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魔法で完全犯罪を目指そう(解決編)

 シモンは魔法使いではない。ただの人間。しかも特筆すべきところが何もない凡庸な――だ。別に卑下しているわけではない。自分はそれを恥とは思っていないし、特別な存在になりたいとも思っていない。

 力を持つことは代償を伴う。責任という面倒な枷を負うことになる。個人の思想とは無関係に、周りの者がそれを強要する。拒むことは許されず、一握りの天才は、雲がの数にも及ぶ凡人に、喰い物にされる。それが社会のルールだ。もしそれに反発するなら、二つの道のどちらかを選択しなければならない。

 社会を壊すか――落ちこぼれるか

(……あいつは……後者を選んだ)

 アリス。貧乏私立探偵の助手をしている

、変わり者の魔法使い。約束されたエリート街道を捨て、無能な上司を師事する天才。

(……そして奴は前者を選んだ……)

 テオドール・フィリップを殺害した殺人者。社会が造り出した法律(かせ)(こわ)したひとりの魔法使い。自身の能力を凡人にではなく、自身に還元した超人。

(魔法使いは難儀だな。対して俺は気楽だ)

 彼はいま、都市開発によって打ち捨てられた旧住宅街にいた。無人と化したこの街道に、人工的な灯りはどこにもない。だが満月の今夜は、その月明かりだけで十分に周囲を見通すことができた。

 街道の隅に置いたボロボロの木箱に腰掛け、彼は無言で星の動きを観察していた。待ち合わせは二十時。星の位置で測ったおおよその時刻では、あと十分。

 警戒は不要だろう。相手がその気なれば、一瞬で自分を蒸発させることだってできる。

 何かきっかけがあったわけではないが、彼は何気なく視線を下ろした。視線の先――街道の暗がかりの奥に、動く人影を捉える。

(少し、早いな)

 これを焦りと見るか。余裕と見るか。

「こんな時間にこんな場所で、一体話したいことって何ですか?」

 静寂に満たされた街道に、その声はよく響いた。その声色から、どうやら焦りではなさそうだと、無感動に思う。

(当然だな。凡人と超人だ)

 声の主が十分近づくのを確認すると、シモンは自身が座っている木箱を、相手に見えるように指先でトントンと叩く。声の主は少し躊躇するも、素直にシモンの隣に腰掛けた。

「あの……話って?」

 シモンは至って平凡な人間だ。魔法使いでもなければ超人でもない。

 だが敗北することはない。

 魔法使いだろうと超人だろうと――

 必ず勝利する。

(俺は自分の限界も、魔法使い(ちょうじん)の限界も把握している。誰をも、出し抜くことができる)

 相手が仮に十メートルの腕の長さを持っていようとも――

「テオドール・フィリップを殺したのはお前だな――アーロン・フィリップ」

 俺は釣り竿でも使って、リンゴを釣り上げる。


(始まっちゃいましたか)

 アリスは音を立てないよう、慎重に嘆息した。

 アーロン・フィリップが殺人者。そのことを確信したシモンが立てたこの計画。

(無謀すぎですよぉおお)

 内心で絶叫する。シモンが彼女に説明した事件の真相。仮にそれが真実であるならば、アーロンは非常に危険な人物だ。そして優れた魔法使いでもある。非魔法使いのシモンなど、一呼吸の間に殺すことができるだろう。シモンの安全を考えるなら、いまからでもこの計画を中断するべきなのだが――

(証拠ですか……)

 魔法使いが殺人を犯した場合、その立証は非常に難しい。彼らが使用する凶器が魔法であることがほとんどだからだ。殺人の重要な証拠となる凶器がない以上、魔法使いの犯罪では、その容疑者の証言が重要視される。つまり、明確な物的証拠がなくても、ある程度の状況証拠と、容疑者自身の口から犯罪を認める旨の発言さえあれば、立件することができるのだ。

 そしてシモンは、アーロンからその発言を引き出そうとしている。警戒されないよう、ひとりでアーロンと会うと決めたのもそのためだ。恐らく、彼には何か秘策があるのだろう。アーロンに殺人を認めさせる裏技が。

(それなら、止められないですよね)

 シモンにどのような考えがあるのか、彼女には見当もつかない。だが、恐らくそれは成功するだろう。彼はそういう人間だ。

 自身と相手の限界を知ることで、魔法使いに打ち勝つ非魔法使い。

 彼は負けない。決して誰にも。その確信さえある。だから彼女は、ただ信じて待つことにしたのだ。自分が師事した教師が、殺人者に勝利する、その時を。

 ただ――

(こ……腰が……)

 果たしてそれまで、自分が耐えられるだろうか?


