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それは、まるで母に抱かれるような温もり。生まれる前の気分とは、こんな感じなのだろうかと英里佳は思う。
英里佳は、ガインスレイザーの一部になる不思議な感覚を味わいつつ、少しずつ、記憶を思い出していた。
光の中、誰かが聞いた。
――名前は?
「英里佳」
――違うだろ、全部だ。
「雨宮英里佳」
――正解、ご褒美に記憶をやろう。……雨宮英里佳、名前とは最初であり原初だ。原初を知るということは、全てを覚えているということになる。後は、全部思い出せそうだろ?
「はい、私の力を恐れた親は私を研究所に売り、ずっとそこで実験の日々を送ってきました。来る日も来る日も実験を行っていた私は力を、ある人間に買われ、共に世界を変えるために大勢の人を……うぅ……」
――泣くにはまだ早い、もっと思い出すべきことがある。
「……あの人、彰人……お兄ちゃん……。私の前にいた研究所で優しくしてくれた彰人お兄ちゃん。お兄ちゃんと一緒にお仕事をするように言われ、お兄ちゃんのところに行ったら……私のことも忘れて……別人に変わってました……」
――そうだ、そこが大事だ。キミは、そのお兄ちゃんを止めるために戦うんだ。それなのに、彼のことを知らないなんて不公平だろ。戦い、傷つけるなら、彼を知るんだ。彼を知ってからこそ、キミは本当の意味で真正面で彼と戦える。
「はい……ありがとうございます……。ところで、貴女は……誰……?」
――聞いてどうする。
「私のこと、すごくお詳しいんで……あぁ……頭痛い……」
――安心しろ、目覚めれば頭痛は止まる。どうせ聞いても、頭がおかしくなるだけさ。
「貴女が、そう言うなら……正しいのですよね……?」
――当たり前だ。さて、彼女が怒らない内に僕はいかないと。彼女怖いんだ、やりすぎだって怒った時には地震や噴火の一つでも起きそうになる。これ、冗談とかじゃなく本気でね。……脱線した、失礼。――さあ、思う存分、兄妹ケンカしておいで。
「行ってきます。――運命を切り開きに行こう、クトグアドラ」
英里佳は、誰かに背中を押されて、現実へ覚醒した。
※
俺は、ガインスレイザーの右腕を見た。失ったはずの右腕は修復され、右腕を覆うように本来の右腕よりも一回りほど大きな赤一色の腕に変わっていた。それだけではない、その手の先には一本の剣が握られていた。剣の種類は、片手剣と両手剣の間の大きさ――バスタードソードと呼ばれる半片手剣だった。
突くことにも斬ることも可能にさせる長剣の先を下げれば、意外にもガインスレイザーにはピッタリと合う。そして、この力はただの剣ではない、創機『クトグアドラ』の力をその剣に宿している。
「英里佳、調子はどうだ」
『問題ありません、それに……記憶も戻りました』
澪音が驚きの声を上げる。澪音が驚いて声を出してないなら、俺が代わりに声を出していたところだった。
『……大丈夫そう?』
『はい、大丈夫そうです。いろいろ辛いことも思い出しましたが、それはまたお話します。今は、あの黒い怪物……彰人お兄ちゃん……いいえ、アキトを止めないといけません』
思っていたよりもはっきりと喋る英里佳の声に安心しつつ、俺は聞いてみる。
「アキト? あの怪物が分かるのか?」
『……私はある組織で、この力を利用されていました。そこで、あの人……あの怪物と一緒に仕事をしていました』
「あの人って――」
『――人なの?』
『……いえ、人だった存在です。あの人も、研究所の実験の被害者なんです。私は、あの人がただの人だった時の記憶を知っている唯一の人間なんです。彼を守る責任も理由もあったのに、止めることができなかった……。私は、決めたんです。彼の苦しみをここで、終わらせます』
ハキハキと告げる英里佳は、記憶を失う前よりもずっとしっかりしているようにも感じられる。それとも、これが本来の英里佳なのか、苦しみを乗り越えようとしている強くなろうとしている姿なのかもしれない。
「いいのか、倒すってことは……その……」
『それが、一番いい方法だと思います。玲愛さんが、傷だらけになりながら私を守ってくれたこの命に意味が欲しいんです! もし、私がここまで生きてこられたことに意味があるなら、きっとあの人を止めるためにここにいるんです』
