播磨から久米郡岩倉城に帰った元清の元に、母里の訃報が届く。毛利への叛旗を決めた元清は、吉川元長に南条家の行く末を相談する。二人の想いは同じであった。毛利家中で羽柴秀吉への和合派が勢力を増していた。
元清の母お里は、羽衣石八代城主の南条宗元を内助の功で支え、松ヶ崎城で元清・元秋・行衛姫の三人を育み、四十六歳の若さで毛利との大戦を前に病没した。深い悲しみの中で元清は、これからの三兄弟の壮絶な運命を予感する。
秋も深まり、落ち葉で城内が埋め尽くされる久米郡岩倉城に元清と久の姿があった。元清と久は、天守から岩倉の里を囲む山々の紅葉を眺めていた。
徳丸も七歳になり顔立ちは、久似の凛とした顔立ちでどこか勝久の風貌に似ていた。元清は、幼くして勝久と一緒に旅立った、勝久の嫡男豊若丸を想い出した。
「久よ。尼子新宮党の血筋は徳丸によって受け続がれている。亡き義兄上(勝久)の志を受け来年は毛利との決戦を覚悟した。もう後戻りは出来ぬ。そちは徳丸を守ってくれ」
二人に徳丸が
「父上、尼子のおじじ様の夢を観ました。馬に乗って東郷湖を駆けておられました」
「そうか。誠久のおじじ様は河口城と松ヶ崎城で暮しておったからの。徳丸と一緒に東郷湖を馬で駆けたかったのだろう。なあ久よ」
「徳丸。おじじ様は、尼子新宮党の当主で尼子三千騎を率いて戦った雄者だったのです。徳丸もおじじ様のように強い武将になるのですよ」
久が父誠久を語る姿に、幼い徳丸は尼子新宮党当主尼子誠久に対して強い憧れを持った。
「尼子新宮党の血筋は、絶やさぬように守らねばなあ。忙しくなるな」と言って元清は、久と徳丸を抱きしめた。
それから数日した十一月に入った頃、羽衣石城より早馬で訃報が届いた。ながらく結核の病で患っていた、元清の実母お里が逝去した。
秋晴れの陽気に誘われ、東郷湖を散策して休息していた時。亡き夫、宗元との思い出を懐かしみながら、眠る様に湖面を視ながら息を引取った。
毛利との戦いが始まり、元清達の足手まといとなる事を避けるかのように、四十六歳で永眠した。
葬儀は、喪主南条伯耆守元続が務め、十万寺にて盛大に執り行われた。遺骨の一部は本人の希望を受け、元清・元秋・行衛姫の三兄弟で東郷湖に散骨した。
松ヶ崎城内で生まれ、尼子騒乱で東伯耆の国を兄小森方高と伴に追われ、逃亡先で南条宗元の側室となり三人の子宝に恵まれた。激動の時代の中で、終始表に出る事を控え陰で宗元を支えながら松ヶ崎城にて、宗元の庶子三人を育てた。良妻賢母の戦国女人であった。
「羽衣の里」とは、このお里が愛し暮らした東郷湖周辺の松ヶ崎の里(現在の湯梨浜町)一帯を指す。母の愛情と、東郷湖周辺の豊かな自然に恵まれた環境で育った元清・元秋・行衛は、母里の死に、これから兄弟に訪れる壮絶な運命が迫っている事を予感した。
世を旅立つ者があれば、この世に生を受ける者がある。天正六年(千五百七十八年)の十二月の師走に、南条元続の正室吉川の方が産気づいた。南条家の毛利方諸将は男児誕生を願い、伯耆一ノ宮の倭文神社へ安産祈願に詣でた。山田出雲守重直・小森民部方高・河口刑部の城将格を筆頭に南条家重臣が随行した。
数日して、吉川の方は元気な男の子を出産した。(後の十代羽衣石城主南条元忠である)
