キライキライもスキのうち
「え・・・」
「ごめん、そのチョコレートは受け取れない」
がらがらと体が崩れたような気がした。ポトリと落ちたのは昨日一生懸命作った歪なチョコレートか。
そのってなんだ。あんた他の女子からきゃいきゃい言われながらチョコを受け取ったのに私のは受け取れないのか。受け取れない理由があるのか。・・・私が嫌いだからか。
そういいたいのに口が震えて言えない。体が動かない。
なんか言わなきゃ。動かなきゃ。だって相手も困ってる。
口を開いて、声がうまく出なくて、馬鹿みたいに赤くなって。
「こっちもあんたにあげようと思ったんじゃないから!何思いあがってんの?」
最低な言葉を吐き捨てて私はその場から逃げ出した。
チョコレートも、あいつも置き去りにして。
スキがキライになった、高校二年生の冬。
その苦い記憶から10年たった。世間はバレンタインデー。相変わらずチョコレート会社の陰謀に振り回されてる人々はたくさんいるらしい。ここそこで同僚がきゃらきゃらと姦しく目当ての人に目配せなんかしている。いいから働け。
私はその光景を尻目に自分のデスクに腰掛け、パソコンの画面とにらめっこをしている。
30手前になって焦りがない、というわけではないが、このような行事ではもう痛い目にあっている。
ずずっと苦いコーヒーをすすって定位置からずれた眼鏡をぐいとあげる。
ここ最近パソコンの画面ばかり見ているせいか、視力が落ちてしまった。また眼鏡屋さんにいかないと。コンタクトは恐ろしくてとてもつける気にはなれない。
目が疲れ初めて私は眼鏡を取って目をこすろうとして止める。そうだ、ここは自宅じゃない。化粧をしているんだった。
かゆいところをこする誘惑を抑え、私は変わりに目を閉じた。ジワリと涙が出てきて目を癒そうと働き始める。ああきもちいい。
「せーんぱいっ 疲れました?疲れには甘~いチョコレートですよ?」
耳に甘い声が突き刺さった。そしてぷうんと匂うさらに甘いチョコレートの香り。目を開けると目の前に茶色いココアパウダーがまぶされた甘そうな生チョコレート。ご丁寧に可愛いプラスチックの楊枝までついている。パッケージは赤と茶色で高級そうだ。
世の女性だったら目を輝かせておいしそうとほほ笑むだろう。けど私にとっては目の毒でしかなかった。
「私、チョコレート嫌いだっていってるでしょ?いいからどけなさいよその箱。チョコレート臭い」
「それはあんまりですって。チョコレートの美味しさを知らないなんて人生の半分を損してます。ほら、これなんてわざわざ銀座までいって行列に並んで獲ったとっておきの生チョコレートですよ?ほらほらほら」
思いっきり渋い顔をしたのにチョコレートを近づけるのは私の高校の後輩にあたるらしい同僚の畑山だ。たまにこうやって私を先輩と呼ぶが絶対からかっている。
こいつが大のチョコレート好きで何かあると周囲にチョコレートを押し付ける。嫌いだといっている私にさえ容赦はしない。毎回撃退はしているが。
いい仕事をするのにこういうところがダメなんだろう、なかなかのイケメンなのに彼の周りに女の影はない。・・・遠くから見てるいじましい影はあるが。
「ええい近づくな!課長!課長!助けてくださいよ!セクハラですセクハラ!」
「またまた仲いいねぇ。おじさん嫉妬しちゃうよぉ」
「課長もうちょっと状況を的確に判断してください」
ほっほっと笑う課長は私のSOSなど気にも留めずにちょっと総務課まで行ってくるよと華麗にスルーなさりやがった。後でお茶がどうなっても知らないぞ。せいぜい思いっきり噴きだすがいい。
それはともかく今はこの状態をどうするかだ。やつはいい笑顔であーんと言いながら楊枝の先につけられたチョコレートを私の口に押し付けようとしている。なんという羞恥プレイ。職場でする行動ではない。というかその邪悪なものを私の口の中に入れようとするな!