「突然……何を言うんですか」

 アーロン・フィリップは目を丸くして、そう言った。シモンはその質問には答えず、淡々と話を進める。

「サイコロジカルミスディレクション。マジックで使用される心理トリック。お前が使用したのもこれの一種だな。お前はわざと不完全なアリバイを作ったんだ。殺人事件が起こった時間から、あえて七分ずらしたアリバイをな」

「ちょっとやめてください。なんでそんなこと僕がしなければならないんですか?」

「自分に疑いがかかった時に、その空白の七分に意識を向けさせるためだ。犯行がギリギリ不可能な時間。あと少しでアリバイが崩せると思わせることで、事件の真相に近づいていると誤認させる。正直、お前に完璧なアリバイができなければ、俺もその空白の七分間にまだこだわっていたかもな」

「……完璧な……アリバイ?」

 アーロンの声の調子が変わった。応接間で話をした時も、ここに呼び出した直後も、彼は常に無害で、少し感情のコントロールが不得手の、未熟な少年であるように振舞ってきた。しかし、その仮面が外れかかっている。

「お前がペンを借りたという同級生が、事件のあった時間に、窓から外を眺めているお前の姿を目撃している」

「!?」

 アーロンが息を呑むのが分かった。まったくの想定外だったのだろう。不完全であったアリバイが完全になることで、少年の仕組んだミスディレクションは失敗したのだ。

「迂闊だな。もっとも、お前はそうせざるを得ない。窓から見えるテオドール邸を、一瞬たりとも視線から外す訳にはいかなかった。何故なら、いつテオドールが殺されるのか、お前にも分からなかったからだ。お前の仕掛けた時限爆弾(・・・・)がいつ爆発するのか、お前にも分からなかった。不完全なアリバイを作るためには、お前はテオドール邸の爆発の瞬間を、見逃すわけにはいかなかった」

「……時限爆弾?」

 静かにアーロンは聞き返した。だがその声の調子とは異なり、少年の気配がギリギリと鋭く尖っていくのを感じる。自分を秒殺できる者から向けられる、強烈な敵意。それでも、シモンはわずかな緊張も覗かせることなく、淡々と話を続ける。

「お前は時限爆弾を作るのに、三つの部品を利用した。火薬、導火線、そして火種だ」

 シモンは、アーロンに見えるよう、左手の三本の指を立てた。

「事件当時のことを、順を追って説明する。多少俺の想像が入るが、とりあえず最後まで聞け。まず、テオドール・フィリップに呼ばれたお前は、奴の屋敷に行き、とある話をした。その途中かあるいはその後に、お前は睡眠薬か何かをテオドールに服用して眠らせると、奴の手足を縛り上げた。そして、お前は火薬の製造に取り掛かる。材料は、暖炉で使用するために貯蔵されていた石炭と、大量の灰だ」

 シモンは話しながら右手の指を一本立てる。アーロンは何も反論はしてこなかった。こちらの言った通り、とりあえず最後までは話を聞くということか。

「まずお前は暖炉のダンプを閉め煙道を塞いだ。そして暖炉の中に石炭を積み上げ、そこに大量の灰をかぶせた。灰をかぶせる理由は石炭に対して空気の供給を遮断すること。つまり、簡易的な乾留の装置だ。乾留に必要な1000℃以上の高温は魔法で生み出す。石炭を高温に熱すると、お前はすぐに屋敷を出た。灰に密閉された石炭は温度が下がることなく長時間燃え続け、硫黄などの成分が抜けていく。その結果、石炭はコークスと呼ばれる燃料となるわけだが、お前が必要としたのはそれではない。お前が必要としたのは、コークス製造の副産物――石炭ガスの方だ」

 ここで、シモンは一呼吸置いた。単に長時間話し続けたため疲れたのだが、まだ事件の序盤にすぎない。内心で面倒だなとため息を吐く。アーロンは、何を考えているのか分からない表情で、こちらの話を黙って聞いている。初めて会った時は、怒ったり悲しんだりと、感情豊かな少年だっただけに、そのギャップは面白くもある。

