表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
琉球リバース/Ryukyu Rebirth   “声は消えない”  作者: 南蛇井


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

1/27

琉球はまだ眠っていない 任務通達 ―「眠れる島に火を灯せ」

無音のオフィス

 午前零時を回った東京・霞ヶ関。

 ビル群の窓はほとんどが闇に沈み、ただひとつ、公安庁の地下フロアだけが青白く光を放っていた。

 冷たい蛍光灯の下、佐久間大悟は無言でキーボードを叩いている。

 画面には衛星地図。日本列島が夜の海に浮かび、その南端、沖縄本島のあたりだけが赤く点滅していた。

 波のない波形。

 だが、その微かな瞬きが、何かの呼吸のように見えた。

 書類の束が横たわるデスクは、金属の匂いがした。

 エアコンの送風音と、どこか遠くで鳴るプリンタの駆動音が、夜の静けさをさらに削いでいく。

 大悟はマウスを動かす。画面の上に一行の文字が浮かび上がった。

 > “作戦コード:Sleeping Isles”

 冷たい光の中、その文字だけが異様に温度を持っていた。

 彼は小さく息を吐く。

 「……眠れる島、か。」

 声は掠れていた。

 自分の口から出たとは思えないほど、他人の声のようだった。

 手を止める。指先にペンの感触。

 無意識に、それを回していた。――昔からの癖だ。

 だが、その動きさえもぎこちない。

 「そう呼ぶのか。眠ってるのは……誰だ?」

 モニターの光が彼の頬を照らす。

 瞳の奥に、赤い点滅が小さく揺れる。

 まるでそれが、心臓の鼓動そのもののように。

 静かなオフィスに、秒針の音が響く。

 それは潮騒の遠い記憶に似ていた。

 ――波の音。

 子どものころ、耳を澄ませばいつでも聞こえた。

 それが今は、こんな冷たい場所で、機械の振動に化けている。

 彼は顔を上げ、ガラス窓越しに夜の東京湾を見た。

 無数の街灯が水面に散り、波紋が静かに揺れる。

 その反射が一瞬、遠い沖縄の潮の光に見えた。

 だがすぐに、モニターの警告音が現実へと引き戻す。

 新しい報告が届いた。件名には――「琉球黎明」。

 大悟はゆっくりと息を吸い、画面を閉じた。

 オフィスの空気が、わずかに重くなる。


「眠れる島に火を灯せ」

 自動ドアの開閉音が、無音のオフィスを切り裂いた。

 わずかに冷たい風が流れ込み、紙の端がふるりと震える。

 足音。

 規則正しく、重く。

 それだけで、この部屋の空気が一段階引き締まる。

 神谷玲央が現れた。

 黒のスーツに乱れひとつなく、顔には感情の影もない。

 手にした封筒を机の上に置く。その動作すら、刃のように正確だった。

 「――座れ。時間がない。」

 その声に、温度はなかった。

 命令というより、重力に近い。拒むことを許さない圧。

 大悟は無言のまま資料を受け取る。

 手の中の紙が、わずかに震えていることに気づく。

 それが自分のせいなのか、空調の風なのか、判然としない。

 神谷は椅子に腰を下ろさなかった。

 立ったまま、影を落とすように大悟を見下ろしている。

 蛍光灯の光が、その眼鏡のレンズに冷たく反射していた。

 「沖縄軍港で爆破予告。犯行声明の発信源は“黎明”。

 君の出身地だな。……燃えやすい土地だ。」

 短い沈黙。

 神谷は少しだけ視線を落とし、淡々と続けた。

 「情を持つな。――感情は、命を殺す。」

 大悟は小さく息を吸う。

 返す言葉を探したが、口の中で溶けた。

 代わりに、机の上の地図を見つめた。

 沖縄本島の赤い点滅が、まだ静かに瞬いている。

 それはまるで、眠る者のまぶたの奥で光る夢のようだった。

 神谷は報告書を指で軽く叩いた。

 「作戦コードは“Sleeping Isles”。

 ――眠れる島に、火を灯せ。」

 その言葉が空気を切り裂く。

 大悟は目を閉じた。