誰か助けろ、と祈るような気持ちでドアの方に視線を動かすと見えた救いの神。
「畑山ぁ?なにやってんのあんた。私の木田ちゃんに手ぇだすんじゃないわよこのすっとこどっこい」
「げ・・・三島さん・・・」
「三島さぁん・・・」
「げ、じゃないわよ。何?また木田ちゃんいじめてたの?あーよしよし怖かったねえ人の嫌がることをやるなんて全く小学生かあんたは」
私は思わず救世主に抱きついた。私の頭を抱いてふん、と鼻を鳴らす三島さんは30越えでも独身でバリバリ働くキャリアウーマンだ。一般社員であるにも関わらず下手したら課長よりも権力はあるのかもしれない。
そのさっぱりとした性格は男女区別なく好かれ、頼られている。そして面倒見もよく、私もよくお世話になっている。その分呑みに付き合わされることが多いのだが。
そんな彼女の唯一の欠点はと言えば・・・
「今日もパッド・・・」
「木田ちゃぁん?ちょっとあとでお姉さんとお話ししようかしらぁ?」
「すみませんなにもいってません今日もスタイル抜群で!」
「よろしい」
恐ろしい笑顔を顔面に張り付けた三島さんはそういうとさあ仕事に戻りなさいと私の頭を小突いた。
そして課内を見渡して顔をしかめる。
「課長何処行った?」
「ああ、課長なら総務課に行くと言って出て行きましたよ?」
「逃げたかあの親父・・・!」
この書類に課長のサイン貰わないといけないのに!と三島さんは女性がするものではない物凄い顔で舌うちを撃つとむんずと突っ立っていた畑山のスーツの首筋をつかむ。
畑山は慌てて反抗するが、振りほどけない。
「ちょ、三島さん!何するんですかっていうか俺を何処につれていくつもりですか!?」
「決まってんじゃない、あの狸親父捕まえる旅にでるのよ。こんな美人と二人旅なんてそうそうないわよ?付き合いなさいよ!」
「いや俺はもうちょっとグラマーな方が好みでして・・・」
「なんか言った!!!?」
ひいいぃぃいってませんんんと売られる子牛のような目をして引きずられて行く畑山を私は笑顔で見送った。ざまあみろ。
さて仕事に取り掛かろうとした私はデスクに先ほどの生チョコレートが乗っているのをみてまた顔をしかめた。
我ながらずいぶん昔のことを女々しく抱え込んでいるものだと呆れるが、10年前のあの時以来私はチョコレートの甘ったるさを好ましいものには思えなくなった。
というかはっきりいおう。大っ嫌いだ。
この世の中で一番嫌いなものは?と聞かれたらチョコレートだと断言できる。
甘いものが嫌いになったわけじゃない。ケーキも好んで食べる。
そう、ただチョコレートが嫌いなのだ。チョコレートだったらカカオ85%でも100%でも駄目。まあそこまでいくと苦すぎて普通に食べられるものではないが。
だからこそ畑山の存在は憂鬱でもあり、憂鬱でもあり・・・憂鬱だ。
誰だって嫌だろう、とても嫌いなものを毎日毎日人の鼻先に持ってきてさあ食べろと急かされるのは。キレてもおかしくない。いじめなのか?と悩んでもいいころ合いだろう。
「・・・・・・」
そこまで考えて私はその生チョコレートの箱をぽいと畑山のデスクに放り込んだ。チョコレートは幸い零れることなくデスクに落ち着いたがココアパウダ―はそうはいかないだろう。綺麗に整頓されている畑山のデスクはうっすらと茶色に染まった。
わかってる。私が勝手に嫌っているだけでチョコレートは悪くない。世界中の人から愛されるチョコレートなら「嫌われてる?まあそういう人もいるだろうさハハっ」と懐深く許してくれるだろう。そんなチョコレートがいたらの話だが。
それに畑山もいらっとくることはあるが、本人には悪気はない・・・いや、あるな。
さっきチョコレート片手に迫ってきた畑山の良い笑顔はなかなか忘れられない。ネズミをいたぶる猫の様な、虫の羽をむしる無邪気な幼子の様な・・・Sだったのかあいつ。
そうじゃなくてえーと・・・なんか憎めない。そう、そんな感じ。本気で嫌だと言えば引きさがってくれるし。無理強いはしてないしたぶん。
・・・いやいやいやいやなんで畑山のこと自分で自分に弁明してるのよ私。
しっかりしなさいよ木田 美保!今先決すべきことはいかに迅速にこの仕事終わらせて今日の同窓会に出るかってことでしょ!?
