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紫の創機は俺達を威嚇するように両手のチェンソーを回転させて火花を散らす。上半身の大きさの割に、細いカモシカのような足でステップを二度踏めば、この場から離れようと反転したばかりの俺達の前に回り込んだ。
『おいおいおいおーい、どこ行こうってんだぁ!? 学園長様から話は聞いてんだろ! 新入生は新入生とバトルってくれってさあ!?』
次に聞こえたのはガラの悪そうな男の声。おまけに、頭も悪そうだ。
最初に聞こえた女の声がイヴ、そして、今喋りかけてきているのがアダムというところか。
「待ってくれよ、俺達なんて生身だぞ! 生身の人間を創機で襲うなんて、どう考えてもおかしいだろ!?」
『悪いがよ、おかしいことなんて何もねえぞ。こんな訳の分からん島に着いた時に学園長に聞いたんだがよ、他者を蹴落とすためには何したっていいんだとよ! 俺には最初から相棒がいた時点で、この勝負は貰ってるんだよ』
獲物を前にして食器を確認するかのごとく、両手のチェンソー状の刃をぶつけて鳴らし合う。同時に、これは牽制であることも意味していた。
次いで、イヴである女性の声が響いた。
『もお、龍介ちゃん、怖いこと言い過ぎぃ。でも、まあ要するにぃ――』
そこで、一区切りを入れると、
『――大人しく生徒手帳を渡せってことだよっ!』
その後に聞こえてきたのは龍介と呼ばれた操縦者の声。その声が戦闘開始の合図となり、チェンソーの刃が俺達のすぐ前方の地面を抉った。
「うわあぁ――!」
手を握ったままで俺達は地面を滑るように転がった。同時にこれはチャンスとなる。土の中に紛れ込むように、体勢を低くして前のめりに駆け出せば、手を引いていた女子生徒も俺の考えを察したようで共に駆け出した。逃げるだけなら、別にバカ正直に走らなくてもいい。身を隠せる場所なら、山ほどあるのだ。
前方は既に塞がれているので、横の木々の間に滑り込む飛び込んでいく。
『龍介ちゃん! イチャイチャしてたお二人さんが逃げていくよ!』
『あ。アイツら……! 男だったら逃げずにデケえ相手でも勝負しろやっ!』
言いたい放題言われながらも、俺は不規則に振り回されるチェンソーの刃によって切り落とされていく木の間を通り抜ける。切り落とされていく木に当たれば、骨折どころか戦闘不能になることは間違いない。いいや、最悪死ぬ可能性だってある。
頭に浮かんだ死という具体的なワードが、足を急かさせた。とうとう女子生徒の足の速さを気にしてられない状況になった俺は、女子生徒の軽い体を両手で抱えればお姫様抱っこをするような形で命からがら逃げだした。
※
逃げている最中、偶然見つけた大木の成長し過ぎて大きく飛び出した木の根っこの影に身を潜めることで難を逃れた俺達は安堵の息を漏らした。
「なんとかなったな……」
「うん……」
泥風呂でも浸かってきたように全身泥だらけの俺は、突然放り込まれた異常事態に今さらながら疲労を感じていた。横を見てみれば、同じように泥のシャワーを浴びた女子生徒も疲労している様子だ。
ここで場を和ますジョークの一つでも言えるといいかもしれないが、天国から地獄に突き落とされた高校生には厳しいところだ。
じっと二人して身を寄せていると、女子生徒と内心呼んでいるが、名前を知らない。ここまできたら、一蓮托生。名前も聞かずして、行動するのもおかしな話だ。
「あのさ、名前教えてもらっていいかな?」
警戒するように一度だけ俺の顔を見るが、さすがにこんな危険な状況でナンパをする気にもならない。第一、ナンパなんて俺には一生縁がない言葉だろう。
「……海凪」
ぽつりと告げた短い言葉は、おそらく苗字だ。きっと、まだ俺に対してそこまで気を許してないということだろう。確かに、用心深さそうなタイプに見える。
「海凪さんか。……俺は火桜空也」
「くーや?」
どこか懐かしい声で、俺の名前に反応する海凪さん。
「俺の名前に反応するなんて珍しいね。大体の人は、苗字が珍しいから、そっちの方に反応するんだけどね。もしかして、知り合いにも同じ名前の人がいたとか?」
