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『オークに転生した三つ星料理人、異世界で究極の美食を極める〜過労死シェフは料理の知識で魔物の森から成り上がる〜』  作者: 烏丸ぽっぽ


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第17話「魔法の弊害と苦しい言い訳」


 王都の外縁部に広がる貧民街スラム

 そのさらに奥深く、陽の光すらまともに届かない入り組んだ路地のどん詰まりに、ブオーノ商会が密輸用に使っていた大型の隠し倉庫があった。


 埃とカビ、そして古い木材の匂いが立ち込めるその暗がりの中で、俺は巨大な麻のほろを頭からすっぽりと被り、息を潜めていた。



「——ただいま戻りましたわ、レン様」


「なぁ、レン! すっげえ人だったぞ! 建物も馬鹿でけぇし、そこら中からいろんな匂いがするんだ!」



 ギギィ……と立て付けの悪い扉が開き、外套のフードを深く被ったリルとルッカが帰還した。


 王都の地下闘技場跡地で開かれるという『闇のオークション』の開催は、明日の夜。

 残された時間はあと一日しかない。


 四メートルを超える緑色の巨体を持つ俺が外を歩けば、秒で王都の騎士団に包囲され討伐対象になる。

 そのため、人間の姿へと変貌した二人を「傭兵」として街へ送り出し、情報収集と当面の食料の買い出しを任せていたのだ。



「ご苦労だった。誰も尾行してきてないだろうな?」


「はい、複雑な路地を三周ほど回ってから戻りました。

 それにしても……人間の街というのは、想像以上に騒がしく、そしてひどく淀んでいますのね」



 リルが外套を脱ぎながら、ふぅと疲れたようなため息を吐く。

 ルッカも耳を塞ぐような仕草をしてウンウンと頷いた。


 森の澄んだ空気に慣れた彼女たちにとって、生活排水と欲望が入り混じった王都の空気は息苦しいのだろう。



「それで、買ってきたぞ! 人間の飯!」



 ルッカがドンッと木箱の上に紙包みを広げた。

 中から出てきたのは、王都の平民たちが立ち並ぶ屋台で買ってきたという「串焼き肉」と、丸い「ライ麦パン」だった。



「人間の飯ってどんな味がするんだろうな! オレ、腹ペコで死にそうだったんだ!」



 ルッカが目を輝かせて串焼き肉に噛み付き、リルも上品にパンを千切ろうとする。

 その石のような硬さに少し戸惑いながらも、なんとか小さく齧り付いた。


 だが——次の瞬間、二人は全く同じタイミングで顔をしかめ、硬直した。



「……っ!? か、硬い!

 なんだこれ、外側は焦げてて苦いのに、中はゴムみたいにぐにゃぐにゃしてるぞ!?」


「こちらのパンも……なんとか噛み千切れましたが、ひどく粉っぽくて、酸味ばかりが口に残ります……」



 二人は涙目になり、必死に咀嚼して飲み込むと、深いため息をついて食べかけの飯を木箱に戻した。



「貸してみろ」



 俺は幌の下から太い腕を伸ばし、その「人間の飯」を手に取って匂いを嗅ぎ、断面を指で裂いてみた。


 ——最悪だ。

 三つ星シェフとしての俺の眼が、瞬時にこの料理の「死因」を特定した。


 まず肉だ。表面は真っ黒に焦げているのに、中心部分は冷たくて完全に生焼けのままだ。

 薪や炭の火でじっくり焼いたものではない。

 手っ取り早い『火魔法』の強火で一気に焼こうとして、表面だけを炭化させてしまった結果だ。


 肉のタンパク質が旨味に変わるメイラード反応も、肉を休ませて中心まで熱を通す技術も一切無視されている。

 これでは腹を下しても文句は言えねぇ。


 そしてパン。

 カビ一つ生えていないが、異常なほど硬く、小麦本来の甘みや酵母の香りが完全に死滅している。

 おそらく『保存魔法』の類をかけられているのだろう。



「……なるほどな。魔法が便利すぎるせいで、料理への探求心が完全に死に絶えてやがる」



 俺はギリッと牙を噛み鳴らした。


 この世界には、魔獣の肉や魔素を帯びた植物など、そのままでは毒や強いアクがあって食べられない食材が多い。

 だからこそ人間たちは、複雑な下処理や火加減を学ぶよりも、「火魔法の超高温で一気に殺菌する」「保存魔法で劣化を強引に止める」という、手っ取り早く安全を確保できる魔法の力に過剰に依存してしまったのだろう。


