六章 Her Majesty the Queen and a story-writer in cats―――女王と小説家は猫のお腹に
「急に呼び出して済まなかったな、シスカ」「いいえ。他ならぬあなたからの誘いだもの。公務の都合位何時でも付けるわ」
“蒼の星”唯一の大陸の北端。ほぼ一年中霧靄立ち籠める湖に四方を囲まれた山奥に学術都市、ミストレイク市はあった。
その商業地区の一角に老夫婦の座るケーキショップ、『パージ・キャッツ』は営業していた。二十ある客席は半分以上埋まっているが、カップルは彼女達だけだ。平日ともあって、他は中年女性のグループばかり。のんびり愉しむにはやや騒々しい。
「何せ出版社から貰ったチケットが今月末までで」
マスコットキャラの黒猫が先端に付いたスプーンを皿に置きつつ、別居の夫は弁解する。
「だからそう謝らないで、ロウイ。折角のケーキバイキングですもの、今日は思い切り楽しみましょう」
夫婦は共に還暦前後。スラリとプロポーションが良く、ナチュラルメイクも施した妻に対し、顔の上半分に白仮面を被った夫は些か太り過ぎている。しかし看板メニューのチーズケーキを頬張り浮かべた至福の笑みは、体調はともかく彼が幸せであると如実に示していた。
彼女等含め、どのテーブルも様々なケーキで一杯だ。客達は時折席を立ち、店の入口付近のショーウィンドウへ赴く。煌びやかなスイーツをトングで取り皿へ乗せ、山盛りの収穫物を手に戻って来る。勿論、全員笑顔で。
「にしても遠かったわね。船着場から更にバスで三時間だもの。ところでホテルはどんな所?」
真っ赤なチェリーケーキをフォークで崩しつつ尋ねる“碧の星”の山岳国、クオル現女王シスカエリア・クオル。予想済みだったらしく、心配無いよ、ロウイは執事のように恭しく答えた。
「王族の滞在に相応しい、ミストレイク一の高級ホテルを取ってある。ただ生憎、スイートは先約があって」
「構わないわ、温かい食事とベッドさえあれば」ぱくっ。「あ、店員さん!コーヒーのお代わりを二人分お願いします」
「畏まりました」
二分もしない内に運ばれて来る、スイーツに合わせた苦めの漆黒。早速啜りながら幻想小説家封苑、本名ロウイ・キャンベルは一口シュークリームへ丸い手を伸ばす。
「(もぐもぐ)ああ、これも本当に美味しい……暗い内から出て来た甲斐があったなぁ」
ぷよぷよのほっぺたを更に緩ませ、多幸感に浸る。
「ふふ。嬉しいのは分かるけれど、くれぐれも食後のインスリン注射は忘れないでね?もし倒れても、私一人じゃとても病院まで運べないんだから」
「分かっているさ。―――さ、そろそろ次のケーキを取って来よう」
「賛成!」
三十分後。すっかり膨れたお腹を擦りながら、夫妻はメインストリートのベンチに仲良く並んで座った。
「もう当分甘い物はいいわ。そうだ、明るい内にレイ達へのお土産を買っておかないと」
「ああ、そうだな。あの子は元気か?」
春の陽気の下シャツを捲り、でっぷり腹に注射を施しながら尋ねる。
「勿論。それに最近、ますます若い頃のあなたに似てきたわ」
幼子の時分の対面を回想しながら、今日の事は何と?続けて質問する。
「大丈夫、いつものお忍びだって言ってあるわ。事情を話したのはキュクロスお婆様だけ」
「宮廷魔術師の?え?あの方、まだ御健在なのか?」
四半世紀以上前。婚約時に挨拶に行った頃の、年齢不相応に矍鑠とした姿を思い出しながら驚く。
「失礼ね。車椅子は手放せないけれど、お婆様は今でも現役バリバリよ」
「でも、もう百歳を軽く超えているし……凄いな。今度健康の秘訣を聞いておくといいよ」
「ええ。だから口止め料として、彼女には別のお土産を用意する約束をしたの。で、この街に自生する『星睡蓮』を頼まれたって訳」
「成程、それでバスの中で観光ガイドブックと首っ引きに……勿論お安い御用さ。生花がいいのかい?」
帰路はどう頑張っても半日は掛かる。もしフレッシュな物を所望なら、事前に鮮度が落ちない対策を考えなければ。
「いいえ。どうせ煮込んでしまうから、ドライハーブで全然構わないそうよ」
「そうか、なら良かった」
安堵の溜息。
「では皆の分を買いつつ、扱っていそうな店を見て回ろう。探し終わる頃には、ホテルもチェックイン出来る時間になっているだろうし」
「ありがとう。じゃ、行きましょ」
そう宣言した元冒険家は、勢い良くベンチから立ち上がる。そして尻が上がらず難儀する夫へサッ、と手を差し伸べた。