ある女性武術家の話
「何コレ、スゴい! 本当に感覚ないよ!?」
起きたら、変態先生が何かしたとかで、右腕のひじから先の感覚がない。
うわっ!? 短剣の先で手の甲を突っついてみてもホントに全く痛くない。
すごい、スゴイ!
その時、あたしにの脳に天才的な閃きが降りて来た。
--あれ? 今なら、アレできるんじゃない? そう! 腕に覚えがる者なら一度はやってみたい岩石砕き。
昔父様をマネして試してみたけど、手が痛くて無理だった。
人間は痛みのせいで制限を無意識でがかけてしまうらしい。そのために力が100パーセント出せない。
必要なのは腕力ではなく、腕を途中で止めずに振りぬく勇気のみ、と聞いた。
麻痺して痛みを感じない今なら出来る気がする! いや、間違いなくできる!
デッカイ岩石を探しに行ってみる? いやいや、そんな暇はない。今すぐ試したい。
変態が何か言ってるけど、無視だ。取るものも取りあえず、部屋を飛び出す。
しかし、残念ながら近所に岩なんて転がっている場所はない。
代案として、館を囲っている石造りの塀でチャレンジだ。苦渋の選択だけど岩の親戚だから、これでガマンする。
こんな時のために今度、訓練所に設置するべきだね。自らの準備不足が恨めしい。使わない時は多分インテリアになるはずだから無駄じゃない。
まず、軽く拳を当てて体さばきの微調整を行う。
感覚がないので拳は握れない。でも些細な問題だ。
大きく息を吸い、呼吸を止める。
いざ!本番! 腕だけでなく肢体に気合を乗せて撃つべし!
--ゴスッ 響いたのは思ったより小さく低い音だ。
石塀を思いっきり殴ったとしたら、普通に考えて痛みにのた打ち回るはず。でも、痛くない。魔法みたいだよ。
渾身の一撃でも石塀は砕けなかった。でもでも、ヒビが入ってる。もう何発か殴ればイケそうだ。
あたしってばスゴくない!? スゴいよ。これで達人の仲間入りだよ。
調子に乗って何回も打撃を加える。腕がちょっと曲がっちゃった気がする。だけど、痛くないし全然平気だ・・・多分。
塀がちょっとボロくなったけど、あたし的には大満足だ。
意気揚々と戻ると、変態な先生が驚いていた。確実にあたしの剛腕に見惚れてるね。
やっぱり、変態でもあたしの成し遂げた偉業に驚愕するみたいだ。
翌日、自慢の剛腕が痛くなった。
「ヤケドしたみたいに痛いんだけど、何コレ?」
いつの間にか、毒を盛られたんだ。そうに違いない。あたしの警戒をすり抜けて、今までと別の種類の毒を盛られたようだ。
昨日は感謝してあげたけど、やっぱり油断ならない。
「阿呆ですか、アナタは」
文句を言うと、何故か鼻で笑われた。常人には変態の考え何て分からないから仕方ないけれど、見下されてるみたいで釈然としない。
「動けなくて丁度良いので、きっちり勉強しなさい」
そんなこと言われても、右腕は動けない様に白い帯で拘束されている。
「いや~、こんな右腕じゃ筆記用具が持てないね。うん、残念だなぁ~。あたし、今最もやる気に満ちてるのに」
我慢できない痛みじゃないけど、文字を書いたりするのは無理だ。
言い訳じゃないよ。ちょっとだけ押し付けられた冊子を流し見てみた。
・・・うん。本当に残念だね。
「そんな腕では出かけられないでしょうから、大人しく仕事して下さいね」
そう言って、おじさんが最近ご無沙汰していた書類を持ってくる。
最近変態先生に振り回されたせいで、最近決済が必要な書類を見てなかったからだ。
でもでも、正直あたしがやらなくても良くない? ぶっちゃけ、全部おじさんやレイさまに委託しても問題ないよね。
「隣領から貴女の義姉様もそろそろお戻りになるそうですよ」
え? それ本当? じゃあ、怒られない様にちょっとだけやっとこうかな。
あたしがハンコ押しマシーンになっているのを、おじさんはじっと見つめてる。
「ねえねえ、あたしのこと誰も尊敬してないよね? 細マッチョがいないんだから、ここで一番あたし偉いんだよ」
レイさま一家はお仕事を手伝ってくれてるからともかく、みんなあの変態先生に毒されつつあるんじゃない?
「みんな、ある意味貴女を尊敬してますよ」
「え~、ホント? なら、良いけどさぁ~」
「ええ、本当ですよ。だからちゃんとお仕事してくださいね」
「は~い」と空返事して、古くなった武具の買い直しの書類を流し読む。
そうだ! 忘れないうちに岩石の購入を書き加えよう。
左手でさらっと追記してきちんとハンコを押す。
みんなあたしのサプライズな買い物にきっとビックリすること間違いなし。
えっ? 両利きだけど、何か?
武術をたしなむ者として、両方の手を同じように使えるように訓練するなんて常識だよね。