 その結果がこれだ。

 食材が腐らないのは便利だが、それは同時に「発酵」や「熟成」といった、微生物の働きによって旨味を深めるプロセスをも停止させてしまう。


 王都の平民の食文化は、俺が森で作っていた野営飯の足元にも及ばないレベルで停滞していた。



「うぅっ、飲み込むのがしんどいぞ……。

 これじゃ、ただお腹を膨らませるだけの塊じゃないか。オレ、王都の飯にはがっかりだ……」


「ええ……。こんなものを毎日食べている人間の方々が、少し可哀想に思えてきましたわ」



 腹を鳴らしながらしょんぼりする二人を見て、俺は短く息を吐き、立ち上がった。



「明日の決戦の前に、こんな飯を食わせるわけにはいかねぇな。少し待ってろ」



 魔法に頼り切ったこの街の粗末な飯を、俺の「技術」で叩き直してやる。


 この密輸用倉庫には、かつて見張り番が煮炊きに使っていたと思われる古い鉄鍋と、かまどの跡が残されていた。

 俺はそのかまどに瓦礫を組み直して補強し、持参していた薪で『魔法ではない本物の火』を起こした。


 買ってきた串焼き肉から焦げた部分を手で削り落とし、生焼けで残った中心部分の肉塊を、倉庫の隅に転がっていた手頃な木の棒(すりこぎの代わり)で徹底的に叩きのめした。

 硬い筋の繊維を物理的に破壊し、肉をミンチ状のペーストにしていく。


 鉄鍋を火にかけ、持参していたイノシシの脂を落とす。

 そこに叩き潰した肉、森から持ってきた『火生姜』と『バラニンニク』を放り込み、弱火でじっくりと炒める。

 魔法の爆炎ではなく、ジリジリと底から温めるような繊細な火加減だ。


 鍋底に肉の旨味が茶色くこびりついた(シュク)ところで、水と少しの香草を加え、木べらで削り落とすようにデグラッセ(焦げの旨味を水分に溶かす作業)を行う。

 たちまち倉庫の中に、食欲を暴れさせるような濃密な肉の香りが立ち込めた。



「す、すっげえ匂い……! さっきの生焼けの肉から出てる匂いとは信じられないぞ!」



 ルッカが尻尾を振って鍋を覗き込む。



「仕上げだ。この石みてぇに硬いパンは、今のままじゃ食えたもんじゃないが……見方を変えれば、極上のスープを最後の一滴まで吸い込む『最高のスポンジ』になる」



 俺は硬いパンを無造作に砕き、グツグツと煮立つ肉汁のスープの中に放り込んだ。

 パンがスープを吸ってトロトロに煮崩れていく。

 最後に塩で味を調え、旨味の塊となったパン煮込み——『パナード』を完成させた。



「食ってみろ」



 熱々の木皿を受け取った二人は、フーフーと息を吹きかけてから、木のスプーンでそれを口に運んだ。



「————っ!!」



 ルッカの目が限界まで見開かれ、リルの肩がビクッと跳ねた。



「あまっ! じゅわぁってしてる!

 お肉の旨い汁を限界まで吸い込んだパンが、口の中でトロットロに溶けていくぞ!

