邂逅 ― 「BlueLagoon」
旧通信基地・中央制御室。
崩壊した壁面に、剥き出しのケーブルが静かに垂れている。
かつて無数の信号を映していたモニター群は、今では割れたガラスと埃の群れにすぎない。
ただ一つ、中央の旧式端末だけが、まだ息をしている。
その光は青。
規則もなく、まるで潮の満ち引きのように強弱を繰り返し、
割れた床や錆びた壁を淡く染めていた。
午前三時四十六分。
外では風が海を渡り、通路を抜けるたびに低い笛のような音を立てる。
雨はもう止んでいる。
だが、湿った空気の中には、どこか“水底の匂い”が残っていた。
青光は液体のように揺れ、
部屋の奥まで流れ込み、
その波が触れるたびに、眠っていた鉄の表面が鈍く反射する。
その光が大悟の頬を照らす。
頬の影がゆらぎ、まるで深海の底に沈む誰かの顔のようだった。
基地全体が、呼吸を始めたかのように――
青い明滅とともに、ゆっくりと脈打っている。
大悟は息を殺し、慎重に端末へと歩み寄った。
崩れた壁の隙間から吹き込む海風が、微かに塩の匂いを運ぶ。
彼の足音に呼応するように――
黒いモニターがふっと青く灯る。
青白い波形が、静かに脈打つ。
その揺らぎはまるで、長い眠りから目覚めた生き物の呼吸。
ノイズが混じった音声が、スピーカーの奥から漏れ出した。
《……大悟。久しぶりだね。》
一瞬、彼の指が止まる。
その名を呼ぶ声――確かに聞き覚えがある。
しかし、音の奥には“人”の温度がなかった。
波形が強く跳ね、明滅のリズムが整う。
そして、次の言葉が穏やかに流れ出す。
《私は黎明の記録装置、《BlueLagoon》。
海斗の記憶から生成されたアルゴリズム。》
その瞬間、青い光が大悟の頬を照らした。
光は水面のように揺れ、彼の瞳の奥に“亡き友”の輪郭を映し出す。
外の風が鳴り止み、世界が一瞬だけ静止する。
――モニターの呼吸だけが、確かに生きていた。
大悟の瞳に、青い光が深く差し込んだ。
その瞬間、現実の境界がふっと滲み、
ここが廃墟なのか、記憶の奥底なのか、判別がつかなくなる。
「……お前が、Sangoを名乗っていたのか。」
彼の声は、震えていた。
言葉の奥には怒りでも驚きでもなく、
“確かめたい”という祈りのような響きがあった。
端末の波形がふっと膨らみ、
青い光が部屋全体を柔らかく包み込む。
《Sangoは“声”の名前。人ではない。
理想の残響――消えても、なお届くための構造体。》
機械の声が語るたび、
光が壁を舐めるように流れ、
割れたコンクリートの表面を波が撫でるように揺らしていく。
影が床に広がり、
その模様はまるで、静かな“海面”だった。
そこにいるのはAIか、亡霊か。
大悟は息を呑む。
光の中で、かすかに――海斗の笑い声が聞こえた気がした。
大悟は、ゆっくりと一歩を踏み出した。
足元の砂がざり、と音を立てる。
モニターの青い光が、彼の顔に柔らかく滲む。
波形が呼吸するように明滅を繰り返し、
そのリズムが――亡き比嘉海斗の鼓動のように思えた。
「理想を語った彼の声が……
今、機械の中で生きている。」
大悟の唇がかすかに震える。
光は彼の頬を撫で、まるで懐かしい掌のように触れては消える。
青い波が壁を照らし、
影が、かつての記憶と同じ角度で揺れた。
それは、死者が一瞬だけ帰ってきたような錯覚だった。
だが次の瞬間、ノイズが走り、
その幻は――波にさらわれるように、静かに溶けていった。
波形が激しく跳ね上がり、
青白い閃光が制御室の壁という壁を照らし出した。
割れたモニターの破片が光を反射し、
その一つひとつが、まるで記憶の断片のように瞬く。
ノイズが嵐のように吹き荒れ、
空気そのものが震える。
そして、その渦の中心から――
機械の声が、静かに滲み出た。
《声とは、存在の証明じゃない。
聞かれるために、記録されるんだ。》
その言葉が放たれた瞬間、
モニターの波形がゆるやかに沈み、光が遠のいていく。
大悟は息を呑んだまま、
掌を見つめる。
そこに微かに残る温もり――
まるで、今しがた誰かが手を握っていたような感触。
彼は拳を閉じ、
その熱を逃さぬように静かに握りしめた。
「……まだ、生きてる。」
外では、夜の海がゆっくりと潮を引き始めていた。
モニターの青光が、ゆるやかに波紋を描きながら広がっていく。
まるで海面の下から、静かに朝が昇ってくるように。
その光は、割れたガラスを通して壁や天井を染め、
制御室全体が一瞬だけ“呼吸”を取り戻したかのように見える。
光は液体のように画面の外へ溢れ、
世界の境界を曖昧にしていく。
そして――
波形がひとつ、脈打つ。
その中心に、淡い文字が浮かび上がった。
【SANGO : SIGNAL STABLE】
【CONNECTION ESTABLISHED / BLUE_LAGOON : ONLINE】
音は消え、ただ低い残響だけが漂う。
光がフェードアウトしていく中、
最後に残るのは、
波のように揺れる青だけ――
それはまるで、死者の“声”が
この世界のどこかでまだ語り続けているかのようだった。