 潮騒の幻が、ほんの一瞬、耳の奥をかすめた。



「命令と潮の音」

 神谷が端末を操作すると、壁面のモニターがゆっくりと光を放った。

 暗い室内に、青白い光が広がる。

 映し出されたのは、米軍港の衛星写真――巨大な灰色の艦船と、幾何学的な格子のように並ぶ倉庫群。

 冷たい視点。神の目のような映像。

 画面が切り替わる。

 波と太陽を組み合わせた円形の紋章が浮かび上がる。

 “琉球黎明”。

 その文字を見た瞬間、大悟の指が微かに動いた。

 胸の奥で、遠い日差しのような記憶が滲む。

 ――あの夏、大学の講堂。海斗の声。

 「俺たちで、もう一度この島を始めようぜ」

 笑いながら言った彼の姿が、一瞬だけ蘇った。

 神谷の声が、その幻を切り裂いた。

 「琉球黎明。独立を掲げる過激派。

 表向きは“非暴力”を謳っているが――内部は割れている。

 一派が軍港に爆弾を仕掛けるつもりらしい。」

 声に抑揚はない。

 報告ではなく、事実の羅列。

 ただ、それだけで十分に重かった。

 大悟はゆっくりと口を開く。

 「……信憑性は?」

 神谷は目を細め、短く笑った。

 笑みというよりも、呼吸の一部のような無機質な動き。

 「ゼロではない。だから動く。公安の流儀だ。」

 しばし、間が落ちた。

 蛍光灯の音がわずかに唸り、モニターの光が二人の顔を照らす。

 赤い警告線が、まるで脈打つ血管のように画面を横切った。

 神谷は指先で机を軽く叩き、低く告げた。

 「現地調査班に行ってもらう。……君だ、佐久間。」

 空気が変わった。

 室内の温度が、一度下がった気がした。

 大悟は視線を落とし、息をゆっくりと吐く。

 赤く点滅する沖縄の地図が、瞳の奥で揺れる。

 「了解しました。」

 その言葉が出るまでに、三秒の沈黙があった。

 その三秒に、過去と現在のすべてが沈んでいた。

 神谷は頷き、再びモニターに視線を戻す。

 「――眠れる島に、火がつく前に止めろ。

 それが“君の役目”だ。」

 その言葉の余韻だけが、オフィスに残った。

 モニターの光が静かに消え、再び闇が支配する。

 沈黙の中、大悟の耳には、遠い潮の音が確かに聞こえた。

 ――それは、もう何年も聞いていないはずの故郷の波音だった。



「故郷という火種」

 モニターの光がゆっくりと消え、部屋に再び冷たい蛍光の白が戻った。

 神谷は端末を閉じ、無言のまま大悟を見つめている。

 視線に一切の感情はない。だが、そこには確かな“判断”があった。

 沈黙のあと、大悟が口を開いた。

 「……俺が、ですか。」

 神谷は軽く頷く。

 机の上の封筒を指先で押し出す。その仕草は、まるで運命の契約書を渡すようだった。

 「沖縄出身だろう。土地勘がある。言葉も通じる。」

 冷たい論理。

 人事配置の一行で説明できる、合理的な判断。

 だが、その言葉の裏にある重さを、大悟は痛いほど理解していた。

 彼は視線を落とし、静かに言った。

 「……あそこは俺の故郷じゃありません。十年前に捨てました。」

 空気が一瞬だけ止まる。

 その言葉の刃が、室内の静寂をわずかに裂いた。

 神谷は、微かに口角を上げた。

 それは笑みというよりも、冷たい観察の反応。

 「君の故郷だな。」

 言葉の芯には、静かな確信があった。

 そして――淡々と続く。

 「……燃えやすい土地だ。情を持つな。」

 蛍光灯の光が神谷のレンズに反射し、一瞬その表情を白く塗りつぶす。

 冷たく、硬い声。だがその中に、かすかに“警告”が混じっていた。

 間。

 コピー機の作動音が響く。

 部屋の隅で白い紙が次々と吐き出される。

 その音が、奇妙に規則正しい心拍のように感じられた。

 大悟はゆっくりと書類を閉じ、立ち上がった。

 指先がわずかに震えている。

 それを見せぬよう、胸ポケットにペンを差し込み、姿勢を整える。

 「了解しました。」

 神谷は頷きもせず、ただ一言。

 「――出発は明朝。詳細は現地で。」

 コピー機が最後の一枚を吐き出し、止まった。

 沈黙。