「ちなみに、石炭ガスと同じ副産物のタールは、暖炉の灰と混じって、泥になっていた。ひどい臭いでな。アリスの顔が……と、それはいい。話を続ける。石炭ガスの成分には、一酸化炭素、水素、メタンなどが含まれる。乾留によって発生した石炭ガスの成分の内、空気と近い比重を持っている一酸化炭素は、部屋中に均等に充満したと思われる。一酸化炭素には強い毒性があるが、これはテオドールの死因とは直接関係はない。危険な濃度までは達しなかったんだろう。もしかして窓を開けて換気でもしたのか。テオドールが一酸化炭素で中毒死なんてことになったら、この先の計画に支障をきたすからな」

 換気云々について、アーロンは肯定も否定もしなかった。相変わらず表情も変わらない。確かに黙って聞けと言ったが、多少の合いの手は欲しいところだ。

「……では石炭ガスの残りの成分、水素とメタンはどうなるか――だ。どちらも空気より軽い。煙道は塞がれているため、その気体は部屋の天井に溜まっていく。一酸化炭素のように、部屋中に均等に拡散しないのがミソだな。窓から逃げることもなく、時間経過とともに、濃度は徐々に濃く、層は厚くなっていく。そして水素とメタンはどちらも可燃性の物質だ。火種さえあれば爆発する。つまりこれが、お前が時限爆弾に利用した部品のひとつ――火薬となるわけだ」

 やれやれ、これで一つ目だ。残り二つもある。シモンは首を回してコリをほぐすと、右手の二本目の指を立てる。

「次に導火線。これはテオドールに盛った薬の量だ。火薬の生成時間、そしてお前が寮に戻れるだけの十分な時間を確保できればいい。テオドールが相当の寝坊助でない限り、手足縛られ床に転がされた状態では、薬が切れればほどなく目が覚めるだろう。そしてその時が、導火線がなくなり火薬に火種が着火する時――」

 シモンはゆっくりと右手の三本目の指を立てた。

「三つ目の部品――火種はテオドール自身。お前は奴の魔法を利用して、奴を殺した」


(身体中が……痛い……です)

 シモンの話は佳境に入った。こちらからシモンとアーロンの表情を確認することはできないが、恐らくシモンはいつもと変わらず、無表情に話をしていることだろう。こちらの苦労など、露ほどにも考えず――だ。

(どっちにしても、早く……お願いします……あたしもう……限界……です)


「薬が切れて深夜に目を覚ましたテオドールは、混乱しただろう。辺りは暗闇に包まれ、手足は何かに縛られている。自分の部屋にいるということは理解できても、状況は理解できなかっただろうな。もしかしたら多少は一酸化炭素の影響を受け、頭痛や目眩といった中毒症状もあったかもしれない」

 アーロンは未だ無言だ。微動だにしない。この聡明な少年ならば、すでに理解していることだろう。自身の目論見が、すべて看破されてしまったことに。果たして、それを理解した少年は、この先どういった行動を起こすのか。その予測を立てながら、シモンは話を続ける。

「だが彼は魔法使いだ。とびきり優れた――な。すぐに冷静を取り戻した彼は、まずは視界を確保しようと魔法を使った。熱源が500℃にも達する光球を、可燃性ガスが充満した天井に向かって放ち、そして――」

 パンッ!

 シモンは両手のひらを打ち付けた。しばしの沈黙。事件の真相。そのすべてを話し終えた後も、アーロンの様子に変化はない。その表情も。その敵意も。

(大したガキだ)

 心の中で最大級の賛辞を少年に送ると、シモンは肩をすくめた。

「これで話は終りだ。補足があるとすれば、魔法使いを拘束したのは、テオドールが魔法を使わず、普通に歩いて部屋から出るのを防ぐためだ。拘束している物を魔法でぶった切ることも考えられるが、暗闇では魔法の対象を定めにくい。どちらにしろ、テオドールが魔法を使って灯りを出すことは予想できる。こんなところだな」

