赤い瞳の少女
『魔女に呪いをかけられた王子。ゾンビになって姫食べた。はかなし王子、暗い森で姫を探している』
レペンス王国わらべ歌
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翌朝、案内された食堂は、一回り小さかった。
シャンデリアといったものは一切無く、テーブルの中心に小さな燭台が置いてあるだけ。
夏は日が落ちるのが遅いとはいえ……冬はこれだけでは厳しいだろう。
食事も結婚式前日と当日は豪華な物が出ていたが、今朝は普通の食事だ。
いや、ライラの実家よりか慎ましい食事だ。一家が着ている服は簡素な物に代わっていて、ライラが着ている普段着でさえ、浮いて見える。
伯爵家とはいえ、贅沢はできないのかもしれないが、テーブルからしてしょぼいのはなぜだろうか。
スープにパンにハム、トマト、レタス、チーズ、各種ジャム、ヨーグルト、目玉焼き。
好みの物をパンの上に載せていくようで「頂きます」と言った途端、リリーがこってりバターにブルーベリーのジャムと苺のスライス、蜂蜜入りヨーグルトをパンの上にあふれるほど載せて、満足そうに食べた。
ちょっとどういう味か想像できない。
レイはハム、レタス、トマト、チーズにゆで卵のスライスをバランス良く載せて、かぶりつく。
伯爵夫妻もめいめい好きな具をパンに載せ朝食を摂る。
みるみるうちに減っていく具材をぽかんと眺めていると、ライラの手元がまったく動いていないのに気づいたレイが声をかける。
「あー、一応、早い者勝ちだから」
貴族の朝食風景というより、大家族の朝食風景だ。
控えていたピンク髪の侍女が「お好みの物を言っていただければ用意しますが」と声をかけた。
「いえ、自分でできます」
彼らはフォークやら東方の箸やらを器用に使って、好みの具をパンに載せていく。
ライラは使い慣れているフォークとナイフで慎重に具をパンに載せていく。具を落とすことを恐れて、載せるものはレタスとハムとチーズだけにしたが。
「なぜ、こちらのお部屋でお食事を?」
元は使用人の食堂だろうに。
非難めいた雰囲気が出ないように注意しながら問う。
「あっちは基本、観光客用だから。頼めば割引利くから、そのうち食べに行こう」
「割引? あの……伯爵家の食堂ならお食事くらいもっと融通が利くのでは?」
経営しているのなら、お金払うなんてめんどくさいことをせずとも。
「ホテル側の経営者は別。ウエストレペンス観光協会ってのが管理していて、うちは場所を貸しているだけ。最初は無料でいいって観光協会から言われていたんだけれど、昨今、世間様は『賄賂だ。接待だ』って煩いからね」
「公私混同は良くない」
今まで、ほとんど無言だった伯爵が、ぼそりと呟く。
イリアがぷっと吹き出し、ライラも昨夜聞いた夫人との馴れ初めを思い出して、思わず笑みがこぼれてしまった。
伯爵は奇妙なモノを見るような目でこちらを見るが、すぐ逸らされる。
口は悪いが黒い噂とは裏腹に誠実な人かもしれない。
「マスコットキャラクターはクリーンなイメージが重要ってこと」
レイがおどけたように手を広げて言った。
ライラは仏頂面の熊のぬいぐるみを思い浮かべてさすがに耐え切れずに吹き出してしまった。
◇
初日は本当に門から、私室までの道しか通ってなかったし、昨日は結婚式で、考える間も無くあちこち移動させられた。
今日は城の中庭『冬の庭園』をのんびり回っている。
テーブルやベンチが点在していて、老夫婦が仲良くベンチで見事な庭を眺めているし、家族連れはテーブルで弁当を広げている。
この城は観光客に解放されていて、中流階級の者には手軽に貴族気分を味わえる避暑地になっている。
今時分は、薔薇が見ごろで、滞在者もとても多い時期なんだそうな。
「一番公私混同しているのは父さんなのになぁ」
レイがぽつりと呟く。
元は庶民だった父と人生の大半を貴族として生きてきた息子の感覚のズレと言ったところか。
腹を立てたというほどではないけれど、細かいところでしっくりこないようだ。
