Episode01 温かな陽は、竹林へ沈む。
あなたの日々に、出会いはありますか。
これは、ある日の夕方の、ちょっとした奇蹟の物語。
「それじゃ、また明日ねー!」
反対方向へ去っていくみんなに手を振ると、私は自転車に跨った。
午後四時の夕陽に照らされて水色に輝く愛用の自転車は、心なしかちょっと汚れて見える。今朝泥はねしたせいかな……。家に帰ったら、ちゃんと拭いとかなきゃ。
もう一度、学校を振り返る。
「……忘れ物、ないよね」
脳内記憶に確認。OK。
右足で、アスファルトを蹴った。
私は、藤井芙美。
東京の中学に通う、十四才。
都の南の端を流れる一級河川、多摩川。雄大なその流れの畔に、私の学校は建っている。
私の家があるのはここから三キロくらい川を上ったところ、等々力っていう街。学校と家の間にはちょうどいい電車が走ってくれていないから、こうして自転車で河川敷の土手を走って通学する毎日だ。
そりゃ、重い荷物があったり疲れてる日は大変だし、自転車通学に嫌気が差したこともある。ぶっちゃけ何度も、途中で自転車を放棄してタクシーを捕まえたいって思った。だけど、総じて私は今のこの通学が大好きだ。
だって、毎日色んな人に出会えるもの。
色んな出来事に、出会えるもの。
学校から家に向かう夕方の多摩川河川敷で、私はよく変わった出来事に遭遇するんだ。
シチュエーションは色々。落ちてた樋口さん(五千円札)を拾おうとしたらスマホ落として画面が割れて、修理に五千円取られたり。ハチに付きまとわれて振り払おうと向いた先に、新しいケーキ屋さんが出来てるのに気がついたり。
何だかんだで、最後はプラスマイナスゼロに収まってしまうんだ。
最初こそちょっと不思議に思ってたけど、最近はもうすっかり慣れてる自分がいる。むしろ、「プラスマイナスゼロの法則」を楽しみにしてるくらいだったりして。
ほら、さっそく来た。
河川敷の土手下の道を走り始めて、わずかに三十秒。快走する私の目の前に、今朝にはなかった工事現場が姿を現した。
舗装の補修工事をしてるみたいだ。仕方ない。私は自転車を止めると、少し戻って土手上の道まで上る。
上る手間がかかるから普段はあんまり通らない、堤の上。綺麗な夕陽のせいか、背中が温かくなった。
「…………眩しいなー」
独り言を言いながら、私は振り返ってオレンジの球体を目を細めて眺める。竹林のように立ち並ぶ超高層マンションの間に、太陽がスリットのような光を放っている。ストーンヘンジみたいで、ちょっと、神秘的。
対岸の街・武蔵小杉には、ここ数年で目も眩むような高さのビルが何本も建った。おかげで普段見る景色が少し近未来的になって、私はそんなに嫌いじゃない。住みたいとは……思わないかな。あんまり。
人工の竹林に沈む夕陽に見蕩れながら自転車を漕いでいると、二人の男の人が望遠鏡みたいな大きさのカメラを構えているのが見えた。
横を過ぎる瞬間、こんな会話が聞こえてくる。
「六郷さん、こんな感じでどうです?」
「いや、もう少しアングルを下げたいな。上手く川面に反射するようにしないと」
「夕陽は厳しいですよ? 手前のビルが高いですし」
「いや、メインはあのビル群の方だから大丈夫だ」
新聞社の記者さんかな。
「見ろ、こんな感じに撮れたぞ」
「おー! 六郷さん、やっぱ構成上手いっすね!」
「夕陽に向かっての写真は得意だからな。あれって面白いぜ。逆光で生まれたシルエットは、普段なら見えないモノも映し出すからな。建物の上の構造物とか止まってる鳥とか」
へえ、そんなに見えるんだ。
砂利道を音を立てて走りながら、私はまた横を向いた。なるほど、言ってた通りだ。屋上につけられたレーダーみたいな棒とか梯子とか、昼間じゃ見えないような小さなモノが見える。
何だかちょっと、儲けた気分かも。
早速、プラマイゼロだ。
「今日は、これで終わりかな」
呑気に私はつぶやいた。
……油断してた。