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痛いとか苦しいとか、それ以外は悔しさだけを感じながら気を失い、目覚めれば――俺は病室にいた。
ボロボロになって倒れていた俺を誰かが見つけて救急車を呼んでいてくれたらしい。頭を殴られ地面に叩きつけられたことで、かなり危険な状態にまで陥っていたようだが、何とか俺はここで呼吸をしている。
一通り検査を終えて、真っ暗闇の病室で俺はシーツを握りしめていた。
「また、アイツの手を離しちまった……。それどころか、玲愛まで……」
やっと巡り合えた大切な存在を、こんなにも簡単に手放してしまった。
澪音と玲愛に言った俺の発言が、酷く白々しく感じてしまう。俺はきっと、創機の力を手に入れたことで調子に乗っていたんだ。
二度の創機による戦い奇跡的に生き残ったことを、心のどこかで自分の実力だと思い込んでいた。実際は、そのどれもが澪音がいないと叶えられないものばかりだったんだ。
「俺は……ずっと守っているつもりで、澪音に……守られていたんだ」
僅かに見をよじるだけでも痛む体が、己の無力さを物語っているようだ。
見ろ、この体がお前の弱さの結果だ。
見ろ、今隣には誰もいない。それは、お前が弱いからだ。
見ろ、『救う』『守る』『助ける』なんて言葉の重みを分からずに使った代償だ。
「俺は、弱い……」
でも、と俺は顔を上げる。
ずっと積み重ねた俺の想いは、そう簡単には折られない。
玲愛を救えないなら、澪音の隣に立つ資格はないし、今は闇雲に探さなくても迷わなくても、澪音を追いかけることができる。
澪音と離れている間、俺がずっと悩んでいたのは、俺と澪音の間にすれ違いが起きてしまわないかどうかの心配だった。
もし、他の創機乗りの学園に行ったら?
もし、どちから片方が入学できなかったら?
もし、既にパートナーがいたら?
そんな不安に比べれば、今の俺の悩みなんて簡単だ。非常にシンプルな答えをどこまで追求できるかが問題になる。
暗闇の病室で、再び全身に力が満ちていく気がする。
「今度は、探せばそこにいるんだ。……だったら、悩む時間なんてもったいねえだろ。俺はそうやって、ずっとお前を探してきたんだ」
迷う前に行動することを選ぶ。
多少の激痛と眩暈に耐えながら、俺は病室のベッドから完全に立ち上がった。
※
一応、病室の椅子の上に服を見つけたが、顔に脂汗を浮かばせながら歩くような体ではまともにズボンも履くことはできない。
仕方がないので、病院で目覚めた時から着替えさせられていた病衣で医者や看護婦の目を盗みながら進む。出口に近づいていくごとに、俺が原因である慌ただしい気配を感じながら、俺は体を引きずるようにして病院から脱出する。
何とか病院から逃げ出し、近くにあった公園のベンチに腰掛けた。
「くっそ、情けねえ……」
はあはあ、と重たい息を何度も吐く俺の顔にはじんわりと汗が滲み、熱のような痛みが増していっているような気がする。
「こんなところで、へばってたまるかよ……」
正直、一日に二度もアイツに貸しを作るのはムカつくが、この状況ではそうも言っていられない。
奴の言う『オトモダチ』というのを少しぐらい信じてみることにする。
携帯電話でアドレス帳を呼び出し、アイツに電話をかける。日付も変わっているというのに程なくして、繋がった。
「……龍介、力を貸してほしい」
※
電話越しに事情をかいつまんで説明したが、龍介は一言『おもしろい奴だな』と大笑いをすれば、影で覗いていたんじゃないかと思うほどのスピードで亜里沙と二人して一緒にやってきた。
服が欲しいと頼んだ俺の要望を聞き、龍介はドクロの刺繍にラメを散りばめた真っ黒いジャケットを貸してくれた。正直、龍介のセンスを疑うところだが、文句を言っても仕方がない。
ドクロジャケットに袖を通し、龍介の持ってきた俺が履いていたサイズよりも少し大きめの靴に履き替えれば、勝手に借りてきて申し訳ないと思いつつも公園のごみ箱に捨てさせてもらった。