吉川元春が、吉川経安の長女を養女にし、南条家へ正室として嫁がせた成果がここに来て表れた。毛利の南条家重臣には激震が走った。元続は、愛妻で側室北の方(磯部康氏の妹)との間に、長子南条兼保があったが吉川家の謀略を恐れ、すでに出家させていた。
元清と久が恐れていた事態、吉川家血筋の男子が生まれた事で、吉川家の東伯耆南条家乗っ取りが具体化する事となった。元春はこの時を好機と見て、嫡子吉川元長、石見吉川家当主吉川経家の二人を羽石衣城へお祝い言上に出向かせた。不穏な動きをしている田尻南条家・小鴨家への牽制でもあった。
吉川経家は石見吉川家の当主で福光城を拠点にし、元長より一歳年長であった。二人とも鬼吉川に相応しい武者振りであった。元長・経家一行は、八橋城で杉原盛重と東伯耆の事を相談し、随行した兵を八橋城に駐留させてから、武装を解除した近習のみを連れ、羽衣石城の元続を訪ねた。元長らしい配慮がそこにあった。父元春とは全く性格が異なる元長は、常に相手側の気持ちを想いやり、力押しをしなかった。この点では、叔父の小早川隆景に似ている。
元清と元周は、吉川家から二人が羽衣石城へ訪れる事を兄元続の使いで知り、羽衣石城へ急ぎ出向いた。(元清と元周は、吉川元長とは戦いたくなかった。出来れば毛利と羽柴の両軍が、力を合わせ織田信長の天下統一を導く役割を担ってほしいと思った)
「義父上。経家殿はどのようなお方でしょうな。播磨出陣には参加されていなかったようですが。尼子攻めの月山富田山城を総攻撃する折もお会いする機会は無かった・・・」
「石見福光城主の吉川経安殿が、嫡男経家殿の才覚を見抜き、早くに家督を譲ったそうで石見では有名な話よ。元春様の憂いは、経家殿の才覚らしい。石見吉川家を恐れているのよ・・・」
「吉川本家には元長様が、居られるではありませんか。吉川本家に何の憂いがありましょうに。元春様の経家殿に対する恐れは何でしょうな。お会いすれば判りますな・・・」
二人は、吉川経家との対面が待ち通しかった。この頃の吉川経家は、まだ歴史上に名が登場していなかった。この後、因幡鳥取城の城代となり、羽柴軍と壮絶な戦いを演じ、名を後世に残す大業を果すとは、経家も夢にも思ってはいなかった。
八橋城を早朝に出立した元長・経家主従は、途中山田重直の堤ノ城を訪れ、昼食を済ませて重直の案内で夕方には羽衣石城に到着した。堤ノ城から天神川を上流に騎馬で歩みながら田尻城と小田城・打吹城・日下山城を左右に眺め千坂峠を越え長和田ヶ原に出た。
「元長殿。さずが二百五十年もの間、南条家が統治していた東伯耆の国ですな。要所要所に城郭を配置し、城郭に続く道は細く、大軍では攻め難い備えをしております」
「先代の宗勝殿が、尼子国久に攻められた折の教訓が備わっておるのでしょう。南条とは戦いたくないものです」
「まさか、南条家に限って毛利を裏切る事はありますまい。なあ出雲守(重直)殿」と経家が素直に南条家の忠義を語る。重直には、経家の愚直な思いやりが嬉しかった。
重直は
「このお方は、人を疑う事の無い人柄だわ。石見吉川家は、人柄が良い・・・」と素直に想った。
元長一行は、重直の姻戚山田佐助が待つ高野宮城で休憩して、羽衣石川土手街道を羽衣石城下に向け、騎馬に跨り歩んでいた。
街道の後ろから
「吉川の義兄様。お待ち願います」と言って若武者が一騎駆けて来た。
何事かと、元長と経家は馬を休め、若武者が駆けて来るのを待つ。
