第十八話 秘密裁判④ ~閉廷、そして~
「おおおお!」
叫びながら自分に向かってくる浩二郎に対して、玲良の身体は固まってしまった。逃げなければ、と本能ではわかっているのに、まるで金縛りにあったかのように身体が言うことを聞かないのだ。
「玲良様!」
急展開する事態に反応が遅れていた護衛が動く。ある者は魔法を発動しようとし、ある者は玲良の前に立ち塞がろうとする。
しかし、それらが手遅れであることを、玲良は頭のどこかで悟っていた。
――もう、駄目だ。
玲良が死すら覚悟した、そのときだった。
横から水色の物体が飛んできて、玲良の前で止まった。
「く、空也さん⁉」
その水色の物体だと思ったものは、空也だった。その動きが速すぎて、玲良の脳が人だと認識できていなかったのだ。
「お怪我はないですか?」
「は、はい」
両手で浩二郎の突進を受け止めながら聞いてくる空也に、玲良は戸惑いながらも頷いた。
「それは良かった」
「っ……ありがとうございます。それで、これはどういう――」
「すみません。それは後で」
「えっ?」
心底ホッとしたような笑みを見せる空也に動揺しつつもお礼を言い、さらに玲良が問いかけようとしたとき、空也が魔法を発動させた。
空也の手が光った直後、浩二郎の身体が電流が流れたように二度震え、同時に彼の暴走が止まった。
「……えっ?」
皆が呆気に取られるなか、今度は空也がその右手を浩二郎の身体に向ける。すると、土でできた縄があっという間に浩二郎に巻きついた。
しかし、玲良たちにその行為を追求している余裕はなかった。
「はっ、ああ……!」
浩二郎の暴走が収まった直後、今度は瑞樹が呻き声を上げて苦しみ出していたからだ。
浩二郎を拘束した空也は目にも止まらぬ速さで瑞樹の元へ向かうと、その上着に手をかけ、豊満な胸を露出させた。
「瀬川君⁉」
ミサの戸惑いの声を無視し、空也の両手がその胸に置かれる。瑞樹の胸部から眩い光が発生した。
「うっ……!」
その眩しさに、その場にいた者たちの目が眩む。
しかし光は一瞬で消えたため、皆の目は徐々に視界を取り戻した。
「——えっ?」
気の抜けた声を上げたのは、玲良だけではなかっただろう。
彼女たちの視界に映っていたのは、今にも死にそうなほどの苦悶の表情を浮かべていたはずの瑞樹の、そんな面影はどこにもない困惑した表情と、二つの幾何学的な模様が浮かび上がる豊かな胸だった。
「えっと……」
その場に沈黙が落ちる。
目まぐるしく変わる状況に、誰もが言葉を見つけられずにいたなか、最初に口を開いたのは瑞樹だった。
「空也っ、お前何を――いや、これはどういうことだ!」
「貴女が一番わかっているでしょう? 浩二郎さんにかけられた呪術を解除し、貴女が受けた二つの【呪い返し】を弾き飛ばした。それだけです」
動揺している瑞樹の張り上げられたものとは違い、空也のその声はとても落ち着いていた。
ただ、それが逆に瑞樹の神経を逆撫でした。
「ふざけるな……そんなこと、そんな馬鹿なこと、あり得るわけない!」
より一層の金切り声で、瑞樹は喚き始めた。
「浩二郎にかけた呪術はお前のものよりもプロテクトを強固にしていた! 解除どころか発見すらできるはずがない!」
瑞樹の言葉は、彼女の単なる願望にすぎなかった。そこには根拠も何もない。まるで、自分の思い通りにならずに泣き叫ぶ子供のようだった。
「そもそも――」
「瑞樹さん」
喚き散らす瑞樹を遮った空也の声は、相変わらず大きなものではなかった。
それでも、瑞樹は口を閉じた。まるで何かに強制されるように。
「諦めてください。もう貴女に勝ち目は——」
「黙れっ、黙れっ! くそっ、あいつさえ死ねば……!」
瑞樹が玲良に向かって魔法を行使しようとする。
空也は何もしなかった。彼が何をしなくても玲良の安全は保証されていたからだ。
「舐めてんの?」
瑞樹の魔法を相殺したミサの目には、怒りが浮かんでいた。
「なっ……邪魔だ!」
「無駄だよ」
空也からの魔力の供給もなくなった瑞樹の攻撃は、ミサにとっては牽制にもならなかった。
「他人から支援魔術を受けても個人ではS級に上がれないような人間には、元々できることなんてタカが知れている」
「うるさい! 死ね!」
「驕りすぎだよ、あんた。それに——」
瑞樹の魔法を相殺し続けながら、ミサは口の端を吊り上げた。
「王女を殺せば罪に問われないと思ってるなら、さすがにお粗末すぎるよ。この程度の準備で良くあんなに余裕こいてられたね。もうちょっと頭良いと思っていたんだけど」
