本の通りは通りは難しい
終盤になって、なかなか投稿する時間がなく随分とお待たせすることが多々ありました。
本当に申し訳ないです。
やっと終わることが出来て、ほっとしています。
楽しんで読んでいただければ幸いです。
お父様の話を聞いていたスピナジーニ夫人の顔が、少しずつ引き攣るように歪んでいく。けれど口元だけは綺麗なカーブを描いた。
「ふ、ふふふ。そんなの嘘よ。嘘に決まってるわ。だってそんな事、小説には何も書かれていなかったもの。自分が幸せになるために魔法を使っちゃいけないなんて……書いてなかったもの」
強がっているセリフと裏腹に震える声。先程までの鋭い眼光は消え視点が定まっていないのか、お父様を見ているようで見ていない。それでも夫人の口からは独白のように言葉が紡がれていく。
「幸せになるために使えない魔法なんていらないじゃない。せっかくこんな世界に転生したのに……好きに使えないなんて、おかしいじゃないの。どうして幸せになっちゃいけないのよ。贅沢に生きたいって思っちゃダメなの?愛されたいって思っちゃダメなの?」
空を見つめているような視点の定まらない瞳から、ハラハラと涙が流れ出した。気に入らない人ではあるけれど、こんな力ない姿を見せられると、なんだか胸が締め付けられる気分になる。この人はずっと小説に振り回された人生を送っていたんだって思ったら、少しだけ気の毒になってしまった。
他の皆も多分、同じ気持ちだったのだろう。皆の夫人を見る厳しい視線が和らいだように感じた。
それでも、私を殺そうとした罪は消えない。
夫人は、屋敷に待機させていた騎士数人に連れられて行った。
結局、スピナジーニ夫人は魔力が戻っても今までのような魔力量はなくなってしまったらしい。更に悪い気が影響しているのか、身体が弱くなってしまったそうだ。牢に入っていても、ベッドで横になる時間がどんどん増えていくのだそうだ。今の彼女は勝気だった面影もなく、ただ毎日を生きているだけになっているのだという。
そんな現状を聞いてしまいあまりにも不憫だと思った私は、ベッドを少しでもいいから質の良い物に変えてもらえるように、アルノルド王子を通じてお願いした。
シシリー嬢の方は現スピナジーニ子爵が引き取ると申し出てくれたそうで、夫人が捕らえられた翌日に我が家を去って行った。そもそも現スピナジーニ子爵は二人を追い出した覚えもなかったそうで、離れを改装している間に二人が消えてしまい見つけた時には、夫人からティガバルディ公爵の後添えになるから邪魔をするなと言われたそうで、そのまま放置する形になってしまったという事だった。
「おかしいなぁ、お母様が捕まっちゃうなんて本には書いてなかったのになぁ」
そう呟きながら、迎えの馬車に乗り込んでいく彼女の姿を見ていたが、最後まで本の内容を鵜呑みにしているその姿は軽いホラーだった。
「なんだか終わってみると呆気なかったですね」
シシリー嬢が去ってから数日経ったある日の学院内にあるカフェの一角。パウル様は物足りなかったと顔にくっきりと書いて溜息を吐く。
「まあな、バトルになる訳でもなかったからな」
「転生者って初めて見たけれど、なんだか以前の記憶を持っているのっていい事なのかよくわからないって思ったよ」
ミアノ様もレンゾ様もスッキリという感情にはならなかったようだ。かくいう私も命を狙われたり、振り回されたりして本気でムカついたりしたけれど、今はどうしても恨む気持ちにはならない。偶然にも私たち四人が同時に溜息を吐いた時、柔らかい低音が音を奏でた。
「リアが心配するような崩壊は起こらなかったんだ。それで良しとすればいいんじゃないか?」
コーヒーを飲みながらアルノルド王太子は全員を順番に見た。
まあ確かにそうだ。この世界は明らかに本とは違う未来を描いているけれど、今のところ壊れれてしまう兆候は全く見えない。クーが幸せそうにお菓子を頬張っている姿を見ると、平和そのものだと実感出来る。
