第七十三話 緊急事態と皐月の覚悟
「そんな廃れたはずの闇属性魔法を、君はどうして使えるの?」
「元から使える」
ライアンの問いに空也は即答した。
大河は思わず空也を見た。
張り詰めた空気が立ち込める中、空也がふっと笑った。
「——といったら、どうします?」
「……生意気な少年だな」
ライアンの口調は苦々しげだった。
「で、本当のところは?」
「辺境に闇属性魔法を使える人がいたので、その人に習いました」
「へえ。その人は今どこに?」
「だいぶ前に死にました」
平坦な声で空也は答えた。
それが真実なのか嘘なのかは、大河には見分けがつかなかった。
ライアンも同様だったのだろう。
なるほどね、と呟くのみで、彼は特にそれ以上は追求しなかった。
「それじゃあ、俺たちはこの辺で失礼しようかな——あっ、そうそう」
踵を返しかけて、ライアンが足を止めた。
「君たち、早く九条家に戻ったほうが良いよ? 今、キース森から一斉に魔物が街になだれ込んでいるから」
「なっ……⁉︎」
大河は目を見開いた。
「テキトーなこと言わないで。どうせ、私たちがあんたらを追ってこられないようにするためのハッタリでしょ?」
ミサが鼻で笑った。
「どうかな? 可能性のない話じゃないと思うけどね。【ファング・ハント】や魔物ハザード、【スカイ・ビースト】のように俺らは魔物を操ることができるし——キース森だから、さすがの空也君も【索敵】の範囲外でしょ?」
空也の表情を見れば、ライアンの最後の言葉が正しいのは明白だった。
「だが、魔物が街になだれ込むなんて緊急事態なら、王宮なり国防軍なり冒険者ギルドの詰め所なりから合図が——」
その傑の言葉が終わらないうちに、
南西の方角に【閃光】が三発、打ち上がった。
それの指し示す意味は——、
「緊急事態発生……甚大な規模の人的被害の可能性あり……!」
「ほらね」
ライアンが得意げな顔で胸を張った。
「くっ……!」
「それじゃ、頑張ってねー! さよならー」
ライアンとアレックスが去っていく。
「空也君、ミサちゃんっ。二人は最速で向かってくれ!」
「し、しかし、あの二人が戻ってきたら——」
「市民の救援が最優先だ!」
ミサの言葉を遮り、大河は叫んだ。
「わかりました」
「了解!」
二人は走り出した。
【身体強化】を使ったのだろう。その姿があっという間に見えなくなる。
「我々も向かうぞ!」
「了解!」
大河と残り七人は、急いで馬車に乗り込んだ。
◇ ◇ ◇
空也たちが三発の【閃光】により緊急事態であることを把握するころにはすでに、九条家では優作を中心に護衛隊が出撃準備を行っていた。
大量の魔物がキース森から街になだれ込むその気配を、ヒナが【索敵】で察知していたからだ。
「皆様、こちらへ」
執事長である佐々木は美穂や皐月、非戦闘員であるメイドや庭師たち、そして彼らの護衛を務める隊員十数名とともに地下に向かっていた。
目的地は九条家の間で『砦』と呼ばれている部屋——【漆黒】の襲撃にあったときに立て籠った、第二の結界や地下への逃走経路がある広めの部屋——だ。
部屋に入ると、皆が中央に固まる。
佐々木は、その中心にいる美穂と皐月を見ながら口を開いた。
「奥様と皐月様、そして皆さんも決してここから出ぬように。八城と他十数名の隊員を残していきますが、耐えきれない場合は地下へ避難していただきます」
「はい」
美穂は罪悪感を顔に浮かべつつも頷いた。
彼女も一応は魔法師ではあるが、その実力はとても魔物のハザードに対処できるものではないし、何より彼女は皐月と並んで最優先の護衛対象だ。
『砦』という一番の安全地帯で護衛されていること。それこそが今の自分のすべきことであると、理解しているのだろう。
しかしそれは、経験を積んだ大人としての、一種の諦念を纏った判断だったのかもしれない。
「私も……」
皐月がポツリと言った。
えっ、と佐々木は聞き返した。
皐月は顔を上げた。
「私も何か、手伝わせてください!」
「何をおっしゃっているのですかっ」
