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ピピピピ――。電子音が枕元で鳴り響いた。
長い夢を見ていた気もするし、短いジェットコースターのような刹那的な夢なのかもしれない。何にしても、俺はここにいる。ここにいて、今この現実の中にいる。
寝転がったままで目覚ましの音を聞きながら、天井へと手を伸ばす。
これから始まるのだ。俺の新しい日々が。
伸ばした手を下ろすついでのように、目覚ましの音を止めた。
「ようやくだ……。今日からあの学園での生活が始まるんだ」
※
顔を洗い、歯を磨き、新しい制服に袖を通す。何度か練習をしたはずだが、やはりネクタイを結ぶのには慣れが必要になるようで、練習の時の何倍も時間をかけながら何とか結ぶことに成功した。
前の日に買っておいた惣菜パンをかじり、冷蔵庫に買い溜めしておいた缶コ―ヒーで流し込めば一週間前に一人暮らしを始めたばかりの部屋を後にした。
学園が家賃の大半を持ってくれる学園管轄のマンションに住んでいることもあり、我が家からは歩いて十分程度。さらに、学生が集まる場所ということもあり、外食チェーンやコンビニ、大手スーパーなど生活に困ることもなく、ゲームセンターやカラオケ、それ以外にも学生の趣味の大半を満足させることができる店も集合していた。それこそ、まるで学園を中心に作られた学園都市と呼べる。そんな環境を可能にしたのが、今日から通うことになる天下の――私立箱舟学園。
初等部、中等部、高等部、大学部と小学校から大学までカバーし、エスカレーター方式で進学することも可能であり、ある特異性から俺のような高等部から編入学するような奴も決して珍しくはない。そして、生徒数は全て合わせれば数千名とも言われ、先生達ですら正確な人数を把握していないとすら言われる。凄いのは、それだけではない。学園の広さも、その名前を世に知らしめるのに一躍買っている。
なんせ、学園の中には、初等部から大学部までの校舎が一つずつ立っているのだ。
初等部から大学部になるにつれて、徐々に大きくなっている分、まだマシなのかもしれない。大学部なんて、様々な研究施設や実習室なんてあるから、ちょっとした町程度の広さもあるらしい。それだけに、六階建ての初等部を見てもさほどの驚きがないところを見ると俺も神経が麻痺してきたのかもしれない。
そのため、遊園地なんかで見るゴーカートによく似た全自動の小型の車が学園の入り口のところに駐車してある。一番遠い大学部の生徒を優先的に使わせるようにしているようだが、既に行列が出来上がっていた。
寝坊だけはしないようにしようと心に近い、首が痛くなるまで上に傾けないと全体像が見えないほど大きな校門へと向かう。そこには何列も駅の改札のような機械が並んでおり、機械の手前の液晶に学生証をかざすことで学園へ入ることも許されるシステムのようだ。続々と入っていく生徒達の見よう見マネで液晶に学生証を通せばあっさりと学園への道が開かれた。
ちょうど、学園の門の近くに高等部行きのバスが止まったので駆け足で乗り込めば、既にそこは満員のバス。この際、一台ぐらいずらしてしまおうかとも考えたが、初日にギリギリ登校するのも学園関係者の印象を悪くするような気がして、両腕を万歳した状態で何とか手すりに捕まるしかない状況に立たされていた。バスの中は、自分のよく知っているものと同じ作りだったので、満員のバスなのに不思議と安心してしまう。
今さらながら、校内をバス移動なんて凄い光景だ。前の学校の友達とかに話をしても、冗談としか思われないだろうな。
「ねえ」
突然、そんな声が聞こえたが、俺の知り合いがいるわけないので、ぼんやりと窓の外に広がる景色を眺めることにする。これから毎日通うといっても、校舎に着くまでに車で五分もかかるなんて珍し過ぎる。
「ねえってば」
もう一回強い声、今度ははっきりとしたものだ。周囲を気にしているのか、声の調子は強いものの周りを気遣うような大きさだった。それは、女子生徒。しかも、立ったままで乗車している自分の前の座席から声が聞こえている。
顔を声のした方向に向ければ、頭に赤いカチューシャを付けたウェーブのかかった髪の毛の女子生徒がいた。同じ色のネクタイをしてるところを見れば同級生だろう。それより驚くべきは、その目立つ顔だ。淡い栗色の髪色は彼女の可愛らしい顔立ちをさらに引き立て、制服の上からでも分かるそのプロポーションは水着姿にでもなれば男子達を殺してしまうほどの致死量の毒を持つはずだ。
お、れ? と自分を指さして口パクパクさせてみる。うっかり声出して違う人だったら赤面ものなので、警戒するしかない。
「そだよ」
キュートな口元を緩ませて、女子生徒は頷いた。
