表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
琉球リバース/Ryukyu Rebirth   “声は消えない”  作者: 南蛇井


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

7/27

静かな夜 ―「ぬるい潮の匂い」

夜明け前の空は、まだ群青のままだった。

港湾地区の倉庫街――事件の爪痕がそのまま残っている。


黒焦げになった鉄骨が、折れた指のように空へ突き出していた。

潮風に混じるのは、油と焦げた鉄の匂い。

空気が重く、湿っている。

誰もいないのに、どこかでまだ炎の名残がくすぶっているようだった。


警察の立入禁止テープが、風に煽られてはためく。

遠くで波が打ち寄せ、白い飛沫が光を反射する。

海の向こうに、夜の境界がわずかにほどけていくのが見えた。


静寂。

BGMもなければ、虫の声もない。

ただ、波音と風の音だけが、ゆるやかに時間を進めていた。


カメラが倉庫の中をゆっくりと舐めるように移動していく。

焦げた机。

倒れたモニター。

溶けて形を失った通信機。


壁の一角に、まだかろうじて読める文字があった。

焼け残ったスローガン。


《眠る島に、火を。》


その下――“火”の文字だけが煤に塗り潰され、

まるで誰かが意図的に、炎そのものを消し去ったようだった。


その跡を、風が撫でる。

焦げた灰が、ふっと舞い上がり、ゆっくりと海の方へ消えていった。


車内の空気は、外の潮風よりも重かった。

焦げた港の匂いが、わずかに窓の隙間から入り込み、灰の気配を連れてくる。


薄暗い車内灯が、大悟の横顔を断片的に照らす。

その光の中、無線機がときおりノイズを吐いた。

――ザ…ッ、ザザッ…。

それがまるで、まだ燃え残る現場の声のように聞こえる。


神谷は助手席に座り、タブレットを指先で操作していた。

無機質な画面の光が、彼の顔を青白く染める。


「……これで終わったな。」

淡々とした声。

その抑揚のなさが、逆に不気味だった。


「爆心地の映像、上も満足してる。

 黎明は壊滅。お前の潜入は“成功”だ。」


しばしの沈黙。

大悟の視線は、フロントガラスの向こうにある焼け跡へと向かう。

まだ煙が立っている。

かつて“理想”と呼ばれたものの、燃え尽きた残骸が。


「……玲奈は?」


神谷の指が一瞬、止まった。

だがすぐに、また画面を滑り始める。


「遺体は確認されていない。

 生きてる可能性もあるが――関係ないだろ。」


無線のノイズが、ふいに強まる。

ザザザッ……。

それが、どこかで彼女の声を探しているように聞こえた。


神谷はタブレットを閉じ、ため息とともに言った。


「情を捨てたな。……ようやく公安らしくなった。」


その言葉に、大悟は何も返さない。

ただ、静かに車のドアを開ける。


夜風が流れ込み、車内の匂いを押し出す。

焦げた金属の臭い、潮の匂い、そしてわずかに――彼女の香りを思わせる残り香。


ドアが閉まる音が、乾いた金属音となって夜に消える。


大悟は一歩、外へ出た。

足元には、灰にまみれた水たまり。

そこに映る自分の顔が、ゆらいで形を失っていく。


防波堤の上、夜と朝のあいだの空気が揺れていた。

群青と薄桃の境界が海に落ち、波がゆるやかに砕けては、

小さな泡を残して引いていく。


大悟は立ち尽くしていた。

焦げ跡のついたノートを手に、ただ、遠くを見ている。


港の方角から、まだ消えきらない煙が細く伸びていた。

その向こうには、黎明の倉庫――燃え尽きた理想の骨。


指先のノートは、玲奈が最後まで肌身離さなかったものだった。

表紙は黒く焼け、ページの端は溶けて波打っている。

それでも、ある一文だけが、奇跡のように残っていた。


《この島は、まだ眠ってる。》


その文字を、彼は何度もなぞる。

煤で汚れた指先が、震えながら文字を消しそうになる。


「……違うな。」

唇から、かすれた声がこぼれる。


潮風が彼の髪を乱す。

防波堤の下で波が割れる音が、心臓の鼓動と重なる。


「眠っていたのは――島じゃない。

 俺のほうだ。」


呟きは、海に溶けて消えた。

だが、波の音が応えるように、一度だけ強く打ち寄せた。


風が吹いた。

ぬるい潮の匂いが、夜明けの空気の中に漂う。

その匂いは、どこか懐かしく、そして――痛いほどに現実だった。


大悟はノートを静かに閉じ、胸ポケットにしまう。

空が明るみはじめる。

紫と金が交わり、海面がわずかに光を返す。


彼の影が、長く伸びて、波間に溶けた。



夜明けの海辺。

空はまだ薄暗く、水平線の彼方で光がにじみ始めている。

潮が引いたばかりの砂浜には、瓦礫や流木、そして――黒く焦げた布切れが散らばっていた。


大悟は波打ち際を歩いていた。

靴の底が濡れ、砂に深い足跡を残す。

潮の香りがぬるく、どこか重い。


ふと、足元に何かが引っかかった。

彼はしゃがみこみ、砂の中からそれを掘り出す。


焦げた布切れ。

風に広げると、そこには見覚えのある紋章がかすかに残っていた。


――波と太陽。

“琉球黎明”の旗。


焼け焦げた部分は、まるで時間そのものに食われたように黒く滲んでいた。

かつて理想を掲げた印。それが、いまは無言の残骸になっている。


大悟はその布を静かに握りしめた。

潮で濡れた繊維が、手の中で冷たく、重い。


風が吹く。

布の端がふわりと揺れ、陽のない空に小さな影を描いた。


彼はその影を見つめながら、ゆっくりとつぶやく。


「理想なんて、もう信じてない。

 でも――この島の風だけは、まだ生きている。」


その言葉に応えるように、海風が強く吹いた。

旗がはためき、裂け目から光がこぼれる。


波音が、まるで呼吸のように繰り返す。

焼けた布の匂いが、潮と混ざり、夜明けの空気を満たした。


大悟は目を閉じた。

手の中で、黎明の旗がもう一度、風を掴もうとしていた。

夜と朝のあいだ――。


海と空の境目が、ゆっくりと溶けていく。

灰色の水平線が滲み、世界そのものが呼吸をやめたかのように静まる。


大悟は、風に背を向けて立っていた。

手には、焦げた“黎明”の旗。

潮風がそれを揺らすたび、破れた布の端がひらりと音を立てる。


彼の背後で、波が寄せては返す。

そのリズムが、まるで遠い昔の鼓動のようだった。


一歩、また一歩。

彼はゆっくりと砂浜を歩き出す。

足跡が続く。だが、すぐに波がそれを飲み込んでいく。


海と空が完全に混ざり合い、光がゆっくりと沈む。

画面の色が、音もなく黒に溶けていく。


その闇の中で――

かすかな声が響く。


玲奈の声。

遠く、記憶の底から浮かび上がるように。


「……この島は、きっと、まだ終わってない。」


波の音が答えるように寄せ、そして静かに引いていく。


黒画面。

微かな潮騒だけが残る。


――END SCENE.



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