時刻はまだ昼前ではあるけど、膨大な量の仕事は減りそうにない。頑張って定時に終わるか終らないかのどちらかだ。一応残業は免除されているが今日の仕事を明日に持っていくとつらいのは自分だ。それは嫌だ。もう徹夜できるほど若くはない。
でも今日の同窓会あいつも来るんだろうな・・・ふと思い出してタイプする手が止まる。
夕焼けの教室。嬉々としてチョコを受け取っていた顔が無表情に言った言葉。・・・思い出したくない。でも会ってみたい。その一念があって散々迷いながらも出席の文字に○を書いた。
友達に久々に会いたいのも本当。懐かしい面々と話したいのも本当。でも遠くから彼の姿をちらりと見てみたくって今日という日を憂いと期待 3:1で待ったのだ。
ああ女々しい。そんな気分を洗い流したくて苦いコーヒーをぐいっと呷おうとした・・・のだが、口の中に広がるあのさわやかな苦みが感じられない。
あれ?と思って湯のみの中を覗き込むと見えるのは白い陶器の壁に表面張力のためはりつく茶色い液体少々。どうやら考え事している間に全て飲み干してしまったようだ。
仕方ない、と私はデスクを立って課内に備えてある給湯室へと歩き出した。
「あ、木田さん」
「ん?あれ、斎藤ちゃん?何やってるのここで」
給湯室には先客がいてコーヒーを淹れていた。えへへ、と困ったように笑う彼女は斎藤 由美という隣の課の子だ。清楚で可愛らしい子で少し引っ込み思案なのが玉に傷。そんなところも可愛いのだけれど。
うちの課の給湯ポッドが壊れちゃって、とは言うがきっと畑山目当てだろう。さっき言っていた畑山を見守るいじましい影というのが何を隠そうこの斎藤ちゃんである。
「畑山ならさっき三島さんに連れられてうちの課長を探す旅に出かけたわよ?」
「いや別に畑山さんのことは聞いてなくって・・・!」
「本当課長ったらすぐどっかに消えて別の課また別の課って会社中歩き回るんだから・・・携帯も繋がんないし。あれ絶対面白がってやってると思うんだけどどうよ?」
「えーと・・・困った課長さんだね?」
斎藤ちゃんは真っ赤になりながらも首をかしげて見せる。ああかわいい。
うちの課の男どもが彼女が来るとはしゃぐわけだ。畑山だけは通常営業だが。あいつの目は節穴なんじゃないかとわりと本気で思っている。
つい抱きしめたくなる衝動を抑え、何事もなかったかのように私は会話を続ける。
「いいよねえそっちの課長は。有能で冷静。部下がミスしても綺麗にフォローしてくれるなんて理想の上司じゃない。私そっちに行きたかったー」
「表情があまり変わらないのがおしいけどね」
「そうそう、いやでも表情ころころ変わってコミュニケーション能力抜群でさらに有能だったら羨ましくって刺しちゃう人が多発するかもだからそれでちょうどいいかもしれないかも?そのクールなところがいい!っていう人もいるらしいしね」
「・・・課長人気だったんだ・・・」
「うん?まあ綺麗な顔してるしね。私は上司として欲しいけど」
ちゃっかり斎藤ちゃんが淹れたコーヒーを貰ってずずっと音を立てて飲む。ああ人に淹れてもらったコーヒーってなんでこんなにおいしんだろう。
コーヒーの余韻に浸ってる私を見て飲みすぎるとよくないよと可愛い注意をしてくる斎藤ちゃんにごめんごめんと謝りつつ、私は腕時計を見てゲッと声を上げた。
「やば、早く仕事やらないと!ごめん、斎藤ちゃん。私戻るね!」
そういいおいて湯のみと共に席に戻ろうとした私をせき止める、待ってという斎藤ちゃんの声。
何事かと振り返ると斎藤ちゃんが真っ赤な顔で上目づかいに私を見つめて来た。何という兵器。私じゃなかったら即死だぞ即死。主に鼻からの大量出血で。
斎藤ちゃんはそのままついっと目を逸らしながら震える唇を開いた。
「あの・・・ランチ一緒しません?」
YES以外の言葉を貴方は言えますか。いや言えまい。