「……すごいですね。そんなこと考えちゃうなんて」

 こちらの話を黙って聞いていたアーロンが、口を開いた。アリバイも、殺害方法も、自身が仕組んだものはすべて見破られた。そんな少年が見せた表情は、笑顔だった。

「面白い話ですけど……仮にそれがあってたらの話ですが……それって誰にでも犯行が可能だってことにしかなりませんよね。僕がやったって証明にはなりません」

「そうでもない。時間から考えて、この犯行は、事件前日にテオドールと密会をしていた人物によるものだ。テオドールはその人物と会うために、ボディガードも含めて、屋敷の人払いをしている。それはこうも言い換えられる。ボディガードがいなくても、危険はないと信頼しきっている人物だと。テオドールに限って、そんな奴は多くない。まず考えられるのは、自分の家族だ」

「それは、シモンさんの主観ですよ。父にだって信頼する人物ぐらいいたはずです。第一、僕と会うなら、なぜ人払いが必要なんですか? 普通に会えばいいんです」

「何か周りに知られたくない要件だった。違うか?」

「違うも何も、その密会の相手は僕ではありません。全部シモンさんの想像じゃないですか。こんな時間に何の用かと思えば。話は興味深いものでしたが、これでも父が亡くなって僕も辛いんです。これ以上この話を続けるつもりでしたら――」

『お前には失望した』

 そのシモンの言葉に、アーロンの動きが止まった。そして少年の顔は見る見るうちに青ざめていった。顔面蒼白となった少年は、声が出てこないのか、口を何度もパクパクさせている。そして、ようやく聞き取れた少年の声は、ひどく掠れて弱々しいものだった。

「……なんで……その言葉……」

 少年が初めて見せる――偽りではない――狼狽に、シモンは少々安堵した。どうやら当たり(・・・)だったようだ。

「そうだ。お前に殺されたテオドールがお前に言った言葉だ」

「……嘘だ……だって……」

「魔法だよ。魔法で過去の音を再生(・・・・・・・)したんだ。お前とテオドールの会話をな」

「馬鹿な! そんな魔法聞いたこともない!」

「国で秘匿している。この魔法の技術が悪用されれば、あらゆる機密情報が流出する危険性がある。だから国はこの魔法の使用を、国家機関のみの限定的なものにしたんだ」

「ふざけてる! そんなデタラメ信用できるか!」

「別に珍しい話じゃない。お前が知らないだけで、国が隠し持っている魔法の技術は、何十とある。これはそのひとつに過ぎない」

 シモンは前のめりになって、意図的に口調を早めた。少年に考える隙を与えないほど、素早く言葉を重ねていく。少年の感情的な反論を、容赦なく切り捨てていく。

「じゃあ、原理は! どんな仕組みで――」

「音は空気の波だ。波とは気圧の高低であり、そこにはエネルギーが介在する。そしてエネルギーは決してゼロにならない。誰でも知ってる、エネルギー保存則。音も例外ではない。空気から物体に伝播した波動は、弱まりこそすれ、決してゼロにならない。常に微小ならが震え続けている。永久にだ。その波動のエネルギーを魔法で増幅することができれば、一度弱った波動は再び強くなる。すると、今度は逆に物体から空気に波動が伝わる。それが音となって人間に知覚される。これが原理だ。つまり、お前とテオドールの会話を聞いていた物体――テーブルでも部屋の壁でもなんでもいい――が存在すれば、その会話を再生することは難しいことじゃない」

 シモンは矢継ぎ早に魔法の原理を説明した。アーロンが割り込む隙すら与えない。少年の瞳はガクガクと震え、呼吸が荒く、肩が大きく上下している。それでも少年は、必死に反論を繰り返した。

「嘘だ……嘘だ! 嘘だ! だって……」

「だったら、俺がお前とテオドールの会話の内容を知っていることを、どう説明する」

「――!」

 この言葉が、トドメとなった。少年はビクッと一度だけ身体を震わせると、がっくりと肩を落としうなだれた。

 シモンは大きく息を吐き出すと、今度は静かに、少年に話しかけた。

「殺害を認めろ」

「……いえ、認めません」

 アーロンはゆっくりと顔を上げた。瞳孔が開き、凶暴な殺意をたたえた瞳が、シモンを捉えている。

「死ぬ人間に自白しても意味ないでしょ?」

 少年はそう言って笑った。そして――

 バガァアアアアン!