「なっ……⁉︎」
瑞樹が絶句した。その目がみるみる充血していく。
瑞樹の中でミサ、【光の女王】は「魔法が得意なだけの、頭脳なら自分の足元にも及ばないガキ」という認識だった。そんな、格下に見ていた者からの嘲りは、瑞樹のようなプライドの高い人間にはとても耐えられるものではなかった。
彼女の中で留まることを知らずに増長を続ける激情に身を委ね、瑞樹は口を開いた。
しかし、彼女の口から意味のある言葉が漏れ出ることはなかった。
瑞樹の目の前を何かがかすめる。
それは、空也が放った【魔弾】だった。瑞樹がそれを魔法だと認識するころには、すでにそれは彼女の前を通過していた。
「これ以上悪あがきするなら、ここで殺すよ?」
「……あ、ああ」
右の手のひらを広げる空也を前にして瑞樹が感じたのは、圧倒的な恐怖。ミサと違って空也の顔に嘲笑は浮かんでいなかったが、そのことがより彼女の恐怖を増大させた。
空也の何の感情も宿していないかのような瞳に抗うだけの胆力を、瑞樹は持ち合わせていなかった。
負け惜しみを叫ぶことすらも許されなかった瑞樹にできたのは、その場に崩れ落ちることだけだった。
瑞樹が崩れ落ちたのを見て、玲良はハッと自分を取り戻した。
展開が急すぎて疑問符が脳内を占めるが、それでも事態が一段落したことは玲良にもわかったからだ。
「何がどうなっているんだ……?」
「【呪い返し】の跡が二つあるぞ!」
「それを弾き飛ばしたって本当か⁉︎」
「それより、さっき王女を殺せとか言っていなかったかっ?」
あちこちで動揺の声が上がる中、玲良の執事兼護衛である夕闇杏奈がすすす、と近寄ってきた。
「玲良様」
「何ですか?」
「このままだと収拾が尽きません。もう裁判の様相も呈していないですし、取りあえずは閉廷なさるべきかと」
「……そうですね」
玲良は周囲を見回しながら頷いた。
瑞樹は放心状態、浩二郎は拘束され、子供たちにも何かをしようという気配はない。両親を交互に見ながら困惑している健一はともかく、憔悴しきった表情の歩美は、おそらく現実を理解しているのだろう。
瀬川家が満身創痍である以上、さらなる事件はまず起きないだろうが、これまでに起きたことだけでも相当な大事件だ。杏奈の言う通り、ひとまずこの場は収め、話を聞くにしても一度環境を変えるべきだろう。
玲良は、途中から空気になっていた裁判長に近づいた。
「もはやこれは、一つの裁判でどうにかして良い事案ではありません。ひとまず閉廷といたしましょう」
「わかりました」
裁判長も同じことを思っていたようで、すぐに傍に置いていた小槌を手に取った。
小槌の叩かれた音で、皆が口を閉じて裁判長に注目する。
「静粛に! ――これにて、本裁判を閉廷する!」
「瀬川浩二郎、瑞樹、健一、歩美は個別に独房へ。九条家の皆さんと光の女王、空也さんは別室へ誘導してください。くれぐれも失礼のないように!」
「承知しました。本井と井手口は——」
玲良の指示を受け、今度は杏奈が各方面に指示を飛ばし始めた。
玲良の護衛が一斉に動き始める。混乱しているとはいえ、彼らはプロだ。任せて大丈夫だろう。
「ご苦労様でした」
「ありがたいお言葉です」
途中からもはや裁判ではなくなっていたため、裁判長も気疲れしただろう。
玲良が労いの言葉をかければ、裁判長は苦笑しながら頭を下げた。
これ以上の面倒事は起きないでほしい——。
そんな玲良の願いは、予想外の方面から打ち砕かれることになる。
◇ ◇ ◇
それは裁判が終わってすぐのこと、玲良が各所に指示を飛ばしている最中だった。
「えっ、空也さんと光の女王が脱走した!?」
「ええ……」
目を見張る玲良に、伝えにきた杏奈も困惑した表情で頷いた。
「どういう状況なの?」
「控え室で休まれていたとき、瀬川さんが突然九条家が襲われている、と言い出して、そのまま部屋を飛び出して行ったそうです。光の女王はそれを追いかけた形のようですね。もちろん近くにいた者たちで止めようとしたらしいのですが……」
「……半端な実力ではあの二人は止められないでしょうね」
「ええ」
何が何だかわけがわからない。それでも玲良は指示を出さなければならない立場だ。
「至急、凛と祐馬を二人の探索に向かわせて。九条家の方面を中心に」
「承知しました」
小走りで駆けていく杏奈を見送りながら、玲良はため息を禁じ得なかった。
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