「おお、何と元秋ではないか。相変わらずじゃの。城主自ら単騎で駆けて来るとは。元秋らしいが今は長江城の城主と聞いておったぞ。単騎で駆けてよいものか家臣も心配よ・・・」
「なあ。重直、佐助殿」と老臣二人に声をかける。
元秋は、元長の言葉に照れ臭そうに
「義兄上。水臭くないですか。高野宮城には立ち寄って、隣の我が城、長江城にはお越し下さらぬとは。ところでお傍のお方はどなたですか」と元秋が経家に目をやる。
「元秋よ。このお方は、石見吉川家当主の吉川経家殿でござるよ。その方と同じく生粋の武芸者での。曲がった事が大っ嫌いじゃ。のお経家殿」
「確かに経家殿は、屈強の武者姿でござるな。拙者は、南条元続が舎弟南条九郎衛元秋でございます。お見知りおき願います。ささ、羽衣石の館まで馬で駆けて参りましょう・・・」
「出雲守も佐助殿もご苦労様でござる。我ら三人は、騎馬でここから駆ける。ご老体は、後でゆっくり来られよ。義兄上、経家殿ここから馬駆けの勝負でござる・・・」と言って元秋は、二人の騎乗している馬に鞭を入れた。
二人は、元秋の人懐っこさに気を良くした。
「元秋が居れば、南条家も安泰よ。なあ経家殿」
「善き人柄でござるな。姉上もさぞ慰められるであろう」と言いながら、元長と経家は元秋の騎馬を追い掛けた。
騎馬武者三騎は、競うように羽衣石城下の南条屋敷に駆け込んだ。三騎ともほとんど同着で優劣は無かった。大手門前で観ていた元清・元周の主従は、三人の必死の形相に大笑いで出迎えた。
「これは元長様。元秋の誘いには困ったものです。御客人に騎馬競争を仕掛けるとは」
「いやいや。騎馬の扱いは我らも自信があったが、元秋も中々の扱いであった。元秋よ見直したぞ。なあ経家殿」
「いやあ。元秋殿の騎乗術には恐れ入った。我が兵にも手ほどき願いたいもの」
元周が
「ささ、皆様。我が殿がお待ちでござる。また吉川の奥方様も、経家殿を今か今かとお待ちでござる。馬は元秋に任せ、市之進よご両人をご案内致せ」
「我らは、別室にて夕食の時に」と言って元清と元周は、二人を羽石衣屋敷に見送った。
客間では、すでに元続が二人を待っていた。
南条家の三老臣(先代の宗元の舎弟)南条元信・信正・宗信も元続と一緒に二人を出迎えた。南条備前守元信は家督を南条兵庫督元周にゆずり隠居の身であったが、元続の後見人と言う立場でこの場に同席した。信正は、南条家筆頭家老として元続を傍で支えた。
宗信は、通称興兵衛と呼ばれ南条家の全軍を統括していた。先代の宗元を三兄弟で支えたが今では、三兄弟とも七十歳を超えた老武者であった。
「信正殿。ご子息信光殿は、我が岩国の吉川屋敷で勤めに励んでおられる。ご心配であろうが、今しばらくお待ち下され。その内帰国を許すように取り計らう」
信正の三男信光は、南条宗元(出家して宗勝)が急逝した折の天正四年に元続の起請文と一緒に人質として吉川家に預けられていた。この時信光は、二十歳と血気盛んな若者。
元長のこの一言が、南条家老臣の心を和ませた。
傍で聴いていた経家が
「皆様には我が姉がお世話になって居ります。拙者が石見吉川家当主の経家でござる。今後よろしくお願い致します」経家の丁重な挨拶に皆は、好感を持った。
元続が「経家殿。生まれた我が子にあって下され。誰か経家殿を吉川の奥の部屋へご案内致せ」と言って経家を正室北の方の部屋に誘った。