昼休みになっても三島さんたちは戻ってこなかった。課長探しにずいぶん手間取っているのだろう。
自分のデスクを離れた私は隣の課で斎藤ちゃんを拾って地味だけどうどんがおいしいことで有名なそば屋に入った。
・・・そばも頑張れよ、と思うが主人が前勤めていたのがうどん屋だったというのだから仕方ない。
私は山菜うどんを、斎藤ちゃんは月見うどんをそれぞれ頼んでゆっくりとお冷を口に含む。
氷がはいっていないその水はそばやうどんを茹でるときにも使う名水だそうで喉腰がやわらかい。氷が入っていたらこの柔らかさも硬化してしまうだろう。主人がそれを考えて氷を入れていないのか、それともただの怠慢かは私には判断がつかないが。
斎藤ちゃんは先ほどからそわそわと鞄を抱えながら落ち着きなくあたりを見渡している。
うどんが来るまでの間に雑談を試みるが上の空でそうですね、と生返事をするばかりだ。
うどんが来てからもすするばかりで沈黙が痛い。けれど今までの経験から察するに色々考えをまとめている最中なんだろう。私はゆっくり待てばいいのだ。・・・いくら暇でも。
私が先に食べ終わって追加に頼んだ白玉あんみつが来てぱくついてからも沈黙は続いた。
斎藤ちゃんが口を開いたのは私が楽しみに取っておいた白玉を食べようとした瞬間だった。
「あの・・・」
「ん?やっと話す気になった?」
「うん・・・私、今日告白しようと思うの」
ポロリと白玉が気のスプーンから転げ落ちて器におさまった。なんだ私は昔から驚くと物を落とす傾向にあるのかってちょっとまて。
「告白?畑山に?」
「いや、は、畑山君じゃないから!」
「はいはいわかってるわかってる。え?なんで急に?」
わかってない、と顔に真っ赤にして口を尖らせながらも斎藤ちゃんは握りしめていた白い鞄から赤い包装紙に包まれた箱を取り出した。はいどうみても本命チョコレートです本当にありがとうございました。
「こんな行事のときでもないと、勇気だせないって思って・・・」
いくじなしだね、私、と真っ赤になりながら落ち込んだ様子の斎藤ちゃんを私は首を横に振って励ました。
「そんなことないって。斎藤ちゃんはもし振られても畑山のこと嫌いになんかならないでしょ?」
「だから畑山君じゃないって・・・」
だからこっちはもう知ってるって。OLの噂っていう情報網なめるんじゃないわよ斎藤ちゃん。
とはいえ否定する斎藤ちゃんがかわいいので口に出さない。
「少なくとも何かに当たるとかしないでしょ?」
「・・・人の迷惑になることはやっちゃいけないって言われて生きてきたからね」
「それで十分。勇気はあるよ」
私よりもよほどたくさん。
そうかな、と少し自信をもったような斎藤ちゃんにそうだよ、と頷き返して私は白玉をもぐもぐと頬張った。もちもちとした食感がおいしい。
会計をして店を出ると思いのほか寒く、ぶるりと震えた。
暖かいうどんを食べていたときにかいた汗も体温を下げることを協力してくれている。
斎藤ちゃんと二人して寒い寒いときゃあきゃあ笑いながら帰路を急いだけれど私の胸は冷たく凍えていた。
急に冷たい空気を肺に直接取り込んだのが悪いんだと自分に言い聞かせた。肺はじくじくと痛んでなんだか嫌な気分だった。
廊下で斎藤ちゃんと別れて課に戻ると三島さんと畑山が戻っていた。
課長はいない。まだ出ているのだろう。
いささかぐったりとしている二人に同情してコーヒーを入れてやる。三島さんは弱弱しい笑顔でありがとうとコーヒを受け取ってすすった。
「ねえ課長どこいたとおもう?あっちこっち渡り歩いて結局総務課にいたのよあの親父。そのあと追いかける私達の身になってほしいわよね全く」
「まあまだ近くてよかったじゃないですか」
「そうよね・・・ああ仕事やんなきゃ・・・」
ふう、と息をついた三島さんはごちそうさま、とカップをまた盆の上に置いた。そして伸びをするとパソコンに取り掛かる。
