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しばらく呆然と辺りを見回していたが、ようやく五分とも十分とも時間をかけてやっと次の行動に移せそうだった。もしも、この最初の行動でさえも試験の結果に反映されるなら、いきなり減点からのスタートだろう。
どこかに先生の監視があるのかもしれないが、それでも不安だ。監視カメラでもあるのだろうか、なんて探してみるが、それもすぐに止めた。危機的状況に陥った際にどう脱出するのかを見る試験なら、ここで先生がどこかで見ていてくれるかもしれないという甘さが身を亡ぼすかもしれない。
今はなるべく状況の把握が大事だ。
密林とも呼んでも違和感のない森の中に進む。
「まず、こういう時は……水場の確保からだよな」
歩きながらポケットを探る。通学鞄も探してみたが、どうやら拘束されたのと同時に没収されてしまったようだ。ポケットの中をガサゴソと探し、連絡手段も無く、出てくるのは前日の夕飯の材料を買った時のスーパーのレシートと一枚だけ食べたイチゴ味の板ガムだけだ。
ガムにいたっては、コンビニでくじを引いた時に貰ったもので、試しに食べてみたがあまりの甘さに途中で食べるのを放棄してポケットに入れっぱなしにしていた物だ。だが、もしも空腹がピークの時はこれで気を紛らわせるしかないだろう。
もっとマシなものを入れておけば良かったとも思うが、とにかく水場の確保が最重要だ。それに、水が流れているところに向かえば、他の参加者にも遭遇するかもしれない。彼らと協力関係になれるなら、御の字だろうが、襲ってくるようなら……逃げるしかない。
意外と冷静な自分に驚きつつ、足を前に急がせる。
進行を邪魔するように飛び出している木の幹や木の根に気を付けながら進むが、歩いても歩いても目的の水場が見つからない。ありがちだが同じ場所をぐるぐると歩き回っているだけかもしれないと嫌な予感が脳裏を掠め始めた――。
――ス……ケテ……。
「ん?」
どこからか声が聞こえた。
か細い、風の音のような弱々しい声だ。最初は気のせいかとも思ったし、暑さからくる幻覚ではないかと自分を疑ったりもした。初めは何を言っているのか分からない程度だったが、さすがにはっきりと言葉として認識できるようになってくると、風や草木の類とは違うのだということが分かる。
学園長は、この試験をバトルロワイヤルだと言った。もしかしたら、これは罠の可能性も捨てきれない。助けが聞こえて向かって行ったら、後ろから不意打ちされて生徒手帳を奪われる可能性だってある。
「……て、何を考えているんだ、俺は」
右手で拳を作るとそれで頭を叩く。弱い痛みが叩いた部分に広がるのを感じつつ、声のする方を意識することで動きに明確な目的が出てくる。
こう見えても幼い日に出会ったあの少女に対して恥ずかしくない生き方をしたい。困ってる人間がいて、それを手助けするのに、罠がどうとか損得でどうとかで動くような奴にはなりたくないし、困っている声があれば、その声が届く以上は俺は手を伸ばすつもりなんだ。それが、俺の考えるあの子へ向けた恥ずかしくない生き方というやつだった。
――例えば、今のような「たすけて」という声は特に聞き捨てならないように。
※
少しずつ大きくなる声を糸のように手繰り寄せながら走れば、その発生源に到着する。――が、俺は言葉を失った。
「たすけてー」
確かに聞こえてくる。少しずつ声が途切れ途切れなのは、おそらく本人の体力的な問題だろう。
「ここまで不運な人間もいるんだな……」
呟いた俺の視線の先いは、最初に自分が出てきた時と同じようなコンテナがあった。そのコンテナからは新入生を試験に参加させるために開き……開きかかったままで止まっていた。
コンテナは四方向に張りぼてが倒れるような作りになっているのだが、それが四つとも上下左右の木々に引っ掛かり半開きの状態のままになっていた。それも上の方がやっと太陽の光がコンテナ内に射し込む程度の空間しか外界の繋がりが見当たらない。
この状況だけで判断するなら、この声の主は女生徒であり、新入生であり、学園長とのやりとりが終わった後にコンテナが開いたが、周りの木々に妨害されてコンテナが半開きになってしまった結果、動けなくなってしまったのだろう。
いずれにしても、かわいそうなやつだ。
「とりあえず、害はなさそうだな。えーと……お、あそこから行けそうだな」
さすがにコンテナの壁が倒れてきたことで、耐えきれなくなったのか壁を支えていた木が一本だけ傾いていた。そこを足掛かりにして、木の上に登って、手を伸ばせば閉じ込められている女子生徒にも届きそうだ。
善は急げと駆け足でまがった木の先に掴まれば、懸垂するように腕に力を入れて体を持ち上げれば木の全重量を乗せている壁に足をかけ、他の木に左手をつけば、右手を伸ばした。顔は暗くてよく見えないが、何とか届くところにいそうだ。
