竹中半兵衛の書簡に「三年は固く城を守り、羽柴軍の到着を待って一大決戦を行う」と指示されていた。
元清主従は、南条家中での三老臣は、初戦からの籠城に反対を唱えるとを予想した。
山名・大内・尼子・毛利との戦いに参戦経験のある老臣と、この時が初陣で武勇に長けた南条右衛門尉元秋の一大決戦論が台頭する事を恐れた。
半兵衛の戦わずして敵を屈する戦術は、まさに風前の灯であった。元清主従の苦悩が始まる。
南条元続は、「杉原盛重の横暴に対する私闘」として吉川元長を通じて、毛利家総帥輝元へ使者の知足院を走らせた。
それに対し、杉原盛重は、南条家属将山田重直による「南条家謀反」の訴えを、吉川元春へ早馬にて知らせる。両陣営が、毛利家内での主導権争いを仕掛けていた。
元春にとっては、信長の草履取り羽柴秀吉が、播磨攻略で攻勢を強めている事にいら立ちを感じている時期でもあった。
盛重による「南条家謀反」の知らせは、元春の中国覇権に影を落とし、毛利家中で自身の威信が、損なわれる事を恐れた。
「こざかしい、伯耆守めが。吉川の血が流れているので、つい安心しておったわ」
元春の寵臣盛重は、元春が、毛利家中での主導権争いを、盤石なものにする絶好の機会と捉えた。
「東伯耆の南条討伐」は、一挙両得の策として自画自賛した。
元春は、盛重の知らせに「恩知らずの南条一族を討つ」の結論を出した。しかし、そこはさすがに元就の次男、状況をさらに見極め直には動かず、相手の出方を見極める。
「東伯耆の南条討伐をするには、先方が仕掛けて来てこそ衆知の事となる。盛重の知らせだけで動くのは早い」
と側近に、わざと漏らす。この呟きが、間接的に盛重に伝わると読んでの事。
五月に入っても盛重の元には、南条方の動く気配が伝わって来ない。
「相手が動かないのであれば、誘いの一手を打つか」と思案していた。
南条家では、竹中半兵衛の書簡が、元徳から元続と元清の手に渡っていた。
半兵衛の書簡には
「急いては、事を仕損じる。東伯耆の戦いは、短期決戦を避け、三年間は、城の守りを固め、軽挙に動かず、雌雄を決する戦いは、羽柴軍の因幡攻略を待つようにすべし。まずは因幡・伯耆一遠にて、米の買い占めを敵に悟られない様に行うべし。次に、東郷湖の湖水・沼地を利用し、大軍を局地戦に導くよう、地形を整えるべし。戦を長引かせて、織田方の攻勢を待つべし。兵糧・軍資金は行長を遣わすので、遠慮なく申し出るように」と要点のみ指示されていた。
東伯耆の戦いは、地形を熟知している南条方が、圧倒的に有利であった。
半兵衛が恐れていた事は、南条家中で、吉川の大軍に一大決戦を唱える者が出てくる事であった。半兵衛は、南条家中の三長老が、初戦でいきなり一大決戦を主張する事を恐れた。
元清は、歴戦の三長老の主張が、南条・小鴨家の運命を決めると思っていた。半兵衛の戦術に、従わせる事の難しさを予感した。
「左近。半兵衛殿は、南条家の弱点をよく分析しておられる。叔父上方は、初戦から籠城する事を受け入れないな」
「殿。ご三長老の方々は、山名・大内・尼子・毛利の攻防を戦った武将。某も、初戦から籠城戦術をとる事は、全くの論外と存じます。また他の重臣は、長老の言いなりですぞ」
聴いていた元亮が
「初戦の一大決戦は、もはや避けられません。ご舎弟の元秋様も、戦わずして籠城に、賛同される方ではありません。半兵衛様の戦術は、真っ向から潰されます」
頷く元清は、暗い顔をして
「我らは、初戦の一大決戦では、被害最小限で幕引き行う必要がある。我らが、半兵衛殿の戦術を生かさなければなあ。小鴨家だけであればなあ、何分難しい事よ・・・」
三人は、南条家中が、半兵衛の戦術通りに動かない事の愚かしさに無気力なった。
「殿。まずは、我らの岩倉城の防御を固めませんと」
元亮の言葉に、二人は賛同する。
