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海凪についていけば、十五分ほどで河原に出た。
これもイヴの力かと驚いていると、「まさか、本当につくとは思わなかった」なんて呟いていたが、あえて聞かないフリをして素直に飲み水にありつくことにする。
よく冷えた水を飲めば、全身に水分が行き渡っていくのを感じる。素直に、飲み水のありがたさを学ぶにはこれで十分だが、そういう趣旨の勉強だはなさそうだ。水は冷たく、服を洗ってから体も綺麗にしたかったが、さすがにこの川で洗うのは風邪を引きに行くようなものだ。
自分の汚れた制服が嫌なのか下着姿になって、川に入ろうとする海凪を全力で阻止すれば、俺と海凪は都合よくも河原の近くにあった大きな岩と岩の下にできた空洞を見つけることができた。今夜はそこで体を休めることにした。ちなみに、何とは言わないが、海凪は白とか水色だった。
「無事にここから脱出できたら、一緒に飯を食いに行かないか?」
すっかり陽も落ち、空腹状態でひんやりとした岩の上に寝転がった俺は、ついそんなことを言ってしまう。たった数時間しか一緒にいないが、まるで昔からの幼馴染と一緒に居るような錯覚を覚える。これが世に聞く吊り橋効果というやるかもしれない。
共に夜空を見上げ、隣で横になっていた海凪が考えるように数十秒後に返事をした。
「……考え中」
「前向きに頼む」
そういえば、と海凪が口にした。俺から聞いてばかりいたので、海凪から質問があるのは嬉しい。喜んで質問に耳を傾ける。
「火桜は、どうして創機の操縦者……アダムになりたいの?」
イヴと運命共同体になり創機に乗りを目指す人達は地位や名声、お金、将来性、非日常、たくさんの理由があると思う。
この試験を通して、まるで自分は本当に創機に乗りたいのかというのをずっと問われ続けているような気がしていた。ちょうどいい、俺はこの辺で答えを出しておこうと思う。
「昔、ある約束をしたイヴの女の子がいたんだ。最初はその子に会いたくて、一生懸命頑張って創機乗りになろうとしたんだけど、なかなかうまく行かなくてな。でも、目指せば目指すほど、どんどん興味が湧いていったんだ。通常の機械では通れない場所へと行き、たくさんの人の命を救ったり、危険な犯罪組織を無力化したり、もちろん最近は創機を利用したスポーツも盛んだしよく見るようにしているよ。それに俺は……イヴとアダムで共に協力する姿に憧れたのかもしれないし、約束の女の子と重ねて見ていたのかもしれない。誰だって、悪者になれるし正義の味方にもなれるからさ、約束の女の子が悪い奴に利用されたりしたら、絶対に嫌じゃないか。そう考えたら……あの子みたいなイヴが悪い人間に利用されるのは、絶対に嫌だって思ったんだ。そんなイヴ達すらも守れるアダムに俺はなりたい」
相槌を打つこともなく黙って聞く海凪。なんだか、結論を急がされているような気がして、ただの創機マニアの話からまとめに入る。
「ごちゃごちゃ言ったけど、結局のところ、昔の約束を果たせるなら果たしたいてのと、俺も誰かを助けられるような人になりたいと思ったんだ。だから、まあ……あの子のおかげで俺にも叶えたい夢をできた。忘れていたならお礼を言いたい、もし、覚えているなら一緒に人助けのできる創機乗りになりたい」
さほど長くない沈黙の後、隣の海凪が体の向きを変えていた。音に反応して、その首を海凪へと向ければ、夜空を見上げていたはずの海凪が俺の瞳を覗き込むようにしてじっとこっちを見ていた。
潤んだ瞳に吸い込まれるように、まるでその瞳が銀河のように、目を逸らすことのできない不思議な感覚に陥る。
虫の音も川の流れる音も鳥の声さえも、無音となってしまった世界で海凪の声だけが口の動きだけがはっきりと届く。
「もしも、その女の子が約束を忘れずに火桜の前に現れたら……どうする?」
「それは、きっと……。嬉しい。嬉しくて、幸せで、きっと……ずっと一緒にいたいと願ってしまうに決まっている。俺は、あの子を追いかけ続けたあの日から、どこかおかしくなってしまっているのかもしれない。そうだと気付きながらも、俺はあの子に会いたい触れていたい、あの子の特別でいたい」
その不思議な不思議な瞳に見透かされるように、俺はつらつらと胸の内に隠し続けていたことを赤裸々に話してしまう。
俺の手の上に、海凪の手が重なる。
「……その子の名前はなんて言うの? ねえ、教えて」
短い時間に洗脳でもされてしまったように、俺の口は自然と紡ぎだそうとする。
「あの子の名前は――」
『――お二人さん、見ぃつけた』
