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琉球リバース/Ryukyu Rebirth   “声は消えない”  作者: 南蛇井


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事件 ― 「爆発の夜」

夜の港は、息をひそめていた。

 潮風と油の匂いが混じり合い、冷たい湿気が肌にまとわりつく。


 那覇港の外れ、米軍の物資搬入区域。フェンスには「KEEP OUT」の文字がかすれ、錆びた金網が風にわずかに鳴いた。

 その向こうに、軍用輸送艦の影が沈黙のまま停泊している。灯火は最小限。

 夜空には低く雲が垂れこめ、海と空の境界が曖昧になっていた。


 遠く、赤い港灯が一つ、また一つと瞬く。

 波が岸壁を叩く音が、まるで心臓の鼓動のようにゆっくりと刻まれていく。


 ――虫の声すらしない。

 音という音がすべて吸い取られたかのような夜だった。


 カメラがその静寂を切り裂くように、ゆっくりと移動する。

 手持ちの不安定な揺れ。息を潜める者の視線。


 やがてフレームの隅に、ひとりの男の足が映る。

 黒いブーツが濡れたアスファルトを踏むたび、微かな水音が響く。


 足元の水たまりに、赤い警告灯の光が揺れ、ぼやけた世界を逆さに映し出していた。

 その中に、揺れる炎のような影――

 まだ何も燃えていないのに、夜はすでに火の予感を孕んでいた。


 港の奥――積み上げられた貨物コンテナの群れが、夜の闇の中に沈んでいる。

 錆びた鉄の匂いと潮風、油のにおいが入り混じり、息を吸うたびに喉が重くなる。


 その影の中で、数人の若者が動いていた。

 伊波翔太が中心に立ち、手袋をはめた手で何かの装置を確認している。金属ケースを開け、内部の配線を慎重に結線するたび、かすかな電子音が漏れた。


 ――黎明の実働班。

 彼らの顔には恐怖ではなく、どこか陶酔にも似た静けさがあった。


「……ここで奴らの物流が止まれば、この島は一度息を吹き返す。」

 伊波の声は低く、確信に満ちていた。

 背後で波の音が、まるでその言葉に呼応するように強く打ち寄せた。


 大悟は無言でその作業を見守っていた。

 暗がりの中で表情は読めない。だがその胸ポケットの内側――指先は小型通信機を握りしめている。

 金属の冷たさが、手のひらの汗でじっとりと濡れていた。


 静かに親指を動かす。

 公安那覇支局への緊急コード。

 だが、画面に浮かび上がったのは、赤い文字だった。


 「通信遮断」


 大悟の呼吸が止まる。

 周囲の空気が、さらに重く沈んだように感じた。


 ――妨害電波。

 伊波たちが、想定していた。

 この作戦の「外」に、逃げ道など最初から存在しなかったのだ。


 その時、横から玲奈の視線が刺さる。

 彼女の顔には、冷静さの奥に微かな揺らぎ。

 彼女は言葉を発さない。ただ、わずかに眉を寄せた。


 大悟は何も言わず、通信機をポケットに戻す。

 雨上がりの地面を風が這い、コンテナの隙間でどこか遠くの鈍い機械音が響いた。

 夜は深く、息をひそめるように静まり返っていた。


 倉庫裏の作業が終わり、伊波たちは次々に工具を片づけていた。

 設置された黒いケースが、濡れたアスファルトの上で鈍く光を反射している。

 夜風が、潮と油と、微かな火薬の匂いを運んでくる。


 伊波が腕時計を見ながら声を張った。

「退くぞ。三分後に点火準備――離脱地点は港の南側だ。」


 若者たちが緊張した面持ちで散っていく。

 玲奈は一歩下がり、無言で大悟を見た。

 その瞬間――彼の手元で、何かが小さく光った。


 黒い布越しに、銀色の金属が覗く。

 玲奈の視線がそこに吸い寄せられる。


「……それ、何?」


 声が震えていた。

 大悟は反射的にポケットを押さえる。

 だが、遅い。

 玲奈の目が確かに見た。

 暗号通信機。公安専用。

 その端末の裏側には、はっきりと刻まれていた。


 「NPA」――National Police Agency.


