第31話:変わらぬ日常回、変わりゆく日常
(記者:オルタシア視点)
「こんな隅っこにいたんだ。こんばんは、オルタシアさん」
背後から聞き慣れた声がかかる。
背を向けて座っていたはずなのに見つけるとは、やはり目ざとい男だ。
「……何の用ですか、アルヴィンさん」
不機嫌を隠す気もなく返す。
紅茶のカップをそっと置き、首をわずかに動かして睨み上げる。
視線が合うと、彼は嬉しそうに話を続けた。
「昨日の件で、改めてお礼を言いたくてね。本当に助かったよ」
「……仕事ですので」
短く切り捨てる。
それでも彼は気にした様子もなく、勝手に会話を続けてくる。
「仕事と言えば、あの記事は見た? あの日、僕ら以外にも例の“記者”がいたらしいね」
「そうみたいですね」
探りを入れてきているのか。
紅茶をひと口含む。
冷めかけた香りが、わずかに鼻をくすぐり、喉が潤う。
「あの場にいたなら助けてくれても……って、協力して脱出できたし、それは必要ないか」
「それで? 何の用なんですか?」
本題に入らない態度への苛立ちが、声に滲む。
すると彼は頬を掻きながら、ようやく、言いにくそうに口を開いた。
「あーいや、要ってほどじゃないんだけど……」
一度だけ視線を外し、すぐにこちらを伺うように身をかがめてくる。
「こうやって知り合ったのも何かの縁だし、もしよかったら今度、一緒に依頼とか……」
「無いです。私はソロなので」
「……そっか。それなら仕方ないよね。冒険の仕方は人それぞれだしね」
そこで彼は、ためらいもなく対面に腰を下ろした。
まだ話すつもりらしい。
「なら代わりにさ、時々でいいから話をしない? 情報交換って言ってもいいけど」
「情報交換……?」
「今回、君に助けられてよく分かったよ。僕は情報通のつもりでいたのに、敵に踊らされて……危険に巻き込んでしまった」
「別に気にしてないわ。……それに、あの時は私も助かったし。お互い様」
言いながら、指先でカップの縁を軽くなぞる。
その仕草が、自分でも意外なほど落ち着いていた。
「だから、僕が迷ったとき、ちょっとだけ話をさせてよ。今回みたいに間違えないためにも」
本当は断りたい。けれど、この男は分かっているのだ。
私が結局、助けを求められたら放っておけないことを。
「……まぁ、少しだけなら」
「ありがとう。そう言ってもらえて本当に助かるよ。じゃあ、また……君の都合のいい時にでも」
嬉しそうな声を残し、アルヴィンは去っていった。
その背中を睨みつける。
なんだかんだ言いくるめられて、“次の約束”をさせられてしまった気がする。
溢れるため息を、冷めかけた紅茶で飲み込んだ。
本当に、厄介な男に目をつけられてしまったかもしれない。
「あっはっは! それで暫くギルドの番犬かよ!」
その時、遠くの席から大声の笑いが響く。
カジノの事件をまとめた記事への反応だろうか、自然と耳が傾いてしまう。
「うるせぇ! まぁ、もうやべぇギャンブルはしねーよ。こりごりだ。」
「そうしろそうしろ。俺らが賭けるのは、命だけで十分ってな」
「うまいこと言ったつもりかよ! 下らねぇな!」
賑やかな声が飛び交う。
昨日までどこか重たかった空気が、今日は妙に軽い。
依頼の成功を祝い仲間と肩を叩き合う者、明日の成功を願い高らかに杯を掲げる者。
ギルドは、すっかり日常を取り戻していた。
……なんと言うか、胸の奥が妙に温かい。
巻き込まれる形だったけど、違法カジノの調査に参加して、街の危機を止めた。そんな実感がある。
そして今、こうして笑い合う人たちの日常を守れたのだと思うと、少しだけ誇らしい。
――けれど。
その感情を、そっと胸の奥に押し込める。
私は正体不明の記者。
恥を広めて危険を伝える――醜聞記者なのだ。
誰にも知られてはならない影の役目。
浮かれるわけにはいかないし、表に出すわけにもいかない。
記事の一文が頭をよぎり、スッと目が細くなる。
“黒幕――真の悪人を明らかにすることはできなかったのである。”
街の危機は、きっとまだ終わっていない。
黒幕はいずれまた、この街へ何かを仕掛けてくるはず。
だからこそ、私が正体不明であることが役に立つ。
そんな確信めいた予感が、静かに胸の奥で灯っていた。
……とはいえ、当面厄介になりそうなのは、黒幕ではない。
さっきの男、アルヴィンだ。
アルヴィンの、人の油断を誘うあの柔らかい笑みが頭に浮かぶ。
考えるだけで、またため息がこぼれそうになる。
紅茶を飲み干し、静かに席を立つ。
――考えても仕方ない。それより動こう。
こういう“いい知らせの日”は、気が大きくなる冒険者も多いからね。
椅子がわずかに軋む音だけが、喧騒に溶けていく。
その喧騒を背に、私はいつものように、影の中へと姿を消した。
事件解決の手ごたえを感じる記者の一幕。
僅かな変化を覚えつつも、彼女はこれからも人を助け、記事を書き続けるのでしょう。
☆や感想を頂けましたら、これ幸い。
これにて本作は一度、完結と相成ります。
続きの腹案はありますが、しばし別の物語を綴る予定です。
続編をお待ちいただければ、作者として冥利に尽きます。