 その音の途絶えが、まるで合図のように、二人の間の空気を締めくくった。

 大悟は一度だけ窓の外を見た。

 夜の東京湾。

 その水面の揺れが、ふと沖縄の潮騒を思い出させた。

 ――燃えやすい土地。

 神谷の言葉が、静かに胸の奥で反芻される。

 だが燃えるのは、土地ではない。

 きっと、自分の中の“何か”だ。

 大悟は踵を返し、部屋を出た。

 自動ドアが閉じる音が、すべてを断ち切った。


「火を灯す者」

 沈黙のオフィス。

 壁のモニターはすでに消え、蛍光灯の白い光だけが世界を支配していた。

 大悟は、机の脇に立ったまま動かない。

 神谷は書類を整え、背を向けたまま最後の言葉を告げた。

 「君にしかできない任務だ。……眠れる島に火を灯せ。」

 その声には、感情の欠片すらなかった。

 命令というより、呪いのように均一な響き。

 カメラは大悟の横顔を捉える。

 視線の先――厚いガラスの向こうに、夜の東京湾が広がっている。

 ビル群の光が水面に散り、風が小さな波紋をつくる。

 その揺れは、まるで何かを思い出すような、遠い呼吸だった。

 大悟は低く呟いた。

 「……火が、誰を焼くのか。」

 その声は、言葉というよりも吐息だった。

 蛍光灯の唸りがそれを飲み込み、空気に溶かしていく。

 神谷は何も答えなかった。

 背中越しの沈黙が、すでに“国家”の答えそのものだった。

 数秒後、ドアが開く。

 短い電子音。

 神谷は振り返らずに部屋を出ていった。

 閉じるドアの音が、金属的に響く。

 残された大悟の周囲には、静寂だけが残る。

 蛍光灯の低い唸り。

 それが波の音に変わるまで、彼は動かなかった。

 ――眠れる島。

 それは本当に島のことなのか。

 あるいは、自分自身なのか。

 大悟は目を閉じた。

 まぶたの裏に、赤い点滅が浮かんでいた。

 沖縄の衛星写真。

 小さな光点。

 その中心に、自分の鼓動が重なっていた。


「Sangoの名を見た夜」

 部屋には、もはや誰もいなかった。

 空調の微かな風音と、蛍光灯の唸りだけが残っている。

 大悟は立ち尽くしていた。

 さっきまで神谷がいた場所を見つめたまま、動かない。

 手の中の力が抜け、拳がゆるむ。

 机の上――資料ファイルが一冊。

 タイトルが黒いインクで印字されている。

 > RyuTalk/通信傍受記録

 厚い紙の匂いが漂う。

 ページをめくる指先が、ほんの僅かに震えた。

 冷たい活字の羅列。日付、時間、発信元、受信先。

 数字と文字の無機質な行列が続き、最後のページで止まる。

 モニターが再び光を放った。

 画面の中央に、一行だけ文字が浮かんでいる。

 > 投稿者:Sango/ステータス:死亡

 その瞬間、空気の密度が変わった。

 鼓動の音が、遠くで跳ねる。

 “Sango”――その名が、胸の奥に突き刺さる。

 十年前の記憶が、音もなく蘇る。

 海辺の砂、真夏の太陽、波打ち際で笑う彼の声。

 ――「海は、誰のものでもない。

  でも、誰かが守らなきゃ、すぐ奪われる。」

 それが、比嘉海斗の口癖だった。

 そのときの彼の目の色を、大悟は今も忘れていなかった。

 画面の光がゆらぎ、わずかにノイズが走る。

 “死亡”という文字が、一瞬だけ歪んで見えた。

 まるで、それ自体がまだ息をしているかのように。

 大悟は静かにファイルを閉じた。

 指先に残る紙の感触が、異様に重い。

 彼は顔を上げ、窓の外を見た。

 東京湾の光がゆらゆらと揺れている。

 その向こうに、遠い南の海がある気がした。

 “眠れる島に火を灯せ”――神谷の声が、頭の奥で再び響く。

 だが今、大悟の胸にあったのは、

 **「Sangoは本当に死んだのか」**という、ただひとつの問いだった。

 光がゆっくりと画面から消える。

 残るのは、冷たい蛍光灯の音。

 波の記憶が、静かに夜を満たしていった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