あまり興味はないが、愚痴を聞くのも、妻の役目だろう。(実情は婚約者の上、偽物だが)
「どういうことですか?」
彼は背後の城を見上げ話し出す。
「あまり、市政に口を挟まない父がどうしてもとこだわったのは城の修繕だったんだ。遠い親戚……前に言ったレイス家と市から多額の借金して……」
「レイス家と親戚だなんてやっぱり伝統あるお家なんですね」
レイス家の歴史は古い。学者の家系で、政治的には中立の事なかれ主義を通している。
当主の息子が、亡霊の生まれ変わりだとか訳の分からない罪で断頭台に連れて行かれそうになったのに、まったく助けるそぶりすら見せず切り捨てた話は有名だ。(後に濡れ衣と言う事で放免されたらしい)
彼らは政治の表舞台には立たず、何百年もしたたかに生き延び、“国”に根を伸ばし続ける。
抜けば、国が崩れてしまうほどに国の隅々まで根を伸ばしたその家と親戚だなんて、謙遜していてもよほどの名家なのだろう。
「遠いって言っただろ? 僕のおばの旦那さんの兄が養子に行った先が、レイス家。それも、当時、当主だった人の三男さんのところ。シャムローさんって言って、昨日の宴にもチラッと顔出してくれたけれど……」
今回の結婚式は大々的には宣伝されなかったが、滞在していた貴族からは宴の席で祝いの言葉をいただいた。
それも、結構な人数。入れ替わりたちかわりライラたちの席に挨拶に来て、『シャムローさん』が誰だか覚えていない。
「すみません。後でちゃんとお礼を……」
「いや、たぶん学生と一緒に泥まみれなはず……」
「泥まみれって」
彼が指差した先は山。小規模ながら棚田ができていた。少し離れたところでは、羊だか、ヤギだかの群れが草を食んでいるようだ。
「シャムローさんは農学者で、それなりの地位を築いているけれど、いくら親戚だからって、ただでお金貸してくれるわけじゃない。借金のカタに研究用の土地を貸しているんだ」
「それって担保ってことですか?」
ライラはどこからどこまでが借金のカタなのだろうかと見回してみる。
まさか本当に張りぼて貴族?
姉は下手したら借金まみれの所に嫁ぐことになるのだろうか?
「そんな青い顔しなくても大丈夫だからっ。城の修繕途中に第三宝物庫が無傷のまま見つかって、それを無償でレイス家に貸し出すことで、ほとんどチャラにしてもらっているから」
「はあ」
よく盗掘されずに、それも都合よく発見されたものだ。
「レイス家には、ウエストレペンス史の研究者もいてね。宝物の修復作業なんか嬉々としてやってくれる。この城が、息を吹き返したのも、レイス家のおかげだ。
それに高地での農業の可能性を広げることは、ウエストレペンス領だけじゃなく国全体の富に繋がる。
お互い便利だから、利用……協力し合っているんだよ」
レイス家とラハード家の繋がりはもう十分理解できた。姉への報告にも十分過ぎるほどだ。
これ以上、一度に聞いてしまったら姉に伝えきれなくなってしまう。
ライラは耳の端でレイの説明を聞きながら、見事な薔薇に意識を半分移していた。
薔薇には、品種名と強香、微香などと書かれたプレートが書かれているものもある。稀に『何の香りか当ててみよう』と書き添えられているものもある。
立ち止まって香りを楽しむが、昨夜嗅いだ薔薇の香りと違う。昨夜の香りより、甘ったるくどこかで嗅いだことのある香りだ。
レイも彼女が話題を変えたがっている事を察したのか、薔薇の話に移った。
「薔薇の時期、子供対象にクイズを出していて、全部当てられたら粗品がもらえるんだ」
「市民の皆さん、いろいろなアイディアを出されてるのですね」
客を呼び込むことにすごく貪欲なのですね、などと思ってしまったのは秘密だ。
「結束力は強いんだけれどね。
稼ぎ時が決まっているもんだから、修復の時も少しごねられて……。
『城の修復は大歓迎だが、薔薇の見ごろにかぶるのは、この町の収支に大きく響く』ってことで、冬の短い時間で一気に修理して、それが『一夜にしてぼろぼろの城が修復された』という噂の元になったんだ。