八城が皐月を手で制した。
「お嬢様は安全なここで——」
「嫌なんですっ」
皐月が八城を遮った。
家臣に対しても礼儀を欠かさない彼女にしては、とても珍しい行動だった。
「嫌……とは?」
言葉を詰まらせた八城に代わって、佐々木は聞いた。
「いつまでも、守られるだけの存在でいるのが嫌なんです。皆が命懸けで戦っているこの状況で、自分だけ安全な場所に避難している。そんなのはもう嫌なんです!」
「しかしお嬢様——」
「ただのワガママだっていうのはわかっていますし、戦場に出るとは言いません。足手纏いになるだけですから。それでも何か、お手伝いをさせてください」
佐々木は意外感を覚えていた。
大河の慎重な教育方針も影響したのか、皐月がここまで自分の意志を明確に主張することは、これまでにはなかった。あの玲良との会談で、何か彼女の中で変化があったのかもしれない。
その場に静寂が落ちた。
それを破ったのは、その場の最高権力者だった。
「……良いでしょう。行ってきなさい、皐月」
「お母様……!」
皐月がパアッ、と表情を明るくさせた。
「……よろしいのですか?」
佐々木の念押しに、美穂は力強く頷いた。
「今の皐月は良い目をしています。それに可愛い子には旅をさせよ、という言葉もありますし……大丈夫。責任は私が取りますから」
「……奥様がそうおっしゃるのでしたら、私は従います。ただし」
——その責任、私も片棒を担がせてもらいましょう。
そういって、佐々木は踵を返した。
「——参りましょう。皐月様」
「はいっ」
佐々木と皐月は、並んで『砦』を後にした。
「佐々木さん、ありがとうございます」
臨時で設置された司令室に向かう途中、皐月が頭を下げた。
「私は何もしておりませぬ」
佐々木は首を振った。
皐月の願いを聞き入れたのは美穂だ。佐々木はそれに反対しなかったに過ぎない。
美穂が皐月に賛同したのは、まず間違いなく皐月のためだ。
英才教育は受けていても、今の皐月には経験が足りない。今後、皐月がもし現在の不穏な流れに本格的に身を投じた場合、経験のなさは確実に不利になる。
だからこそ、美穂は愛する娘を庇護下に置くことはせず、経験を積ませることを選んだのだろう。
美穂の勇気ある決断に感嘆の念を抱きつつ、佐々木は皐月を見た。
「それより、皐月様は具体的にどうなさるおつもりですか?」
皐月は大人しい印象だが、現状を正しく把握することのできる聡明な少女だ。
先程の彼女の目を見ても、今の状況で考えなしのまま『砦』を出てきたとは思えなかった。
「魔物は脇目も振らず、こちらに一直線に向かってきているのですよね? それも、外の結界はほとんど役に立たず、護衛隊が出動しても殲滅できるか怪しいほどの数が」
「ヒナ殿によると、そのようですな」
佐々木は頷いた。
外の結界とは、九条家の周囲を覆う結界のことだ。
狭い範囲を高強度で守る『砦』の第二の結界とは異なり、外の結界は屋敷の周りを幅広くカバーする目的で作られているため、強度の高い攻撃には耐えられない。
「なら、私に一つ対抗策があります。おそらくは佐々木さんや野中隊長が思いつかない、思いついても口に出さない作戦が。状況によってはそれを提案し、皆さんが有用性を認めてくださるなら実行していただきます」
皐月の目には自信と覚悟が灯っていた。
皐月は盤を用いた戦闘シミュレーションゲームにめっぽう強い。その実力は護衛隊の隊長であり、実戦経験も豊富な優作に勝ち越すほどだ。
護衛隊の戦闘記録などにもよく目を通しているし、優作に意見を言う姿も見たことがあった。
佐々木には彼女の言う「自分や優作が思いつきそうもない作戦」については見当もつかなかったが、そんな皐月が自信を持っている作戦なら、期待しても良いかもしれない。
「なるほど、それは楽しみですな——では、急ぎましょう」
「はい」
佐々木と皐月は、駆け足で司令室を目指した。
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