「思ったより病院から近いな。ここにいるとすぐにバレるぞ、とりあえず俺の家まで来いよ」
来いよと言われて、走り出せればいいのだが、今の俺の体では人の倍以上の時間をかけて一歩を踏み出すのが精一杯だ。そのため、龍介の肩を借り、力が必要な場所では亜里沙の肩を借りたりして龍介達の住むマンションに向かった。
節約の為にも亜里沙と二人で住んでいる龍介の部屋だからか、思った以上に何倍も整理整頓されていた。部屋の隅の乱雑に積まれた週刊マンガ雑誌の山は、きっと龍介が積み上げたものに違いない。
龍介の家に着いたのはいいが、今は落ち着いている余裕はない。
「それで、これからどうするんだ?」
冷蔵庫から炭酸ジュースの缶を取り出して、それを手にした龍介は俺の前に座る。
「電話でも話をしたけど、澪音と学園の先輩が連れ去らわれた。……二人を助けたい。……でも、奴らは容赦なく人の命を奪うような奴らだ。それでもいいなら、力を貸してほしい」
ゴクゴクと喉を鳴らして、龍介は炭酸ジュースを空にすると缶をテーブルに置いた。
「そんなの、答えは決まってんだろ? おもしれえ、だよ。お前は面白い奴だと思っていたけど、次から次に俺達が望むステージを用意してくれるな。……俺に頼むんだ。覚悟しとけよ? てめえが動く前に解決しても知らねえからな」
行くぞ、亜里沙。と呼ばれた亜里沙は、大きな欠伸を一つすれば、龍介の後ろをついていく。
「空也君、私にとっても澪音ちゃんは大切な友達なんだ。……龍介ちゃんはあんな感じだけど、とりあえずそんな理由でいいんじゃないかな?」
俺が考える以上に、きっと二人は過酷な人生を送ってきたのだろう。そんな二人だからこそ、まともな人間が聞けば躊躇するような出来事でも乗り越えていこうとする気力が湧くのだろうか。
ただ、一つだけ疑問が解決した。
どうして、俺は龍介達に頼ってしまったのだろうかという疑問だ。
それはきっと、この二人だからこそ、俺は大切な者を預けられると思ったんだ。
「龍介、ところで……澪音達がどこにいるか分かるのか?」
颯爽と玄関に向かっていた龍介と亜里沙は足を止めて、しまった、という顔をして振り返った。
「……いんだよ、そんなもん今から探しに行くに決まってんだろ! どうせ、ヒントはねえんだ! 足で探し回るぞ!」
何度もうんうんと頷く亜里沙は、大股歩きで出て行く龍介の後ろを追う。
後先考えない奴だ、なんて思いながら、俺は『友達』を追いかけた。
※
それから、二時間後。
俺達は先程の病院とは違う中央に大きな噴水のある公園に来ていた。疲れ切った俺達の表情がそこにいるだけで、目的の二人はこの場にはいない。それもそのはずだ、行き当たりばったりで探し続けて、テロ組織の隠れ家なんて見つかるわけはない。それでも、もしかしたらという可能性が大きかったのは、根拠ない龍介の自信のお蔭だったのだろう。
「どこか心当たりはないのか……」
龍介の顔にも焦りが見える。焦っているのは、俺も同じだった。過ぎていく一分一分が、澪音達の命を削る刃に感じる。龍介なりに、世界の暗い部分に詳しい人間達の知り合いもいたようで、彼らにも聞いてみたようだが役立つ情報はない。それどころか、手を引くことを勧められるほどだった。おそらく、龍介の自信はここから来ていたのだろうが、その自信に繋がる手札も全て切ってしまったようだ。
「心当たりって言ったって……。思いつく限りの怪しい奴が隠れていそうな場所は全て探しただろ」
「もう遠くに逃げちまったんじゃないか?」
一番考えないようにしていたことを龍介が言う。その可能性も考えていた俺は、言い返すことなんてできずに視線を逸らした。
そこで、亜里沙が口を出す。
「それだって、まだ決まったわけじゃないんだから、そういうこと言っちゃダメだよ。……もう一回、よーく考えてみない?」
亜里沙の言葉で、俺達は再び沈黙する。
既に時間は午前二時を回り、もうすぐ三時になろうとしていた。夜の闇に紛れて、この街からいなくなるのか。それとも、夜明けと共に連れ去るのか。どっちかなんて分からないが、少なくとも明日の朝までなんて待っていたら二度と二人には会えない気がした。
