第19話:記者は耐え忍んでこそ
(記者:✕✕✕✕✕視点)
最近、街の空気がどこかざわついている。
“冒険者の街”と呼ばれるグラン=リュミエールで、その中核をなす、冒険者たちに小さな変化が起きているのだろうか。
見渡せば、いつも通りの喧騒がギルドを包んでいる。
……しかし、いくつかの顔に浮かぶのは、冒険への希望ではなく、追い立てられるような焦りと恐怖だ。
掲示板の前では、条件の良い依頼を取り合う怒声を、時折耳にするようになった。
些細なことで言い争う冒険者たちの姿は、焦燥の色を隠しきれていない。
“依頼は早い者勝ち”その原則さえ守れないほどに、余裕がないのだろうか。
高難度の依頼に挑戦して失敗する話を以前より耳にするようになった。
とりわけ、高位冒険者を中心に、判断を誤る例が目立ち始めているという。
無理と無茶の境界を知っているはずの冒険者たちが、その豊富な経験をどこかに置き忘れてきたかのようだ。
失敗報告の増加に伴い、ギルドの審査も厳しくなり、それがまた問題を呼ぶ。
受注を止められて怒鳴る者、取り消しを求めて食い下がる者も、少数ながら確かに存在する。
そうした者たちは疲労の色が隠しきれず、装備の手入れも行き届いていない。
金銭的な余裕を失った者がいるという噂も、あながち嘘ではないのかもしれない。
もっとも、そうした者はまだ一部にすぎず、全体としてはいつも通りの活気を保っている。
しかし、冒険者たちの間で、何かが静かに、確実に歪み始めている。
この街のどこかで、いったい何が――
……だめだ。煽りすぎているし、裏も取れていない。
これでは草案どころか、ただの愚痴の寄せ集めだ。
続きを書くのを断念し、私は転写の魔道具から手を離した。
魔道具を忍ばせた鞄から手を抜き取り、冷めた紅茶に口をつける。
暗い草案に気分まで沈んでいたが、酒場の空気は相変わらず賑やかだ。
夜が深まるほどに冒険者たちの声は増し、笑いも怒号も渦のように広がっていく。
灯火の魔石が、酒場の喧騒に揺さぶられて淡く明滅する。
焼いた肉の匂いに、こぼれた酒の甘さが混ざり、そこへ煙草の煙が重なる。
熱気となって渦を巻き、隅席の私のところへまで押し寄せてくる。
その渦の外側で、ギルド酒場の隅に座る私に気づく者は誰もいない。
癖のように、先代から譲り受けた魔道具を指で確かめる。
二つ折りの薄い板は、触れているあいだだけ思考を拾って筆記してくれる。
特殊インクで描いた記事をそのまま転送できる優れものだが、今のような駄文を刻ませる気には到底なれなかった。
私は、机の上に広げられた手帳に視線を落とした。
薬草学の勉強に偽装されたそれには、私のスキル――《幽識》で拾った冒険者の声が走り書きされている。
『金が足りない……』
『次の依頼、早く取らないと……』
『あそこで外さなければ……』
『一発当てたい……もう後がない』
『仲間にばれたらどうしよう』
『なんとか、なんとかしないと』
『……誰かに見張られてる気がする』
どれも他愛のない独り言のはずなのに、妙に同じ色を帯びている。
その先に浮かび上がるのは、賭博……先日の違法カジノだ。
最近、この手の声がゆっくりと、少しずつ増えてきた。
街の空気が、静かに、しかし確実に濁っていくのがわかる。
……なのに、まだギルドマスターからの連絡はない。
紹介状が届くまでは動けず、ただ待つしかないのがもどかしい。
焦りを紛らわせるように草案を書いてみたものの、こんな記事を出せば逆効果だ。
賭博に触れれば、違法カジノの連中に警戒される。
潜入の機会を潰すだけでなく、私自身が目をつけられかねない。
今は、書けない。
書けば、真実から遠ざかる。
私は深く息を吐き、手帳をそっと閉じた。
冷めた紅茶のカップを脇へ寄せ、薬草辞典と鉛筆、広げていた薬草を一つずつ鞄に戻していく。
――焦るな。耐え忍ぶ者にこそ、道は開ける。
先代の言葉が、ふと胸をよぎる。
綺麗に片付いたテーブルを眺めると、不思議と胸のざわつきが和らいでいく。
ごめんね先代。
忍ぶのは得意でも……我慢は、まだ上手くできそうにない。
このまま座っているだけなのは、どうにも落ち着かない。
けれど、あの調査依頼に関して、今の私にできることはない。
事実を並べれば、そう結論づけるしかなかった。
ならせめて、記者として、できることを続けるだけ。
ダンジョンを歩き、耳を澄ませ、今の自分に拾えるものだけ拾っていく。
それが、私にできる“今”だ。
鞄の紐を握り直し、私は灯火の揺れる夜の街へと静かに歩き出した。
微かな街の変化を感じ取る記者の一幕。
その先にある真実は、まだ誰も知らない。
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