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 日下山城(清谷城)の激戦で城主船越摂津守重敬は、城を討って出る。杉原・山田勢と死闘を演じた重敬は、戦いで負傷し絶命した。

 杉原次郎景盛の兵三百と山田蔵人信直・吉田肥前守正種の兵八百は、天神川を挟んで川上の栗尾村目指して夜陰に紛れて行軍する。

 山田・吉田隊は、日下山城(清谷城)下を通じる行軍で日下山城主船越摂津守を牽制する。

「城兵が討って出れば、羽衣石城の背後急襲の作戦は、慣行せよ」と申し渡した山田出雲守重直。

 山田・吉田隊の中腹を目掛けて城主重敬の騎馬隊が一気に攻めかかる。あれよあれよと行軍は、大混乱に陥る。ここが勝機と、敵将目掛けて重敬と騎馬隊は先頭の山田蔵人に突きかかる。

 そこに待ってましたと、後列より攻め上がった吉田勢の弓隊が連射を浴びせる。深手を負った重敬主従は急ぎ城内へ撤収するが、重敬は深手の重傷。城内では、城門を閉ざし籠城を固め、佐治元太は事前の元清からの下知に従い行衛姫と嫡子小太郎を、元秋の籠る長江城へ非難させる行動に移る。

 その時、元太の一瞬の隙に夫重敬の後を追うように、行衛姫が懐の快刀備州長船の刃で自らの胸を突く。夫婦は、お互いを庇うように、笑顔でその場で絶命し添い遂げた。

 重敬享年三十三歳・行衛二十八歳若すぎる死であった。

 行衛の辞世「添い遂げて、旅立つ我が身を、照らすおぼろ月」

 元太は、大平山越えで安堵したのか重敬・行衛夫妻の笑顔が脳裏を過った。元清から下命された行衛と嫡子小太郎は長江城へ避難させよとの命を果たす事は出来なかった。あまりの悔しさで、涙があふれた。


天正八年(西暦千五百八十年)八月十五日の子の刻(深夜)に杉原次郎景盛を総大将とした三百の兵と 第二陣の山田蔵人信直・吉田肥前守正種の兵五百が、羽衣石城の背後栗尾村を目指して闇夜に紛れて出陣した。

 清谷郷の日下山城(清谷城)を牽制しながら、闇夜を進軍する山田・吉田の兵五百は、篝火で照らされた大手門前をわざと素通りする。城出撃する敵に備え迎撃態勢は整えていたが、城内からは物音一つせず、通過する兵は安堵顔でやり過ごそうとしていた。

 その頃城内では

「殿、敵勢は我が城を牽制しながら千坂峠越えを目指す動きを見せております」

 城主の船越摂津守重敬は

「我が船越家は、鎌倉から続く清谷郷の地頭。義父南条宗勝様には大恩がある」

「敵勢の大手門前素通りを一戦も交えず通過させたとあっては、末代までの武門の恥」と言って籠城戦支度の家臣に向かって大手門を開門するよう激昂する。

 この時重敬は、男盛りの三十三歳を迎え、妻行衛姫は二十八歳を迎えたばかり。

 行衛の傍らに控えていた佐治衆の頭目佐治元太は、事態が将監の予想していた方向に進んでいる事に驚く。何としても元清様の下命された「行衛姫様と小太郎様をこの城から脱出させねば」と行動を起こす。