元続と三老臣は、元長が一人になった頃を見計らい、まず筆頭家老の信正が
「元長様。お願いが御座います。ご正室様から嫡子が、生まれ杉原の手の者が色々陰で動く恐れがあります。我らは元長様だけが頼りでござる。ご嫡子が陰謀に巻き込まれない様に配慮お願いしたい」
聴いていた元長が唸った。
「皆様は、そこまで吉川を疑っておいでか。確かに杉原は狼藉、謀略好きで毛利家でも手を焼いております。当主輝元様と隆景の叔父からは、盛重を父元春から遠ざけるように指示はされております。拙者も何度か父には申し出したのですが、武骨者を愛す父は盛重を手放しませぬ。今しばらくは、ご堪忍下され。拙者の眼が黒いうちは、盛重の勝手にはさせませぬ。元続殿の命は、拙者の身に換えてお守り致す」
南条家の老臣三名は、元長の思慮深さと隠し事の無さに感動した。
「それでこそ、元就公の直孫でござる。元長様がそこまでお考えとは」長老の元信が涙を流して喜びを表す。
元続も「元長殿。どうか南条家の行く末と嫡子をお守り下され。我が心の痞えも取れたのう、叔父上方」
客間に取り次ぎの声が聞え、山田重直と山田佐助が慌てて客間に入って来た。
「皆様、大変遅れ失礼しました。いやあ、若者は馬で駆けるのが早い、早い」と佐助が声を荒げて言う。
「その方ももう年じゃ。何時まで高野宮城を守っておるのじゃ」
「宗信様。拙者が歳であれば宗信様も同じではござらぬか。一つ歳しか変わりませぬ」
二人の会話に皆が大声で笑い、吉川元長と面談を終え元続と老臣は心から安堵した。
夕食は、別室にて元続兄弟と元周の四人で元長・経家を饗応した。同年代で会食した。
饗応には、元周の妻お誠と行衛姫が駆けつけ、元続の側室北の方を助けた。
東郷湖の鰻、しじみ、山の松茸、日本海の魚が饗応の膳を飾った。
豊富な食材が生かされた料理に二人は、舌づつみながら元長が
「元秋は、本当に城主なのか。単騎で駆けるとは家臣が心配するであろうに」
「晴れの日には、長江城から東郷湖を毎日馬で一周してござる。一刻で駆けるので、馬が嫌がります」聴いていたお誠が
「馬にばかり跨っておられては、子は出来ませぬぞ。なあ元清殿」
「そうそう。香苗殿が馬に焼きもちを焼くぞ」
「伯母上、兄上。香苗のお腹には我が子がおります。昨日、ようやく懐妊したようで」
元秋が皆の前で嬉しそうに語り、大杯を飲み干す。
行衛が
「暴れん坊の元秋が、父となるのか。どうりで、朝からそわそわしておったな。私は元長様にお会いするためと思っておった」
元長が
「どうりで、馬で駆ける事の早い事、早い事。なあ経家殿」
「元秋殿は、南条家の宝でござるな。居るだけで皆が明るくなる」と経家が語る。
元続も嬉しそうに酒を飲みながら
「拙者は、良い兄弟と良い従兄を持って幸せ者よ。なあ元周殿」
「元秋は、幼い頃から兄元清の後を追掛け、松ヶ崎城下で腕白し放題であったからの。兄の真似ばかりしておったのです」と行衛が懐かしそうに語る。
「行衛殿。それは良い環境で育ったものよ。経家殿。明日は、元秋に東郷湖周辺を案内してもらい、観光してから八橋城へ帰城しよう」
行衛が
「元長様、経家様。そうなさりませ。松ヶ崎城からの眺めも一度観てお帰り下され」
「元秋。単騎で走らぬにお二人を案内するのですよ」兄弟の会話に二人は笑った。
行衛と元秋は幼い頃から、変わらぬ兄弟愛を育んでいた。いつの時代も姉は、弟が可愛いらしい。