 轟音とともに宙を舞い、頭から地面に激突した――


「ぶっはあああ! 苦しかったです! 辛かったです! 寂しかったです! あと何より……あががが……身体中が……痛いです! 痛すぎます! 長時間石像になってた罰です! 石像の呪いです! ああ! どうか再びグネッとした関節を、あたしに御与えください!」

「何を言っている?」

 シモンが冷たい声でそう言った。

 長時間木箱の中で身を潜めていたため、アリスの身体はガチガチに凝り固まっていた。彼女は関節という関節をグリグリ動かして、身体中のコリを一生懸命ほぐす。そして蛇のようにグネグネと動きながら、木箱から解放された喜びと自由を精一杯噛みしめる。

「自由に動けるって素晴らしいです。果てしないです。人は箱の中に入ってはいけない構造に作られているんですね」

「つくづく何を言っている?」

 半眼のシモンに対し、アリスは抗議の声を上げた。

「なんですか! その冷たい態度は! すっごく大変だったんですよ! というより話長いです! コミュ障な先生が生意気です! ただでさえ待ち合わせ時間の一時間も前から隠れてて大変――って、そもそもなんでそんな早くから隠れる必要があるんですか!」

「今それを聞くか……面白いと思ったから」

「面白かったんですか!?」

「いやつまらんかった。反省しろ」

「反省」

 シモンの肩に手を置き、ぺこりとお辞儀する。

「――て、なんであたしが反省するんですか!? 騙しましたね!」

「一、二、三……」

「星を数え始めたああ! あからさまに無視しないでください! そもそも、あたしは先生を守れるように、頑張ってすぐ近くに隠れていたのに、そんな……あれ? そういえばアーロンさんはどこですか?」

 キョロキョロと周りを見回すと、道路の真ん中で倒れているアーロンを見つけた。アリスは小首を傾げてシモンに訊く。

「なんでアーロンさん、道の真ん中で寝ているんです?」

「お前がアーロンの座っていた木箱から突然出てきたんで、吹き飛んだんだ」

 しばしの沈黙。アリスは「むぅ」と腕を組むと、ぐるぐるを回る思考をまとめ上げ、ひとつの解答を導き出す。

「じゃあ……事件解決ですね」

「……そんなわけ……ないだろ」

 反論したのはアーロンだった。道の真ん中で倒れていた彼は、頭を抱えながら、ゆっくりと身を起こす。相当頭が痛むのか、彼の表情は苦痛で歪み、足元はフラフラとおぼつかない。しかしその眼光は鋭く、瞳には獣のような殺意がはっきりと映し出されていた。

「ふざけやがって……このバカ女が……テメェも、そこのおっさんと一緒に、ぶっ殺してやるよ……」

「そんな……訂正してください! 先生はおっさんじゃないです! 確かに先生の精神年齢は老人街道まっしぐらですが、おっさんじゃないです! 歩き方だってヨボヨボとしていて、腰曲がってるのってほどに猫背ですが、おっさんじゃないです!」

「否定になってないな」

 シモンがポツリと呟く。アリスはシモンに向き直って、目を潤ませて言う。

「安心してください! あたし……そんな、おっさんの先生が好きです!」

「……どうも」

「死ねぇえええ!」

 アーロンが絶叫する。と同時に、彼が突き出した手のひらから、強烈な光熱波が放たれた。人間など瞬時に黒炭になるような、膨大な熱量を帯びた光の刃。魔法使いが用いる基本的な攻撃魔法で、聖戦時に最も多くの人命を奪った魔法とも言われている。それが舗装路を破壊しながら、猛烈な勢いでアリスに襲いかかってきた。

 声をあげる暇すらなかった。

 もっともアリスには、声をあげる必要すらなかったが。

 ジュッ!

 そんな音だったように思える。その音とともに、目を焼くほどの光は瞬時に霧散した。そこには、わずかな熱も、髪を撫でる風すら感じない。まるで幻でも見ていたかのように、アーロンの放った魔法は消え去った。あまりにもあっけなく。

 アーロンがぽかんとこちらを見ている。目の前に起こったことが信じられないのか、小さく頭を振りながら、言う。

「そんな……何をした?」

「えっと、アーロンさんが増幅した熱エネルギーを、逆転させて相殺させていただきました。副次的に発生した熱風やらは面倒なんで、上空に打ち上げちゃいましたけど」

 アリスは丁寧に質問に答えてあげた。だがアーロンは納得しなかったのか、今度は強く頭を振ると、大声でがなり立てた。

「デタラメを言うな! あれだけ膨大なエネルギーを、あんな一瞬の間にゼロにできるわけがない!」

「そうは言われましても……そんなすごいエネルギーでした? 小粒感満載でしたけど」

 正直感想を述べる。それでも、アーロンは「ありえない」と繰り返す。何やら汗をダラダラと流し、眼球が溢れんばかりに目を見開いている。その姿を見て、アリスは内心で嘆息をした。この反応はアリスにとって、見慣れているものだった。小さい頃からそうだ。アリスの魔法を見た者達は、目の前にいる彼――アーロンと同じような反応を示す。