 さっきの石っころみたいなパンが、なんでこんなに優しくて深い味になるんだよぉぉっ!」


「……っ、美味しい……。

 生姜とニンニクの香りが、肉の臭みを見事に消し去り、底なしのコクに変わっています。

 お腹の底から、ぽかぽかと温かい命の熱が広がっていくようですわ……」



 二人は涙目で鍋を囲み、あっという間にパナードを平らげてしまった。


 魔法など一切使わない。

 食材の特性を理解し、火加減を操り、欠点を利点に反転させる。

 これこそが、料理人が積み上げてきた「技術」の結晶だった。



「さて、胃袋に熱を入れたところで明日の作戦会議だ」



 俺は空になった鍋を横に退け、二人に向き直った。



「街で聞いてきた『闇のオークション』の噂話だが、何か収穫はあったか?」



 リルがスッと表情を引き締め、首を横に振った。



「それが……闇の競売というだけあって裏社会の人間はひどく口が硬く、闘技場跡地の地下への侵入ルートなどは一切聞き出せませんでした。

 ただ、あの場所で開かれる『表向きの催し』については分かりましたわ」


「表向きの催し?」


「はい。闘技場跡地の地上部分では、王都の有力貴族が主催する『大剣闘祭』が開かれるそうです。

 王都を熱狂させる『新たな闘技時代の幕開け』という名目で、各地から屈強な剣闘士や魔物が集められているとか。

 そのため会場の周りには高い壁が築かれ、警備の騎士も厳重に巡回しているようです」


「オレもだめだったぞ。でも、市場の商人たちがプンプン怒ってたんだ。

 その剣闘祭の晩餐会に使うためか、王都中の高級な肉とか珍しいお酒とかが、ある場所に向けて根こそぎ買い占められてるって。

 北の霊峰で獲れた『飛竜ワイバーンの肉』とかなんとか言ってた。

 あと、でっかい荷馬車が何台も、闘技場跡地の方へ向かっていくのを見たぞ」



 その言葉を聞いた瞬間、俺の料理人としての経験と記憶が、散らばっていた情報を結びつけ始めた。


(……剣闘祭か。

 表で血生臭い娯楽に熱狂しているその足元で、本命の闇のオークションを完全に閉ざされた地下で開く。

 貴族どもが一堂に会するには、これ以上ない完璧な隠れ蓑だな。

 そして、大量の高級食材の買い占め)


 俺は豚鼻を鳴らし、ニヤリと笑った。



「……なるほどな。抜け穴の場所がわかったぜ」


「レン、どういうことだ?」


「いいか。いくら表向きを『大剣闘祭』と偽って情報を統制しようと、王都の貴族どもが一堂に会するなら、そこには必ず血の興奮を満たすための『超大規模な晩餐会』がセットになる。

 情報や人の口に蓋をすることはできても、何百人もの胃袋を満たすための膨大な食材の物理的な流れまでは完全に隠蔽できねぇんだよ」



 俺は懐から、あのマルコから奪い取った『積荷の証明書』を取り出して指差した。



「大量の高級食材が動くってことは、それを運び込む巨大な搬入口と、魔物を丸ごと捌けるサイズの『厨房』が存在する。

 俺が使うこの証明書の品目は『森王兎グラン・ラビット』だ。

 俺は自ら分厚い布を被せた檻に入ったまま、晩餐会のメインディッシュの希少食材として、巨大な厨房の食材保管庫に堂々と納品される」


「えっ!? 厨房に運ばれちゃったら、レン、料理されちゃうじゃないか!」


「馬鹿言え。ただの鉄格子なんか、俺の腕力ならいつでもへし折れる。中に入っちまえさえすればこっちのモンだ」



 厳重な会場の警備兵の配置を探るより、食材の流れに乗って内部へ侵入する。

 これこそが、四メートルの巨体が怪しまれずに敵の中枢へ入り込む唯一にして完璧なルートだった。



「ですがレン様、私たちはどうやってエルフの方々が囚われている地下牢へ?」


「ルッカ、お前が持ってる『魔物の名残』を利用するんだ」



 俺は、ルッカの腰の後ろで揺れている「尻尾」を指差した。



「お前は、人間の姿でありながら魔物の特徴を残した希少な亜人種……マルコが隠し持っていた『目玉商品』だ」


「オ、オレが商品になるのか!?」


「そうだ。そしてリル、お前はマルコに雇われた護衛として、縄で縛ったルッカを商品保管庫(地下牢)へ納品しろ。

 『この商品は極めて獰猛だから、競売まで私が直接手綱を握る』とでも言って、そのままエルフたちのいる地下牢に潜り込むんだ」



 俺の提案に、リルがハッと息を呑む。



「お前たちは内側から、俺は厨房から。それぞれ別方向からオークション会場の心臓部を食い破る。リル、これを持っていけ」



 俺は皮袋を一つ、リルに放り投げた。



「それは俺が持てるカロリーを極限まで凝縮させて作った携帯食ペミカンだ。

 地下牢のエルフたちは、ろくな飯も食わされずに衰弱しているはずだ。そいつを食わせて、逃げるための体力を回復させておけ。

 俺が厨房から『合図』を出したら、お前たちが牢破りを決行してエルフたちを導け」


「……承知いたしましたわ。この命に代えても、必ず皆様をお救いします」



 リルが皮袋を胸に抱き、力強く頷いた。

 これで盤面は整った。俺の料理人としての逆算が、完璧な潜入ロジックを組み上げたのだ。


 ——だが、盤上を支配していると思い込んでいた俺には、一つだけ致命的な「誤算」があった。




 同じ頃。

 王都の正門にそびえ立つ監視塔の執務室。


 豪奢な銀色の鎧に身を包んだ騎士団の幹部——レオハルトは、机の上に広げられた過去の通行記録と、部下から上がってきたスラム街の偵察報告書を鋭い眼光で睨みつけていた。



「……スラムの隠れ家に向かった形跡はあるが、中に積荷やマルコの姿はない、か。

 やはりな。ブオーノ商会のあの馬車、完全に偽装だ」


「隊長、あの商人たちの手形に不備でも?

