第119話 合宿1日目・走力編
合宿が始まり、一番遠い寮に住んでいる夜月が集合時間より5分早いが一番遅れて合宿所に入る。
それも夜月はかなりの大荷物で、どこから持ってきたんだとチームメイトから問い詰められたが、監督に『メニューで必要なものだが、みんなには秘密にしてくれ』と言われたという事で秘密にする。
夜月と同じ部屋には井吹や布林、そして水瀬と木下だ。
旧夜月チルドレンの勢揃いにより、布林は少し居づらい空気だったが井吹がそこをフォローする。
合宿一日目が始まり、早速夜月たちは一日目である走力練習に入った。
すると夜月はいきなり大きなバッグからミニハードルを取り出した。
さらに……
「おーい集合! これから夜月が走る事のスペシャリストである人物たちを呼んできたぞ!」
「誰なんだろう……?」
「おいーっす!」
「何だ河西か……」
「期待外れだな」
「ちょっとひどくない!? 俺も一応お前らより足が速いんだけど! まあ一緒に来る阿部と比べたら確かに劣るけど、阿部には出来ない走り方を伝授しよう!」
(コクコク……)
「夜月、阿部に出来ない事って何だ?」
「サッカーは基本的に直線を長い距離で全力走るわけじゃない。背走や急な方向転換もあるからそれを教えてもらおうと思ったんだ。阿部は直線だけでなく走塁時のカーブの走り方を教える。リレーは直線だけでなくカーブもあったろ」
「確かに先輩の言う通りだわ……」
「それと俺が頼んだアレ、持ってきてるか?」
「ミニハードルとラダーだろ? 監督の私物から借りるのに苦労したんだぞ」
「よし! じゃあ早速ミニハードルで阿部流ドリルを実戦しよう!」
阿部は無口ながら慣れない野球部に走りを教えるため、緊張しながら声を出す。
そして阿部はジャマイカでの合宿で身に付けたスプリントタイプの走りにするためのミニハードルでの矯正ドリルを実践した。
すると夜月たちはあまりの足の回転の速さとばねの力の利用、歩幅は大きくないのにストライドが大きい事に驚いた。
河西と夜月は寮の前で散々やってきたので今更だが、改めて阿部がやったところを見ると美しすぎて見惚れる。
そして阿部は無口なその口を開いて勇気を出して説明する。
「まずこれに慣れる前にその場でジャンプしてもらう。なるべく着地しても地面との接触時間を短くするんだ。つま先で跳ぶようなイメージでいい。それで膝はなるべく曲げない事、背筋はちゃんと伸ばす事、そして目線は必ず前だけだ。とりあえずやってみるといい」
こうして実践した結果……体重の重い清原は着地時間が非常に長く、とてもスプリントタイプの走りをするのは難しく感じた。
だが体重が重くても足が速い前沢と朴、布林は着地時間こそ最初は短かったが徐々に長くなってしまう。
そこで阿部が見抜いたのは……
「夜月、お前と天童と山田、尾崎、坂本、西野、そして水瀬だけもう次のステップに行かせるぞ」
「マジか……じゃあ他のメンバーは?」
「まず河西に腸腰筋を鍛える自重トレーニングから始めさせる」
「わかった。じゃあ俺もだが天童、山田、坂本、尾崎、西野、そして水瀬は阿部について来てくれ! 他は河西の基礎練習からだ!」
「はい!」
阿部の特別レッスンはミニハードルを使ったドリルで、着地時間を短くして腿上げをしながら足のばねを使ってダッシュする練習だ。
最初は両手を真上に上げて体幹の軸がブレないように意識して走る。
すると全員それが成功して阿部はもう教える事がなくならないかちょっと心配だった。
だがそれは杞憂でそれが夜月以外は長く続かなかった。
「これ……結構しんどい……!」
「短い距離を全力って考えたら死ぬんだけど……!」
「まだまだ……だね……!」
「お前らちょっといいか? まずスタートは確かに速い方がいいけど、いきなり全力で走ったら普通は途中で失速する。いくら100メートル選手でもだ。だから俺ら走りの素人はスタートを上手く素早くし、そして徐々に加速していく方が合ってるかもしれない。だからってスタートを遅くしたり最初の走りが遅いなんて事はないぞ。走れば走るほど加速して勢いをもっとつけるんだ。もし次の塁に近くなったら急ブレーキすると脚に大きな負担がかかる。そこで急ブレーキを怪我なくかけるにはスライディングが必要だ。そこで……河西、もうそっちは大丈夫か?」
「おう! 全員ハムストリングスと腸腰筋を鍛えてきたぜ! そしたらよー……全員クタクタになりやがったぜ」
「普段ただのランニングフォームで全力出してるだけだと思い知ったろ。じゃあ残りのやつらは阿部のドリルで選ばれた俺たちは河西のスライディング講座だ」
「は~い……!」
河西のスライディング講座はもはや滑り込んで摩擦が激しくならないようにする。
勢いではなく『下半身にスケート靴がはいてあるように滑る感覚だ』と教わる。
だが河西と同じ感覚派である天童と山田、坂本、水瀬は何となくコツを掴んだが、理論派の尾崎と西野は苦戦する。
夜月は二人を呼んで自分なりのスライディングのし方を教える。
「そうだな……お前らアニメは好きか?」
「夜月先輩知ってるくせに」
「えっと……僕は特撮なら少しだけです」
「んー……じゃあその特撮のヒーローって跳びながらキックしてるだろ? それの形で地面をスーって滑るんだよ。ライダーキックのフォームで地面を滑り込むってイメージすればわかりやすいだろう」