「怪物だ」

 これも聞きなれた言葉だ。確か、S級資格を取得した(・・・・・・・・・)時も、試験官は同じ言葉を口にしていた。

 本当に――皆同じことばかり言ってくる。芸がないことだ。

「くそ!」

 アーロンは強く地面を蹴り上げると、空高く飛び上がった。逃げるつもりだ。

「あ、ダメですよ」

 アリスは一瞬のうちに、アーロンよりも上空まで飛び上がると、「ちょぉおおおお」と雄叫びをあげながら、両足を揃えてアーロンの腹を蹴りつけた。

「ぐぇ!」

 アーロン自身の魔法による上昇する力とアリスの蹴りがカウンターとして成立し、彼の身体が大きく『く』の字に曲がる。

 アーロンは白眼をむいて、真っ逆さまに落下していく。そして、背中から地面に激突した。アリスはフワフワと浮きながら、「あわわわ」と、冷や汗を垂らす。

「まさか……死んじゃいないですよね?」

 ヒュンッと高度を落とし、地面に着地する。彼女はトテトテとアーロンに近づくと、恐る恐る、彼の様子を観察してみる。彼はピクリとも動かなかったが、口元に手を当てると、わずかながら呼吸をしていた。ひとまず、ほっと胸をなでおろす。

 シモンがのそのそと近づいてくる。アリスはVサインなど作り、シモンに胸を張って宣言する。

「これで本当に解決です! あたし、すっごく役に立ちましたよ――痛た!」

 近づいてきたシモンが、アリスの脳天にゲンコツを喰らわせてきた。アリスは「ぐぎぃいい」と頭を抱えて屈み込む。痛みがなかなか引かない頭をさすりながら、目尻に涙をためて、上目遣いに抗議する。

「何するんですか!」

「見ろ。地面がボロボロだ。また苦情を受けるだろ。お前がバカなこと喋ってないで、さっさと拘束していれば、こんな被害はなかったはずだ」

「それは結果論です! だいたい、魔法使いを拘束するのに、ある程度の被害は当たり前です。先生だってそれを想定したから、こんな旧住宅街にアーロンさんを呼んだんじゃないですか!」

「だからって、無駄な被害を出していいってことじゃない。こいつ程度の魔法使いなら、容易に制圧できたはずだ。つくづく使えないな。お前は」

「使えます! バリバリ使えます! 使用頻度の高い女って有名なんです! 大体先生は――」

 誰もが自分を見ると同じ反応をする。

 ただし、先生(このひと)を除いて。


 アーロンを警察に渡し、探偵事務所に戻る帰り道。暗い夜道をシモンとアリスは並んで歩いている。シモンは彼女に「先に戻ってろ」と言ってくれたが、彼女はそれを断った。シモンに対して聞いておきたいことがあったからだ。

「そもそも先生は、最初っからアーロンさんを疑ってましたよね。何か理由があるんですか?」

 シモンは眠たいのか、大きくあくびをした後に、ボソボソと答える。

「テオドールと密会した相手。その目撃者に心当たりがないか奴に訊いたな」

「はい。確かアーロンさんは隣人さんに話を聞いてみたらって」

「おかしいだろ。テオドールのところには何十と住み込みの使用人がいるのに、どうして隣人なんだ。まずはその使用人に話を聞いてみたらいいと、誰だって思う」

「それもそうですね。あ、でも使用人がいるって知らなかったのでは?」

「この話は『住み込みの使用人から聞いた』と事前に話した。それにあいつは二年前にテオドール邸に行っている。全く知らないってことはあり得ない。そして何十人と使用人がいるのに、来客の目撃証言がなく、性別すら分からないなんて、疑問に思うはずだ」

「ああ、なるほどです」

「あいつは知っていたんだ。使用人からボディガードまで、テオドールが屋敷の人払いをしていたことに。だから目撃者と聞いて、普段屋敷にいる連中を思い浮かべることができなかった。あいつは、『知らないはずのことを知っている』といった矛盾には気をつけていたが、『知っているはずのことを知らない』ことに無頓着だった」

