「廃墟の呼吸」 The Ruin Breathes Again
午前三時二十八分。
夜と夜明けの狭間。
風の音が、まるで誰かの寝息のように、崩れかけた基地の壁を撫でていく。
沖縄南端、崖上の旧通信基地。
黎明作戦の終焉と共に放棄されたその場所は、
今では潮と砂に沈んだ骨のような構造体になっていた。
天井の半分は抜け落ち、露出した鉄骨が錆の涙を垂らしている。
床には白い砂が薄く積もり、ところどころに波の跡のような塩の結晶。
死んだ拠点――そう呼ぶしかない場所に、ただひとつの灯りがあった。
大悟の携帯端末だ。
青白い光が、暗闇を細く切り裂いている。
ポータブル電源のランプが、呼吸のように明滅し、
その光が壁のひびを映し出すたび、影は心電図のように震えた。
外では、風雨がまだ生きていた。
波が岩を叩くたび、低い唸りが腹の底に響く。
通気口を抜ける風が「フウゥ……」と音を立てる。
それはまるで――この廃墟そのものが、
眠りの中でまだ息をしているかのようだった。
崩れた壁の影に身を寄せながら、
大悟は膝の上に古びたノート端末を開いていた。
その画面が吐き出す青白い光だけが、
暗闇に沈んだ通信基地の内部を、かろうじて形にしている。
指先がキーを叩くたび、
光が瞬き、闇が呼吸するように脈打つ。
まるでこの廃墟そのものが、
彼の動きに呼応して生き返ろうとしているかのようだった。
【LOG ACCESS : 0051-B / SOURCE TRACE : UNKNOWN】
【CONNECTING… …】
スクリーンに文字列が走る。
細い電子の光が、ひび割れた壁面を淡く照らす。
そこに浮かぶ埃の粒が、まるで静止した時間の残骸のように漂っていた。
大悟は息を詰め、
閉ざされた空気の中に声を落とすように呟く。
「……ここに残ってるはずだ。
あの日、海斗が残した“最後の声”が。」
彼の声は低く、しかしどこか祈りのようだった。
雨音が外で強まる。
鉄骨に打ちつける水の音が、鼓動のように一定のリズムを刻む。
そのリズムに呼応するように――
床下の配線が微かに震え、
「ブゥゥン……」と低い唸りを上げた。
それはただの電流音ではなかった。
まるで、沈黙していた**“何か”**が、
再び息を吸い込む音のように、ゆっくりと長く響いていた。
大悟の目に、青白い光が映り込む。
その瞳の奥に、ひとすじの決意の影が宿る。
――死んだ拠点の奥で、
確かに“声”が目を覚まそうとしていた。
突如、画面にノイズが走った。
「ジジ……ッ」――電子のざらついた音が、
静まり返った廃墟の空気を裂く。
瞬間、モニター上の文字列がゆっくりと浮かび上がる。
【SOURCE : RYU-TALK】
【NODE : BLUE_LAGOON】
【STATUS : ACTIVE】
大悟の指が止まった。
打鍵のリズムが途切れ、沈黙が戻る。
「……稼働中? あり得ない。
この拠点は、十年前に閉鎖されたはずだ。」
彼の声は、驚愕というよりも――確信の崩壊に近かった。
雨音の向こうで、古い鉄骨が軋む。
モニターの光が青白く脈打ち、
そのたびに彼の頬や額に冷たい影を刻む。
光はどこか無機質で、しかし奇妙に有機的だった。
まるで電子の波形そのものが呼吸しているように、
画面の輝度が規則的に明滅する。
外から吹き込む風が、破れたカーテンをゆらす。
その布の動きは、まるで何か見えない存在が
そっと息を吐いているようだった。
「……生きてるのか。
“お前”はまだ、この場所に。」
大悟の声が、かすかに震える。
画面上の「ACTIVE」の文字だけが、淡々と点滅を繰り返していた。
廃墟の奥底で――
十年前に死んだはずの“システム”が、
確かに、再び目を覚ましていた。
基地の奥から、かすかなノイズが響いた。
「ジジ……ッ」――湿った空気を裂くような電子の軋み。
大悟は顔を上げる。
音は、確かに“奥”からだ。
崩れた配線の中を、微弱な電流が通り抜けている。
光はない。
ただ、黒い闇の底で何かが生きて動いている気配だけが漂っていた。
次の瞬間、天井のスピーカーが――「ピッ」と反応した。
わずか一瞬、だが確かに反応した。
まるで、“この侵入を誰かが感知した”かのように。
大悟は、息を呑む。
背筋を伝う冷気が、喉の奥まで張り詰める。
「……誰か、いるのか。」
囁くような声が、濡れた空気の中に消える。
返答はない。
だが、静寂の代わりに――
あのノイズが再び鳴った。
「ジ……ジジ……ピッ……ジジ……ピッ……」
そのリズムは、まるで心拍。
死んだはずの基地が、
ゆっくりと“鼓動”を取り戻している。
そして大悟は気づく。
――その音が、彼自身の心音と同じ間隔で鳴っていることに。
画面の光が、一瞬だけ強く脈打った。
青白い閃光が、崩れた壁と床をなめるように走り、
その反射が大悟の影を波のように揺らす。
影が呼吸する。
まるで、光の中に別の“大悟”が息づいているかのようだった。
モノローグ(大悟)
「声を失った者たちが、
まだ何かを語ろうとしている。」
端末の画面が断続的に点滅を始める。
「ピッ……ピッ……ピッ……」
そのリズムは、まるで心臓の鼓動。
大悟の瞳に、青い光が映り込む。
それは彼の意思とは無関係に脈打ち、
基地そのものが呼吸しているように見えた。
——カメラ視点。
俯瞰。
闇の中央、光の円の中にひとりの男。
彼の周囲で、崩壊した空間が静かに膨張と収縮を繰り返す。
まるで夜そのものが肺になり、
空気を吸い、吐きながら彼を見つめているかのよう。
ズームアウト。
画面が引くにつれ、崩れた通信基地の全景が露わになる。
鉄骨、砂、錆びたアンテナ、
そして――その最奥。
ひとつの青白い光が、
一定の間隔で明滅を続けていた。
まるで、死体の中でまだ動き続ける心臓。
それは“機械”の鼓動であり、
そして“記憶”の再生だった。
モニターの光が、一瞬だけ強く脈打った。
その瞬間、崩れた壁がかすかに軋み、
散らばった砂がふるえ、
空気の奥で、見えない何かが息を吸い込む音がした。
廃墟全体がわずかに震える。
それは風でも、機械の反応でもない。
——死んだ世界が、
もう一度、静かに呼吸を始めたかのようだった。