 行衛姫は、夫重敬の武勇を諌める事はせず、夫の出陣に先立ち覚悟の水杯を交わす。

 決死の覚悟を決めた城主船越重敬は、身震いを必死に抑えながら家老の菅原長寿に

「その方は、城内に残り城を守れ。岸田弥助は、行衛と小太郎を元秋殿の長江城まで非難させよ」

と言って、側近の騎馬武者五十騎と雑兵百を従え大手門を開門して討って出た。

「我は、南条家与力船越重敬。皆の者続け」と大音声で敵の行軍中腹へ攻めかかる。

 山田信直と吉田正種は、重敬が討って出てくる事を今か今かと待ちながら、ゆるりゆるりと目立つように行軍していた。

「城の大手門より城兵が討ってでました」との知らせに

「してやったり。直ぐに景盛殿へ伝令を走らせろ」と配下を走らす。

 信直隊の中腹に突入した重敬の騎馬武者は、縦横無人に馬上で槍を振り回す。あっという間に山田勢の隊列は崩され、雑兵は恐れ慄き逃げ惑う。

 この状況に

「敵は浮足立った。敵将を討ち取れ・・」と重敬は、側近の騎馬武者数十人で先頭を歩む信直に討ってかかる。十文字槍の使い手元清により指南を受けた重敬は、十文字の槍さばきで、信直の側近を次々と落馬させ蹴散らす。重敬のあまりの形相に、信直も戦力を喪失して逃惑う。勝利の確信を得た重敬に、油断が生じた。後方より迫った吉田勢が、深入りした重敬を取り囲んだ。あっという間の出来事だった。

 吉田勢の手早さに重敬は

「勝ち戦に焦った、敵の罠だ。皆の者城内へ急ぎ引け」と馬上から叫ぶ。

 時すでに遅し。重敬主従を囲んだ吉田勢の弓隊が一斉に矢を射かける。重敬は、無数の弓矢を体に受けたが、落馬せず愛馬を走らせ城内へ逃げ延びた。敵兵は、この時とばかりに田尻城での劣勢を打消すため城へ攻めかかる。こうなっては、多勢に無勢。八百の山田・吉田隊が、日下山城に総攻撃を仕掛ける。城内を守備する兵は、百にも満たない。

 佐治元太は、城内の佐治衆配下に差配し、城門を閉じて行衛親子の脱出を試みる。すでに裏山の大平山を越える山路には、長江城からの救出部隊が待機している。もう一刻の猶予も無い。

 行衛は、城内に避難して来た重敬の姿を見て茫然自失。夫が絶命しているのでな無いかと号泣し、重敬を抱きしめる。重敬が小声で

「そなたは、小太郎を守り城を落ち延びよ。我は、城と共にする。しかし思い返せば、行衛を妻にできた事は我が身の誉れよ。南条の義兄達には、本当に良くして頂いた。松ヶ崎の義母(お里)にはあの世で我が身の不徳を詫びておく。ああ・・・お姿が今も懐かしく想い出される」

