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『オークに転生した三つ星料理人、異世界で究極の美食を極める〜過労死シェフは料理の知識で魔物の森から成り上がる〜』  作者: 烏丸ぽっぽ


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第13話「狡猾なる敗者と腐毒の湿地」


「……ひっ、あ、あああっ! 言う、なんでも言うから、殺さないでくれェッ!」


 砕かれた鼻から血の泡を吹き、ひしゃげた右手首を押さえて泥の中でのたうち回るマルコ。


俺の巨体を見上げてガチガチと歯を鳴らすその姿には、もはや温厚な商人の面影も、狂気に満ちた支配者の威厳もない。


そこにあるのは、死の恐怖に怯えるただの矮小な肉塊だった。


「吐け。連れ去ったエルフをどうするつもりだった。……今はどこに囚われている」


 地を這うような俺の低い声に、マルコはヒィッと喉を鳴らした。


「お、王都だ……! 王都の地下闘技場跡地で秘密裏に開かれる『闇のオークション』に、最高の目玉商品として出す手筈になっている……っ! 開か、開催は、五日後だ!」


 命惜しさに裏社会の全貌を自白するマルコ。


同胞を売り捌くという外道の企みに、周囲のエルフたちが息を呑んで顔を強張らせる。


「五日後か。……悠長にしてる暇はねぇな」


 俺は冷たい目で見下ろしたまま、顎で一つ、俺の背後を示した。


 そこには、ルッカとリルの腕の中で気を失っているセレスの姿がある。フィエルが魔石を砕いたことで精神を操る『呪縛』は完全に消え去った。


 だが、彼女の細い首には依然として分厚い鉄の首輪が深々と食い込んでおり、無理にでも首を動かせば頸動脈と気管を圧迫する、極めて危険な状態だった。


「おい。さっさとそのふざけた首輪を外してやれ」


「む、無理だ! 魔法回路の楔が頸椎の神経と同化してしまっている。強引に外そうとすれば、首の骨ごと砕け散ってしまう!」


「なら、どうにかしてその圧迫を止めろ。お前がかけた呪いだろうが」


 俺が静かに右の拳を握り込むと、マルコは悲鳴のような声を上げた。


「わ、私が主としての所有権を放棄すれば、首を締め上げる拘束力だけは解除できる……っ!」


 マルコは脂汗を流しながら、折れていない方の左手を震えさせ、這いずるようにしてセレスへと身を乗り出した。


そして、彼女の首元へと左手をかざし、ひきつる唇を必死に動かした。


「な、汝の……魂と肉体の所有権を……ここに、放棄する……ッ!」


 詠唱が紡がれた瞬間、セレスの細い首を締め上げていた分厚い鉄の首輪が、カシャンッと鈍い音を立ててその体積を縮ませた。


 神経と同化しているため完全に取り外すことはできない。


だが、凶器のような鉄の塊は、首元に黒く密着した『チョーカー』のような薄い姿へと変わり、彼女の気管を脅かしていた物理的な圧迫は完全に解除された。


「か、解除したぞ……っ! だ、だから私を殺さないでくれ! 私は王都の貴族や裏社会の重鎮たちに、太いパイプを持っている! 私を生かしておけば必ず役に立つ! オークションの会場だって、私が直々に案内するから……!」