 しかし、熟練の門番たちが本物の手形を見間違うはずがありませんが……」



 傍らに立つ副官の問いに、レオハルトは静かに首を振った。



「そうか、お前はここに配属されたばかりだったな。

 ブオーノ商会のマルコという男は、数ヶ月に一度、定期的に『森王兎グラン・ラビット』を通している。貴族様に納品する大切な獲物なんだ」


「森王兎……。では、あの積荷の証明書は本物で……?」


「ああ。無知な門番どもは、大商会の特級品という名目に気圧され、中身を検めて責任を問われるのを恐れたのだ。

 『非常に獰猛で繊細な魔物だから布をめくるな』などと脅されれば、下っ端には手出しできまい」


「なるほど……」


「だが、だからこそ妙なのだ。

 マルコは警戒心の塊のような男で、特級の品を運ぶ時は必ず直々に対応する手筈になっている。

 それも、わざわざ隊長であるこの私を指名して、確実に門を通過させるほどにな。

 ……だが今回、馬車を御していたのは見ず知らずの小娘二人だけだった。

 手形も証明書も本物……つまり、マルコの身に何かが起きて、馬車と身分が奪われたということだ」


「なっ……! では、すぐにスラムの隠れ家や周辺に討伐隊を向けますか!?」



 レオハルトは剣の柄に手をかけ、冷徹な声で命じた。



「いや、お前たちは待機しろ。

 ……私の直属の密偵(腹心)のみを動かし、奴らを尾行する。不審なネズミどもは、私が確実に捕縛する」



 俺の「完璧な潜入」は、名乗る前からすでに、王都の鋭い牙に捕捉されていたのだ。




 翌日の夜。

 王都の闘技場跡地は、表向きの催しである『大剣闘祭』の異様な熱気に包まれていた。


  地上にそびえ立つ巨大な石造りのコロッセオは、強力な光魔法によって真昼のように明るく照らし出され、夜空にその威容を誇示している。そこからは、鋼がぶつかり合う甲高い音と、血に飢えた観客たちの熱狂的な歓声が、その魔法の光と共に夜空に向かって轟いていた。



 だが、計画通り俺たちの乗った密輸馬車は喧騒に沸く表通りを避け、厳重に人目を避けられた裏手の地下搬入口へと到着した。

 闇のオークションは、その闘技場のさらに奥深く、完全に外界から遮断された広大な地下空間で行われるのだ。

 