「此度は、杉原勢と一戦交え、義父上(宗勝)の大恩に報いて大満足じゃ。後の事は頼む・・・」と呟き、最愛の妻に抱かれ安堵したのか笑顔で絶命した。

 若き武将、船越摂津守重敬の最後は、実に潔かった。しかし、新たな悲劇がこの後起こった。

 行衛が重敬の亡骸を抱きしめつつ、すでに覚悟を決めていたのか

「元太。小太郎を頼む。兄様達に、行衛は夫に遅れぬよう共に三途の川を喜んで渡ったと伝えよ]と言うが早いか、懐の守り刀(南条家伝来の備州長船住則光作)で胸を刺した。

「奥方様。なんと早まった事を・・・」

 元太は、予想外の行衛姫の行動に一瞬時間が止まったように思えた。しかし敵兵はすでに大手門を突破して、二の丸では城兵の殺戮戦に突入していた。

 二人の身柄を運び出す猶予も無いと判断した元太は、控えていた佐治衆数名に

「屋敷に火を放ち、ご両人の亡骸を敵に渡さぬように致せ」と指示して、別部屋で待つ岸田弥助に重敬の嫡子小太郎を背負わせ、城を落延びた。

 この時の行衛の守り刀、備州長船住則光作白鞘入り(長さ七寸九分余り)は、今も船越家に残ると伝わる。

「添い遂げて、旅立つわが身を照らすおぼろ月」は行衛姫の辞世であった。

 大平山を越えた元太は、元清からの下命が成就できなかった悔しさに打ちひしがれた。元太は、重敬と行衛の夫婦愛の深さに驚かされた。

「ご両人の亡くなられたお顔には、笑みがあった。人の命とは、こうも呆気なく自ら命を断つ事ができるものなのだろうか。行衛様の重敬様に対する愛の深さか・・・」

 大平山越えで安堵した元太の脳裏には、初めて松ヶ崎城内で出会った行衛姫の屈託のない笑顔が想いだされた。行衛姫、享年二十八歳(南光院伯耆大夫婦人義室大姉)重敬、享年三十三歳(太平院殿伯耆大夫神祖大居士)若すぎる夫婦の壮絶な最後であった。誰が建立したか定かでない夫婦塚が、壮絶な戦いの地に今も残ると伝わる。

 

 天神川の河口から一里程川上で待機中の杉原景盛の一行に、日下山を覆う炎が見えた。

「激しく燃えておるわ。やはり無骨者の重敬は、城を討って出おったわ。あっぱれな若武者よ」と景盛の声が高ぶる。

 傍に控えていた山田世之助に

「その方の策は、南条方には事前に察知されていないなかったようじゃな。さあ我らも攻めかかろう」と言って待機していた将兵に

「皆の者、足を速めよ。馬は置いて、ここからは船で対岸に渡り一気に栗尾村から羽衣石城の背後を攻める。一番乗りの手柄は、城内・屋敷の財宝は勝手次第とせよ」

 休息していた三百の兵が、景盛の「勝手次第」に我先にと動き出す。人の欲に付け込んだ、景盛独特の将兵奮起術であった。(後に景盛自身も、我が身の欲に囚われ身を滅ぼす。その出来事は、まだ先の事)

 もうこうなっては、軍としての統率がとれない。小集団が、我先に栗尾村を目掛けて一気呵成に攻め上がる。景盛主従もあまりの雑兵の動きの早さに徒歩足を速めるが、雑兵の駆け足には追いつけない。

「この勢いなら、羽衣石城などあっという間に落城じゃわい。皆の欲は深い、笑いが止まらんわ」

 雑兵達の後を追いかけるように景盛主従が、栗尾村を目指す。ようやく最前列の軍団が、栗尾村に突入し村に火を放ったまさにその時。鐘と太鼓の音が、村を囲むように一斉に打ち鳴らされた。

 後方でこの大音行を聴いた景盛主従は

「世之介、謀ったな。手引きし我らを罠に・・・」と言って回りを見回すが、世之介の姿はどこにも見えない。

 栗尾村では、杉原勢の阿鼻叫喚が月夜に木魂する。村々に潜んでいた小鴨隊は、弓矢で情け容赦なく杉原勢に射かける。あっという間に、数百の杉原勢は討ち果され逃げ惑う。景盛主従は、先ほどまでの高揚感が恐怖に変わり敗者側に転じた。混乱する攻め手には逃げ場も判らず、敵がどこに潜んでいるかも判らず、恐怖で同士討ちの有り様。まさにこの世の合戦地獄絵巻。

 杉原勢の混乱に乗じて、村を取り囲むように篝火が焚かれ、丸に揚羽紋の旗指物が周囲から一斉に立ち上がる。攻め手の恐怖は最高潮に達し、戦意を喪失し逃げ惑うばかり。こうなっては、如何に武勇に秀でた杉原勢でも月夜でこの事態は覆せない。

「己、又しても丸に揚羽紋の小鴨勢か」

 余りの悔しさと恐怖に、さすがの景盛も声が震え言葉にならない。その時、景盛には篝火の薄明りに、世之介の姿が一瞬遠目に見えた。激しい憎悪は恐怖に打ち勝ち、側近の弓矢を奪い取り引き寄せ、一矢報いたい気概にて矢を一気に放った。

「ヒュー」と低い音で渾身の一矢は、世之介の体を射抜いた。世之介の体は、「バタット」とその場に倒れもがき苦しむ。景盛は憎しみの中でようやく我に立ち返り、事の事態を呑み込み、兵の混乱を収拾し軍を立て直す。しかしすでに兵の主力は殆ど討ち取られ、反撃を行う状態へ戻す事は出来なかった。