次に私がコーヒーを運んだのは畑山。コーヒーだけおいてさっさと三島さんのカップを洗おうと給湯室に行きかけたら服を掴まれた。ちっ
「何よ?」
「何よ?じゃありませんよせんぱい。俺のチョコレート、蓋閉じないでデスクに放置しないでください。お陰でデスクが茶色です」
「いいじゃないパソコンも書類もなかったんだから」
「そうですけど疲れて戻ったらデスクが茶色いって何の嫌がらせかと思いますって。雑巾で拭きとれるものだったから良かったですけど」
「まあまあコーヒーでも飲みなさいよ、ミルク入り」
「・・・ブラックで砂糖少々が好きなんですけど」
「気にしない気にしない」
恨めしそうに言う畑山をスルー・・・しようとしたけれど相手は結構手ごわかった。コーヒーを勧めてはみるが流されない。どうやらコーヒーの淹れ方を間違えたことで余計に機嫌を悪くしたようで、チョコレートも少し溶けてしまったなどとぐちぐちいってくる。ああめんどくさい。
「ちょっといい加減放しなさいって。これ洗って仕事に取り掛かんなきゃいけないんだってば。早く帰りたいし」
「・・・?せんぱいなんか予定ありましたっけ?」
「同窓会よ同窓会。高校の」
「ふうん」
ぱっと呆気なく服が放された。とめちゃってすみませんと顔をそむけて畑山が言う。
いつもだったら何か突っ込みそうなもんだけどはて?と思いながら私はさっさと給湯室に行って流しにカップを置いてきた。
どんまい、と三島さんの声が聞こえたが誰かがミスでもしたのだろうか。
私には関係ないことだろうと私はさっさとデスクに戻ってまたパソコンとのにらめっこを始めた。
5時。定時だ。どうにか仕事は終わって私はバタバタと帰り支度を始めた。早くしないと5時20分の電車に間に合わない。
「じゃ、先あがります!」
そう課内に声をかけるとあちこちにおーうやらお疲れーやらいう声が上がる。だが畑山の声はしない。自分のデスクで何か作業をしているようだ。
あの後畑山は私の仕事の邪魔はしてこなくて、そのおかげで随分早く終わったんだけれど・・・怒ってる?
さすがにデスクに生チョコレート放りこんだのまずかったかな、と思いながらも時間がないから扉を開ける。
すると目の前にいたのは斎藤ちゃん。危うく勢い余っておでこをこっつんこするところだった、あぶないあぶない。
「あ、木田さん」
「おっと斎藤ちゃん。ごめん私急いでるのじゃあね!」
そのまま駈け出した私に向かって斎藤ちゃんが頑張るから!と言ったのが聞こえた。廊下は寒い。また肺がじくりと痛んだ。
同窓会の会場は居酒屋だった。ほど暗い照明やらお酒やら味付けの濃い料理やらとなかなかに盛り上がり、みんな中々に楽しんでいるようだった。
「美保本当久しぶり!10年ぶり?」
「馬鹿。もうちょっと長いってねぇ?」
「本当本当。もうこうして会えるなんて思わなかったよー 美保呼んだ武田マジグッジョブ!」
「マジとか今の私達が使ってもアレだってー」
楽しそうに話すのは私の友人たち。もうお酒が回っているらしく、みな一様にテンションが高い。
私も席について今までの話に花を咲かせた。
私にも楽しくなる程度に酔いが回ってきたときにその話は突如として友人の口から発せられた。
「そうそう、美保知ってた?坂間ってさぁ」
「え」
どきっとして一気に酔いがさめた。10年前チョコレートを渡して振られた、ってことはばれてないはず。だって逃げ出したあのあと私は引っ越したのだから。
でもそのあと彼がどうなったのか知らない。
胸の鼓動をどうにか抑えようとしながら平然とどうかした?なんて聞き返す。予想してたのは彼が良い職についていた、とかもう結婚したとか。最悪病気にかかっているということぐらいのものだった。だからこそ次の言葉には目を開きすぎて落ちるかと思った。
「坂間って美保のこと好きだったらしいよ?」
「は・・・?」
意味がわからなかった。だって、彼は私のチョコレートを拒否したはずで。
あれ?