「そうさな。岩倉城は大軍によって攻められると、守るには難しい城。城の前面は堀幅を広くし、攻城戦に備える工事を急がねば・・・」と言って三人は、家老の永原玄蕃と黒松将監を呼び出し、岩倉城の防御態勢を整えた。
五月の十一日、八橋城から二百の武装した集団が、闇を照らす月明かりの中出陣した。
「我らが先陣を切って、南条を討つ!」と杉原盛重の次男又八郎景盛が、出立の檄を飛ばす。
景盛を補佐する横山弥八郎元盛が
「景盛殿。羽衣石城の出城高野宮城を奪い、我らの武勇を元春公に示そうぞ」
「皆の者この戦いは、次の杉原家当主を決める大事な戦いぞ」
「おお・・。我らの景盛様が、杉原家の当主じゃ」と気勢を上げる。二百の兵は、暗闇に紛れ八幡の山田蔵人信直が待つ堤ノ城へ急ぐ。
杉原播磨守盛重には、二人の腹違いの息子があった。嫡男弥八郎元盛は、西伯耆の尾高城を守備し、杉原家嫡男として将来の杉原家を任される存在だった。
性格は、盛重には全く似つかず、穏やかな人柄であった。
一歳違いの次男又八郎景盛は、幼少のころから武芸に没頭し、盛重の荒々しい血を受け続ぎ、杉原家の次期当主は頼りない兄より我が身が適任との思いが強かった。
後に、この事が杉原家の家督相続を招き、杉原家の滅亡となっていくがまだ先の事。
八橋城を出立した二百の武装兵が、堤ノ城に入城したのが亥の刻(午後十時頃)。
堤ノ城の蔵人信直の兵が百名加わり、総勢三百の兵で高野宮城を目指す。
八幡村に潜ませていた、佐治源太の配下が慌ただしく動く。杉原勢の動きは佐治衆によって監視され、その動きは、随時岩倉城の元清へ急ぎ知らされた。
杉原勢が八橋城を出陣した情報を得た岩倉城の元清は、小鴨騎馬武者三百騎を招集し、杉原勢の退路を遮断すべく出陣の頃合いを待っていた。
打吹城下の道々は松明で明るく照らし、杉原勢の動きを待った。
岩倉城大手門前で元清が
「皆の者頃合いは良い。我らは、騎馬で杉原勢の退路を断つ。敵の首はいらぬ、同士討ちしないよう、逃げてくるものを討つ果たすように致せ。いざ出陣」といって三百の騎馬が、千坂峠に向けて暗闇を駆ける。小鴨の騎馬武者が、千坂峠に差し掛かったところで河村郡(湯梨浜町埴見村)高野宮城下に火の手が上がった。
高野宮城主の南条家老臣山田佐助は、杉原勢の夜討ちに備え、千坂峠下の長和田ヶ原に配下を三段構えにし、刈った葦藁に伏せさせていた。
千坂峠を越え、静まり返っている埴見村を観た猛将杉原又八郎影盛は
「敵は深く眠っておる。攻めて攻めて攻めまくれ。この戦勝ったわ」と言って全軍に突撃の命を下す。
さすが猛将杉原の手勢は、徒歩で一気に高野宮城下へ押し入り、各所に火を放つ。影盛と山田蔵人信直はこの戦「勝った」と思った。
その時、杉原勢の後方から火の手が上がる。山田佐助の伏兵が、長和田ヶ原に積み上げた葦藁に一斉に火を放った。この火の手を合図に、高野宮城の大手門が開き、城兵が雪崩を打って出撃した。その数五百以上。前面の杉原勢は大きく崩され、後方へ一気に退却を余儀なくされる。
この動きに乗じて山田佐助が伏兵に
「皆の者。打ち取れや、影盛・信直の首打ち取れや・・」と叫び十文字槍を持って一騎で突撃する。後に続けとばかり佐助の家臣は、逃げる杉原勢を正面から一人・また一人と打ち倒して行く。
長和田ヶ原は、火の手で赤く照らされ千坂峠の頂上で待っている元清には祭りが始まったように見えた。
「左近。長江城の元秋には、門田道から長江道に向けて逃げる信直・影盛を討ち漏らさぬようしかと伝えよ!」
「すでに元秋様・元周様の兵が門田村沿道を固めております。殿そろそろ、我らも長和田ヶ原に討って出ては如何です」と早瀬左近が催促する。元清の配下三百騎も、長和田ヶ原の火の動きを観て、勝ち戦と見えたのか皆が突撃の合図を待つ。武者の鼓動は高鳴り、馬は嘶き、呼吸は荒くなる。
「五平・佐助・弥助。まずはその方ら百騎で駆け下り、逃げて来る杉原勢を討ち果たせ」
と岩倉十二勇士で幼なじみの北村甚九郎・船原弥三郎・杉原善右衛門の三名に命じる。