「兜ライダーっすか。まあ俺も見てると言えば見てますが、そのイメージって言えばわかりやすいかもっす」
「やってみます!」
夜月の特撮を活かした指導で尾崎と西野は見違えるようにスライディングが上手くいく。
元々理論派の二人は感覚的にプレーするとフォームが雑になる弱点があった。
おまけに器用でもあるために何でも理論で片付けてしまい、『それが出来ない自分はダメだ』と思い込むところもあった。
そこで出来ない事を上手くわかりやすくやりやすいようにさせる事で、自然にできるようにする優しい矯正法で克服した。
背走については残念ながら同じ外野手は尾崎しかいなく、尾崎にアメフト部のレシーバー流の練習を伝授して外野フライを練習した。
さらに山田と天童には……
「お前ら二人って動きが身軽だけどさ、結構身体能力頼りにしてないか?」
「そう言われるとそうかも」
「おーオイラたちが身体能力だけだろ言うのかー?」
「そうやって天童は肩を壊しただろ。山田は体重が軽いからまだ負担は少ないが、年を取ったら体重も増えて脂肪も増えやすくなるんだぞ。正しいフォームかつ自分に合ったフォームでないと無理した状態で体を使ったら怪我の元になる。天童は筋力が多少あるから阿部の走り方を練習すればいい。山田は筋力が足りないがそれはそれだ、体幹を中心とした筋トレをしよう」
「確かにオイラはいくら筋トレしたりプロテイン飲んでも筋肉も身長も大きくならないなー……。けど普通の指導者なら筋トレしろだの飯食えだの言うのに夜月は言わないんだなー」
「人間には向き不向きがある。無理なものは無理だし、出来る事をすればいいんだ。山田は時々体幹がブレてフォームが乱れる事がある。天童もそうだな。俺もそうだが体幹トレーニングを体操競技部やチア部直伝の練習をやるぞ」
「おう!」
「水瀬はスタートがいいがどうしても最後に失速してしまう癖がある。それは腸腰筋が弱いだけが原因じゃない。お尻の筋肉の瞬発的な持久力がないんだ。ウエイトだけではどうしようもないからハードルを使って腿上げ往復を何往復もすればいい」
「お兄さん……わかりました!」
「坂本は直線には強いけど走塁に関係するカーブや背走がちょっと苦手だな。カーブの際は直線と同じフォームだと曲がりづらいから内側の腕……左腕の振りを控えめに、右腕を大きく振ればいい。あんまり体を傾けすぎると今度は足がもつれてしまう。小さく傾ければある程度は何とかなるからやってみな」
「はい!」
「さてと……俺も坂本と同じ弱点だしやるか」
夜月は突然指導者のように各部員に指導を始める。
実は夜月、こっそり石黒監督のオンライン石黒指導者塾に入会して両親に会費を払ってもらって指導者の勉強をしていた。
理由は野球に限らず、『いつか仕事で指導する立場になった時のために教えるための知識と技術、そして精神面を今のうちに教わりたい』と思ったからだ。
足が速い山田と天童、水瀬、西野、尾崎、そして坂本はそのスピードを利用したプレーが身に付き、夜月もまた足の速さだけでなくテクニックも身に付けた。
一方の他の部員は阿部と河西によるメニューで精一杯で、『もう走りたくない』と清原が弱音を吐くほどに厳しかった。
そして最後のベースランニングでの計測だ。
「じゃあ俺がスタートの合図出すから阿部はタイムを測ってくれ!」
(コクコク……)
「じゃあ一人ずつベースランニング一周の記録を測るぞ!じゃあまず……いちばん足が速い山田から! よーい……スタート!」
山田は初速も素早くし、徐々に加速して記録は最高のものとなった。
そこから天童、尾崎、水瀬、夜月と続いてタイムが速い順にスタートする。
足が遅い清原は最後の番で、ついに清原の番になった。
「クッソ……走るの嫌いなんだよ!」
「おーいオッサン! ホームランは一周するんだぞー! そんな心じゃあ女の子にモテなくなるぞー?」
「うるせえチャラ男! 絶対新記録出すから見てやがれ!」
「はいはい、期待してるわ! よーい……スタート!」
清原はスタートダッシュに出遅れ、ドタドタと全力で走った。
当然いつものフォームで走ってるので今までやってきたメニューを無視してしまった。
それもそのはず、体重が重くて筋力頼りだったので体が疲れた頃に思うように動けないからだ。
そこで夜月は前に出て清原にこう叫んだ。
「今日のメニューを無駄にするな! お前は確かに不器用だがやれば出来る事を知ってるぞ! 今日の集大成としてやってみろ!」
「あいつ……苦手だからって俺も余裕をなくしてたわ。もう意固地になって自己流だけにするのやめるか……。やってやろうじゃねえかよ! うおぉぉぉぉーっ!」
)
「うおっ!? あいつドタドタこそしてるがフォーム変わったな!」
「いける……! これなら新記録……!」
「ヘッドスライディングだ!」
「この野郎ぉーっ!」
ズザーッ!
阿部はストップウォッチを確認すると、記録こそ遅いものの清原に見せると、清原は自己最速記録を叩きだして大喜びする。
石黒監督は清原でさえ足が速くなり、足が速くなりテクニックを身に付けてくれたことに喜んだ。
こうして河西と阿部を先生にした事が功を成し、チーム全体の走力が上がった。
次は守備編で細かい連携やバント処理、フライやライナーの処理や送球練習だ。
つづく!