 景盛の放った矢で射られる前の世之介は、大恩ある元清に再会し敵兵の子細を報告中であった。

「世之介、しっかりせよ。傷は浅い」

 元清は、胸板を貫かれていた世之介の深手を隠した。世之介のこれまでの生き様が、一気によみがえり、余りに不幸な身の上を想い自然に言葉を発した。

 聴いていた世乃介は、元清の顔を視ながら

「元清様。本日の手柄でようやく吾身の潔白を証明でき、もう思い残す事もありません」

 もはや、息も絶え絶えで

「叔父の山田越中守様にも、此度の事でようやくお褒めの言葉を頂けそうです」

「世之介、安心せよ。越中には、我が方より世之介の武勇を伝える。安堵せよ」

 元清の言葉を聴き安堵したのか世之介は、元清に抱かれ息を引取った。享年二十一歳、若き伯耆武者の死であった。戦いは、小鴨勢の大勝利で攻め手の杉原勢は、天神川まで追詰められ殆どの将兵は討ち取られ、雑兵は霧散して逃げ延びた。景盛主従は、天神川を小舟で命からがら逃げ延び夜明け前に長瀬ヶ原の杉原盛重の本陣に戻った。大負け戦であった。事の次第を知った吉川元春は、大いに怒り景盛・信直・正種を捕えた。


事態の悪化を危惧した総大将吉川元春は、茶臼山に陣を構える嫡子吉川左馬之亮元長を急ぎ馬の山本陣に呼寄せた。

「左馬之助。もう杉原・山田には、任せられぬ。秋風が漂う前に田尻城を落とせ」

「そなたには、馬の山本陣の主力五千の兵に加え、総兵力六千で田尻城を一日で陥落させい」と元春は、元長に苛立つ口調で言った。

 元長は、以前から東伯耆攻めには賛同していなかった。しかしここに来て、味方の士気は低下し、南条攻めも当初言われていた「尼子勢の伯耆五月崩れの三日あれば」を大幅に超え、二か月の無用の日々を過ごしていた。元長も冬までに軍を撤退させる転機は、この一戦だろうと覚悟していた。

「父上、この一戦にて田尻城を落城させ、陣を引き払いましょう。羽衣石城は、要所要所の城を守る城将を寝返りさせてから、一気に攻略すべきかと」

 聴いていた元春には、元長の冷静沈着さが輝元・経家・元長への世代交替を思わせ、戦国の覇権を競ってきた時代の終焉を悟らせた。

「もう毛利家は、元長や輝元・経家の世代なのだろう。元長のなんと冷静沈着な事か」と小声で呟く。五十歳を迎えた元春には、若かりし頃の神風雷神の勢いは無かった。


 八月二十一日になって、吉川元長を主将とする六千の兵が田尻城に攻めかかる。

 攻め手、主将吉川左馬之助元長二千・副将杉原播磨守盛重一千・左翼吉川左近介元氏一千・右翼毛利民部元経一千・後詰め吉川式部少輔隆久、吉川七郎元景一千の総勢六千。

 長江口押え、吉岡越後守定勝(因幡国防己尾城城主)・国坂口山田出雲守重直の両軍二千で長江城・堤ノ城からの南条・小鴨勢の救援を迎撃する体制を整えた。

 夜明け前の卯の刻に、吉川元長・杉原盛重の主力三千が、円郭式の田尻城を正面から攻めた。

 田尻城の大手門櫓では、城将の南条兵庫督元周が、紺糸織の鎧に鹿角の前楯兜を身にまとい、三尺余りの朱鞘の太刀に重藤の弓を携え大音声で

「寄せや、寄せや。吉川の田舎侍共」と言うが早いか、重藤の弓を引き絞り、敵将盛重を狙って矢を放つ。放たれた矢は、盛重の兜を打ち落とす。これを観た籠城勢が

「おお、あっぱれ。あっぱれ」とやんや、やんやの大喝采。

 元長は、攻城勢の士気低下を恐れ

「我らは、中国の覇者尼子を攻め滅ぼした鬼吉川の武者よ。我に続け」と愛馬の脇腹を打ち、大将自ら大手門へ攻めかかる。この大将の猪突猛進に吉川勢が呼応し、六千の兵全軍が決死の覚悟で攻めかかった。