 護衛を装ったリルが、極太の麻縄で縛られたルッカを引き連れて地下の受付へと向かう。

 受付に立つ下働きの役人は、ルッカの腰で揺れる「尻尾」を見るなり、下劣な笑みを浮かべた。



「素晴らしい……亜人の生き残りか。さすがはマルコ殿、最高の目玉商品だ。

 さあ、そこの傭兵。商品は我々が預かろう」



 役人の合図で、筋骨隆々の警備兵たちがルッカの縄を引こうと近づいてきた。


 ——その瞬間だった。



「グルルルルルッ……!! 触るなァァァッ!!」



 ルッカが獣のような唸り声を上げ、その場で見事な『凶暴化』の演技——いや、半分は人間の飯の不味さに対する本気の八つ当たり——を爆発させた。


 ブチィッ! と極太の麻縄を力任せに引きちぎり、止めに入ろうとした大男の警備兵二人を、細腕一本でまるごと壁の向こうまで軽々と投げ飛ばしたのだ。


 ドガァァァンッ! と轟音を立てて石壁にヒビが走り、巨漢の警備兵たちが白目を剥いて沈黙する。



「なっ!? なんだこの馬鹿力は! 早く取り押さえろ!」



 役人が悲鳴を上げ、さらに数人の兵士が飛びかかるが、ルッカは暴れる野生のイノシシのように彼らを次々と跳ね飛ばしていく。

 人間の少女の姿をした魔物が大男たちを宙に舞わせる異常な光景に、受付は完全なパニックに陥った。



「ええい、一体何の騒ぎです!」



 異常な物音を聞きつけ、奥の豪奢な扉から恰幅の良い男が血相を変えて飛び出してきた。

 この闇のオークションを取り仕切る開催者、ギルダーだ。



「ひぃぃっ、ギルダー様! 納品された亜人が暴れ出しまして、我々の手には負えません!」



 報告を受けたギルダーの目の前でも、ルッカの手によって警備兵が紙屑のように吹き飛ばされていく。



「だ、だめです、近寄れません! 殺されます!」



 恐怖で顔を引き攣らせるギルダーと役人たち。

 そこへ、今まで静観していたリルが冷徹な足取りでスッと前に出た。



「——伏せなさい」



 リルは優雅な所作でルッカの懐に潜り込むと、一瞬の関節技で彼女の腕を絡め取り、そのまま石畳へと軽やかに叩き伏せた。

 そして、抵抗の要となる首筋の急所を的確に押さえ込み、素手のみで荒れ狂うルッカを完全に制圧してみせた。



「痛っ!? ……ガウゥゥッ!」



(ちょっとリル、手加減しろよな!)というルッカの恨めしそうな視線を無視し、リルは倒れた兵士たちと、息を呑む開催者ギルダーを見下ろして、妖艶かつ凄みのある微笑を浮かべた。



「ご覧の通り、この個体は極めて獰猛で不安定ですの。

 その性質を知り尽くした私でなければ、到底手綱は握れません。

 ……いかがなさいますか、主催者様? 規則通り私を地上で待機させ、あなたの優秀な部下たちに、この『目玉商品』の管理をお任せしましょうか?

 競売の前に、他の高価な商品まで食い殺されるやもしれませんが」


「ひっ……!」



 ギルダーは真っ青になり、額の冷や汗を拭いながら激しく首を縦に振った。



「わ、分かりました……! 今回は特例として、あなたの地下牢への同行を許可します!

 どうか、その化け物から絶対に目を離さないように!」



 リルの完璧な実力行使とハッタリにより、二人は一切怪しまれることなく、エルフたちの待つ最深部の地下牢へと案内されていった。




 一方、俺の入った巨大な鉄檻は、歯車式の昇降機に乗せられ、重厚な扉の奥——熱気と怒号が飛び交う巨大な「地下厨房」の食材保管庫へと運び込まれていた。


 ガチャン、と保管庫の鍵が閉められる音が響く。

 周囲に誰もいなくなったことを確認し、俺はフンッと豚鼻を鳴らした。


 メキキキィッ!!


 丸太のように太い腕に力を込めると、魔法の掛けられていないただの鉄格子など、飴細工のようにあっさりとへし折れた。

 分厚い布を被せられていた檻の隙間から体を滑り出させ、俺は保管庫の扉の隙間から、厨房の様子を覗き込んだ。


 そこは、数十人の荒くれ料理人たちが慌ただしく走り回る、戦場のような大厨房だった。

 地上の剣闘祭と、地下深くの密室で開かれている闇のオークション。

 その両方の客の胃袋を満たすための膨大な量の食材が積み上げられている。


 だが——俺の目に飛び込んできたのは、活気ある調理風景などではなく、食材に対する無慈悲な「殺戮」だった。



「おい! 飛竜の肉の解体が遅ぇぞ! さっさと火魔法で炙っちまえ!」


「温度が足りねぇよ! 焦げるまでぶち込め!」



 料理長らしき大男の指示のもと、下働きが美しい霜降りを持った貴重な飛竜の肉塊に、至近距離から強烈な火魔法を浴びせていた。

 肉の表面が一瞬で黒焦げになり、貴重な肉汁が悲鳴を上げるように蒸発していく。


 野菜は泥も落とさずに乱切りにされ、繊細な香りを持つキノコは臭い油の浮いた大鍋に放り込まれ、クタクタに煮崩されている。


 ブチッ。


 俺の脳内で、何かが決定的にちぎれる音がした。


 身を隠して機を窺う? タイミングを見て毒でも盛る?

 ……冗談じゃない。俺は、三つ星の誇りを持つ料理人シェフだ。

 俺の目の前で、極上の命(食材)が冒涜されるのを、一秒たりとも見過ごすことなどできるわけがなかった。



「——その温度じゃ、飛竜の肉の繊維が完全に死ぬだろうが!!」



 ドゴォォォォンッ!!!