 玲奈の瞳が見開かれる。

 光が、すべての記憶を切り裂くように彼女の中で弾けた。


「……あなた、公安なの?」


 雨が、一粒、彼女の肩に落ちる。

 次いで、二粒、三粒――。

 港の上に広がった黒雲から、細い雨脚が静かに降り始めた。


 大悟は、何も言わなかった。

 その沈黙が、答えよりも深く、重く、冷たかった。


 玲奈の唇がわずかに震えた。

 言葉を探すように開かれたが、声にはならない。

 ただ、風が彼女の髪を乱し、海の方へと吹き抜けていった。


 その時、遠くで伊波の怒声が響いた。

「おい! 何やってる、時間がねぇぞ!」


 玲奈は顔を背けた。

 大悟はただ、立ち尽くしていた。

 雨が二人の間を隔て、すべての音を鈍く溶かしていく。


伊波の指が、遠隔信管のスイッチに触れていた。

 その手はわずかに震えている。

 汗と雨と、息の音。

 夜の空気が張り詰め、港全体が息を潜めたようだった。


 「……これが“目覚め”だ!」


 叫びと同時に、光。


 瞬間、夜が裏返る。

 白い閃光が視界を焼き、空が赤く染まり、世界がひっくり返った。


 轟音。

 圧縮された空気が爆ぜ、衝撃波が地を這う。

 港灯が弾け飛び、コンテナが裂け、鉄が悲鳴を上げる。


 炎が渦を巻いて立ち上る。

 黒い煙の中で、誰かの叫びがかき消された。


 玲奈の体が宙に浮く。

 その白いコートが炎の光に照らされ、一瞬だけ幻のように輝いた。


 大悟は本能で動いた。

 駆け寄り、玲奈を抱き寄せ、地面に伏せる。

 熱と風が背中を殴りつけ、アスファルトの破片が頬をかすめた。


 ――音が、消える。


 世界が真空になったように、何も聞こえない。

 ただ、耳鳴りが。

 甲高い、金属のような音が延々と続く。

 時間が、止まった。


 火の粉がスローモーションで宙を舞う。

 ひとつ、またひとつ。

 まるで降るように、夜空の中で散っていく。


 炎の光に照らされて、玲奈の顔が浮かび上がる。

 涙か雨かも分からない滴が、頬を伝って落ちる。


 彼女の唇が、ゆっくりと動いた。


 ――声は、聞こえない。


 ただ、唇の形だけが読めた。


 「……どうして、あなたが。」


 次の瞬間、風が吹き抜ける。

 炎が揺らめき、光がまた夜を奪う。


 大悟は、答えられなかった。

 その問いの意味が、心臓の奥で爆ぜていた。



港の一角が、炎に包まれていた。

 赤い光が夜空を染め、煙が雲のように広がっていく。

 海面には炎の反射が揺れ、波がそれを細かく砕いては飲み込む。


 サイレンの音。

 遠くから、かすかな鳴動が近づいてくる。

 だが、まだここまでは届かない。

 この場所だけが、時間から切り離されたように静まり返っていた。


 大悟は、瓦礫の中で身を起こした。

 息をするたびに、肺の奥が焼けるように痛む。

 耳鳴りがまだ残り、世界の音が遠い。


 腕の中に、玲奈がいた。

 灰にまみれた彼女の髪が、風に揺れている。

 その頬には血の筋が一本、淡く流れていた。


 大悟は、ただ見つめた。

 炎が二人を照らす。

 その光の中で、玲奈の顔はかすかに笑っているようにも見えた。


 (モノローグ)

 > “目覚めたのは――島じゃない。

 > この地に眠っていた、怒りそのものだ。”


 その時、玲奈の手が微かに動いた。

 焼け焦げた瓦礫の間で、その指先が大悟の胸元を掴む。

 小さく、震えるように。


 言葉は出なかった。

 唇が何かを形作ろうとしたが、声にはならない。


 炎の向こうで、港のクレーンが崩れ落ちる。

 鉄骨の悲鳴が、遠くの海に響いた。


 風が吹く。

 灰と火の粉が舞い上がり、夜の空へと消えていく。


 大悟はその中で、玲奈を抱きしめた。

 何も言わず、何も聞かず。

 ただ、二人の影がゆっくりと重なり、

 燃え尽きた世界の中でひとつの輪郭になる。


 ――沈黙の炎だけが、

 二人を包み続けていた。


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