「おい、大丈夫か! 助けに来たぞっ」
一度は警戒されるかと思ったが、助けを呼ぶ声がピタリと止まれば、指先に仄かな温もりに包まれる。おそらくこれは指、小さいのは、やはり中には女子生徒がいるからだろう。
「すいません、届きません」
「くっそ、後少しなんだが……」
思い切って体の右半身をコンテナの闇の中へと潜り込ませる。相手の顔でも見ようかと思ったが、不安定な足場で全体重を腕一本足一本で支え続けるのはなかなか骨が折れる。ひたすらに闇の中に伸びる腕に意識を集中すれば――触れた。今度はちゃんと指と指、手と手が繋がっている。
「引き上げるから、よく掴まっとけよ」
「うん」
さあ、ここからが大変だ。人間一人を腕一本で持ち上げるなんて、どれだけキツイのか、そこまで考えて力を込める。下手にいろいろ考えて、全力で持ち上げることができなかったら、みっともない。
一回に全力投球するつもりで、めいいっぱいので引っぱり上げた。
「うお……!?」
思わず声が出た。それは、女子生徒が重たくて上がらないのではなく、あまりの軽さに驚いたからだ。女子生徒の軽い体が引き上げられれば、受け止めた俺はそのまま巻き込むように木の上を転がると落下した。
「いでぇ!?」
女子生徒の体を守るように落ちたことと二人分の体重を受け止めたことで、背中に雷が走ったような痛みが流れる。反り曲がった木から落ちたこともあり、大怪我にはならないが体感はとして背骨が折れるようなイメージだ。
「マジで……痛い……」
地面の柔らかい土がクッションとして機能してくれていたこともあり、なんとか無傷でいられるようだ。
とにかく女子生徒の無事を確認したい俺は、痛みで思考もままならない状態で腕に力を入れた。
「んぅ」
ふにゃんと柔らかな感触、腕の力に反応するようにこの密林に恐ろしく似合わない甘い匂いが鼻孔へと侵入する。
顔を胸元に向ければ、女子生徒が胸に顔を埋めていた。まるで俺の視線に気づいたかのように、女子生徒の顔が俺の方を見た。
「あ……」
「え……」
女子生徒の表情が凍り付く。その顔を見た瞬間、どうしてだか分からないが、俺の心も大部分が停止したような気がした。
ただ己の心臓が震え、それが体内全てを刺激して脳内に大音量の心音だけが聞こえてくる。
ブルーの瞳に長いまつ毛、色素の薄い黒い髪はセミロング、白い肌は決して汚れることのない神聖さを表しているようにも見える。そして、どこか――絵本から飛び出してきたような空気感を持った少女だった。
なんでだろう、思い出の中の女の子とは髪の色も目の色も違うのに、この子は俺が探し続けたあの子に似ている。
――澪音に。
「あ、あの……」
「え、えと……」
同じような言葉が同じように重なる。何をどもっているんだ、また固まる両者。
「そ、そっちから……」
「ど、どうぞ……」
まさか、二度も重なるとは。二回目になると、さすがに恥ずかしくなってくる。今さらだが、こんな風に抱きしめた状態だということを考えれば、これまた余計に恥ずかしい。
「と、とにかく、体を起こさないと!」
早口で言ったおかげか、今度は被ることはなかった。謎の緊張に急かされるように女子生徒を立ち上がらせるためにも上半身を起こそうと――。
――ガァン! と轟音が響き渡り、地面が震えた。
せっかく起こしかけた上半身も女子生徒の体も再び俺へと倒れこんでくる。さほど大きくないものの主張を忘れてはいない女子生徒の胸元の感触と頭上を飛んでいく木々と土の塊にダブルの衝撃を受けながら俺と女子生徒は踏みとどまることもできずに地面を転がった。
再び女子生徒を抱えるようにして、地面を転がった。ただ、先程と違うのはこれは緊急事態に該当する状況だということだ。
「大丈夫?」
と聞きつつ、俺は女子生徒の手を取ると互いに泥だらけになった制服で立ち上がった。その直後の出来事だった。
『はあーい! 親愛なる新入生さぁ~ん! 元気してますか~?』
わざとらしいセクシーな声が何か機械を通して聞こえた。手を繋いだ女子生徒の顔を見たが、同じなわけがない。そもそも、この子がこんな下品な声を出すわけがないのだ。それなら、考えられるのは一つ。
まさか、という言葉と共に今まで感じたことのない悪寒を感じつつ、その腹立たしい声のした先をみた。
まさか、が、やっぱりに変わった。
「……俺も運がねえな」
全身が紫一色で、頭部はカメレオンのよう飛び出した二つの目。両手には人型の腕の代わりに、肘の辺りからチェンソー状の刃が取り付けられていた。大きな外見とは違い、その足はスマートでありながらも地にしっかりとついた頑丈さを感じさせる。
視線の先、吹き飛ばされた木々達の代わりに立つ者。――それは、俺も女子生徒も知らない『創機』。つまり、敵だった。