにする。

 今はとにかく金を稼ぎたい。その一心だ。


「先週、西の海岸で赤ガニの体液を手に入れてもらったじゃろ」

(あ! 忘れてた!)


 イリックは思い出す。先週、町長から頼まれ、ネッテと二人で見事達成した依頼のことを。

 内容は、赤い体のカニを討伐し、体液を入手する。


 アイール砂丘は海に面しており、サラミア港の東と西にはそれぞれ海岸が存在する。

 東の海岸はイリックの巡回ルートの範囲内かつ帰りに釣りをする場所だが、西の海岸は町からやや離れており、足を運んだことは数える程度しかない。

 どちらの海岸にも青いカニのモンスター、青ガニがわらわらと生息している。しかし、ちょっかいを出さなければ人に襲いかかることのない平穏な、それでいて弱いモンスターだ。危険視されずに討伐対象となることも少ない。

 甲殻や肉目当てで狩られる程度の無害なモンスターとも言える。


 甲殻の色が赤いカニのモンスター、通称赤ガニ。噂では聞いたことがあった。

 曰く、西の海岸に生息しているが、滅多に姿を現さない。周囲の青ガニとは比べ物にならないほど強いため、見かけても決して近寄ってはならない。範囲が広く、それでいて強力な攻撃魔法を詠唱する。

 魔法? カニのモンスターが使うはずがない。そう高を括って挑んだイリックは、痛い目に会う。


 魔法。無から有を生み出す神秘。破壊に特化した攻撃魔法、傷を治療する回復魔法等、様々な種類が存在する。使用の際は、その魔法に応じてエネルギー、マジックポイントを消費する。マジックポイントはスタミナのようなもので、時間経過で回復する。


 赤ガニは噂通り強かった。いや、そういう次元を越えていた。

 出会うのに三日もかかったため、発見時は勇んで飛びかかったが、魔法であっさりと反撃され、まじめに撤退を考えた。

 直撃すれば一発で絶命しうる強力な水魔法。しかもなかなかの広範囲。

 カニのモンスターとは思えない素早い動き。カサカサと軽快に動く。ちょっと気持ち悪いくらいだ。

 一人で立ち向かっていたらどうなっていただろう? 考えるだけでゾッとする。

 しかし、遠足気分でついてきたネッテのおかげでなんとか討伐に成功する。なかなかの死闘に、イリックは思い出すだけでも恐怖する。もう戦いたくない。こんな強いモンスターがアイール砂丘にいていいのだろうか? そんな疑問を今でも抱いてしまう。強さのランクが二つどころか三つ四つ違っていた。

 ネッテを危険な目に合わせたくはないのだが、今回ばかりはそうも言ってられなかった。加勢してもらえなかったら死んでいたかもしれない。九死に一生とはこういうことを言うのだろう。


 討伐および体液の入手に成功したイリックは、町長からかなりの額の報酬を受け取った。具体的には五千ゴールドで、これは見回りの給料の半分を超えている。

 このことを完全に失念しており、今ならデフィアーク共和国で冒険者になるだけなら可能そうだ。今更ネッテにばらすつもりもないが。

 とは言え、ネッテの装備を新調するには到底足りておらず、やはり貧乏に変わりはない。

 金を稼ぐための冒険者になるための金が無い。なんとももどかしい状況である。


「その体液やいくつかの珍しい素材をこの包みに入れてある。これをワシーキ村の錬金術師に届けてもらいたいんじゃ。名はリンダ。若い頃はえらいべっぴんでのう。乳が垂れだしてからもそれは変わ何でもない」

「ワシーキ村!? って、どこだっけ?」


 トン、と手荷物をテーブルに置く町長を前にして、イリックは不思議そうにその荷物を見つめる。

 そして、ワシーキ村すら知らないバカな妹を無視して考える。さらりとどうしようもないことを口走った老人の戯言も無視して考える。

 イリックは素直に了承できない。普通なら、こんな依頼は自分達のような町民ではなく、ギルドに依頼すべき案件だからだ。

 サラミア港からワシーキ村まで陸路で移動するしかなく、徒歩でおよそ五日はかかってしまう。

 道中、アイール砂丘とカルック高原を移動する必要があり、当然だが町の外にはモンスターが生息する。出会えば戦闘待ったなし、というわけでもないが、戦闘の一つや二つは避けられないかもしれない。

 アイール砂丘とカルック高原のモンスターは大人しい種族が多く、刺激しなければ襲われることはない。

 ゆえに、普通の人間でもサラミア港とワシーキ村を行き来することは理論上可能と言える。

 しかし、命がけな行為に変わりなく、護衛をつけずにそんなことを実行する人間は滅多にいない。


「なぜ俺なんですか? 大人しくギルドに依頼すれば確実だと思いますよ」


 確実。イリックは自分で言っておきながら、そんなこともないか、と心の中で否定する。

 アイール砂丘には凶暴なサソリのモンスター、サンドスコーピオンが生息する。

 カルック高原では巨大な羊のモンスター、カルックラムが闊歩している。

 どちらも人間を発見次第襲いかかってくる凶暴な性格の持ち主であり、生息数は少ないが、運悪く出くわせば戦闘は避けられない。逃げ切れるとしても、足の速い冒険者だけだろう。