「よくも……っ!」


 マルコの薄汚い命乞いを切り裂いたのは、怒りに打ち震える少女の声だった。


「よくもお姉ちゃんを……みんなを、こんな目に合わせたなァァッ!」


 涙で顔をぐしゃぐしゃにしたフィエルが、腰の短剣を逆手に握りしめ、殺意のままにマルコへと飛びかかろうとした。


姉を慰み者にされ、自らも刃を向けられた絶望の反動が、純粋なエルフの少女を復讐鬼へと変えようとしていた。


「剣を収めよ、フィエル。その男をただ死なすなど、生温いにも程がある」


 静かな、だが絶対的な冷気を持った声が広場に響いた。


 エルフたちが無言のままサッと左右に道を空け、その奥から、杖を突いた長老がゆっくりと歩み出てくる。


「長老、様……っ」


 フィエルの震える手から短剣を下ろさせると、長老は杖を手放し、自らの左手をマルコの胸ぐらへと突き出した。


 深く刻まれた長老の皺の奥には、同胞を辱めた商人への底知れない怒りと、この男の悪意を見抜けなかった自分自身への『激しい悔恨』が燃えていた。


「精霊よ。我の血肉を贄とし、この者の魂に森の裁きを刻み込め

——『森厳しんげんなるいばら血縛けつばく』ッ!」


 それは、エルフの森において長く禁忌とされてきた呪言だった。


 眩い緑色の光が長老の左腕から放たれ、それは禍々しい血色の茨の幻影となってマルコの胸を透過し、心臓へと直接根を張った。


「ぎゃあああああぁぁぁッ!? な、なにを、私の心臓にッ!」


「……マルコよ。貴様はもはや王都の土を踏むことはない。今日より我らが集落の地下牢にて、貴様の知る裏社会とオークションの全容を全て吐き出してもらう。そして我らが同胞を奪還する刻が来れば、貴様自身が先陣を切り、我らを導く『道標』となれ。……我らを裏切り、逃亡を企てれば、心臓の茨が瞬時に貴様を内側から食い破るであろう」


 宣告を終えた長老の体が、ガクリと大きく揺らいだ。


「長老様ッ!」


 エルフたちが慌てて駆け寄る。長老の左腕は、先ほどまでの瑞々しさを完全に失い、まるで数百年の時を経た枯れ木のように干からび、黒く変色していた。


 己の腕を犠牲にしてでも、こいつを逃さず、同胞奪還のための肉盾として死ぬまで飼い殺す。それは、長老が下した凄絶な覚悟の裁きだった。


 マルコがエルフたちに地下牢へと引き立てられていく中、俺は倒れ伏すセレスの元へ膝をついた。


 集落の薬師である女性エルフ、ネリアが額に汗を浮かべながら治癒魔法をかけ続けているが、セレスの肌から立ち昇る『ドス黒い魔力』が、その淡い光を弾いてしまう。


「だめです……長老様。私の治癒魔法が、肉体の奥深くにまで届きません」


 ネリアが悲痛な顔で首を振った。


「首輪の支配に抗い続けた絶大な負荷と、マルコによる長期の精神支配。そのストレスがドス黒い呪いの残滓となって、命の根源にまで根を張っています。……この衰弱を止めるには、強烈な滋養をつけるしかありません。ですが、我らエルフはそのようなものを持ちません」


『なあネリア! だったら、極上の獣の肉をいっぱい食わせればいいじゃないか! レンのステーキなら一発だぞ!』


 ルッカが身を乗り出して元気に提案するが、リルが静かに首を横に振った。


『ルッカ、だめです。エルフの方々は獣のお肉を食べられません。あんなに弱っているのに無理にお肉を食べさせたら、お腹が受け付けなくて余計に命に関わります』


『えっ!? そ、そうだったのか……ご、ごめん』


 ルッカがハッとして耳を伏せる。リルは優しく彼女の肩を撫でた。


「……レン。お姉ちゃん、死んじゃうの……っ?」


 すがるように見上げてくるフィエルに、俺は分厚い手で彼女の頭をポンと撫でた。


「安心しろ。肉を使わなくたって、極上の食材は森にいくらでも転がってる。俺が、セレスの体の中のドス黒い残滓を根こそぎ中和する、とびきり美味い『究極の薬膳料理』を作ってやる」


 俺は立ち上がり、連行されていくマルコの首根っこを後ろから掴み上げた。


「おい。この森で一番強力な『解毒作用』を持つ薬草と、血流を爆発的に上げる『極上の生薬スパイス』はどこにある」


「ひっ……! き、北の果てにある『腐毒の大湿地』だ……! そこの最深部に、あらゆる毒を浄化する『白霊茸はくれいだけ』と、血をたぎらせる『苦悶くもん青摘あおつのみ』がある……ッ!」