饗応の宴も終わり、元長と経家の二人は客間の寝所へ案内された。元清は、元長と酒を交している時に、密かに二人きりでの面会を申し入れしていた。
元清は元続の意向を伝えに元長の寝所を訪れた。
「元長様。夜分に失礼仕ります。どうしても今後の事を二人でお話したいと思いまして」「元清殿。羽石衣城への街道の道々で、南条家の覚悟は見知っていた。経家殿も薄々感じておいでだろう」
「天下は何れ織田信長様によって統一されますでしょう。如何に毛利が大国でも今の織田様の勢いには抗しきれないでしょう。そうは思われませぬか」
元清は、元長の人柄を信じて単調直入に申し出た。
一瞬元長の顔色が変わったが
「そうはっきり申されるとは、元清殿の覚悟が伝わる。実は毛利家内部でも意見が二つに割れているのじゃ。話したくなかったが今後の事もあり、元清殿には話そう」
元長も覚悟を決めたらしく、一息ついてから想いの全てを語った。
「輝元様と叔父隆景は、安国寺恵瓊の織田との共存共栄を模索し密かに羽柴秀吉殿の軍師黒田官兵衛と接している。しかし我が父元春は、強硬派で百姓上がりの秀吉殿を嫌っている。そこに杉原摂津守盛重が伯耆一国を我が物にするため、親父殿を利用しておる」
「毛利元就公は(毛利家は防長二か国を守り、中央の事には関らぬように致せ)との家訓を残された。しかし親父殿は、中国の覇者を目指し今日まで戦って来た。今の時期に拙者がしゃしゃり出て親父殿を止めれば、吉川家は分裂し毛利家の危機を迎える。もう少し時が必要なのじゃよ。元清殿」元長は、元清の反応を視てさらに付け加える。
「いずれ因幡の国は、秀吉殿によって攻め取られよう。その時、親父殿は、この東伯耆に進軍する。この地は、毛利と織田の勢力がぶつかり合う戦場となる。二~三年は両勢力の攻防が続くが、いずれは織田の勢力に統治される事になろう。備前の宇喜多直家殿も、織田に靡いておるからな。我ら和合派は時を待って、一気に和睦恭順を進める。その時まで南条家の方々は、命を無駄に失わないようにしてほしい」と言って元清の手を握る。
元清は、元長の思慮深さと安国寺恵瓊の毛利家での存在に不気味さを感じた。
「元清殿も恵瓊から聞いていよう。(信長は高転びに転びける。羽柴秀吉は、その後を束ねる者)と言った事を。我ら毛利も、羽柴秀吉に高く売りつけたいのよ」
「元清殿。南条家が織田に与力するのは当然の事じゃ。今のまま毛利に与力しても播磨の赤松の二の舞になるぞ。使い捨てにされるだけじゃでな」
「元長様。胸の痞えが取れました。兄元続と相談し、南条の生き残りに邁進します」
「毛利は毛利で生き残りの手段は考える。戦うだけが全てでは無い。毛利の軍師は恵瓊と拙者の二人で叔父隆景を交え、輝元公を支える所存。親父殿の力で統治する時代は、終わろうとしている。その点では敵ではあるが、秀吉の生り様は拙者も感銘する」
「元清殿には、何故か我が想いの全てを語れる。しかし義直な経家殿にはこの事は語ることが出来ない。我が心配は、義直な経家殿と清廉潔白で意気盛んな元秋の二人の行く末」
一瞬、元長の顔が曇る。
「この二人には、共通する所がある。曲がった事が嫌いで、人を信じすぎる。元清どの元秋をよろしく頼むぞ」
「元長様。戦が始まり一時は敵になろうとも、今後も末永く南条家をお願い致します。今日は心の内をお聞かせ頂き感謝します。そろそろ下がります」と言って元清は元長の寝所を後にした。