 カルックラムとの戦闘経験はないが、サンドスコーピオンは数え切れないほど倒してきたため、今更負ける要素はない。

 もしこの二種類のモンスターを討伐できない冒険者には、この依頼は荷が重い。

 一方、イリックはどうかと言うと、全く問題ない。

 ギルド会館で冒険者から話を聞いた限りでは、カルック高原のモンスターはアイール砂丘のモンスターより弱いらしく、そういうことなら失敗する可能性はゼロに等しい。

 あぁ、だから俺に頼むのか。イリックは納得するも、それでも冒険者に頼ればいいだろうと考えを何度も改める。

 なぜなら、この依頼を重荷に感じる冒険者はそもそもこのクエストを受注しないはずだ。

 ね~、どこ~? と揺らしてくるネッテを無視して今は話を進める。


「この依頼、実はなかなかに高報酬なんじゃ。おまえさんから仕事を取り上げてもうたから、色々困っとらんかと思っての。出かけてる間にワシは良さそうな仕事先を探しておくから、やってみないか?」


 高報酬。なんとも魅力的な言葉だ。イリックの心は大きく揺れ動く。体もネッテに揺さ振られる。

 赤ガニ討伐の資金を使えば、デフィアーク共和国に出向き、宿に泊まって何日か過ごすことも可能そうだが、ネッテの装備を新調しないことには冒険者になるつもりは全くない。


 ネッテの戦闘スタイルは短剣の二刀流であり、現在買い与えている短剣は比較的安価で買えるアイアンダガーだ。

 切れ味はおろか耐久性も悪く、これを選ぶ冒険者は滅多にいない。しかし、イリックがネッテに買い与えられる武器の限界であり、ネッテはネッテで十分満足している。

 冒険者になる場合、先ずネッテのために短剣二本の新調は欠かせない。

 いや、冒険者になること前提で色々考えてしまっているが、そもそもその予定はない。


「おいくらなんですか?」


 イリックは高報酬とやらの具体的な金額を問う。

 冒険者になるためではなく、金を稼ぐため町長の提案を受けることにした。

 ワシーキ村への往復は約十日間。ちょっとした冒険だが、職を失った今なら気兼ねなく挑める。

 一度くらい、カルック高原やワシーキ村に出向くのも良い経験になりそうだ。らしくないがそう思えてしまったのも事実。

 無職の足元を見るような低賃金でこのような負担の大きい依頼を受ける気にはなれないが、高報酬なら話は別だ。


「二万ゴールドじゃ」

「やります」


 即決以外にありえない。

 二万ゴールド。この金額は見回り二ヶ月分以上だ。一般的な大人の一か月分の給料と言い換えることもできる。大金とは言い難いが、イリックとネッテにとっては喉から手が出るほど欲しい。

 もっとも、現在の所持金とこの二万ゴールドを足しても、ネッテに買い与えたい短剣にはまだ届かない。

 武器は品質が一つ上がるだけで、値段が何倍にも膨れ上がる。冒険者の道は険しいのだ。


「やったー!」


 ネッテが喜びだしたが、連れて行くとは一言も言っていない。


「喜んでるところ悪いが、俺一人で行くから」

「やだー! 絶対ついてく!」


 イリックの無慈悲な通告に、ネッテは本気で嫌がる。

 お兄ちゃんだけずるい!

 私もワシーキ村に行きたい!

 冒険がしたい!

 おもしろそう!

 一人でお留守番は嫌だ!