 俺は食材保管庫の分厚い扉を蹴り破り、厨房のど真ん中へと躍り出た。


 突突如として現れた、天井に届きそうな四メートルの緑色の巨体。

 凄まじい威圧感と獣の匂いに、厨房の空気が一瞬にして凍りつき、次いで絶叫が響き渡った。



「ヒィィィィッ!? オ、オークだ!! 納品されたのは森王兎じゃなかったのか!?

 なんでオークが檻を破って出てきやがった!!」


「護衛を呼べ! 殺されるぞ!!」



 料理人たちがパニックに陥り、火魔法の杖や解体用の包丁を震える手で俺に向ける。


 通常ならここで戦闘になり、計画は破綻する。

 だが、俺はオークの太い腕を組み、肺の底から厨房全体を震わせるような怒声で怒鳴りつけた。



「静かにしろ三流ども!! 俺は魔物じゃねぇ!!」



 ピタリ、と料理人たちの動きが止まる。



「俺は、呪いの魔法でオークの姿に変えられた、人間の天才シェフだ!!」



 ……厨房が、静まり返った。


 誰もが「こいつは何を言っているんだ」という顔で俺を見上げている。当然だ。

 あまりにも苦しすぎる、絶望的な言い訳である。


 だが、俺は一切怯むことなく、火魔法の杖を構えていた男を指差した。



「俺はこの図体だから、包丁みたいな繊細な道具は使えねぇ! だが、お前らのそのデタラメな調理法は見ていられねぇんだよ!

 お前! その飛竜の肉、今すぐ火魔法を止めろ! 表面の焦げを削り落とし、肉を十五分休ませて余熱で中まで火を通せ!」


「は、はぁ!?」


「そこの鍋の番をしてるお前! オイルの温度が高すぎる、あと二十度下げろ!

 それからソースを作ってるお前! 乳化が足りねぇ、木の実の搾り汁を三滴だけ垂らして死ぬ気でかき混ぜろ!!」


「な、何を言ってるんだこの魔物……!」


「文句を言わずに俺の指示通りに動け! 美味い飯を作りたくねぇのか!!」



 俺の圧倒的な巨体から放たれる暴力的なプレッシャーと、鼓膜を劈くような怒号。

 料理人たちは恐怖のあまり、無意識のうちに俺の言われた通りの作業に手をつけてしまった。



「ひ、ひぃぃっ! 火を弱めます!」



 火魔法の熱量を必死に下げ、肉を休ませる者。



「か、かき混ぜればいいんだな!?」



 半泣きになりながら、木の実の汁を垂らして猛烈な勢いでソースを撹拌する者。


 厨房の全員が、突如現れた巨大な魔物の声に操られるように慌ただしく動き始めた。


 ——そして、指定の時間が経過し。



「……休ませていた飛竜の肉を今すぐ薄く切り分けろ。ナイフの重さだけで引くように切るんだ、押し潰すな!」



 俺の鋭い指示に、下働きの男が恐る恐るナイフを入れた。



「う、嘘だろ……?」



 男が震える声を漏らした。

 黒焦げになる運命だった肉は、中心が美しいロゼ色に染まり、包丁を入れた瞬間に滝のような肉汁が溢れ出していたのだ。



「こっちのソースも……! さっきまで分離して泥みたいだったのに、魔法みたいに艶々で、舐めたらとんでもないコクが……!」



 ソース担当の料理人が、味見をした指を震わせながら叫んだ。


 料理人たちの視線が、驚愕と、そして「本物の畏敬」を帯びて、四メートルのオークである俺に集中した。


 この瞬間、俺の苦しすぎる言い訳は、彼らの中で「揺るぎない真実」へと変わった。

 種族の壁など関係ない。厨房という戦場において、真の技術と知識を持つ者こそが絶対的な権力者なのだ。



「……理解したか。さあ、晩餐会の時間は迫ってるぞ」



 俺が豚顔を歪めて不敵に笑うと、料理人たちは一斉に包丁を置き、直立不動の姿勢をとった。



「「「イエス、シェフ!!!」」」



 怒号のような返事が厨房に響き渡る。

 俺の計算通り、厨房の完全な掌握が完了した。


 さあ、ここから、会場にいる貴族どもの胃袋と進行ペースを完全に支配してやる。

 前代未聞となる、オークション会場のフルコースの幕が開けた。


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