第1話:酒の肴は迷宮実話
数多の物語より出会えた、めぐり合わせに感謝を。
精一杯綴らせていただきました。
前作「地味女、土魔法で我道を拓く」もよろしくお願いします。
帝国領土の最西端に位置する地方都市、グラン=リュミエール。
通称“冒険者の街”と呼ばれるこの地のギルドは、今日もにぎやかだった。
夕暮れ、依頼を終えた冒険者たちが、戦果を称えに酒をあおり、笑い声とジョッキの音が飛び交う。
壁際の依頼掲示板では次々と完了した依頼票が剥され、カウンターでは報告を終えた者が報酬を受け取り笑みを浮かべている。
冒険の後には酒を飲み、語らい、笑って歌う。
これがこの街での“生きて帰った証”であり“仲間への弔い”だ。
その喧騒の中、ひときわ大きな声が響いた。
「な、なんだよこれぇぇぇぇっ!」
皆が振り返る視線の先に、一組の冒険者が目に留まる。
リーダー格であろう若い冒険者が、顔を真っ赤にして掲示板の前に立っていた。
「なんでこんなこと書かれてんだよ……! これ、俺の、あの時の……っ!」
少年は震える人差し指で一枚の紙を指し、見出しを睨みつけていた。
その背後では、仲間のそれぞれ、困惑、沈黙、他人のふりと違う反応を見せていた。
「知らねえのか? 幸運に助けられたその日は、ギルドに近寄るなってよ」
気まずさが漂う一団の背後に、喜色を浮かべた酔っ払いが近づき、ガバリと少年の肩を組む。
酒気の濃さに顔を歪める少年が思わず身をのけぞらせる。
しかし、逃がさんとばかりに力を込めた酔っ払いは少年を引き寄せ、ニヤニヤとした顔で話を続ける。
「新入りぃ~。こりゃお前、“迷宮実話”だろぉ?」
その名が出た瞬間、酒場の笑いに、わずかなざわめきが混じった。
笑い声に混じって、「ああ、またか」という諦めと興味の入り混じったざわめきが広がる。
「……新聞、だよな? ギルドが出してる?」
「違ぇよ。ギルドはこんなもん出さねぇ。俺たちが“記者”読んでる奴が勝手に書いて、勝手に貼ってるんだっ!」
酔っ払いの冒険者は、笑いながらジョッキを煽り、最後の一滴まで飲み干すと、空になったそれを掲示板に叩きつけた。
ガン、と鈍い音が響き、紙面には丸く濡れた、ジョッキの底の形をしたシミが残る。
「じゃあ、誰だよ記者って……」
酔っ払いの行動に面食らった若者は、紙面を見つめたまま、言葉を絞り出す。
「それがわかりゃ苦労しねぇっての。……でもな、あれに書かれてることは――だいたい、合ってる」
酔っ払いの目は、紙面を睨みつけていた。
だが、その視線は、どこか遠くを漂っているようでもあり、口元には、怒りとも懐かしさともつかない笑みが浮かんでいた。
それは、かつて自分も“晒された側”だった者の、苦い記憶と、幸福な想い出が混じった、静かな笑いだった。
酔っ払いは肩組みを解くと、少年の肩をポンッと叩き、背を向けながら手を振って去っていった。
その去り際の言葉には、慰めでも励ましでもなく、少年たちを歓迎する慣れ切った軽さだけを残していた。
「まあ、お前らの“今日の幸運”は、ちゃんと見られてたってことだ。
……ま、恥ずかしいのは最初だけだ。生きてりゃそのうち、お前らも笑って読めるようになる」
「なんだよ…それ……っ!」
“今日の失敗”を思い足した青年が、酔っ払いの背を追うように振り返り、声をあげる。
その瞬間、酒場にどっと笑いが広がった。
乾いた笑い、肩を叩き合う笑い、ジョッキを掲げる笑い。
それは、誰かの恥を肴にした笑いであり、そして“誰もがそこに載る”と知っている笑いだった。
「俺が聞いたのは厳つい大男のような大声だった!」
「いやいや、あれは女の声だ。しかも大人の艶のある!」
記者の正体について、あれやこれやと盛り上がる中に、ひときわ大きな声が響き渡る。
「この前、俺のことが書かれてたぜっ!」
勢いよくテーブルに乗り、右腕を振り上げて、場の視線を集める男が現れる。
大げさな身振り手振りで自慢げに己の失敗を語りだすその姿に、酒場からまた笑いが起きる。
ギルドの夜は、笑い声とジョッキの音で騒がしく過ぎていく。
今日の熱を過去へと刻み、再び明日へと歩みを進めるために。
――その喧騒の中。
酒場の端っこ、柱の陰になる小さな席で、ひとり紅茶をすすっている人物が自嘲の笑みをこぼした。
「なんだその言い回しは……まるで高尚なポエムじゃないか」
濃い草木色のフードを目深にかぶった小さな影の呟きは、誰にも拾われず喧騒に紛れて消えた。
その影だけが、迷宮実話の作る笑いの輪の外側に立ち、じっとその様子を眺めていた。
グラン=リュミエールは、帝国領の最東端、自由都市国家の境界域に位置しており、街の地下には強力な地脈が走っている。
地脈のエネルギーが具現化した異界、通称“ダンジョン”が、街の周囲に群立している。
ダンジョンから産出される資源の収集と売却によって成り立つ、冒険者の街。
過去には、魔族との争いの最前線であったこの街も、今では“実践型成長の場”として多くの冒険者が訪れる。
冒険者の数と同じだけの希望と野望が入り混じった街では、その成功も失敗も、ひときわ濃く刻まれる。
そんな冒険者に娯楽と一定の恐怖を与え続けているのが、私の書く迷宮実話。
その記事は、ダンジョンで死にかけた冒険者の“失敗談”を、皮肉とユーモアたっぷりに書き連ねた読み物だ。
他人の恥は記憶に残る。――同じ轍を踏まないために。
自分の恥が記録に残る。――そう思えば、無茶する奴も減るだろう。
私は誰も気にすることはない。
誰の視線に留まることもない。
空になったカップを置き、そっと目を閉じた。
「死んでしまえば、全てが終わり……」
ゆっくりと瞼を開けると、テーブルには紅茶のお代わりと――伏せられた、小さなメモが置かれていた。
――記者殿へ
取り上げたメモに、紅茶の湯気がそっと揺れた。
その揺れは、誰にも気づかれないまま、酒場の熱気に溶けていった。
感想・評価が賜れますれば、これ幸い。
新たなる綴りは水・日の折にお届けいたす心積もり。
本日は、これにて一区切りと相成りまする。