 籠城勢三百と攻城勢六千の圧倒的な兵力差に、籠城二ケ月の疲れで籠城勢の反抗力は低下し、巳の刻(午前十一時頃)を過ぎ、寄せ手に大手門を突破された。

 大手門櫓で敵勢を迎え撃っていた元周が

「頃合いは良い。兼ての手配通り、城内虎口より小舟で城兵を脱出させよ」

「市之進。後の差配は、任せたぞ」と言って、側近の早瀬市之進に城の爆破を任せた。

「田舎侍の吉川勢、我が南条兵庫督元周なり。武勇の武者はかかって参れ」と敵を誘いながら、配下の鉄砲・弓矢で寄せ手を討ち果す。しかし多勢に無勢。

 市之進は、大手門櫓に立ち元周の影武者として、主君元周を城から脱出させ壮絶な戦死を遂げた。

 その後、田尻城では攻城勢の城内突入を誘い、各所に仕掛けた爆薬を爆発炎上させ、攻城勢に多大な損害を与え落城した 吉川勢は大きな損害を伴ったが、総大将元長自身の突撃慣行に鼓舞され田尻城を一日で陥落させた。

 長江城主の南条右衛門尉元秋は、大平山峠越えにて田尻城を脱出した、元周主従を出迎えた。籠城二ケ月、吉川勢一万三千の兵を田尻城に釘付けにした元周主従の功績は大きい。

 

 嫡子元長が田尻城を落城させた事を見届け、元春は密かに馬の山本陣より、雲州月山富田城へ身を引いた。

 馬の山を出立間際、元長を呼んで

「そなたが申したように、羽衣石城の落城は後回しにせい。まずは、松ヶ崎城の小森を味方に引き寄せた後、総攻めを仕掛ける。それまで各所に部隊を駐屯させ、因幡鳥取城の山名因幡守豊国を牽制するように致せ。追って、経家を遣わす」と言い残し鳥取城の押えを示唆した。

 元長は「経家を遣わす」との父の発言に、吉川経家の暗い将来を予見した。

 元春は、石見吉川家惣領、吉川経家の頭脳明晰を内心恐れていた。元長には幼い頃から元春が経家に接する違和感を感じていた。(後にこの憂いは、因幡鳥取城での経家自刃の形で表面化する)

 

 九月に入り、日本海側からの海風が茶臼山の元長本陣に吹き荒れ、元長は東伯耆南条攻めの引き時を感じた。

「皆の者よく聞け、今年はもう戦は止めじゃ。台風の季節になり将兵も疲れきっている。羽衣石城までの街道は狭く、攻める上がる我らに山すそからの落石や火責め、羽衣石川上流の堰を切って氾濫させる水攻め。あの手この手で、南条勢は我らが攻め上がるのを待ち構えておるわ」と言って要所・要所に諸将の配置を決め、撤退後の敵将勧誘策を指南し、元長は茶臼山の陣を山田重直に任せて雲州の月山富田城へ引いた。

「敵の総大将吉川左馬之亮元長退陣」の一報が、岩倉城主小鴨左衛門尉元清主従に届く。

「ようやく、行衛と重敬の葬儀ができるの」

 元太から行衛の最後を聴いた元清は、妻久と松ヶ崎城での在りし日の行衛を想い起す。

「何故、こうなったのか。行衛の重敬殿に対する愛の深さよな・・・」

「殿。行衛様は、幼き頃に出会った重敬殿に一目ぼれでした。父宗勝様からの縁談話をことごとくお断りしておりましたな・・・」

「そうよな。行衛・元秋と三人で日下山城へ遊びに参った折に、初めて会った重敬殿に接する行衛の憔悴しきった態度には驚かされたものよ。今から思えば、初恋の重敬殿に添遂げる事が、行衛の幸せだったのだろうな・・・」