「うん。話は分かりました。でもそれって、単純に忘れてたってこともありますよね」

「なくはない。だから二、三日調査して決定的なものが出なければ、この線は諦めようと思っていた」

「なるほどです。納得しました」

 アリスはちょっとだけ悔しかった。応接間にはシモンだけでなく、自分だっていたのだ。なのに彼が感じた違和感に、自分は一切気づくことができなかった。これでは、助手として失格だ。

「でも驚きました。いつテオドールさんとアーロンさんの会話を聞いてたんですか? そもそも、過去の音声を再生するだなんて、そんな魔法が秘匿されていること、あたしも初めて聞きましたよ」

 アリスはそう言いながら、シモンが先程アーロンに話していた魔法の原理を、頭の中で反芻する。魔法使いの端くれとして、自分が知らなかった魔法の存在には興味がある。国が秘匿しているともなればなおさらだ。うまくシモンから、その魔法の概要を聞き出せないかと、彼女は何気なく話を切り出した。

 するとシモンはあっさりとこう言った。

「あんなもの嘘に決まってるだろ」

「へ!?」

 思いがけない言葉に、素っ頓狂な声が出る。

「方便だよ。奴の自白を促すためのな。そんな魔法は存在しない」

「で、でも原理とか説明してましたよね」

「デタラメだ。初歩の物理学の知識があれば誰でも気がつく。我ながら出来の悪い創作だった。アーロン(あいつ)をとことん追い込んで、冷静な判断ができない状態にしてやったから、気づかれなかったが」

 いけしゃあしゃあと言ってのける。しかしアリスも食い下がる。

「で、でもでも、テオドールさんとアーロンさんの会話の内容、知っていたじゃないですか? それはどう説明するんですか? まさか、偶然ってことはないですよね?」

「そのカラクリはこれだ」

 シモンはポケットから手帳を取り出すと、ポイッとアリスに投げてよこした。彼女が手帳を開いてみると、何やら何ページにも渡り、色々な文字がびっしりと書きなぐってある。ペラペラめくりながら、シモンに問う。

「これは?」

「テオドールの手帳だ。警察が見つけたのを借りておいた。テオドールは大事な会議の前には必ず、自分が話す言葉を事前に何十、何百と想定して、紙に書き出していたらしい。頭の中を整理するためにな」

「へえ。あ……最後のページに……ありますね。『お前には失望した』」

「メモってより、落書きみたいなものだからな、読める文章はそれほど多くない。相手の名前が書いてあれば話は早かったんだが、そう都合よくはなかった。だから適当に、その手帳に書いてある文章を、アーロンとの会話に組み込んで、奴の反応を見ていた」

「でも自分の子供との会話にまで、こんなものを書きますかね?」

「可能性は十分ある。連中が何を話していたかは知らんが、人払いまでしなければならないような内容だ。話す相手が実の息子だからといって、テオドールの奴が手を抜く理由にはならない」

「アーロンさんはこの手帳の存在を知っていたのでしょうか?」

「さあな。テオドールのこの癖については有名な話なんだが、あいつが知っていたかどうかまではな。だがどちらにしろ、あいつは捕まっていたさ。いずれな」

 そう言うと、シモンは一呼吸の間を空けた後、こう締めくくった。

「あいつの最大の過ちは、自身の限界を見誤ったことだ。自分なら完全犯罪ができると信じて疑わなかった。二十メートル先のリンゴが取れると思い込んでたんだ。お前には話したが、重要なのは限界を知ることだ。あいつがデタラメな魔法の存在を信じてしまったのも、あいつが魔法使いの限界を知らなかったせいだ」

 自他の限界を知ること。それができれば、すべてを出し抜ける。非魔法使いが、魔法使いを打ち負かすこともあり得る。以前、アリスはシモンからそう聞いた。そして彼は、その話を実行して見せたということだろう。

 だがそれはそうと――

「……嘘で自白させたんですよね。問題になりませんかね?」

「そこまでは知らん」

 にべもない。

(さすが……あたしの先生ですね)

 とりあえず、そう思っておくことにした。


おまけ


挿絵(By みてみん)

フルバージョンは以下URLです

http://20147.mitemin.net/i225742/

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