七章 An ogre and a believer outside a church―――鬼女と信者は教会の外へ
「―――済みませんでした、先輩」
ミストレイク市西部、市教会。改装されたばかりの聖域の前で、今年十八になる女性は二つ上の連れに開口一番頭を下げた。
「いや、宝君。本官こそ貴重な時間を使わせた上、とんだ無駄足を……」
無意識に掌中の聖書をなぞりながら、同大学生は弱々しく弁解する。
彼女等が在籍しているのは“黄の星”シャバム大学。二人は講義の合間を縫い、遥々この湖に半ば浮いた辺鄙な学術都市までやってきた。その目的は、
―――懺悔?ええと……そうですね。自分では特に悪いとは思っていませんけど、昔―――
去年偶然知り合った“白の星”環紗出身の後輩、宝 那美。信仰心皆無なもののサバけた、しかし気遣いの出来る性格をしており、非常に好もしく思っていた。但し恋愛感情ではなく、あくまでも友人として。
だが二週間前、己の軽い提案から飛び出た衝撃の告白。その余りの重圧に、ラント・アメリアは深い懊悩に襲われた。
正義感に触発される、人に在らざる暴力の衝動。本人曰く死人こそ出ていないそうだが、故郷で畏怖されているのは容易に想像が付いた。しかも普段は気さくで面倒見も良いだけに、余計不憫な境遇に思えて。
だから発達障害を始め、多くの児童の精神疾患を治療した実績ある司祭、ドーリン・ジジ氏ならば。そう一縷の望みを賭け、連絡を取ったのが一週間前。快く引き受けてくれた彼の元へ馳せ参じ、今日ようやく診察と相成ったのだ。しかし結果は、
「至って正常、か……」「気を落とさないで下さいよ、先輩」
本人に慰められ、一層申し訳なさが募る。
「同じ症状だった柚芽お婆ちゃんも、夢療法まで受けて原因不明だったんです。流石に教会へ駆け込んだかまでは知りませんけど」
至って冷静な返答に、ラントはとうとう深々と頭を下げた。
「宝君。黙って連れて来てしまって―――本当に申し訳無かった!!」
「まぁ急にこんな山奥、しかも二人きりで旅行なんて妙だと思いましたけど……それって謝るような事ですか?」
首を傾げる。
「交通費も食事代も先輩持ち。加えて教会とは言え、きちんと宿泊先まで用意して頂いたんです。却ってこっちが恐縮ですよ」
「しかし」
尚も食い下がる彼に、ありがとうございます先輩、那美は穏やかにはにかむ。
「まだ出会って半年なのに、こうして気遣ってもらえるなんて……正直、結構吃驚しました」
「い、いや……宝君は四天使研究会の会員でもあるし、妹のようで放っておけなかっただけだ」
「会員って、単に暇潰しを兼ねて顔出してるだけですけどね」
他の学生達と違い、彼女は特に異性を気にしないので、晩熟且つインドア派の自分としてはとても気が楽だ。叶うなら、大学卒業後も定期的に連絡を取り合えればいいのだが。
「じゃあ診察も済んだ事ですし、夕食まで自由時間ですね!」
型通りの問診から始まり、簡単な脳神経検査、最後は半時間に及ぶカウンセリング。その間座りっ放しだったので、エネルギーが有り余ってしょうがないと言った様子で肩をグルグル。
「私はランニングがてら街を一周してきますけど、先輩は司祭様と聖書議論でもしてますか?」
「いや、折角の旅行だ。本官も連れて行ってくれ。それにジジ司祭はどうも研究熱心な方ではないらしい」
礼拝堂の奥に設えられた本棚。その一番上に追いやられ、埃を被った聖書を思い出しながら呟く。みたいですね、後輩も同意する。
「少し意外です。教会の人って、てっきり先輩みたいな聖書馬鹿ばかりだと思ってましたから」
「止むを得ないさ。大多数の教徒は実践重視、本官のような純粋な研究者は元々稀だ」
「それ、俗世と馴れ合う内に自分も俗物になるって事ですか?」
竹を割ったような無神論者の物言いに、ははっ!反射的に噴き出すラント。
「だったら、先輩は今の馬鹿のままがよっぽどマシです。ただでさえうだつの上がらない性格で、この上金銭欲やら名誉欲まで付いたら、本気で駄目人間降格ですからね」
「ああ、全くだ!」
こうして腹を抱える程笑ったのは、一体何ヶ月振りだろう。この談笑だけでも勉学を一時中断し、キャンパスを出て来た甲斐があったと言う物だ。
「では、ジジ司祭に外出の旨を告げてこよう。少し待っていてくれ」
「了解です」
本格的な柔軟体操を始めたボクシング部永久補欠を残し、ラントは再度教会へと足を踏み入れた。