第25話:潜入
(記者:オルタシア視点)
ひげを蓄えた老紳士は、私が紹介状を差し出すと、静かにそれを受け取った。
眉ひとつ動かさず、紙片の端をそっと押さえ、慣れた手つきで中身を確かめる。
そして細身の体をわずかに折り、静かな礼を示した。
「ようこそおいで下さいました。こちらへどうぞ」
老紳士の後に続き、店の奥を抜けて下りの階段へと向かった。
地上の喧騒が遠ざかるにつれ、空気がひんやりと変わっていく。
階段を降りた先、カジノへ続く物々しい扉が、重い音を立てて開かれた。
――真っ先に飛び込んできたのは光。
地下とは思えないほどの眩しさに、思わず瞬きをする。
天井から吊るされた無数の魔導灯が、昼間のような明るさを作り出していた。
ここが地上なのか地下なのか、時間の感覚すら曖昧になるほどだ。
「ほらオルタ、行こう」
差し出された腕に、私は仕方なく組み直す。
アルヴィンとは恋人……という設定だ。
不自然にならないように距離を詰め、会場を眺めるように歩いていく。
まず目に入るのは、カードやサイコロ、ルーレットのテーブル。
黒い服に身を包んだ男たちが淡々とゲームを取り仕切り、小さな歓声と悲鳴が上がっている。
群がる客の服装は、冒険者然とした粗野なものから華やかなものまで、仮面をつけている者もいた。
側には深い色のソファが並ぶラウンジがあり、香水と酒の匂いがゆるく漂ってくる。
カウンターではバーテンダーが静かにグラスを注ぎ、客たちは低い声で何かを囁き合っていた。
小さなステージでは、三人の楽団が落ち着いた音色を奏でている。
その柔らかな旋律が、場のざわめきを薄く覆い、どこか余裕のある空気を作り出していた。
ふと視線を奥へ向けると、別室へと続く扉の前に大柄な男が立っていた。
腕を組み、微動だにしない。客を見張るような、重たい存在感。
……あそこに、何かあると言っているようなものではないか。
「ほら、今日は楽しもうよ。何か気になるゲームでもあったかい?」
アルヴィンが笑みを湛えて問いかけてくる。
……どうやら、私の視線が鋭くなっていたらしい。
「そうね……ルーレットがいいわ。私は見てる」
行き先をこちらに委ねているが、油断はできない。
彼が敵と繋がっていない保証など、どこにもないのだから。
冒険者としても記者としても、ひとつの隙が命取りになる。
アルヴィンはルーレット卓へと私をエスコートし、空いた席に腰を下ろした。
負けを挟む場面もあったが、流れは確かに彼に寄っている。
勝つたびに、からかうような一言が飛んでくる。
私がそっけなく返すたびに、彼の顔が綻ぶ。
そうして自然体のまま、ゆるりと場へ溶け込んでいく。
やがて、勝った分のチップを一枚つまみ、隣の冒険者風の男へ差し出した。
「よければ、これで一回どうです?」
男は目を丸くし、すぐに顔をほころばせる。
「マジか!助か……って、お前、跳足のアル――」
その言葉を、アルヴィンはしーっと指を立てて制した。
笑みは崩さず、声だけを落とす。
「先に賭けますよ。今日はよく当たるんです」
男は慌てて口をつぐみ、赤い札を握り直した。
「お、おう……じゃあ、兄ちゃんの言う通りにしてみるか」
ルーレットが回り始め、場のざわめきが一瞬だけ落ち着く。
その静けさの中で、男がぽつりと話し始めた。
「お前、なんでこんなとこにいるんだ?」
アルヴィンは肩をすくめ、軽く笑う。
「ちょっと実家のツテでして……まあ、たまには贅沢もいいかなって」
もちろん嘘だ。だが、言い慣れているのか、声に迷いはない。
「羨ましいぜ。俺ら流れもんはよ、どれだけ稼げる奴でもめったに誘いがねぇって言うのに」
男は苦笑しながら札を握り直す。
スピンが緩み、ボールが落ち着き始めると、息をのむように盤へ身を乗り出した。