必死に足りない頭を絞り出すことに専念する。
「空港は?」
「この街の空港に学園の生徒でもない創機乗りなんて居たら、すぐに大騒ぎになるぜ。あそこは、下手に銀行を襲うよりも侵入が難しいはずだ。まあ、ソイツらがバイクに乗っていたなら、そのバイクで道路をから逃げ出している可能性もゼロじゃなないな」
「じゃあ、やっぱり……」
「いいや、深夜は街の内側から外に出ようとしたら検問が設置されるんだ。ただの警備員じゃなくて、創機乗りのおまけ付きだ。わざわざ敵にしてまで逃げ出そうと思わないし、逃げるなら検問が甘くなった朝に逃げるだろう」
「だったら、駅とか学園に身を隠すとか? アイツらもともと学園の生徒なんだし」
次は亜里沙が、いいえ、と否定する。
「駅のどこにも隠れる場所なんてないし、それ以前に電車で人質連れて逃げたら丸わかりでしょ? ましてや学園なんて今が一番警備が厳重になっているはずだし。……でも、この学園の外に逃げる必要があるわよね? 前提として」
一つだけ、見落としている場所があることに気付いた。
陸の道路は逃げられない、空は塞がっている、なら唯一の可能性は――海だ。
「……港に行ってみよう」
「港、か……。船で逃げれば、検問はないし、警備の運行ルートと時間さえ知っていれば逃げ出せるよな……。――いい考えだ、行くぜ」
おう、と俺が頷いた直後、亜里沙が俺達の間に割って入ってくる。
「ちょっと待って! 悪い考えんじゃないけど、港て言っても一つや二つじゃないんだよ! 全部を探してたら、明日のお昼までかかっちゃうよ!?」
「でも、せっかく可能性が出てきたんだ。ここで足を止めることなんてできない! とにかく、行ってみるしかないだろ!」
「まあ待て」
ここで俺の肩を掴んだのは意外にも龍介だった。
「なんだ、時間がないんだぞ」
「知っているよ。……なあ、亜里沙。『同調』で探すことはできないか?」
「あー……そういえば、その方法があったね」
同調? と首を傾げる俺とは違い、亜里沙は何か知っている様子だ。
「ああ、『同調』てのはイヴとアダムだけが出来る……まあテレパシーみたいなもんかな。まだ授業じゃ教えてないが、俺達は何度かその『同調』で互いの位置を探したり会話をしたことがあるんだ。偶然の産物だったが、おそらく互いを強く求めたり呼び合いたいと思った時にそれができるはずだ」
龍介の言葉を補助するように亜里沙が言う。
「私が龍介ちゃんと同調したのは、四回。三回は危険な状況になった時に、龍介ちゃんを呼ぶことができた。もう一回は、私達が離ればなれになった際に互いを強く呼び合った時に起きた。……パートナーの居場所や声を聞き取れるこの同調の力があれば、きっと澪音ちゃんだって見つけられるよ」
「同調……。でも、今までそんなものは感じたことなかったぞ」
「そりゃそうだよ、二人が創機に乗れるようになってから片方を強く呼び合うほど離れてなかったんだし。私達から見てもびっくりするぐらい、二人ともべったり一緒にいたよ?」
「マジ?」
その点に関しては龍介も同意見らしく、亜里沙と龍介はほぼ同時に首を上下に動かした。
「だけど、どうしたらいいんだ? 要は心の中で会話する感じなんだろ? そんな超能力者みたいなこと……」
「難しく考えんな。お前が澪音に会いたいかどうかって話だよ。会いたいなら、お前の中の澪音に強く語りかけろ」
「俺が澪音に……」
亜里沙はクスクスとそんな龍介を見て笑う。
「龍介ちゃんも、そうやって私を探してくれたの?」
「……うるせえ」
微笑ましい二人の様子に苦笑いをすれば、俺は自分の胸に手を置いて、今は玲愛のことを忘れ澪音のことを強く願う。
いろんなことを考えたけど、俺が長いこと胸に溜め続けた強い感情をぶつけるのはこの時だとはっきり理解できた。あの強い気持ちが、こんなところで役立つなんて思いもしなかったが、俺は一切の制御もしないままただ思いのままに澪音を求める。
――澪音、キミに会いたい。キミはいったい、どこにいるんだ。