夢見心地だった意識を強引に引き締めると、俺と海凪は条件反射的に立ち上がった。俺達をそうさせたのは、あの乱暴そうな男の声とチェンソー音。
紫の創機が、膨れ上がった二つの目をぎょろりぎょろりと動かして、俺達を見下ろしていた。
もう二度とは聞きたくない音と姿形を前にして、蛇に睨まれた蛙のようになった俺達は敵を前に全ての動作が停止する。
『こう見えてもいろんなところ探し回ったんだぜぇ。西へ東へ、何人か新入生とも会ったが、相棒の一人も見つけられていない奴ばっかりだったから、俺達を見ただけで震えあがってんたよ。はぁ……天下の箱舟学園とやらも、大したことねえのかもしれねえなぁ』
そう言い、龍介と呼ばれた男と紫の創機のイヴの女が大きな声で笑えば不良が自慢気にナイフを見せびらかすようにチェンソーを擦りつけ火花を散らす。
こいつらの人を見下した態度にどんどんと頭が冷えていくのを感じ、思考を停止していた脳は再び信号を送る。
「他の生徒がいたなら、そいつらから奪えば良かったじゃねえか。どうして、わざわざ俺達の生徒手帳を狙うんだよ!」
擦り合わせていたチェンソーの動きを一旦止めれば、龍介は声を低くして言う。
『気にくわねえよ、お前ら。生き残りをかけたバトルロワイヤルて言ってるのに、自分達はそんなことしませんって顔をしやがって。俺達はな、死にもの狂いでここまでやってきた、相棒の亜利沙と、俺達の創機『セクトトール』で何だってしてきたんだ! 俺達みたいな底辺の人間が、チャンスを貰ったんだ。だったら、思い出させてやんだよ! 足元で潰されるだけだった虫が、本当は恐ろしいものだって言うのをなぁ!』
だからなぁ、と龍介は言葉を続け、大きく息を吸った。
『――闘う覚悟をもねえ奴は、俺達の前にのこのこ顔出してんじゃねえよっ!』
おそらく俺達を直接攻撃するつもりはなかったのだろうが、紫の創機『セクトトール』によって振り下ろされたチェンソーの刃は岩を叩き割り、その衝撃の波に巻き込まれた俺達は川の方へと転がった。
「ごほっ! ごほっ!」
二度大きく咳き込めば、俺はすぐさま海凪の姿を探す。
見つけた頃には川の深くなっている部分に足を取られて、水の中へと消えていくところだった。小さな手が水中に消えていくのを見た瞬間、冷静に保とうとしていた人格が吹き飛び、消えかけていくその海凪を追いかけて俺も川へと潜った。
「海凪っ!」
岩に体を打ち付け、全身に痛みを感じながら、慣れない川の中を流されながら進む。視界の先に、見覚えのある影を見つけて、俺はがむしゃらに手を動かして前に進んだ。
必死に海凪の体を抱き寄せて川の中から顔を上げれば、海凪は気を失っているようだった。下手に意識があると暴れたりしてまともに泳ぐこともできないので逆に好都合だ。しかし、僅かな喜びは目の前に迫る絶望的な現実というものに粉砕された。視線のその先、既に流れるはずの河原はなく広い空。つまり――崖になっていた。このまま流されてしまえば、俺は川から滝へと流れて落ちてしまう。
ここからでは高さなんて分からないが、落ちればまともじゃいられないことだけは分かる。いいや、落下して無事だったとしても少なくともこの試験を乗り越えられる状況ではなくなっているはずだ。
万事休す。この言葉を現実に味わうのは、今日で何度目だろう。
「ひ……ざくら……」
気を失っていた海凪が目を覚ましたが、今の俺には謝ることしかできない。
「ごめん、ごめんな、海凪……。偉そうなこと言ってたのに、ごめんな……」
惨めだが、俺の口から出るのは謝罪の言葉。海凪も崖に気付いたのだろう。青ざめた顔をしているのは、きっと溺れかけただけではないはずだ。
ほんの数秒で俺と海凪は崖まで真っ逆さまだ。それでも、海凪だけはどうしても助けたいと思った俺は、せめて怪我でもしないように体を守るように抱きしめた。例え、俺が夢を諦めても海凪の夢だけは消えないでほしいと。
近づく崖、終わりの川。俺の命運はここで尽きるのか。まだ、何をしていないのに。まだ、キミにすら会っていないのに。
「火桜」
まただ。何故か、海凪の声が全ての音を消してはっきりと聞こえた。
海凪はまっすぐに済んだ瞳で問う。
「――貴方の名前を教えて」
冗談みたいな状況で、大量の川の水を飲みながら馬鹿みたいな笑みと共に答えた。
「火桜空也だ」
海凪が微笑めば、滝の下に落下する準備のように一度水の中に強制的に潜った。荒れ狂う川の流れの中で、俺はハッキリと海凪の口の動きを見た。
う、み、な、ぎ、れ、い、ん。
水中の中だというのに、俺達は互いの名前を強く叫び。
見つけた。
そして――
――覚醒した。