城をホテル化するのも、最初、貴族からは貴族の品位を貶めたとか、各旅館からは自分たちの客を奪う気かって反発あって。大体、ミスったら全部市民の税に引っかぶってくる」
愚痴だが、苦労話だかをライラは辛抱強く聴く。
『茨の城』は王領時代から、貴族の避暑地、薔薇の名所として有名だった。
もとから観光業で成り立っているここの住民からしたら、『伯爵』なんて『何か面倒なよそ者』だったはずだ。伯爵家も思い通りにならない領民に苦労したのだろう。
「だから、市民にホテルの運営を任せているんですね」
「ああ、自分も一口乗ったのなら、たとえ失敗しても不満が少ない。
訳の分からないまま税金使われて、借金ばかり背負わされるよりかは、ね。
大体本職じゃない人がホテルの経営なんて……伯爵だけでも勝手が違って大変だって言ってるのに」
市民にいくつかの条件をつけて安い賃料で部屋を貸し出し、後の経営はすべて観光協会とそれぞれの経営者に委ねる。
多少の内装変更はウエストレペンス伯爵と懇意の歴史学者の立会いの元、壁など、ウエストレペンスの歴史を傷つけない範囲で行われるらしい。
「それぞれ、趣があっていいよ。おとぎ話のような大鏡を設置しているところとか、タペストリーを壁一面に飾っている部屋とか、東方風や南方風の飾り付けをしている部屋もあるし」
「そうなんですか」
(大鏡は見てみたいかも)
そんな話をしているうちに人の少ない『冬の庭園』から、今一番の見ごろを迎え、人がさざめく『春の庭園』にたどりついた。
◇
冬の庭にもテーブルやベンチは置いて有ったが、春の庭園はテーブルもベンチも人の数もあちらの倍以上。冬の庭園より面積は広く取ってあり、咲いている薔薇の数も多いが、少々ごみごみした印象がある。
せっかくの薔薇は人垣に半分埋もれてしまっている。
冬の庭園にいた人たちは春の庭園の喧騒を嫌って、あちらでゆったり過ごしていたのだろう。
「ご成婚おめでとうございます」
『春の庭園』にたどり着くと、ウエイターらしき人が、カートをレイに渡した。
受け取ったレイは「ありがとう」と笑顔を返す。
「まさか、給仕をするんですか?」
「訪れてくれた人への、もてなしだよ。父さんは若い女性には近づけないけれど、リリー以外、暇を見つけては昔の王子様やお姫様の衣装を着て給仕をするんだ。今は時間ないから普通の服だけど」
客を呼び込むのに貪欲なのは市民だけでは無かったようだ。
「それって死霊王子と食べられた姫様に仮装してってことですか」
「ああ。一応ここはお化け屋敷じゃないから、ゾンビメイクはしないけれどね」
わらべ歌では死霊王子はこの城のすぐ南側の森をさ迷っているらしい。
今でも、この城では夜中にぽっと青白い光が浮かびあがるとかなんとか。
「その、伯爵的な仕事は?」
「うーん。他はどうか知らないけれど、この領地って、王領に守られているから、他領との小競り合いみたいなのは無縁だし、市の行政は市長と市議会で十分回っているから、たまに『勉強』と称して、各部署に抜き打ち監査やるくらい? 市民の愚痴を聴いて、王都では貴族達にウエストレペンスの薔薇を宣伝して……。後はちょっと大きな事業に関しては、市長からサインを求められたり」
「それって、伯爵の方がトカゲのしっぽってことですか?」
「責任の分散だね」
レイが苦笑いを浮かべる。トカゲの尻尾であることは自覚しているようだ。
「ご結婚おめでとうございます」「おめでとうございます」「花嫁さんきれいね~」
レイは「ありがとう」と返しながら紅茶を入れていく。
なんて腰の低い伯爵一家だろう。
「言ったろ。僕らはマスコットキャラクターだって。今頃、君の花のドレスに刺激されたお針子さんが新しいドレスをさっそく作っているよ」
花のドレス。あの花嫁衣装のことだろうか。あんなド派手な衣装を着て給仕。
頭を抱えていたとき、スズが庭に来た。
「いたいた」
『痛痛』に聞こえたのは、なんと言うか彼女はいろんな意味で『イタい』姿をしていた。
「私、向こう側やるから、レイ兄さん達はこっち側ね」
