第123話 合宿5日目・主将編
合宿も5日目を迎え、最後の練習で追い込むことになった。
一年生や二年生は三年生ほどの体力がないため、レギュラー以外はほぼ途中で休憩を挟んだりして無理せず厳しく練習する。
5日目ともなると三年生でさえ疲労が出るので、後輩たちは三年生の凄さを思い知る。
5日目は基礎練中心でランニングや体幹トレーニング、ストレッチや素振りなど野球の練習の原点を中心にする。
そして15時になり、最後のシートノックでは……
「よし! 最後の地獄のシートノックだ! 全員濡れた布マスクをつけよう! 俺もつけるから安心してくれ!」
「やっぱり来てしまったか……」
「地獄のクソウザ煽り付きギリギリコース狙いノック……」
「あれやられるとメンタルにも来るんだよなあ……」
「そ、そんなにきついのですか……?」
「西野も布林もはじめてだからわからないけど、オイラたちでさえ嫌がってるから相当苦しいぞー?」
「マジですか……!?」
「が、頑張ります……!」
「夜月はファーストで頼む! 後半は外野もやらせるから安心しろ! まずサード!」
「バッチ来い! うおっ!?」
「そんな捕り方を教えた覚えはないぞー! 次ショート!」
「うしっ! それっ!」
「伊達に女遊びしてただけじゃないなー! セカンド!」
「よっしゃー! それっ!」
「ナイスボール! バッチ来い!」
「さあ慣れないファーストが来たぞ! おらあっ!」
「よっしゃ!」
「さすが外野手だっただけの事はあるね! いい反応だ! さあ下級生はどうかな?」
石黒監督は嫌らしいノックで選手たちの嫌がるコースを狙って打つ。
ただサードやファーストは普通の高校ならファールゾーンでも捕って投げさせるが、石黒監督はそのギリギリファールにならないところまで狙って打てるので凄く難しくなる。
とくに一年の布林は痩せて動きにキレが増したとはいえ、まだ経験不足もあって判断が遅くなったりして後逸する。
松田も反射神経はいいが判断を誤る傾向があり、布林ほど守備が安定しない。
だがそれでも松田は一番大きな声で盛り上げ、選手全員が嫌なノックで嫌気がさして空気を悪くしないように声を出した。
キャッチャーノックでは……
「天童、吉永、津田。それぞれの塁に素早く三方向に打つからその方向に向かって投げろ」
「はい!」
「さあキャッチャー! ほい! ほい! それっ!」
「うわっ!? 早すぎ!」
「これは効率がいいわ……!」
「俺は二塁か! 歓迎だぜっ! そらあっ!」
石黒監督はキャッチャーが監督にトスし、それを手でボールを弾いて一塁側、二塁側、三塁側とそれぞれの方向に数秒のうちに効率よくノックする。
それを全方向を5セットやってキャッチャーの素早いスタートや正確かつ速い送球を求める。
これにより無駄な時間を削り、打席も左右でランダムで入れ替えるので実戦をイメージした練習にもなる。
外野ノックではもはや左中間や右中間の本当にギリギリ真ん中を打ち分け、外野陣にとって非常に捕りづらい上に声をかけ合わないといけないところなので接触を恐れて譲り合いもしてしまう。
そんな時に石黒監督の煽りは……
「ほらほら外野手! そんな譲り合いしたら彼女は一生できないぞ! 友達に好きな人をも譲れるのか? 無理ならもっとフライやライナーに貪欲になりなさい! ボールを落球したら死ぬつもりで捕りなさい!」
「はい!」
「さあ外野ノックは続くぞ! それっ!」
「よっしゃ! それっ!」
「ナイスボールだけど尾崎くーん! そんな高い弾道じゃただ肩が強いだけの残念な送球だよ!? もっと低く真っ直ぐに!じゃないと中継も捕りづらいし、ボールが浮いた分タイムロスだよ!」
「俺の強肩に合わせて指示を変えるんだ……。さすが監督じゃん……」
あまりにも嫌らしく狙い通りのコースに打ち分けるノックに一年生は全員リタイア、二年生もレギュラーだけ残るという始末となった。
それも無理もない、何故なら濡れた布マスクをつけたまま全力疾走をしているのだから息苦しいし、6月というのもあって湿気で暑いのだ。
おまけに夏ももうすぐなのでジメジメした暑さに加えて熱気もある。