「……そうか。ご苦労だったな」


 俺はマルコを突き飛ばし、ルッカとリルを振り返った。


「ルッカ、リル。死の淵から引きずり戻す、『極上の生薬スパイス』の仕入れに行くぞ」


俺たちはすぐさま集落を発ち、森を北へと急いだ。


ひたすら獣道を駆け抜けること数時間。


次第に周囲の木々は病的にねじ曲がり、足元の土はずぶずぶと嫌な水気を帯び始める。澄んでいた空気は、息をするだけで喉が焼けるような重い瘴気へと変わっていった。


やがて鬱蒼とした枯れ木の壁を抜け、北の果てへと足を踏み入れた俺たちの前に広がっていたのは、絶望的な光景だった。


 視界の果てまで続く、どんよりと濁った巨大な泥の海。

水面からはブクブクと気泡が弾け、黄色がかった濃密な腐敗ガスが肌をピリピリと刺す。

泥のあちこちには、沈みかけた巨大な魔獣の白骨が墓標のように突き出しており、ここが命を容易く飲み込む『腐毒の大湿地』であることを物語っていた。


 鼻を突く強烈な硫黄と腐葉土の臭いに、ルッカとリルが思わず顔をしかめる。


「足元に気をつけろ。泥の中に何が潜んでるか分からねぇぞ」


 俺たちが慎重に泥濘の縁を進み始めた、その時だった。


 ズボッ!


「——ッ!?」


 突然、俺の足元の泥が大きく割れ、巨大なあぎとを持つ食虫植物のような魔獣が、俺の脚を丸呑みにしようと飛び出してきた。


『レンッ!』


 ルッカが俺を庇おうと石斧を構えて踏み出した、その瞬間。


「動いちゃ駄目ェッ!!」


 鋭い声が響いた。


泥の陰から飛び出してきた小柄な影が、魔獣の顔面めがけて、強烈な悪臭を放つ『泥団子のようなもの』を投げつける。


「そいつは『泥喰い靭草ドロクイウツボ』……獲物の震えに反応して、周りの泥ごと一気に噛み砕くんだヨ!」


 ベチャッ!と泥団子が命中した瞬間、巨大な顎の魔獣はビクゥッと痙攣し、まるで極上の餌を与えられて満足したかのように、大人しく泥の奥深くへと沈んでいった。


「……助かった。あんたは?」


 俺が声をかけると、泥まみれのボロ布を纏った、ヒキガエルのような顔をした湿地の住人(ホブゴブリンの亜種だろうか)が、ニィッと黄色い歯を見せて笑った。


 だが、そいつが動くたびに、泥や腐葉土の悪臭とは違う……どこか『キノコが密集して生えている場所』特有の、湿った菌糸のような奇妙な匂いが漂ってきた。


「オイラはザブ! この湿地の案内人さ! 旦那たち、湿地の奥に行きたいんだろ? オイラが案内してやるよ! 魔獣の餌食になるなんて、もったいないからねェ!」


『すっげー! なんだ今の! 魔法みたいだな!』


「だろだろォ!? オイラの特製玉さ!」


『へへっ、頼りになるな! あ、特製ならうちのレンが作る飯も、魔法みたいにすっげーんだぞ!』


「ヒャハハ! それは楽しみだァ!」


 どういうわけか、天真爛漫なルッカとザブはすぐに意気投合し、騒ぎながら湿地を進んでいく。


『……不思議な体ですね。ですがレン様、あの者、どこか不気味です』


 リルが警戒を解かずに俺の横で小声で告げる。


「ああ。だが案内役がいるなら利用させてもらうさ。油断はするなよ」


 しばらく進むと、どんよりとした泥濘の中で、そこだけ不自然なほど鮮やかな青色をした実が群生している場所に出た。


「レン! あれじゃないか! マルコが言ってた青い実だぞ!」


 ルッカが声を上げ、実を確認しようと無防備に一歩踏み出した。


「待て、ルッカ!」


 俺の制止より早く、ザブがルッカの前に立ち塞がり、鋭い声で叫んだ。


「触るなバカッ! 仲間殺しになるぞ!」


「……仲間殺し、か?」


 ルッカが足を止め、怪訝な顔をする。


 ザブは忌々しそうに、その青い実——『苦悶の青摘み実』を指差した。


「そいつは、素手で触れちまうと恐ろしい神経毒を噴き出すんだ。そのガスは呼吸だけじゃなく、皮膚からも直接染み込んで脳を狂わせる。毒が回った者は、周囲にいるすべての者が『親の仇』や『最悪の化け物』に見えちまう。……昔、これを知らずに素手で触っちまった人間の騎士の一行がいてな。一人が狂乱し、味方の部隊を敵だと思い込んで全員斬り殺しちまったのさ。そして効果が切れて正気を取り戻した時……自分が守るべき仲間を皆殺しにした光景を見て、絶望と『苦悶』の中で自ら喉を突いて死んだ。それが、この実の名前の由来さ」