元長の寝所を後にした元清は、元続と元周の待つ部屋へ急いだ。
部屋で待っていた二人は心配そうに元清の顔をを見た。
元清は元長からの話を二人に伝え
「元長様は、全て見通されておられました。毛利家の中に良き理解者もあり、これで思う存分戦の支度が出来ます」聴いていた元周も
「しかし元長様は、二年~三年と期限まで見据えておいでとな。恵瓊殿の入れ知恵であろうが恐れ入ったな。我らと同じ考えじゃな。秀吉様に認めて頂くためには、何としてもこの地で吉川の援軍を止めねばならぬ。二年止めれば、因幡は落ちる。因幡が落ちれば備前・備中も秀吉様の手中に入ったも同然よ」元続が頷き
「そうなれば、毛利は和睦恭順を唱える勢力が増してくるな。我らの働きに懸っておるなあ。しかし、元長様が元秋の事を案じていたが、気になるな。元清どうじゃ」
「血気盛んな元秋を、戦いの最中に諌める事は難しいでしょうな。信正叔父上の傍で働かせましょう。叔父上は、百戦錬磨の武将です。血気盛んな元秋を諌めるでしょう」
元周が頷き。
「それは良い案じゃの。叔父上は、南条家筆頭家老で南条軍の先鋒大将の役柄。元秋も、叔父上の申し出であれば素直に聞くであろうよ」
元続が
「もう戦の布陣と大将まで、二人は考えているのか。この案件は、まだまだ家中でもめるぞ。出雲守重直の動向には、中止せねばな」
「兄上。すでに佐治衆を使い、重直殿の羽衣石屋敷には女中を忍ばせております。また杉原の動きには、高城城には加瀬木元亮を城主として領国の境を警戒しております。また近日中に、羽柴秀長様より鉄砲三百丁が橋津港より陸揚げされます。その後、来年の五月までには、約束の鉄砲千丁と兵糧弾薬が届くと連絡が入っております」
「義父(元周)殿。橋津港での鉄砲受取りの件は、よろしくお願い致します」
「元清。羽柴からは、誰が来るのじゃ」
「秀長様からは、藤堂与右衛門と亀井新十郎の二名を遣わすと聞いております」
「二人は、田尻城で持成そう。元清も来るであろうな」
「三百丁の鉄砲は、各百丁に分け、田尻城・羽衣城・岩倉城に運び当面は、百人の鉄砲隊を各城で調練して頂きます。兄上と義父上には、適役の任命と鉄砲受取役を田尻城へ派遣下さい」
「羽衣石城の鉄砲百丁は、元秋に任せるとしよう。どうせ主戦場は長江城と田尻城の間となろう。なあ元周殿」
「殿の仰せの通りでしょうな。田尻城を囲んだ後で、長和田ヶ原に布陣した我が方の陣に向かって、杉原の先鋒隊がまずは正面攻撃を加えるでしょう。その時、側面から鉄砲隊の一斉射撃で敵方は、総崩れでしょうな」元清が頷きながら
「その後は大平山を迂回して、千坂峠を越えて背後から我が陣を襲う事を画策するでしょうな。杉原の考えは、手に取る様に解ります。しかし相手は大軍、二度三度攻撃を加えて来るでしょう。我らは大戦を仕掛け、その後は各城で局地戦を展開し、大軍の分散化を謀らなければなりません」元続が元清の戦術に感心しながら
「二年~三年は、短いようで長い期間になるな。持ちこたえねばならぬ」
三人は、堅い決心をして各自の寝所に引き上げて行った。
朝靄の中で元秋と元長・経家の一行は東郷湖周遊に向け羽衣石の館を出立した。
十一月の山陰地方は長い冬に備えるため、家の子供達は薪を集め、大人達は大雪に備え屋根の修理が始まる。雪国の山陰では、毎年繰り返される行事。