それでも三年生は夜月を中心に全員生き残っていた。
石黒監督は『打たれた人がちゃんと捕球して、上手く送球したらラストワンプレーにしてやろう』と思い、あえてシンプルなノックにした。
だがレギュラーの尾崎と木下、朴はもう限界なのかリタイアし、残るは三年生のみとなった。
投手もノックに参加しているので、スタミナ面に不安のある川口が残っているのが奇跡ともいえる。
しかしスタミナがあるはずの佐藤や楊もリタイアし、下級生には『何故三年生はそこまでして生き残れるのか』わからなかった。
それがわかるのはここからである。
「もういっちょ来い……!」
「聞こえないよ夜月! いつもの威勢と頭の回転はもう終わりか?」
「も……もういっちょーっ!」
「それっ!」
「うっ……!」
「そんなボテボテも捕れないほど慣れてないわけないでしょ!?」
「うわっ……!」
「いつものお調子者はもうないのか山田!」
「はあ……はあ……!」
「うっ……!」
「いつもの大声が聞こえないぞ松田! 田村も笑顔が消えてるぞ! 榊や園田もスタミナが自慢じゃなかったの!?」
「はあ……はあ……!」
「うがっ……!」
「清原くーん! ポッコリお腹を克服しないからエラーするんじゃなーい?」
「クソッ……!」
「はあ……はあ……!」
「どうした夜月……! もう終わりなのか~い……?」
「くっ……!」
三年生ももう限界を越えていて、普通ならリタイアしてもおかしくはない。
それでも三年生は全員、最後のシートノックを生き残ろうと必死になっていた。
その理由は渡辺世代や中田世代にも共通している、『次負ければもう引退で高校野球はその時点で終わりになる』ということだ。
だからこそ最後まで諦めず、悔いを残さないように気合いと根性で乗り切る。
しかし気合いとは自分に負けない気持ちであり、根性とは追い詰められてどう打破するかを気迫で乗り切るためであって、辛い事を無理して乗り越えようとすることではないと石黒監督もわかっていた。
だからこそ夜月の一声を待っていて、その一声次第でラストワンプレーにするか、ノックを中止にして合宿を5日目で終えて翌日の試合をキャンセルするかが決まる。
夜月はその事を事前に知らされていて、自分が弱気になったらみんなまで巻き込まれ、中学の時みたいに弱い自分が再来するのを恐れ、気合いと根性を見せるようにゆっくりと立ち上がる。
「はあ……はあ……! もう一球……お願いします……! 俺はまだ……ここで終わりたくない! お前ら! まだやれるよな!? 俺はまだやれる! 無理なら無理はしなくていい! 気合と根性で最後決めて美味い飯を食うぞ!」
「夜月……! くっ……うぐっ……!」
「まだだ……まだ終わらせない……!」
「うっ……うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ! おらあ監督! もっと厳しいの来やがれ!」
「いーや! オイラが一番きついの捕って格好よく決めるね!」
「俺だってピッチャーだからって妥協はしねえ!」
「こんな防具が何だ! 俺は天才キャッチャーの天童だぞ! そんな事でリタイアなんかしたら天才の名が廃るぜ!」
「監督! もう一球お願いします!」
「俺たち下級生も……先輩たちに負けないくらいやれます!」
「リタイアして言える事ではないですが……俺たちはまだ終わりじゃねえぞ! うおぉぉぉぉぉぉぉっ!」
「まだまだ……こんなもんじゃないね!」
「みんな……! ふっ、よーし!ラストワンプレー! 攻めた結果なら小さなミスをしてもいい! 全学年ここで決めるぞ!」
「はい!」
夜月の熱くもちょっと抜けた一声で全員が水を得た魚のように生き返り、一年生や二年生もおかしさと熱さと優しさ、そして気合いと根性を見て心に響き、リタイアした選手もラストワンプレーから参加するようになった。
地獄のシートノックも18時に終わり、石黒監督は予定してたよりもスムーズに終わった事に驚いた。
合宿の練習最後となり、シートノックを終えてグラウンド整備を終えると全員集合させる。