「……秘密です。あ、それと、私のことは呼び捨てで構いません」
「そ、そうか? それじゃ、海凪……て呼ばせてもらうよ」
「知り合いに似ていますし、私を命懸けで助けてくれたので……特別です」
短いやりとりだが、何となく懐かしい。薄暗くなる空と、遠ざかっていく紫の創機の足音を耳にしながら追い求めたあの子のことを考える。
俺の求めていた少女の名前は、澪音。苗字は知らないので、あの時聞いておけば良かったと何度も後悔した。それも今さら悔やんでも仕方がないことなので、この戦いを生き残るしか澪音に会う道はない。もしかしたら、久しぶりに会った澪音は俺のことを完全に忘れているかもしれないし、他に相棒がいるかもしれない。そんなの何度だって考えたけど、今は創機に乗って困っている人を助けたいていうのが俺の夢にもなっているんだ。
だから、例え俺のことを忘れていたとしても、一言だけ「夢をくれて、ありがとう」とお礼を言いたかったのだ。……たぶん、帰った後に泣くかもしれないが。
「どうかしたのですか?」
ぼーとしていたので気になったのか、隣で体育座りをしていた海凪が聞いて来た。
「いいや、少し考えごとをしていただけ。……でも、お互い大変なことになったな」
「……とんでもない学園だと噂には聞いていましたが、まさかここまでとは思いませんでした」
二人で深くため息を吐いた。
さっき俺達を襲ってきた奴らは運がいい。というか、おそらく仕組まれている気がする。あの口ぶりからすると、あの二人は昔からイヴとアダムの関係を続けてきていて、それを知っていたが学園側が凄く近い位置にコンテナを設置したのだろう。そうでも考えないと、他の生徒達に出くわしてないのはおかしい。
このまま俺達を無視して、他の生徒達を襲撃しているようなら心強いが。
「無我夢中だったとはいえ、引きずり回してごめんね」
「いいえ、私はどうしても負けれない理由があります。あのような人達を前にして、負けるわけにはいきません」
へえ、と感心の声を漏らす。
少し変わっている子だが、創機として活躍したいという気持ちは本物のようだ。創機となって戦うということは、ただ力があるだけでもイヴやアダムの適性があるからいいというわけではない。人の命を扱う場所に立つ以上は、それなりの知識と折れない心が大切になる。僅かな海凪の言葉から、俺は彼女の覚悟を知ったような気がした。
知ってしまった以上、関わってしまったからには報いないといけない。
「奴らは遠くに行ったみたいだし、今はここから離れながら水場を探そう」
俺が立ちあがれば、海凪も続く。
「必ず、この試験を突破しようね」
「ああ、もちろんだ。……あ、そうだ。これ、いるか? 気持ちぐらいは紛れるかもしれない」
ポケットから取り出したのは、例のイチゴ味のガム。少し期待をさせるような言い方をしてしまったので、落胆させてしまうかもと考えたが、予想外に海凪は目を輝かせていた。
「おお、イチゴ。イチゴっ。……こ、これ、本当に貰っていいの?」
「お、おう。全部食べていいぞ」
小さく、てへへ、と海凪が笑うと軽く頭を下げればイチゴ味のガムを受け取った。一枚取り出して、口に入れれば、よほどおいしいのか幸せに頬に手を添える。
「イチゴは、あいしいなぁ」
たかがガムのはずだが、海凪は実においしそうにそれを口にしているのを見ているとこっちまで食べたくなってくる。
「すまん、一枚くれ」
受け取りガムを口に入れる。
「……甘いな」
相変わらずの激甘ガムだったが、イチゴ味に大興奮の海凪を見ていると、再びガムがおいしそうに見えてくるので不思議なものだ。それに今となっては、この激甘ガムも食欲を誤魔化すことができるからいいかもしれない。
そんなやりとりをしていると、海凪が俺の前に立った。
「もしかしたら、水場が分かるかもしれない。ついてきて」
少しだけ声に元気が戻ったようだ。イチゴ味のガムの凄さに驚きつつも、言われるがままに海凪の背中についていく。
イヴと呼ばれる少女は、まだまだ研究途中らしいが、それでも何件か不思議な力の報告がある。もしかしたら、海凪にも何か力があるかもしれないと、そう思わせる何かがあった。
二人でガムをクチャクチャ言わせながら、薄暗闇の森を歩き出した。