そういうスズは本物の薔薇のドレスに身を包んでいる。
彼女はずっしりと重そうなドレスの端を掴んで走っていった。
「あ……あれ、痛くないんですか?」
「一応棘はとってあるけれど、たまに引っかかることがあるって言っていたな」
そういえば、ウエストレペンス伯爵家の女性は舞踏会に薔薇のドレスを着てくると姉から聞いたことがあったが、薔薇のデザインのドレスや、アクセントに薔薇をつけているだけと思っていた。
まさか、生地に隙間なくバラを刺してあるなんて。
遠目で見ていると、スズはドレスの薔薇を一本引き抜いて子供に手渡していて、渡された子供はきゃきゃっと喜んでいた。
客を呼び込むのに貪欲なのではない。客を呼び込むためなら、なりふり構っていないのだ。
あの薔薇ドレスと花嫁衣裳どちらがましなんだろうか。
「まだ、花嫁衣裳の方が……」
「何か言った?」
「いえ……」
ひときわ可愛らしい少女が、独りテーブルにいた。
「はじめまして、お嬢さん」
白銀の髪にルビーのような赤い瞳。まさしく、『お人形みたいな』少女だ。
レイがお茶を入れ始める。と言っても、ティーポットから、カップに注ぎ込むだけだが。
「……たがう」
「たがう?」
相手の真意を伺うように少女を一瞬注視したレイはすぐに笑顔で問いかけた。
「ジュースの方が良かったですか、お嬢様」
十代前半と思しき少女は目を瞬かせ首を振り、紅茶に砂糖とミルクをたっぷり入れて飲んだ。
「おいしい。……昨夜のししむらやうろくずもとてもおいしかった、です」
「『ししむらやうろくず』?」
「気にしなくて良い、です」
少女はそれっきり無言で茶を飲み続けた。
◇
「あの子はここに来るのは初めてのようだけど、『クズ』って……」
あの後、数人にお茶を配ったレイ達はまたぷらぷらと散歩に戻っていた。
今朝の食事はともかく、昨夜お客様に振舞われた料理は豪勢なものだった。
あの銀髪の女の子は何が気に食わなかったのだろうか。
「レイ様。お時間です」
どこからとも無く現れたピンクの髪の侍女が本を手渡す。
「じゃあ、迷子にならなければ、空いている時間はどこに行ってもいいから。城下に行く時は護衛忘れずに」
「どこに行かれるのですか?」
「学校。明日は宝物庫に行こう」
そう言い置いて、レイは走っていってしまった。
残ったピンク髪の侍女に尋ねる。
「学校ですか?」
「大学で医学を学んでおられます。ほら、あの建物が大学です」
ピンク髪の侍女が指差した先には確かにひときわ大きな建物が建っている。
次期伯爵が、なぜ医学なのか。
領地経営など他に伯爵が学ぶべきものがありそうなものなのに、なぜ?
疑問を口にする前にピンク髪の侍女は、「私も次の仕事がありますので、後の案内は申し訳ございませんが、そちらの兵士が致します。準備が整いましたら、お声掛け致します」
と言ってさっさと城に戻ってしまった。
そう、数歩後ろにはライラの侍女が付いており、さらにその後ろ、距離を取って護衛しているのは、減給された兵士だ。
護衛があれだけ離れているのは、この城が安全だという表れなのだが、『準備』とはいったい何のことだろう。
◇◇◇
部屋に戻った赤い瞳の少女は、三十歳ほどの男に告げた。
「レイ・ラハードは違うみたい。アレスは黒。イリアはまだ分からない」
「そうか。でも見当違いって可能性も……」
「私は、本物を見ているの……。シャムロック・ラハードの指輪をアレス・ラハードが嵌めていた」
「宝物庫にたまたまあったってことは……」
「私は最期の王子を見ているのよ。違うことなく彼の末よ」
少女が感情の高ぶりを抑える様を見て、彼は少女を抱き寄せる。
「ああ。じゃあ、君の復讐をはじめよう」
彼は少女の銀の髪をといてやる。甘えべたな彼女は、ほんの少し眉を寄せたが、彼はガラスの菓子入れから取り出した少女の瞳と同じ色のドロップを彼女の口に運ぶ。
「本物の魔法とやらにどこまでやれるか分からないが、呪いの解除くらいは交渉材料に入れて見せるよ」
「本当に?」
かりっと、飴を噛む。