「私も行衛様のように、殿に添遂げまする」と言って久(尼子新宮党当主の尼子誠久の息女)は、元清の肩に寄添う。

 そんな二人を他所に岩倉城下では、吉川勢撤退に沸いていた。


十二月に入り、年末を迎える岩倉城に佐治元徳が訪ねてきた。

「元清様、重敬・行衛様のお悔みが遅くなりました。信長様の所業が、側近の恐れを招きどうにも先が見えにくくなっております」

 思案顔の元徳に

「有岡城の荒木摂津守村重様は、城を出奔され行き方知れずと聞くが」

「信長様の自慢の英傑と言われた荒木様の謀反は、信長様のこれからの治世が危惧されます」

「信長様の所業はあまりに冷酷で、このたびの謀反で村重様の重臣・家族三十六人が見せしめのため京都六条ヶ原にて斬首されました。女子供も容赦なく惨殺されました」

「村重様の正室だし様は、切支丹信者でしたので城では自刃せず、六条ヶ原にて重臣家族と一緒に斬首されました。見るも無残な有り様に、見物人はこの世の地獄を見たと」

 聴いていた元清主従も、信長の所業には以前から危惧していた。

「羽柴様や明智様は、大丈夫だろうな。中国毛利攻めには両者が山陽路・山陰路から攻めねば山陰の吉川・山陽の小早川は崩せぬからな。我らも立ちどころに困るわ」

「羽柴様は、機転が利くお方で信長様のご機嫌を損ねても切換えしが速い。しかし、明智様は、何事も深刻に受止めるお方にて、村重様の謀反で嫡子荒木村次様に嫁がれたご息女は、離縁され坂本城へ返されております」

「危ういの。実に明智様は危うい」

 元清の独り言を聴いて、元徳は思い出したように

「実は以前、安国寺恵瓊様が小早川隆景様と歓談されていた時の戯言ですが」と言って恵瓊の信長評を伝える。

「信長は、高転びに転びける」と評されたのです。

 思案顔の元清主従を見て、元徳が

「高転びとは・・?信長様の治世は、長くは無いとの事かのう・・・」

 元徳の話で、上方の情勢に一抹の不安を感じた元清は

「明智様の所業を佐治衆配下に探索させてくれ。どうにも不安が頭を過る」

「成上りの羽柴様に比べ、明智様は足利将軍家との続がりが強い。天皇家の格式を第一に考えられるお方なので、信長様の古き悪しき物の破壊と創造には、堪忍の限界が来るやも知れず・・・」

 東伯耆の毛利侵攻を阻止するためには、羽柴勢の山陰侵攻が待たれる。ようやく丹波攻めも先が見え、羽柴秀長の因幡侵攻に着手した矢先に、元徳からもたらされた上方情勢を聴いて

「今更引返す事もできず、我らの命運は天のみが知るなあ・・・」と元清が呟き、毛利勢との攻防の長期化が禍にならないか危惧された。






 日下山城(清谷城)での壮烈な船越夫妻の死によって、先陣の杉原隊は栗尾村から羽衣石城背後からの急襲による作戦の実行に移る。

 杉原景盛には、高野宮城を夜襲した折の負け戦で、小鴨左衛門尉元清に退路を断れ東郷湖まで追いやられた側近の武将、横山弥八郎元盛の壮絶な最期が今も脳裏に残っている。

 この一戦は、南条家の守る羽衣石城落城をかけた大戦。山田世之助の案内で行軍する景盛は、数刻後の勝利の余韻に浸り、馬上でほくそ笑んだ。しかし事態は刻々と、黒川将監の描いた通りに進んでいった。

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