「っ……!」


 ルッカとリルが青ざめて息を呑む。


 俺は無言のまま、泥にまみれたその実を見つめていた。


(……なるほどな)


 俺はザブの話を聞きながら、肚の底でふっと息を吐き出した。


 マルコが、この実の恐ろしい言い伝えを知らないはずがない。あいつはこれを「血をたぎらせる極上の生薬スパイス」だと嘘を吐き、あえて俺たちをここへ誘導したのだ。


 長老の禁呪による誓約の『我ら』とは、「エルフ」のみを対象としていた。俺たち『オーク』は適用外だ。


それを瞬時に見抜き、あわよくば、何も知らない俺やルッカがこの実に触れ、狂乱してオーク同士で殺し合い、全滅することを狙った見事なトラップ。


ザブの制止がなければ、俺は可愛い助手たちと血みどろの殺し合いをする羽目になっていた。


 恐怖に震え、プライドをかなぐり捨てたあの嗚咽も、惨めで矮小な敗者の姿も……すべてが『生き残るための演技』だったのだ。


 俺がいなければ、あいつは今でもエルフたちをゴミのように見下し、どうにでもできると確信している。

だが、俺という理不尽な暴力と底知れない知識の前に屈したその瞬間に、商人としての計算機を即座に弾き直し、「第一優先事項は己の生存」と定めて躊躇いなく泥を舐めた。


 見栄や体面をあっさりと捨て去る底知れない商人気質と、一縷のチャンスも逃すまいとする凄まじい執念。


マルコにとって、エルフに心臓を握られる誓約すら、少し不自由になる程度のものに過ぎない。


俺は反吐が出ると同時に、その腐りきった商人魂に、いっそ料理人プロとしての尊敬に似た感情すら覚えていた。


(あの下衆野郎……とんでもねぇ野郎だぜ)


 俺は小さく笑い、ずた袋から「調理用の獣脂(油)」を取り出すと、自らの分厚い両手にたっぷりと塗りたくり、さらに厚手の布で手を覆った。


「ザブ、忠告には感謝するぜ。だが、こいつの『安全な獲り方』を教えてやるよ。俺のいた世界にも、素手で触れば皮膚が焼け爛れるほど厄介な『激辛のスパイス(唐辛子)』があってな。そいつを処理する時の基本だ」


 俺は実の構造を観察する。


表面の微細な棘が、対象の体温と水分(汗)に反応して、皮膚から即座に吸収される揮発性の神経毒を噴射する仕組みだ。


強烈な刺激成分カプサイシンが油に溶けやすい性質を利用し、あらかじめ油で手をコーティングして肌への吸収を防ぐ、料理界の古典的な防衛術。


「油の膜と厚手の布で水分を完全に遮断し、体温を隠せば、お前のセンサーは反応しねぇ。万が一毒を吹かれても、油のバリアと布で皮膚からの吸収(経皮吸収)は防げるってわけだ」


 俺は油まみれの布越しに実を掴み、あっさりと枝から毟り取った。毒が噴射されることはなく、安全にスパイスの確保に成功する。


「ヒャハッ! 旦那、すげェや! さあさあ、次はメインのキノコだろ? こっちだ、こっちだァ!」


 ザブは奇妙なステップを踏みながら、さらに湿地の最深部へと俺たちを導いていく。


 どこか奇妙な匂いを漂わせる案内人の背中を睨み据えるルッカとリルを従え、俺は分厚い手で油を拭い、腐毒の湿地のさらなる深淵へと足を踏み入れた。


(つづく)

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