『大丈夫だよ。少なくともこの国が壊れるような事は起こらないから』
見つめられていた事に気付いたのか、クーが私たちを見ながら確信を持った口調で言い切る。
「それはなんで?」
代表して私が聞くと、クーは金色のふわふわな胸毛を見せつけるように胸を張った。
『だって、僕がいるもん』
クーを見つめていた全員の視線瞳が、大きく見開いてから細められていく。そして小刻みに肩を震わせた後、声を出して笑い出した。
「そうだな。クー様様だもんな」
茶化すようにミアノ様が言えば、更に皆が笑うのだった。
「これで、リアの命を脅かすものはなくなったな」
ひとしきり笑い整えるように息を吐いた私に、隣に座っている王子が優しく微笑んで見せた。その瞬間、何故か勝手に心臓の鼓動が速まる。微笑んでいる顔なんてよく見ているはずなのに……真紅の瞳はどうしてこんなにキラキラしているのだろう。
「あの、はい……そう、ですね」
バクバクする心臓のせいで、すんなり言葉が繋がらない。そんな私の様子に気付かない王子はそのまま私を見つめる。
「それでもリア、これからも私はリアを守りたいと思っている」
プスっと胸に何かが刺さった。真っ直ぐに見つめてくるルビーの光から逃れられない。なんだろう?胸は痛いし頭もグルグルする。もしかしてあの赤い瞳はなにか光線を出しているのだろうか?尚も私を見つめ続ける王子にどうしたらいいのかわからずに、口をパクパクするしかない私を見かねたレンゾ様。
「ほら、これ飲んで」
私の手元に紅茶のカップを握らせてくれた。ミントの香りが鼻を刺激して少しだけ落ち着きを取り戻し、赤い視線が逃れることが出来た。
そんな私たちの様子を黙って見ていた向かいの二人の表情が怪訝なものに変わった。
「おい、殿下。リアに何かしたんじゃないでしょうね?」
「どうもあの、大泣きしてからリアの様子が変なんですよね。殿下を前にすると」
ミアノ様とパウル様の顔が怖い。けれど、王子は涼しい顔のままコーヒーを飲んでいた。
「別に何もしてはいない。腕の中で泣いていたリアが可愛かったと言っただけだ」
瞬間、幽霊でも通ったかのような静寂と、冷たい空気が流れた。そしてその静寂を打ち破るようにバンッとテーブルを叩く音が。
「それは何かしたうちに入るでしょうが!」
音を出したのはミアノ様だ。テーブルを叩いた勢いで立ち上がり、私の顔を見て眉を吊り上げた。
「おい、なんでそんなに真っ赤になってるんだ?殿下に可愛いって言われただけでか?まさか⁉︎」
言葉を切り私を睨むミアノ様に、慌てて首を振る。恥ずかし過ぎて思い出したくないのだからやめて欲しい。けれど、ミアノ様はなにかを確信したかのように言い募った。
「それだけじゃないんじゃないのか⁉︎他にも何かされたんじゃないのか⁉︎」
なにかって……ミアノ様のせいで記憶がポワポワとシャボン玉のように膨らむ。
『なにかってそれは……えっと……抱きしめられて自分の物にしたいって……あ、ダメだ』
思い出した途端に頭が沸騰した。
「やっぱり何かされたんですね⁉︎」
頭から湯気を出した私を見て、パウル様まで立ち上がる。
「リア、もしかしてアルノルド殿の事、好きになっちゃった?」
この状況を純粋に楽しんでいる顔のレンゾ様が私を覗き込むようにして聞いてくる。
「好き?ルド様を?誰が?何が?」
沸騰した頭では理解出来るはずがない。グルグルし過ぎて意識が飛びそうになる。
「おい!余計な情報を入れるんじゃない!」
ミアノ様が何か叫んでいるのが聞こえる。
「いくら物語上で二人がハッピーエンドになるからって、現実ではそうはいきませんからね!」
パウル様も何か捲し立てている。でも、私の耳にはもう何も聞こえない。ボコボコと沸いた脳に翻弄されてクラクラだ。
「うわーん。クー、魔力を流してぇ」
『わかったぁ』
もう本はないけれど、これからの学院生活も楽しそうだ。