「あの、どこかで会ったっけ……?」
きっとモテる男は、こんなちょっとしたところからオラオラするのだろうが、俺にはそんな発想すらもすぐには浮かばず正直に聞いてみる。
「いや、私の片思いかな?」
「えぇ!?」
突然の女子生徒の爆弾発言を聞き、奇声を上げたことで一気にじろりとバスの視線が俺に突き刺さった。
慌てて俺は女子生徒に顔を寄せた。
「ちょ、ちょっと、どういうこと?」
女子生徒はぺろりと舌をみせた。
「なーんちゃって。入学試験の時に偶然キミを見たんだ。……入試の時の人じゃないかなって。私も編入学組だし、周りに知り合いがいなくてさー、キミを見つけたからつい声をかけちゃった」
「ああ、あの試験で知っていたのか……」
「おっと、まずは自己紹介からだね。私は、鈴白美湖。学科はやっぱり創機総合防衛学科?」
「俺、火桜空也。……もしかして、鈴白さんも?」
「イッエース。いやぁ、昔から正義のヒーローに憧れててね。やっぱり、私の両親から受け継いだ少年の熱いハートをくすぐられちゃってさ」
「へ、へえ……」
クラスのマドンナ的存在の幻想を一瞬でも鈴白さんに投影していたが、それは今の一言で儚く砕け散った。この子も、憧れて入ったクチなのか。
「ねね、火桜くんはどうして創機総合防衛科に入学しようと思ったの?」
「俺は、昔から約束が――」
「――見て、火桜くん」
やはりマドンナ的存在は無理なようで、鈴白さんは話の途中である俺の顔に突き刺さるのではないかと思ってしまうほどの素早い動きで向いの窓の外を指さした。――そこには、全長十五メートル前後の巨大なロボットが空を駆けている姿が俺達の目に飛び込んできたのだった。
今、このバスの頭上を通り過ぎたのは『創機』と呼ばれるロボット。そして、この箱舟学園は、日本に三校しかない創機の操縦者を養成する学科のある学園だ。
この創機と呼ばれるロボットは、ただのロボットとは違う。特殊な条件が揃わないと操縦することもできず、ましてやお目にかかることすらもできない。その特殊な条件というのが――『イヴ』と呼ばれる人達と心を通わせることだ。
生まれながらにして聖母マザーイヴに愛されて生まれてきた人間のことを『イヴ』と呼ぶ。イヴとして生まれた人達は、物心つく頃にマザーイヴから神託を受ける。そこで初めて、イヴというのを本人が自覚するのだ。
――ここからが重要になる。
イヴは肉体の構造も外見も人と変わらない。そして、明らかに違うのは現存する神マザーイヴに愛されたこと。イヴは生まれながらにして、強大な力をその身に宿す。だが、イヴとはいえ、その力を自在に使えるわけではない。ある条件が必須になる。
過去の神話の時代。人類に絶望し滅ぼそうとした最高神デウサエグザから人類を守ろうとしたイヴは、己の力を変化させて人間と共に戦うことでデウサエグザを神の世界へ帰した。その際、生まれたのが――創機。伝説ではイヴとその操縦者が操っていたのは『神機』と呼ばれる存在らしいが、詳しいことはまだまだ勉強中だ。
マザーイヴは再び人類に障害が起きた時に備えて、人々の中にイヴの力を宿した子達を発生させ、もしもイヴ達が心の底から認め合った人間とだけ創機の力が目覚めるように設定したのだ。学者たちは、無暗に力を自由に開放させることができれば、争いの火種になるだろうとイヴが考えたのではないかというのが最も信憑性の高い説だ。
いずれにしても、この世界には神がいた。そして、今も人類は神を愛し愛されている。
だからといって、人が神に脅かされるようなことはそれから一度も起きていない。そのため、今の創機は戦闘に使われることはなく、スポーツとして活用したりレースをしたりというのはテレビでも見たことあるが、本当に何か脅威が起きた際の戦闘というのは滅多なことでは起こらない。もしも創機が命を扱う現場に向かわなければいけないとしたら、人命救助ぐらいだろうか。
それでも、俺はここにいる。我が国、二ホン国で、四校しかない創機の操縦者を養成する学園に俺は通う。
人型戦闘兵器なんて今は昔の話。
俺は通り過ぎていく創機を見た。――キミに会いに来たよ。
※
目的の校舎まで到着すれば、連作先だけ交換して鈴白さんとは分かれた。
考えていた時間よりも遅めに学校に到着したが、こういう思いよらない出会いというか良縁……なるかもしれないチャンスは大事にしたい。
携帯電話のアドレス帳を開けば、画面の中には鈴白さんの名前が保存されていた。それを見て、無意識にニヤリと笑ってしまう。
「こりゃ、幸先がいいな……」
春うららかな今日の日のこと――良い予感というのは、その大半が勘違いだということに気付かされる。
俺はこの数分後に強制的に意識を奪われることになるのだった。