「雪が降るまでに」と気忙しく働く。十二月から雪が降り続き、翌年の三月までは身動きが取れない。冬の食料も十一月には、確保して置く為この頃は野山での狩猟が多い。
元清主従は、羽衣石館を出て千坂峠を越え、天神川を渡り打吹城下を抜けて岩倉の里へ帰って行った。いつもの道程であった。
打吹城下は昔から商業が盛んで、城主山名氏豊の領地経営も好いと聴く。
主家山名氏が家臣筋の、小鴨と南条に挟まれ窮屈な思いをしている山名家臣団を氏豊は上手く差配していた。氏豊から見れば、山名氏繁栄は生まれる前の事で遠い昔の事。
先代の南条宗元が、朝夕の食に困るほど落ちぶれ、浪々の身にあった幼少の氏豊を探し出し打吹城主に据えた。領地の石高は、小鴨家と同じ一万石程であったが、商業の街打吹城下を与えていた。
氏豊は、二十五歳に成ったばかりでまだ若かった。元続と元清を義兄と慕い、元秋とは気が合うのか、二人でよく鷹狩に出かけていた。
幼い頃に貧しい環境で育ったためか、良く領内を忍んで回り領民の生活を気にした。
しかし、この人の運命にも非業の生涯が待ち受けていた。(それは後の事)
夕方に岩倉城に帰城した元清に久が
「殿。今日は珍しい方が訪ねて居られます。今、大広間で徳丸と遊んでおります」
「高城城の元亮か。お夏も来たのか」
「はい。お夏は、二人の子供を連れて来ております」
「左近・新十郎。今日も飲もうではないか。弥助・五平・松五郎・佐助も呼べ」
「殿は松ヶ崎の思い出を肴に飲もうとされておられますな。それでは与右衛門も」
「左近。そうせよ。松ヶ崎城の子供の頃を思い出飲もう。お仲、支度を頼む」女中のお仲は台所方へ慌てて走って行った。
元清も嬉しそうに大広間に走って行った。
「おお元亮・お夏。元気であったか。中々出向けず苦労をかける」元亮夫婦を労わる。
「今日は、松崎衆を集め大いに飲もう。子供たちは」
お夏が
「いつも久様には、色々な物を送って頂いて感謝しております。長男の四朗は、三歳になりました。次女の春はようやく一歳を迎えます」
元清は、我が事のように嬉しげに
「徳丸。そちに弟と妹が出来たな。可愛がってやれよ」
徳丸も嬉しそうに、三郎の頭を撫でながら
「ようやく私にも弟と妹が出来ました。父上、嬉しいです」
「おお徳丸。仲良くいたせ」
「それでは此処は殿方のみにお任せして、私どもは奥で久様と過ごします」
夏が、子供達を連れて大広間を出て行った。
「お夏は何時も気が付く女子よ。元亮、良い妻を持ったな」
元亮が照れ臭そうに
「実はまた子が出来ました。お夏の腹には」
聴いていた左近が
「殿。元亮に種を分けてもらいましょうぞ。お夏は、休みなしで大変じゃな」
大広間に集まって来た松ヶ崎衆が、着座するなり大いに笑い、元清もつられて笑った。
「皆の者。台所方にて食事を用意している。今日は、水入らずで昔話をしながら飲もう」
大広間から台所部屋に移り、庵を囲んで皆で座った。庵では、すでに川魚と鹿肉が焼かれ、吸い物は猪鍋が準備されていた。
「お仲よ。いつも急ですまぬな」元清は、大柄のお仲を労わる。
お仲は、元清が養子縁組で岩倉城へ着た時から、元清の側女中として仕え、今は久の傍女中と台所方を一手に担っていた。
最近は、早瀬左近の身の回りと食事の世話もしていた。
岡部新十郎が
