第10話:後退できない冒険者(後半)
(黒槍の重戦士:パイク視点)
隊列と構えを崩さず、慎重に広間の中を進む。
太い石柱が視界を遮り、空気は乾いているはずなのに、どこか重い。
違和感はある。それでも、敵の気配は感じられなかった。
少し進むと石柱の並びが途切れ、開けた場所があった。
床の模様が他と違い、円形に彫り込まれているあたり、ここが部屋の中央なのだろう。
「ここなら、周囲を確認できる。少し休もう」
俺がそう言いかけた、そのときだった。
──ズガーーンッ!
目の前に降ってきた塊が、砂煙を上げて轟音を響かせた。
部屋全体が揺れ、石床にはひびが走る。
石柱の上部から、パラパラと石片が降り注ぎ、兜や肩当にカンカンと音を立てて跳ねた。
よろめいた俺は、思わず片膝をつく。
石突きを地に突き立て、必死に前を向く。
良くないことが、起こったのは確かだ。
だからここで、頭を下げるわけにはいかない。
体勢を立て直し、大盾からのぞき込むように、砂煙の向こうへ目を凝らす。
視界は白く濁り、敵の姿は見えない。
煙が晴れるまで、誰も言葉を発せなかった。
呼吸が浅くなり、乾いた喉が、張り付くように痛む。
そういえば、休憩、できなかったな……
そんな場違いなことを考えた時だった。
ゴ、ゴリ……ゴリ……。
石床に大きなへこみとひび割れを残したソイツが、砂煙の中、ゆっくりと起き上がる。
「ロック……ゴーレム……」
メイサンの声は、軋む音に吸い込まれるように消えた。
まるで“狩る者”が、その存在を見せつけるような、ゆっくりとした足音が近づく。
通路は背後にある。
けれど、あの狭い入口では、全員が一度に引ける余裕はない。
ゴーレムの行く手を阻むように、俺とフランキスが前へ出る。
大盾を構えた二人の後ろ、やや離れてハリスとメイサンがそれぞれの武器を構える。
メイサンは杖を高く掲げ、守護の奇跡を祈り戦いに備えた。
岩でできた巨人……ゴーレムたが、ひときわ大きな右腕が目に付く。
その拳は黒鉄で覆われ、乾いた赤褐色の染みがこびりついている。
鈍く光を返すその右腕を、悠々と頭上へと拳を持ち上げると、冒険者たちを見下ろして立ち止まった。
まるで、逃がすつもりなど無いと語るように。
「グルロロォォッ!」
ゴーレムの咆哮が、空気を震わせる。
石柱が軋み、天井の影が揺れる。
「来るぞ!」
咆哮に合わせて叫ぶ──と同時に、拳が空を裂いて振り下ろされた。
「ちっ、やるしかねぇ!」
フランキスと共に盾を掲げ、巨拳を受け止める。
守護の奇跡を受けた二人が、盾を並べて構えた。
俺たちができる最大の守り。
この敵が、どれほどの力を持つのか。
それを、この構えのまま受けて測る。
「「がっ……!」」
盾が悲鳴をあげ、腕が痺れ、感覚が消える。
巨拳を止められず、衝撃に膝が沈む。
この威力は想定を超えている……っ!
すかさずメイサンの支援の光が走る。
痺れた体に力が戻るが、踏ん張りは一瞬しか持たない。
「フランキス!」
俺が叫び、盾を押し返す。
「オウッ!」
大盾を捨てたフランキスが飛び込み、ゴーレムの肘へと斧を振下ろす。
ゴーレムの右腕に、渾身の一撃が叩き込まれる。
ガキン。
乾いた音だけが響いた。
石の表面には、かすかな傷が残るだけだった。
──あれからどれだけの時間が経ったのか。
ほんの数分かもしれないし、数十分戦っているのかもしれない。
わかっていることは、メイサンの杖をかざす間隔が、徐々に間隔を短くなっていること。
俺の腕はとうに痺れ、盾の重さすら、もう感じられないこと。
フランキスが必死に斧を振るうも、有効打はいまだに与えられていないことだけだ。
「まずいぞ、これ……!」
ハリスの焦るような声に、一瞬だけ振り返る。
後方の退路は開いている。
しかし、狭い入口の全員が抜けるのを、このゴーレムが待っているはずもない。
……覚悟を、決めるしかない。
体を張るのは、リーダーの俺だ。
「見てられないわ……」
やや低めの女性の声が、どこからともなく耳に届いた。
次の瞬間、ゴーレムが爆ぜた。
一拍、静寂が落ちる。
ズシン……ゆっくりと、ゴーレムが倒れ込む。
「今の……誰だ……?」
声の主を探す余裕は、もうなかった。
「考えてる場合じゃない! 撤退しよう!」
ハリスの声が、隊列の背を押す。
何が起きたのかは、わからない。
だが、これがチャンスであることだけは、確かだった。
だからこそ俺たちは、重い体に鞭を打ち、必死に走った。
背後で起きた更なる爆破音に、気が付けるだけの余裕を持つ者はいなかった。
俺たちは、ただ生き延びることだけを考えていた。
俺たちは、欠けることなくギルドまで帰還した。
だが、全身は砂埃に塗れ、汗にまみれた顔は誰もがひどく汚れていた。
装備もボロボロで、特に俺の盾とフランキスの斧は、もう使い物にならなかった。
でも、それだけで、十分だった。
疲れ果てた俺たちは、ギルドの椅子に沈み込んだまま、しばらく誰も口を開けなかった。
そこへ、酔っ払いが笑いながら声をかけてくる。
「よう! おつかれさん! 今日も生きててよかったな!」
――生きててよかった?
四人は、疑問の表情を浮かべる。
そういえば、冒険者の窮地に、謎の声――って言えば……
顔を見合わせ、掲示板に目をやる。
――迷宮実話 第49号:まだいけるはもう危ない
その見出しに俺は、自分たちの“今日”が書かれていることを悟った。
感想・評価が賜れますれば、これ幸い。
新たなる綴りは水・日の折にお届けいたす心積もり。
本日は、これにて一区切りと相成りまする。