「全員集合! この地獄の合宿の練習5日間をよくここまで耐え抜いた。ベンチ入りしてないメンバーもサポートだけでなく練習に参加し、これで新チームになっても層の厚さを感じる事が出来た。そして誰も退部者はいない……それだけでみんなには本当に感謝している。俺の指導にここまでついて来てくれて……本当にありがとう。甲子園……絶対に行くぞ!」
「はい!」
「それから夜月、君に客人だ」
「俺にですか……?」
「着替え終わったら監督室に来てほしい。意外なゲストがいるぞ。ただ黒田純子さんではないとだけは言っておく」
「わかりました」
「明日は軽い調整してからダブルヘッダーで試合をする。相手は埼玉の花咲学苑と千葉の紅葉学院だ。同じ首都圏の強豪校と試合して感覚を養うぞ。いい試合を頼んだぞ!」
「はい!」
こうして地獄の合宿の練習期間を終え、翌日のダブルヘッダーに向けて調整する。
夜月以外の部員は合宿所に戻って学年問わずにストレッチやマッサージなどをして疲れを癒す。
夜月は監督室に向かい、意外なゲストは誰なのか緊張しながら考え込む。
監督室に着き、ノックして一声かけて監督の許可が出て中に入る。
「失礼します。夜月晃一郎、ここに来ました」
「久しぶりだね、夜月くん」
「渡辺先輩……? どうしてここに……?」
「君が僕と地元が近い上に主将になったと聞いてね。君の活躍が気になって大学から来たんだ。それに……君は僕と境遇も能力も似ているからね、少しだけアドバイスに来たんだ」
「俺と渡辺先輩が……? いやさすがに買いかぶりすぎですよ。渡辺先輩みたいにスマートじゃないし」
「僕が言いたい似ていることはそうじゃないんだ。君と僕は……周りを見て考えながら判断し、人によって接し方を変えてベストを尽くそうとするところだよ。現にこの5日間、その選手ごとの個性を活かそうとアドバイスしていただろう?」
「何でそれを……? まさか5日間ずっと見てたんですか……!?」
「実は気になって見てたんだ。後輩の黒田さんの言う通り、君には人を見る目がある。言葉選びもその人に合った言い方をしてくれているし、周りも見えてないようで実はよく見えてる。ただ物事をハッキリ言い、白黒つけない時が済まないところがあって誤解を生みやすいところは中田くんに似ているね。君は僕と中田くんのハイブリッド型の主将だと僕は見てて思う」
「そんな……やっぱり買いかぶりすぎですよ」
「そこまで卑下するなら僕にも話がある。実は僕……この学校に来るまでは無名の選手で、誰からも期待されていなかった補欠以下の選手だったんだ」
「えっ……? 渡辺先輩は器用でオールラウンダーなプレーじゃないですか!? それが無名で補欠以下……? 高津中央中って野球は常に一回戦敗退だったんじゃあ……?」
「その中でも僕は監督に見放されて、誰よりも個性がないとして育成放棄されてきた。それが悔しくて努力したけど、結局見向きもされず劣等生のレッテルを張られたんだ。だから高校進学したらもう野球はやめようと思ってたんだ。そんな時に僕のプレーと同級生の接し方を見て石黒監督が口説いてスカウトし、僕は僕を必要としてくれた石黒監督に恩を感じて東光学園に入学した。もちろん最初は個性豊かで強い同級生たちが多くいて、無個性な僕は劣等感しか抱かなかった。でもチームのみんなは僕の能力を見抜き、恵まれたのか主将となったんだ。そしてその結果……春の甲子園で準優勝するほどのチームの主将になれたんだ。周りを見て気遣いが出来る言葉選び、同時にハッキリものを言って上に怖気づかない正義感の強さ、その両方を併せ持つ人は世界中でもなかなかいない。夜月くん、君は将来とんでもない大物になる予感が僕にも感じる。どうか自分を見下さずに堂々と夜月くんらしく胸を張って進めばいい。僕たちでさえ出来なかった夏の甲子園制覇を頼んだよ」
「はい! ありがとうございました!」
二つ上の世代の主将だった渡辺と再会し、地元が同じ溝の口地区ということで共通点を見つけ、監督室で伝えたかったことを全部話した渡辺は安心して夜月に後を託した。
こうして夜月は先輩や同級生、指導者などからの支援で精神的に覚醒し、それを驕らずに自分らしく堂々と進んでいった。
こうして夏の選手権神奈川予選が始まるのです。
つづく!