赤のマスにボールが跳ねた瞬間、男は派手に声を上げる。
「また勝ちだ!すげぇじゃねぇかよ!どうやってんだ!」
アルヴィンは柔らかく笑った。
「そうですね……今日は幸運の女神がついているとでも言いましょうか」
「かーッ、女かよ!この優男め!」
男は豪快に笑い、アルヴィンの背中を叩く。
その無邪気さに、周囲の客もつられて笑みを浮かべていた。
その後も、アルヴィンは同じ調子で客たちからぽつぽつと話を引き出していった。
「景気づけにどうです? さっきの話の続きも聞きたいんですが」
酒をおごって一つ。
「へぇ、それはすごい。そんな話、知りませんでしたよ」
自慢話をおだてて、また一つ。
「いやぁ、今日は散々で……ところで、こちらには長いんですか?」
大負けをして見せて、さらに一つ。
さっき知った話を“それらしく”語るその話術は、まさに詐欺師のそれだった。
ひと区切りついたところで、私たちはラウンジのソファへと移った。
音楽にひたるふりをしながら、静かに集めた情報を並べていく。
──高位の冒険者が出入りしている。
──賭博だけでなく、金貸しまで手を広げている。
──珍しい品や生き物、裏の商品も扱っている。
──借金を作りすぎると、逆らえなくなるから気をつけろ。
正直、彼の聞き出した情報があれば、実態調査は十分だ。
ゆっくりとグラスを傾けるアルヴィンを盗み見る。
ここまで積極的に情報を集めるということは、敵ではないのか?
いや、知られてもいい情報だけを渡しているのか?
確かにカジノの奥で、何かが慌ただしく動いている気配はある。
《幽識》は確かに働いているのに、細部までは掴み切れない。
魔法避けの影響か、それとも隠蔽するスキルがあるのか……
ただ一つ言えるのは、あの奥で“何かが起きている”ということだけだ。
「そちらの旦那さん、今日はツイてるね。奥のVIPで勝負してみないか?」
アルヴィンに向けられた声に、頭の中に警鐘が鳴り響く。
──罠だ。絶対に行ってはいけない。
強張る身に気づかれないように、努めて平静に声をかけた……はずだった。
「アル。そろそろ疲れたわ。今日は帰りましょう」
わずかに声が上ずる。調子がほんの少し乱れた。
その変化を見逃さなかった彼は、一瞬だけ目を細めた。
「……奥に、何かあるんですね?」
「違う、そうじゃなくて――」
「そこまで言われると、行ってみたくなりますね」
軽い調子のその一言で、私の言葉はすべて上書きされた。
アルヴィンが立ち上がると、男の表情がわずかに歪む。
歓迎の笑みではない。罠にかかった獲物を見る目だ。
「ちょ、アル! 本当にやめたほうが」
「大丈夫ですよ。今日は運がいいんです。ね?」
こちらを振り返った彼の笑みは、いつも通り柔らかい。
待ち受ける危険を伝える手段が思いつかない。
このままいけば、捕まってしまう。
正体をばらせば……いや、それだけはできない。
やはり、アルヴィンを信じ切れていないのだ。
奥の扉が近づくにつれ、《幽識》が悲鳴のように警告を鳴らし始める。
それでも、引き返すことはできなかった。
「ようこそ、VIPルームへ」
突き飛ばされるように押し込められた部屋で、振り向いた男がにやりと笑う。
厳重な魔法避けが施された部屋。
足を踏み入れた瞬間、《幽識》の感覚がざらりと削がれた。
……もう、逃げられない。
にやりと笑った男が、刃物を構える大男たちを横目に言った。
「無駄な抵抗はしないでくれよ? 命が惜しいならな」
その言葉と同時に、腕を掴まれた。
抵抗する間もなく、私たちはいとも簡単に捕まってしまった。
調査の遂行と失敗の一幕。
捕らわれた二人の運命は――
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