第2話 辞表を出して3秒で開業しました
翌朝。俺はこれまでの人生で一番清々しい目覚めを迎えた。
スマホには、鬼上司からの着信履歴が五十件ほど溜まっていたが、全て着信拒否にして削除した。
有給消化? 退職金?
そんなものはいらない。今の俺には、この魔法があるのだから。
「さてと、ステータス確認」
念じると、青いプレートが浮かぶ。
【佐藤 健太】
・職業:無職(New!)
・MP:50/50
・スキル:
・【クリーン(洗浄)】Lv.2(Up!)
・【リペア(修復)】Lv.1
・【ライト(照明)】Lv.1
「お、昨日の掃除でレベルが上がってる」
レベルが上がるとどうなるのか。
詳細を見てみると、『効果範囲の拡大』『分解能の向上』とあった。
つまり、もっとデカイゴミを一瞬で消せるようになったということか。
俺は早速、PCを開いて「便利屋 マッチングサイト」に登録した。
屋号は適当に『クリーンライフ佐藤』。
業務内容は『清掃全般。どんな汚れも落とします』。
登録して十分もしないうちに、通知が来た。
『至急! 退去後の部屋の清掃をお願いしたいのです。他の業者には断られてしまって……予算は五万円出します!』
場所は隣町の古いアパート。
俺は自転車を飛ばして現地へ向かった。
◆
「あ、あなたが佐藤さん……ですか? ずいぶんとお若いんですね」
アパートの前で待っていたのは、大家だという初老の男性だった。
顔色が悪い。マスクを二重にしている。
「はい、佐藤です。どんな汚れでもお任せください」
「いやぁ、それがね……夜逃げされちゃいまして。中がちょっと、その……酷いんですよ」
大家さんは申し訳なさそうに鍵を開けた。
ガチャリ、とドアが開いた瞬間。
「うっ……!」
強烈なアンモニア臭と、腐った生ゴミの臭いが鼻を直撃した。
玄関からすでにゴミの壁ができている。
コンビニ袋、ペットボトル、雑誌、そして得体の知れない液体が入った瓶。
その隙間を、黒い虫がサササッと這い回っている。
いわゆる「ゴミ屋敷」だ。
しかも、かなりレベルが高い。
「業者に見積もり頼んだら、三十万以上かかるって言われちゃって……。佐藤さん、本当に五万でいいんですか? トラックも機材もお持ちじゃないようですが」
大家さんが怪訝そうに俺の手ぶら姿を見る。
俺はニカッと笑った。
「ええ、企業秘密の特殊技術を使いますので。大家さんは外でお待ちください。三十分で終わらせます」
「さ、三十分!? いやいや、三日はかかりますよこれ!」
「まあ、見ていてください」
半信半疑の大家さんを外に出し、俺はドアを閉めた。
そして、ゴミの山に向き直る。
普通の人間なら絶望する光景だ。
でも、今の俺には「経験値の山」にしか見えない。
「ふふっ……やるか」
俺は右手をかざした。
イメージするのは、この部屋から「不要なもの」だけが完全に消滅する光景。
「――【クリーン】」
ブォン!!
昨日よりも強い光が、部屋全体を一瞬で包み込んだ。
まばゆい閃光の中で、山のようなゴミが、汚れが、悪臭が、粒子となって霧散していく。
壁に染み付いたヤニも、床の黒ずみも、Gの死骸も。
全てが光に溶けた。
魔法が収まるのに、十秒もかからなかった。
「……ふぅ。MPが半分くらい減ったか?」
目の前には、新築時のような木の匂いがするフローリングが広がっていた。
ゴミ一つない。チリ一つない。
ついでに【リペア】も発動しておいたので、壁の穴も塞がり、網戸の破れも直っている。
俺は玄関のドアを開けた。
外でタバコに火をつけようとしていた大家さんが、驚いて振り返る。
「あ、あの、何か忘れ物ですか?」
「いえ、終わりました」
「はい?」
大家さんはポカンとして、俺の背後――部屋の中を覗き込んだ。
そして、持っていたタバコを取り落とした。
「なっ……えっ!? はあぁぁぁ!?」
大家さんは靴も脱がずに部屋に上がり込み、信じられないものを見る目でキョロキョロと見回した。
「ゴミは!? あの臭いは!? いや、壁紙まで張り替えたんですか!? 五分も経ってないですよ!?」
「企業秘密ですので」
俺は人差し指を口元に当てて微笑んだ。
「す、すごい……魔法使いか何かですか……」
「あはは、ただの清掃員ですよ」
大家さんは震える手で財布を取り出し、五万円どころか、手持ちの現金三万円を追加して八万円を渡してきた。
拝むようにして感謝される俺。
たった五分。
MPを少し消費しただけ。
それだけで、手元にはブラック企業の月給の三分の一がある。
(……ちょろい。ちょろすぎるぞ、生活魔法!)
俺はこの時、確信した。
この力を使えば、億万長者も夢じゃないと。
だが俺はまだ知らなかった。
このアパートの清掃が、とんでもない「大物」の目に止まるきっかけになることを。
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