 それらが混ざり合い、ネッテは騒ぎ出す。

 町の外にはモンスターがいる。しかも今回は遠出。そうなるとネッテの同伴を許可するわけにはいかない。

 ネッテの気持ちはわかるが、イリックは首を縦には振れない。


「ねえ~、いいでしょ~。っていうかついてくからね! 絶対に!」


 倒置法まで使い始めたため、ネッテの説得は難しそうだ。諦めたくはないが、折れるのは自分の方かもしれない。

 イリックはムムムと口を曲げる。


「おぬしが守ってやればええじゃろ。そうじゃな、ネッテちゃんを連れた上で無事送り届けてくれたら、わしの秘蔵ルアーセットをくれてやろう」

「お任せあれ!」

「やったー!」


 交渉成立だ。騙された感はあるが、イリックは町長の口車に乗る。


 ルアー。疑似餌とも呼ばれる釣り道具。高価ゆえ、イリックには決して買えない高嶺の花だ。

 釣具店に足を運ぶ度、欲しい欲しいと思っても、決して買うことはできなかった。ぼろぼろの釣竿すらなかなか新調できない身分ゆえ、ルアーを買う余裕はどこにもない。

 アイール砂丘でイサシを釣る分には生餌で十分なのだが、それでも憧れてしまう。なんとも恐ろしい釣り道具、それがルアー。


 ネッテを同伴させることになったが、二万ゴールドと町長のルアーセットがもらえるなら、やらない理由はない。

 冷静に考えれば、ネッテのおかげで旅が楽になりそうだ。なぜなら、戦闘能力はネッテがイリックを上回っている。

 三歳年下の妹の方が強い。なんとも情けない話だが、事実そうなのだから仕方ない。

 才能がない兄。

 才能の塊な妹。

 そういうことだ。

 もっとも、イリックはこの状況を悲観していない。アイール砂丘での見回りに必要な実力は長年の鍛錬で身に付けることができた。ゆえに、ネッテの才能を妬む理由はどこにもない。

 妹が自分より強くて不都合があるだろうか。むしろ頼もしいだけ。

 ネッテの身に危険が迫ったとしても、自力でなんとかするだろう。そう思える程度には天才な妹。

 もっとも、そういう状況に陥ったのなら死ぬ気で助けてやるつもりだ。逆に足を引っ張る可能性もあるが、そういうことは考えない。

 ちなみに、兄がピンチになったら助けてください死んでしまいます。



 ◆



 初めての旅が始まる。

 出発は準備ができ次第すぐ。

 先ずは旅に必要な物資の調達から始める。

 テント。

 寝袋。

 調理器具。

 食糧。

 カルック高原の地図。

 その他もろもろ。

 これだけでもけっこうな出費だが、今回の依頼者は太っ腹らしく、もしくは金持ちなのか、準備にかかる費用すら支払ってくれるらしい。

 町長からいきなりそこそこの額を渡されてしまった。

 大量の物資をマジックバッグに放り込み、準備は完了。このマジックアイテムは本当に便利だ。父親のお古だが、これがないと旅など到底出来ない。


 マジックバッグ。冒険者には必需品の鞄。サウノ商業区の専門店でしか作られていないマジックアイテムであり、一見するとただの背負い鞄だが、中にはサイズ以上の物資を収納可能だ。もちろん限界はあるのだが、旅をするには十分過ぎる容量と言える。


 現在の時刻は午後三時。

 太陽は青空の中心で眩しく輝いている。今日は風が弱いらしく、点々と漂う雲の流れもどこかゆっくりだ。

 イリックは背中に片手剣を背負い、その上からマジックバッグを背負いなおす。腰に短剣も装着して準備完了だ。

 出発するには遅い時間かもしれないが、贅沢は言っていられない。

 二人はサラミア港の門をくぐる。普段なら見回りのためにこの道を通るが、今日は違う。

 戻ってくるのは何日後だろう? 寄り道をしなければ十日後だろうか。十日も故郷を離れたことはない。というか旅に出たことすらない。

 不安? そんなものは一切感じない。ただただ、ワクワクするだけ。

 子供の頃は冒険を夢見たものだが、その気持ちは今も抱いているらしい。自分がこうなのだから、ネッテもきっと胸躍らせているに違いない。胸ないけど。

 冒険者になりたい! そう主張するネッテがこの旅でいくらかでも満足してくれれば幸いだ。

 兄にできることはこの程度が限界なのだから。


 太陽の日差しを背に受け、二人は歩く。

 アイール砂丘に一歩踏み出せばそこはモンスターの領域。実際はイリックの見回りによって周囲にモンスターはいないが、それでも気を抜いていいわけではない。

 先ずは東へ。

 目的地はワシーキ村。

 アイール砂丘を東に進み、無駄に長い洞窟を抜けなければならない。洞窟の向こうにはカルック高原が広がっており、ワシーキ村はその先にある。

 片道五日間。急げば四日くらいだろうか?

 報酬の額が額なため、感謝の気持ちもこめて今回は急ぐことにする。もっとも、初めての旅ゆえ、上手く進めるかはわからない。やるだけやってみる、それだけだ。


 周囲にはどこまでも白い砂が敷き詰められている。太陽の日差しを浴びたそれらが、より一層アイール砂丘を白く彩る。

 遠くにはまばらながらも木々が見える。葉の少ない、乾燥地帯にも生える樹木だ。

 進めど進めど景色は変わらない。まるで砂漠のような場所。ここはそういう土地。

 隣を歩くネッテの目が輝いて見える。足元の白い砂がそうさせるのだろう。そう思うことにする。

 仕事を失った、どうしよう? 本当ならこういったことを心配しなければならないのだろうが、今は全く気にならない。自然と足取りも軽い。


「どこまで進めるかな?」

「行きたいところまで連れてってやる」


 兄妹の旅はこうして幕を上げる。


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