第3章:月が綺麗過ぎて、届け先が見当たらないわッ!
「……おのれ、この『うばあ』なる柳行李、重すぎるわッ!」
吾輩、夏目金之助は、新宿の薄汚れた路地裏で、黒く四角い巨大な箱を背負い、天を仰いだ。
編集者が
「これさえあれば、文明開化の味が無限に食えますよw」
と持ってきた、通称『ウバッグ』。中身は、先程「まくどなるど」
なる店で受け取った、牛の肉をパンで挟んだ卑しき食い物と、氷の浮いた黒い毒水である。
金之助は、編集者から貸し与えられた「ママチャリ」に跨った。
サドルが硬い。
吾輩の繊細な痔が、令和のアスファルトの衝撃をダイレクトに伝えてくる。
「行き先は、この板、『スマホ』とやらが指し示す通りに進めばよいと申すか」
画面には、奇怪な青い線が引かれている。
金之助が指先で触れると、板が女の声で喋り始めた。
『北方向に進みます。その先、右方向です』
「右? 右とはどっちだ。明治の地図には、常に皇居を中心とした方位があったはずだ。この板は、吾輩に『自分自身が世界の中心であれ』と強制するのか。なんという傲慢な、個人主義の極みだわッ!」
金之助は憤慨しながらも、ママチャリのペダルを漕ぎ出した。
目の前には、新宿の摩天楼。
かつて吾輩が愛した帝都の面影は、もはや塵一つ残っていない。
「歩きスマホ」なる奇妙な苦行に励む猿どもが、左右から無慈悲に迫りくる。
「どけ! どかんか! 吾輩は今、熱き肉を運んでいるのだ! 冷めたらどうする。この時代の『満足』とは、温度に依存しているのだぞ!」
必死の咆哮も、AirPods(白い豆)で耳を塞いだ若者たちには届かない。
ようやく目的地、都庁裏のタワーマンションとやらに到着した。
見上げるほどの高さ。まさにバベルの塔だわ。
金之助は、震える指でスマホの「配達完了」までの手順を確認する。
だが、そこで異変に気づいた。
「いない。届け先の『おきゃくさま』なる人物が、どこにもおらぬわ」
指示には「置き配:玄関の前に置け」と記されている。
「玄関の前に置け? 貴様、正気か! 文明開化の味を、路傍の塵も同然に扱えと申すか。武士の情けというものがないのか。せめて、月でも眺めながら、手渡しで『ありがたい』と一言交わすのが、人の道であろうに!」
金之助は、誰もいないオートロックの門の前で、夜空を見上げた。
2025年の新宿の空は、ネオンに焼かれて白茶けている。
だが、ビルの隙間に、僅かに黄金色の月が見えた。
「ふん。月が、綺麗過ぎて、届け先が見当たらないわ」
思わず零れた文豪の嘆き。
その時、スマホが『ピコーン!』と無機質な音を立てた。
【メッセージ:遅いんだけど。早く置いて帰って。草w】
画面に浮かんだ、一筋の「草」。
金之助の額に、青筋が浮かんだ。
「おのれ、令和の猿め。吾輩の『月』を解さぬばかりか、草を生やして嘲笑うか。よし、ならば置いてやる。置いてやるがタダでは済まさんぞ」
金之助は、ウバッグからハンバーガーを取り出すと、その包装紙の裏に、懐から取り出した万年筆で、流麗な草書体をしたためた。
『親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。お前のバーガーは、今、吾輩が冷ませた。文句があるなら、明治に来い』
それをドアの前に叩きつけるように置き、金之助は再びママチャリに跨った。
「見ていろ。この屈辱、必ずや『うえぶ』なる電子の広場で、一字一句晒してやるわッ!」
新宿の激坂を、大島紬を翻して駆け下りる金之助。
その背中で、空っぽのウバッグが、まるで未完の原稿のように虚しく揺れていた。
初配達の報酬、300円。
それは、チョコあ〜んぱん3箱分にも満たぬ、あまりに世知辛い「現実」であった。
【次回予告:第4話「草も生えない、不愉快な絵草紙(SNS)。」】
ついに金之助が「エゴサ」を敢行!
「漱石、ウーバーやってて草w」の書き込みに対し、文豪が放つ180億ボルトのレスバとは……?




