ミッション2 ドレスアップ
翌日、アリアにある部屋に案内された。
試着室なのだろう。色とりどりのドレスがいくつか並べられて、巻尺を持ったお針子さんやメイドさんが待機している。
それはいい。ただバケツに大量に生けられた薔薇が異様だ。
早速、きらきらした目のスズがライラの手を両手でがっちり掴んだ。
「手伝ってくれるの!? これで道連れが一人増えたわ。ふふふ」
ちょっと途中から黒い笑みに変わったような気がしたが、気のせいだろう。……たぶん。
出来る限り普段使いのドレスを着てくるように言われ、ドレスの中で姉から地味だと押し付けられたお下がりの灰色ドレスを着ていった。
「ダメ! そんな艶やかなドレスを使うなんて。水でびちゃびちゃになっちゃうのに勿体ない。おばさんのドレスのお古用意して。結婚式はピンクだったから赤で」
「えっ? びちゃびちゃ?」
一体何をするつもりなのだろか。
まさか、これは新入りの通過儀礼か何かで、頭からバケツの水を被らなければならないとか?
誰もその疑問に答えてはくれず、すぐに赤のドレスが届けられる。
『赤』……姉が好きな色だ。
スズに命じられたメイドはライラを頭を足の爪先までざっとチェックして――
「一部サイズに問題がありますが……」「分かっているわよ。そんなこと」
アリアが持って来た伯爵夫人が若い頃着ていたというドレスは、型落ちではあるが新品のように綺麗なドレスで、大事に手入れされていたことが分かる。早速それを着る……が。
「……サイズどう?」
スズが声を顰めて問う。
「ちょっと、胸周りに隙間が……」
分かりきっている答えを返し、ため息をついた。
「私のだとちょっと小さめだから、仕方が無いけれど詰め物して誤魔化そう」
「……後日採寸してからのほうが」
「本人がやる気になっている今やらなくていつやるよの。 ほら、今日を逃せば本当に逃げられるわよ」
お針子さんの提案をスズがばっさりさえぎる。
スズは貴族令嬢ではなく、獲物を捕らえた猫に見えるのだが、気のせいということにしておこう。
思わず勢いで手伝いを申し出た昨日の自分を殴……るのは、痛そうだから叱りたい。
針子さんやメイドさんがドレスの上に、もう一つドレス……花をぎっしり刺した(挟んだ?)穴あきドレスを装着してくれる。
「棘の少ない種類を用意しているから。でもちょっとでも痛かったら言ってね」
「は、はい」
「圧迫感とか大丈夫?」
「お……おも……」
ここに来てから、コルセットは着けなくてもいいと言われている。
一部学者がコルセットは内臓に悪いとかなんとか言っているらしい。
そんなことは初耳だが、苦しいものをつけなくて済むのならそれは喜ばしいことだ。
代わりにアリアから渡された簡素なコルセットもどきは花の刺繍とレースがあしらわれて、何より楽なので個人的には気に入っている。
が、このドレスはお腹への圧迫感の代わりに肩、背、腰と薔薇の重みに包まれる。
なんというか、コルセットと違う意味での拘束具?
「やはり最初は帯タイプの方がよろしくありません?」
ライラの様子を見たお針子さんが眉を顰めてスズに提案した。
「いや、これを着れるのは今と秋しかないのよ。 夏場は暑くて着れないんだから。 ナイラさん、子供やご婦人を見かけたら一本づつ抜いて渡してね」
「あの帯タイプって? いえ、決してこれが嫌とかそういうことではなく」
楽なのがあったら、ぜひそちらに……。
という言葉はなんとか飲み込むことに成功した。
「夏場に使う薔薇の帯ね。ドレスに斜めのラインを入れたり、襟や袖、裾を飾ったり」
説明を受けている間に、お針子さんの一人が灰色のドレスを検分する。
「せっかく生地がいいのに、このままでしたら少々使いにくいですね」
全身を覆う灰色のドレスはとても重苦しく感じるので、姉から譲ってもらってから今日まで一度だって
まあ同じ形のドレスなら他の色のドレスを選ぶ人が多いと思う。
「ちょっと手を入れてセクシーな感じに仕上げて見せますわ」
ドレスを持ったお針子さんがちらちらと古ぼけたノートを確認する。
ライラの視線に気づいたお針子さんが顔を上げた。
「ああ、これですか? 領主夫妻が若い頃に出会った異国の方が残したデザインで、もともとは子守の時にせがまれて描いたものだそうで……」
「アイディアまとめるのは後回しにして、集中して、花の残りをつけて」
「微調整の間、ご覧になられます?」
ノートの中身はお針子さんが言ったとおり、デザイン帳だ。
女性が、足が丸見えなスカートやら、足のラインが分かるすらっとしたズボンを履いている。
簡易コルセットもどきもデザイン帳に載っている。
デザイン帳に目を通していると、水と一口大のサンドウィッチを出される。
「結構体力と精神力を使いますので、今のうちに食べて置いてください。お花が潰れてしまいますので、椅子には座れませんが」
序々に重みを増すドレス。
あまり食欲が無いのだが、立ったまま楊枝に挿されたサンドウィッチを一口二口咀嚼する。