英里佳の覚悟を黙って聞いていた俺は、噛みしめるように操縦席の中で頷くとガインスレイザーを前進させた。
「分かった。だけど、ここで死ぬのは無しだ。アイツ……アキトを止めても、お前の日々は続くんだ。何か後悔することも思い出したなら、背負って生きることこそが、英里佳の生きる意味だってことを忘れるなよ」
『――はい、ありがとうございます。空也さん』
※
戦闘に飛び込めば、ちょうどエグゼノヴァクの分身が爪で刺されて消えるところだった。
二体のエグゼノヴァクが消えた場所に、ガインスレイザーを着地させれば、右手のクトグアドアラの剣で伸ばしたままになっていたアキトの爪を弾いた。
『邪魔だ』
統矢が冷たく言えば、俺達の前にエグゼノヴァクの分身が立ち塞がる。
「いいから、道を開けろっ!」
二本の刀をエグゼノヴァクは交差させ、ガインスレイザーの行く手を阻む。両手で剣を握り、上段からクトグアドラの剣で奴の剣ごと分身を両断した。
『なにっ――!?』
初めて統矢の驚きの声が耳に入るが、これぐらいは当然だ。英里佳の覚悟が作り出したこの剣を、分身なんてもので止められるわけがない。本物の覚悟が、中途半端に作り出した偽物に負けるなんてありえない。
統矢もアキトに手を焼いているのか、俺と戦った時の四体とは違い、ざっと見ただけでも十体以上いる。最初に戦った時には、手加減されていたようで、あの時にこの数を出されていたら一たまりもなかっただろう。
今、アキトによって吹き飛ばされて地面に転がったエグゼノヴァクの体を足蹴にして、一気にアキトまで距離を詰める。
「行くぞ、英里佳!」
『止めます、アキトお兄ちゃんを!』
目の前のアキトは、既に原型を留めていない。幸い、蜘蛛のような形をしているが、左右から飛び出した十本以上の腕、レーザー光線を吐き出すために進化したのか、口は顔の潰れたワニのような姿、下半身になる部分も武器にしたのか、太い尻尾には何故か無数の目玉が付いたグロテスクな生物へと変貌していた。
一切の迷いなく、俺達は英里佳のエノスの力を解放する。
「――消滅の刃!」
剣を振れば、剣先から放たれた黒い刃の形をしたエネルギーの塊が放たれた。そして、アキトの左側の腕達、俺達の前にあった腕は完全に消滅した。
これが、英里佳の持つ『消滅』のエノスの力だ。クトグアドラの剣から放たれた刃に触れれば、盾を持とうが頑丈だろうが、そんなもの無視して完全にこの世界から消滅させるのだ。
突然の出来事に、アキトも驚いたのか尻尾にあったたくさんの目が大きく見開かれる。嫌な予感を感じ、俺は意識を尻尾に向けた。
『エリガアァァァァ――!!!』
久しぶりに聞いた怪物の声は、英里佳を呼ぶものだった。しかし、それは救いの言葉ではない、尻尾の目達から閃光が放たれる。――何十本もののレーザー光線だ。
『アキトお兄ちゃん! 私が、助けにきたよっ!』
エグゼノヴァクの分身達は、レーザー光線にのみこまれるのが見えたが、クトグアドラの剣を振るえば、ガインスレイザーに降り注いだレーザー光線は難なく消滅する。
消え去ったレーザー光線の隙間を縫うようにして、飛び込めば、ガインスレイザーはアキトの尻尾を切り裂いた。もちろん、切り裂くと同時に尻尾は消え去る。
『私、思い出したんだよ! アキトお兄ちゃん、お兄ちゃんは全てを壊したと思っているかもしれないけど、私は生きてる! お兄ちゃんは、まだ全てを壊したわけじゃないんだよ!』
まだ左側の腕達は再生が追いついていない。右腕が、蛇のように暴れ出し、それは腕の形から数十本の蛇へと形を変える。
『エリガァ! ……アァ……エリガ……っ!!!』
アキトの黒い部分を削るように戦っていたからなのか、アキトの声に僅かに感情を感じさせた。もしかしたら、救えるかもしれないと感じてしまう。
『ここにいるよ、お兄ちゃん!』
「簡単に諦めるな! お前の妹が助けにきたぞ! そんなところで、負けてるんじゃねえぞっ!」
蛇が口を開けて飛び込んで来た。体を捻り、蛇に突き刺し、また向かってくる蛇を切り裂いた。
足は止めない、ガインスレイザーすら食べてしまいそうな蛇をひたすらに切り伏せて消滅させる。
『エリカエリカエリカエリカエリカエリカエリカエリカエリカエリカエリカエリカエリカエリカ』