どういうこと?
「ん?美保?顔色悪いけど?」
「・・・ちょっと酔っちゃったみたい」
「やだ大丈夫?これから二次会行くらしいけどいける?」
「ううん・・・ごめん、帰るね」
ずきずきと痛み始めた頭を振って私は同窓会を抜け出した。
駅に行く途中、あまりの寒さに耐えきれずに暖かい飲み物を買おうと公園内の自販機に寄った。お金を入れてふと明るい光に照らされた自分の白い息を追った。
見上げた冬の夜空は綺麗で思わずほう、と息を吐いたその時待てよ木田、と私を呼ぶ懐かしい男の声があった。
記憶の中の彼よりも低い、でも彼の声。
振り返ると坂間がそこにいた。
「なんで・・・?」
「いや、佐藤たちから木田が帰ったって聞いて、慌てて追ってきた」
にしてもさっむいなーとマフラーに首をうずめる彼はちょっと年を取ってけれど面影は変わらなかった。
ほれ、と坂間は勝手にボタンを押して暖かいコーヒーを私に押し付けた。
「これじゃない」
「じゃあ紅茶か?」
「ほっとかりんれもんが良かった」
「相変わらず甘党だな」
くすり、と坂間は笑って長い指を出して今度は間違いなくほっとかりんれもんのボタンを押して私に差し出した。
私はほっとかりんれもんを受け取るとコーヒーを坂間に差し出した。
なんとなくそのまま近くのベンチに座って寒さを忘れたようにぼけっと並んだ。
「懐かしいな」
ふいに坂間が言った。
「まあ昔よくやってたね。つい寝ちゃったり」
「でつい真っ暗になるまで学校に取り残されて鍵閉められたっけ」
「そうそう、で先生に頼んで開けてもらって」
「怒られたよなー。なんでこんな遅くまでいるんですかって」
「しょうがないよねぇ寝ちゃったんだから」
二人してくすくすと笑ってふと沈黙が訪れた。
坂間が俯いて缶コーヒーをいじる。
「なんでなんも言わなかった?」
「引っ越し?」
「そうだよ」
ぶっきらぼうに坂間が言う。そしてまっすぐに私の目を見据えてきた。
暗がりの中の坂間の目は自動販売機の光を反射して危険なように思えて私はついと目をそらした。
「別に」
「別にじゃねぇよ。お前どれだけ俺が後悔したと・・・!!」
「だって!」
声を荒げた坂間を制すように私も鋭い声をあげた。
そんな坂間を見たくなかった。なんて我がまま。
それに
「・・・言えるわけないじゃない」
「なんで」
「あんたに言えるわけないじゃない。否定されちゃったんだから」
「は?否定?」
「チョコ、いらないっていった!」
子供のような言い方だと分かっている。子供の喧嘩のような理由だと分かっている。
けどその言葉は充分私を傷つけた。一番好きだったチョコレートが嫌いになるほどに。一番好きだった人から遠く距離をとりたくなるほどに。
10年という長い年月が経たなければきっと坂間と会うことなんてできなかった。
坂間は私を覗き込むことを止めてそれは悪かった、と呟いた。
私は目を開きすぎて涙がぼろぼろ出てきた。冬は乾燥している。
坂間が黙ってティッシュを差し出してくる。ここはハンカチだろ、と突っ込みたいがあまりの坂間らしさに私は少し笑ってしまった。
「しょうがないだろ、俺はチョコレート食べられないんだから」
「は?あんだけ他の女子からチョコもらっておいて?」
「あれは兄に、って奴だったからいいんだよ。知ってるだろ?俺の兄貴。生徒会長ですごくモテてた」
「え、あれ坂間の兄だったの?」
「・・・知らなかったのか」
坂間は複雑な顔をした。で急にはは、と笑いだした。
「なんだよ。あれ、兄貴宛じゃなかったのかよ・・・」
「は?え?どういう意味?」
「察してくれよ。自分でも恥ずかしいと思ってるんだ」
「ごめん私どっちかというと馬鹿だから」
「試験の前はヤマ掛けてたしな」
「そうそうだから答え教えてよ」
坂間は勝手に自分で考えろと言って伸びをした。
考えても分からないから聞いてるのに、と私は唇を尖らせた。