「近頃お仲殿は、左近殿の食事の世話もしているそうで。大変忙しいのです」
「そうか。左近は独り者よな。お仲と年頃も近いではないか。この際、一緒に暮らすように致せ。余の命じゃ」左近が嬉しそうにお仲を見つめる。
「新十郎。左近とお仲が、一緒に暮らす屋敷を与えるよう、明日黒松へ申し伝えよ」
お仲は、驚き手を休め、嬉しそうに元清の言葉を聴いた。
「なんと今日は、左近とお仲の披露宴になったの。何とも嬉しい限りじゃ」
元亮との久しぶりの再会に、左近とお仲の披露宴が加わり台所は大いに盛り上がった。
翌朝、田尻城の南条元周より使いが来た。
橋津港に藤堂与右衛門と亀井新十郎が到着し、羽柴秀長様からの口上と鉄砲三百丁と弾薬・兵糧を田尻城で分配したいとの連絡であった。
元清は午後前に元亮と左近・新十郎他郎党五十名ばかりを連れ、広瀬川から舟で天神川を下り、田尻城へ出向いた。
船着き場から数十発の鉄砲の連射音が聞こえた。
田尻城では、すでに長江城主南条元秋と清谷城主舟越重敬が訪れ鉄砲の試し撃ちを行っていた。
「元秋が試し撃ちをしておるな。何と気が早い事よ」元清主従は田尻城へ急いだ。
田尻城では太鼓壇に武者が集まり、城主の元周から指示を受けて慌しく動いていた。
「おお、元清。到着したか。誰か藤堂殿と亀井殿をお呼び致せ」
「義父上殿。ようやく届きましたか。良い音をしておりますな」
「そうよ。我らが持っている鉄砲とは雲泥の差よ。銃身が長く、狙いやすい」
「これが後千丁届けば、籠城戦も優位に戦える。家臣は皆喜んでおるぞ。おおそれと米も一万石ばかり届いておる。各城に分けても一年は籠城できる。秀吉様は大盤振る舞いよ」
「半兵衛様からは、因幡の米を来年より高く買い占めせよとのご指示です。与右衛門殿や亀井殿と相談せねば成りませぬ」二人が話している所に
「元清様。先月のお約束を亀井殿と一緒に持ってまいりました。いよいよですぞ」
一緒に歩んできた亀井新十郎が
「秀吉様は我らに若桜攻略と、鹿野城を攻める様指示された」
「摂津の荒木村重謀反も先が視えて来ました。参謀格の高山右近殿が、信長様に許しを乞うてきたのでござる。秀吉様も安堵して居られます。三木城の別所長治殿も打ち手なし。播磨・摂津は来年には見通しが立ちます。なあ与右衛門殿」
「着々と因幡攻略に向けた戦術が、半兵衛様の指示で進んでおります。元徳殿も色々忙しく、京都と播磨を往ったり来たりしております。最近は、京都吉田神社主の吉田兼見様の処へ良く出向くようです。安国寺殿を交え公家へ調略を仕掛けているようです」
「与右衛門殿。半兵衛様からの書状をお渡しせねば、我らの役割が終わらぬ」
与右衛門が思い出して、懐から半兵衛の文を取り出し元清に渡す。
「半兵衛様からの口上は、とにかく二年は持ちこたえてほしい。この一点のみで、後は文を読むように。との事でした」聴いていた元周と元清は、深く頷いた。
そこへ元周の後妻お誠の方が現れ
「皆様。夕食の支度が出来ましたので、客間へお越し下さい。今日は、生きの良い鱸があります」皆はお誠の明るい声に誘われ客間へ急いだ。
松ヶ崎城(現在の湯梨浜町)から東郷湖を毎日観て育った里姫は、三兄弟へ東郷湖への散骨を遺言する。その行為は、来るべく毛利との決戦場での南条勝利を願う呪いでもあった。深い思慮で三兄弟を育て、松ヶ崎城下の住民にも慕われた里姫の生涯があった。