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 天正六年も師走を迎え、岩倉城下には戦乱に備えた動きがあった。天正七年(千五百七十九年)は東伯耆で毛利と南条の騒乱が始まる。

 久米郡岩倉城主の小鴨左衛門尉元清は小鴨軍の鉄砲隊を強化し、吉川元春の先鋒杉原播磨守盛重が守る八橋郡八橋城を攻める準備を整えた。天正七年(千五百七十九年)の激動の東伯耆騒乱に向けて時代の分水嶺が東伯耆の国に迫っていた。

 師走を迎えた岩倉城下には、高城城主の加瀬木元亮に率いられた新たな鉄砲隊百名が領主小鴨左衛門尉元清のもとに召集された。小鴨家の新たな軍制では、鉄砲隊が総勢二百、槍隊二百、弓隊百、騎馬隊二百騎・荷駄隊百、近衛隊五十名の総勢八百五十名となった。

 城将格は、家老の永原玄蕃惟定と黒松将監国定を筆頭に、側近の早瀬左近・岡部新十郎と高城城主加瀬木元亮が元清の脇を固め、岩倉十二勇士の船原弥三郎・尾崎三郎次郎・北村甚九郎・岡又次郎・細田彦四朗・日野甚五郎・杉森善右衛門家昌・石川又三郎頼道・戸倉彦五郎・高柴弥五郎・成相加助吉映・安倍助太郎定宗の武将格で備えた。

それから数日後に、武田三河守高信の遺児、武田源三郎が十七歳になり因幡の家臣を引連れ岩倉城の元清のもとを訪ねて来た。源三郎は、元清が烏帽子親でこの頃には、名を武田源三郎助信と名のり因幡武田家の当主となっていた。南条元続と元清が、源三郎を羽柴秀吉に取り次ぎその後、秀吉に気に入られ今では因幡攻略の先陣役を任されていた。

この頃には助信の動員兵力は、三河守高信に仕えた旧家臣を含め五百騎を有していた。

「源三郎。しばらく見ないうちに親父殿に良く似て来たな」と元清が嬉しそうに源三郎を見る。

「昨日、羽衣石城の元続様には挨拶を終えて参りました。秀長様からの言付を申し遣っております」と助信は、元清に人払いをお願いする。

元清の側近達が部屋の外に出たのを見計らい、源三郎がかしこまった様子で秀長からの言付を伝える。「来年の雪解けを待って、本格的な因幡攻めを行う。国境の若桜を足場に、因幡と伯耆の国境の鹿野城を攻める。(毛利の虚を突き、因幡と伯耆を遮断する戦術です。)東伯耆の南条元続殿には、羽柴勢と呼応して東伯耆にて反毛利で蜂起して頂きたい。本格的な鹿野城攻略は四月頃になる。羽柴勢の攻め方の総大将は宮部継潤で各武将は亀井新十郎玆矩・磯部兵部大夫康氏・木下重堅と拙者でございます」助信が一気に話す。

 聴いていた元清も

「因幡遮断の鹿野城攻めには」さすがに驚いた様子を隠せず

「このような戦術を考えるのは、半兵衛様じゃな」と助信に尋ねる。

「元清様。鹿野城攻略の意味は、もうお分かりでしょう。東伯耆南条家が試されているのです。南条元続様が、東伯耆衆を反毛利で纏める事が出来るかを」元清が唸り

「秀長様・半兵衛様は、我らの信義を疑っておいでじゃの」

「南条ご兄弟の信義は誰も疑ってはおりませぬ。一族衆を反毛利でまとめる事が出来るかどうかに疑念が生じております。南条家属将方々の動向を憂慮されておられます」

「元清様。羽柴軍が因幡に大軍を差し向けても、毛利家猛将吉川元春の進撃を東伯耆で止めねば、因幡の国を攻め取る事は出来ませぬ」

「助信よ、来年早々より忙しくなるな。因幡の武田勢与力をくれぐれも頼みたい」

「祖父国信、父高信からの南条家とのご縁でございます。我らの命はすでに元清様に御預けしております。ご安心下さい」実直な助信の言葉を聴いて元清の眼が潤んだ。

「そなたの父高信殿の毛利家に対する無念を想うと今でも涙が溢れる。来年は、いよいよ正念場だな」助信の脇差を見ながら元清は呟いた。

「元清様。もう一点お話が残っております。これは半兵衛様からのお願いです」

 怪訝そうな元清に助信も不安顔で伝える。

「先の上月城攻防時に、元続様には尼子勝久様の御内儀と末子をお助け頂きました。その後、御内儀とご子息は半兵衛様に預けられ養育されております。半兵衛様は、元清様の御内儀久様の元にてご養育出来ないかと申されております。勝久様のご子息尼子新宮党の直系を守ってほしいとの仰せでございました」元清が驚く。

「半兵衛様が、勝久殿の遺児をそこまで大事に想って頂いておられたとは。半兵衛様の申された事は我ら夫婦にとっても有り難き仰せでござる。早速、親子をお迎えしたい」

「勝久様の奥方様は、半兵衛様のお話を伺い、小鴨左衛門尉ご夫婦に我が子をお預け出来れば安心と申され、ご自身は夫勝久様と家臣の菩提を弔うためと申され、先月出家されました。我が子の足手まといにならないようとのお考えなのでしょう。ご立派お方です」

「助信殿、子細承知した。秀長様・半兵衛様によろしくお伝え願いたい。新年早々に兄上と元周殿に会い来年の雪解けを待って因幡を牽制する兵を起こす」

「元清様、かしこまった話はもう終わりです。側近の方々をお呼びして下さい。勝久様のご子息は、今頃久様に抱かれておいででしょう」

「助信、ぬかりの無い奴じゃ。久から攻め落としておいたとは。徳丸に良い舎弟ができた。我らも嬉しい」(後にこの勝久の忘れ形見は、元服して南条元信と名を改め、肥後加藤家・細川家の重臣として南条家の家紋を守る事となる。それは後の事)

 こうして天正六年は、暮れて行き激動の天正七年を迎える事となった。


十二章「毛利との決戦前夜」をもって

【羽衣の里】~戦国武将南条左衛門尉元清の生涯~前篇は完結しました。

十三章より「東伯耆での戦乱」天正七年(千五百七十九年)以降は後編となります。


 天正七年から天正十年まで続く東伯耆と因幡騒乱で、東伯耆衆は吉川元春の因幡鳥取城救援を東郷湖畔で喰いとめる。次第に戦いは激烈を極め、岩倉城・羽衣石城の落城と兄弟元秋・行衛夫婦が壮絶な最期を遂げる。南条元続・小鴨元清兄弟も自刃を覚悟で奮戦する。

 羽柴秀吉・秀長兄弟は、南条兄弟の東伯耆での奮戦を高く評価した。時代の分水嶺を生き抜いた南条兄弟の命運や如何に。

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