壊れた機械のように、アキトは名前を言い続ける。壊れた心が、必死に演算して英里佳という回答を導き出そうとしているようにも聞こえる。
『そうだよ、研究所で一緒だった英里佳だよ! 私は! まだ! ここで生きているんだよ!』
英里佳の感情に反応するように、剣が光を放つ。蛇の攻撃を躱し、今までで一番巨大な黒い刃を放った。
「ごちゃごちゃ言ってるんじゃねえ! 目の前にいるのが、てめえの現実なんだよ! ――消滅の刃っ!」
ガインスレイザーを喰らおうとしていた蛇は、黒い刃に逆に呑まれた。クリアになった視界で宙で反転し、アキトの前に立ち剣を構えた。
『エリカエリカエリカエリカエリカ……アァァァ……。英里佳?』
呪いようのに吐き続けた名前とは違う。そこには、明確な感情が意思が感じられた。
『そうだよ、お兄ちゃん! 私はここにいるよ!』
ワニの形をした顔は、姿を変えて凹凸のない丸みを帯びたものに変わる。そこから、にゅるりと出現したのは半裸の彰人本人だ。まだ、腰から下は黒い怪物に埋まっていた。
『――お兄ちゃん!』
アキトは年齢よりもずっと幼い笑顔で笑った。
『あぁ……。英里佳じゃないか。どうした? そんなに、慌てて。……あ、今日のお昼は英里佳の好きなプリンが出る日だもんな。安心していれてくれよ、僕がこっそり取っといておくから』
伸ばした人差し指を口元に当てる『彰人』は、本当に優しいお兄さんといった様子だった。そして、その発言は彰人という存在がアキトによって侵され、唯一、救い出した彰人の欠片でしかないことの証明でもあった。
『お兄ちゃん……』
英里佳の声が震えていた。
『うん、ありがとう、お兄ちゃん。いつも、いつも……お兄ちゃんは優しいな……』
おそらく、これが兄妹の最後の時間になる。俺は、ただ黙って二人の声を聞いていた。
ガサリ、と背後から音が聞こえると同時に、クトグアドラの剣を振るう。黒い刃が地面を裂き、数体のエグゼノヴァクが消滅した。
「――邪魔をするな、統矢。今、俺が引いた線からこちら側に来るなら、容赦はしない。お前が人だとしても、何の為に戦っていたとしても、俺はお前を絶対に止める」
消滅した地面が自然出来た線のようなった場所を剣で指し、再びガインスレイザーはアキトに向き直る。
『どうかしたのかい! 英里佳!? 今、凄い音が聞こえたけど……』
『大丈夫だよ、お兄ちゃん。英里佳は元気だよ』
『そうか、それなら良かった……。なんだか、ここは暗くて何も見えないんだ。でも、英里佳の元気な声が聞けて……あ、英里佳、もしかして泣いているのか! 誰が泣かしたの!? また研究所の奴らか!?』
『そ、そんなんじゃない……。嬉しいことがあっただけ……だから……』
『なーんだ、ふふ……相変わらず英里佳は泣き虫だな。よし、それなら、今日は特別に英里佳の好きな絵本を読み聞かせてあげるよ。みんなが羨ましがるから、今日だけは特別だよ。ちょっと待ってね、今から絵本を探すから……あれ……えーと、ここに……』
彰人は、再び黒い怪物に浸食されながら、英里佳の為の絵本を探す。もちろん、そんな絵本が出て来るわけがない。
ガチャリとクトグアドラの剣を握る。これは、俺がしたことではない、英里佳のしたことだ。
『……やりましょう、空也さん』
「いいのか……?」
『いいんです、ほんの僅かでも優しい頃のお兄ちゃんに会えました。あの、幸せな顔のままのお兄ちゃんで最期を迎えさせてあげたいんです』
数秒にも満たない沈黙の後、今度は俺の意思で剣を握った。
「俺達で、背負うからさ、一人で抱え込むなよ。これは、終わらせるためにするんじゃない。今日から、いや、次の瞬間から、英里佳が新しく始めるためにすることなんだ」
クトグアドラの剣を両手で握り、頭上で掲げる。そして、ガインスレイザーは全力でその剣を振るう。
『……あ、見つかったよ、英里佳ー! それじゃ、一緒におやすみしよ――』
振り返った彰人は満面の笑みで言えば、何もないはずの両手が本を握るように持ち上げていた。
英里佳は涙を堪え、別れを告げる。
『――さよなら、お兄ちゃん』
アキトという名前の黒い獣は、それによく似た黒い刃によって消滅した――。
俺は、消滅していく彰人の姿を見ながら、もしここ以外の世界に彰人生まれるなら、その時こそ、優しいお兄ちゃんであることを誰にも咎めれない人生であってほしいと願った。