「我らが遊び慣れた長和田ヶ原。佐助・弥助行くぞ」と甚九郎(五平)が声を上げ騎馬で駆ける。
続けとばかり三人の配下、百騎が千坂峠を一気に下る。
千坂峠を駆け下ってくる騎馬武者に退路を断たれ、逃げ惑う杉原勢に
「千坂峠から駆け下って来る武者はどこの手の者じゃ・・」
と景盛の怒号が飛ぶ。
「景盛殿。篝火に浮かぶ四方の旗指物は、丸に揚羽紋です」と横山弥八郎が叫ぶ。
「さては小鴨左衛門尉め、我らを囲み殲滅させる罠だったか。何と、浅はかだったわい」
「彼奴等は、我らの夜襲を先読みしての囲みじゃ。千坂峠はもう越えられぬ」
「皆の者。東郷湖を背にして戦うぞ、ここが最後の死に場所と覚悟をきめい!」と猛将景盛が奮起して、攻めかかる南条勢を打ち倒す。さすが、勇猛果敢で知られた杉原勢、どの兵も逃げる事はぜず、必死の形相で主君の影盛を守るため応戦する。
しかし、時間と共に次第に包囲網は狭まり、影盛・信直は東郷湖畔に追い詰められていく。攻めかかるとき三百を超えた兵も、夜明け前の寅の刻(午前五時頃)となって百名そこそことなった。東郷湖を背面に戦う杉原・山田勢は、背水の陣形で死にもの狂いの防戦をする。その時、数隻の小舟が湖岸に近寄って来るのが見えた。
「影盛殿。我らは川口刑部様の手のものでござる、はやく小舟に移られよ」
小舟には、五七桐の家紋指物が立てられていた。
「おお、これは救いの船かな。刑部殿の手のものか」
南条の追手が迫り、残党狩りのため葦原は焼かれ、絶体絶命の危機に救いの船二艘。
横山弥八郎が
「ささ、景盛殿・信直殿先に行かれよ。殿は我らが務める」と言って景盛・信直を小舟に乗船させ、自らは数名の兵を纏め、攻めかかって来る南条勢を押し返す。
乗船して、湖岸で戦う横山勢の奮闘ぶりを観た景盛が
「あっぱれ、弥八郎。死ぬなよ。生きて帰れ、生きてまた会おうぞ」と大声で叫ぶ。すでに猛将の面影はなく、景盛の目からは涙が止め処なく流れる。
横山勢は一人、また一人と打ち取られ、最後は弥八郎に南条の雑兵が群がる。
「敵の大将打ち取った!横山元盛が首、討ち取った」と夜明けの朝霧の中に、勝ち誇った声が高々に響く。
湖岸を走る騎馬武者が一騎、湖水に入り景盛主従の乗った小舟を追いかけようとする。
深みを恐れたのか、ゆっくり湖岸に引き返して行く。
「杉原の大将が、小舟で逃げるのか!猪武者の影盛か。はっはは!返せ。返せ」と言って景盛を罵倒する。
小舟の景盛は大いに悔しがり、騎馬武者に向けて
「その方、名を名乗れ。今宵は負けたが、次はその方と一騎打ちしてくれるわ」と言って持っていた槍を、湖岸の騎馬武者に向けて投げつけた。
「某は、南条右衛門尉元秋。いつでも待っておるぞ。逃げ足の速い景盛殿よ」とさらに罵倒した。
この戦いで影盛は、南条右衛門尉元秋の馬術に驚かされた。
「あやつは、湖面を馬と一体になって泳いでおるわ。乗船がもう少し遅れていたら、船ごとひっくり返され討ち取られていた事よ」
傍らで聴いていた山田信直が
「元清・行衛・元秋の三兄弟は、幼少の頃から松ヶ崎城にて小森和泉守に馬術・水練を習い、馬で東郷湖を渡った事があると聞いております。この度は、我らを深追いぜず、脅していたのでしょう」
「千坂峠での元清の布陣も恐ろしかったが、元秋の馬術にも肝を冷やしたわ」
「今後は、あ奴らとの小競り合いは辞めじゃ。大戦で勝負をつけてやるわ」と言って景盛・信直を乗せた小舟は、橋津川河口に向けて進んだ。
杉原摂津守盛重は「南条家謀反」を吉川元春へ注進する。元春は軽挙妄動をせず南条家の出方を待つよう指示するが、杉原又八郎景盛と山田蔵人信直は、夜陰に紛れ二百の兵で、羽衣石城の出城高野宮城を攻める。
杉原勢の動きは事前に察知され、高野宮城主山田佐助によって反撃される。夜が明け、南条伯耆守元続の直属八百騎が、山田出雲守の居城堤ノ城を攻める。
東伯耆の動乱の序盤戦が始まった。