部屋にいるお針子やメイドたち総出で、すばやくドレスの穴の残りを埋め、ついでに髪も美しく結い上げ、真珠のピンをいくつか髪に挿して、仕上げに大輪の薔薇をサイドに一輪挿す。
「はい。これ」
スズから渡されたのは……
「霧吹きですか…」
「お花に元気なくなったら吹きかけてね」
「ふ、吹きかけてねって、びしょびしょになりません?」
「せっかく苦労して着たのにすぐ萎れちゃったら意味ないでしょ?」
「上のドレスの生地に油を塗っていますので、念のために火気には十分注意してください」
お針子さんの忠告はありがたく受け取っておく。
薔薇をたくさん挿している時点で余り火には近づきたくないけれど。
「ほんとーに良かったわ。スタッフが来てくれて。こんなくそ重いの長時間着ていられないし」
「次期伯爵夫人が……そこらの雑用と同じ扱い? 伯爵令嬢がなんてはしたない言葉遣い」
ライラがそもそも言い出したからには強く『否』とは言えないが、ナイラの侍女シグニが文句を小声で呟くくらいは仕方ないかもしれない。
「おほほほ。ごめんあそばせ。言葉が悪くって。大体おとんもおかんも農民で、伯爵令嬢でも何でもないんだけれど」
「おとん? おかん?」
聞いたことのない言葉に首を傾げる。
「両親ってこと。一応、おじいちゃんにお綺麗な言葉遣いは習ったけれど、めったに会わなかったし」
「「身内だけしかいない時でも最低限、品のある言葉遣いを心がけて下さい」」
アリアとシグニが同時に突っ込み、お互い顔を見合わせる。
スズはわざとらしく肩を揉み解し、首を軽く回す。
「分かっているけれど、肩凝るのよね~。ただ、蜂には気をつけてね」
「は、蜂?」
「まあ、ほとんど寄ってこないけれど、花を付けているからね。背後には気をつけて。無理に追い払おうとすると怪我しかねないから、ゆっくり離れるの」
ありがたい忠告をもらって、すべての準備が終わる。ついでに色とりどりの薔薇とパンフレットの詰まった花かごを渡されて、部屋の外に出た。
「あの、いつから?」
「……うーん。ちょっと前からかな」
そこには、恨めしいくらい涼やかな格好のレイがいた。
◇
「かわいいよ。御伽の国のお姫様みたいで」
おとぎの国のお姫様? 今、言われてもちっとも嬉しくない。
顔に出たのだろう。レイはびっくりした顔になり、スズがぷっと笑った。
「夏の熱気と薔薇からの目に見えない湯気でこのドレス着ているだけで、結構蒸すのよね。気分悪くなったら遠慮なく言って」
「ちょっと香りが」
「……服のほうは弱香性を使っているのだけれど。花かごのほうは結構香りが強いみたいね。今日は風も良く吹いているし」
棘を取ってるとは言え、ごつごつした茎の切り口が生地に当たって不快だ。
あんなに気持ちいい風と思っていたが、風に含まれる薔薇の香りとドレスの薔薇の香りの相乗効果でむせ返りそうだ。
薔薇の香りの充満したサウナで、お湯で湿った毛皮を着ている感じだろうか。
『お客様』をみつけたら、笑顔で薔薇とパンフレットを渡さないといけない。
心の中で呪文を繰り返す。
笑顔、笑顔、笑顔……えが……
……頭がぼんやりする。
この苦行はいったい誰が考え付いたのだろう。
「頭からバケツの水を被りたい気分」
うっかり言葉にしてしまって、慌てて口を両手で隠した。
「じゃあ、無理せず、城の周り一周して終わろうか」
レイの言葉にライラはほっと息をつき、スズが差し出してくれた扇で扇ぐ。
「春の舞踏会とか、毎年くそ重いドレスを着せられて、私たちの苦労も殿方にわかってもらいたいものですね」
「令嬢とか言う以前に女の子としてその発言はまずい。『とても』とか『すごく』とか、『大変』とか、いくらでも言い換えられるだろう? せめて『超』にしてくれ。
ああ、昔はドレスを着れて喜んでいたのに……」
「うっさい! この地獄ドレスを着たことないから言えるのよ」
「……いや、昔一度着せられた」
二人の息の合ったやり取りにライラは少々おいていきぼりをくらっている。
が、そんなことよりも熱気にやられて、うっかり転倒しないかの方が重要だ。
二人の会話を聞き流すことに決め、一歩一歩、足に力を入れて、慎重に歩く。
「ああ、あれ。おば様が面白がってドレス着せて、記念に画家に絵を描いてもらったら、知らない間に絵が出回ったの。『幻の令嬢』てね 一時期は、王子様の嫁候補に――」
『王子の嫁候補』の言葉にくらくらしていた頭が一瞬すっきりした。
「余計なことを言うなよ」
「うるさい! せっかく忘れてあげていたのに墓穴掘ったのあんたでしょ?
倉庫の隅に転がっていると思うけれど、見る?」
急に振られた提案にレイを確認すると、ふてくされてそっぽを向いている。
そっとスズに近づいて、扇で口元を隠しぽそぽそと告げた。
「レイ様のいない時にお願いします」
「聞こえているが」
今でさえ、中性的な顔立ちなのに、小さい頃はさぞかし似合っていただろう。
今でも、さほど背が高くないし、着れないこともないか。
ちょっと着せてみたいかも。
「何か言ったか」
「「いえいえ。何も言っていませんし、何も考えていませんよ」」
ライラとスズは声を揃えて笑った。
ドレスというよりテーマパークの着ぐるみ。