坂間はそんな私の姿を見て笑って思い出したように鞄の中から白い封筒を出した。
「そうそう、これお前に渡そうと思ってたんだ」
「何よこれ」
「結婚式の招待状。俺のな」
「へぇ」
「なんだ、おめでとうっていってくれないのか?」
「はいはいおめでとうおめでとう。相手は?」
「会社の同僚。いい娘だよ」
「ふうん・・・式の日が楽しみだわ」
「おう、楽しみにしとけ。せいぜい楽しませてやる」
にやりと笑う坂間。意外なほどに痛みはなかった。そのことが嬉しくて、私は悪戯っぽく笑って冗談として坂間に聞いてみた。
「ねえ、私のこと好きだったって本当?」
坂間は一瞬キョトンとしてこちらは悪戯がばれた子供のような顔をしててれ隠しに笑っていった。
「5年前までな」
送るという坂間の提案を彼女が妬くじゃない、妬かれるのはごめんよ、といって追い返した。
人通りがあるところだったし、最寄り駅まで何事もなくついた。
あとはタクシーを拾って帰るだけだとタクシー乗り場に向かっていた時だった。急に腕をひかれた。
すわ、人攫いかと怯えながら振り返るとそこにいたのは畑山。
何とも言えない顔で私をつかんでいる。
人攫いじゃなかったことにほっとすると畑山に不信感が湧いてきた。
「なんで私の最寄り駅にいるのよ。ていうか痛いいたい!放してって!」
「・・・会ったんですか」
「はい?」
私は眉をしかめた。今日だけに関わらずいろんな人に会っている。主語を外されると何を言いたいのかよくわからない。
もう一度聞き返すと畑山は表情を固めたままで硬質な声を出した。
坂間先輩に、会ったんですか
私は会ったわよ、と答えた。同窓会なんだから昔の同級生に会うのは当たり前でしょ?と。
途端に私を拘束する畑山の手がだらんと外れた。意味がわからない。
と、そうそう、畑山に渡すものがあったんだった。
そう私がいうとぴんと畑山が固まった。やっぱり意味がわからない。
そして私が鞄から取り出したのは白い封筒。私も坂間から貰った結婚式の招待状だ。
坂間から、といって渡すとちょっとしょげてでも素早く封筒を開けて中の内容を流し読みした。
・・・なんでいつもどおりになってんのこいつ。
やっぱり畑山はよくわからない。なんで斎藤ちゃんはこんなのが好きなんだろうか。
そういえば斎藤ちゃんはどうなったんだろう。慌ててメールの有無を確認してみる。
・・・あった。斎藤ちゃんから一通。
件名はやりました!で可愛い絵文字。どう見ても成功したとしか思えない。
ぞく、と肺がまた痛くなった。急にいっぱい冷たい空気を肺に入れすぎたんだろうか。
寒さで震える手でメールを開くと可愛らしい絵文字に囲まれて課長と付き合うことになりました!という喜びのメッセージ。
目が一瞬点になったのを感じた。
「も、もしもし斎藤ちゃん?今メールみたんだけど!」
『あ、木田さん!そうなんですよOKくれました!もう嬉しくて私どうしたらいいか・・・』
「おめでとう!・・・っていうか相手がそっちの課長って今初めて知ったんだけど!」
『だから畑山君じゃないって何回もいったじゃないですかー!』
「いや噂でそうなってたからてっきり・・・」
『木田さんは私と噂どっちが大切なんですかもう!』
「わわわごめん!あと明日詳しい話おねがい!」
『もう・・・ こちらこそ話したくて話したくて!明日またお昼一緒にしましょう?』
「うん!ぜひ!じゃあね!」
ブツッと通話を切ると目の前にいるのは怪訝な顔をした畑山。そういえばこいつはなんでココにいるんだろう。
そんな私の感情を感じ取ったのか、畑山はちょっと気になってですね、と拙いいいわけを始めた。
まあいいか。今の私はちょっと気分がいい。
「ねえ、そこに美味しいって評判のチョコレート屋があるんだけど明日行ってみない?」
「え・・・?ああはい、ぜひ!」
ちょっと遅いけど義理チョコでもあげようか。