暴走馬車
ヴェルデ学院に行く前日。お父様とお兄様にプレゼントを買おうと、アネリと共に街に来ていた。
「ふふふ、いい物が買えてよかったわぁ」
何軒か見て回り二人に買ったのは、瞳と同じ色のカフス。お父様には琥珀のカフスで、お兄様にはアメジストのカフスを買ったのだ。
「せっかくだから、屋敷の皆にお菓子でも買って帰りましょう」
そう話しながら大通りに出た時だった。
「どけっ!どいてくれ!!」
怒声と共にガラガラともの凄い音を立てて、馬車を引いた馬が暴れながら真っ直ぐこちらに向かってくる。馬車の中は空のようで、軽いせいか今にも横倒しになりそうな程ガタついていた。
「お嬢様!危ないです」
アネリに腕を引かれ、元の道へ引き返そうとしたその時。
『え?』
制御を失って焦っているはずの御者と目が合った。やけに冷静な瞳でこちらを見た御者は、「どけ」と叫びながらも私の方へと向かってくる。
『こいつ、わざと?』
明らかに私を狙っているのだと確信した私は、タイミングを計って御者を捕まえてやろうと身構えた。ところが私の少しの後ろで、子どもの泣き叫ぶ声が響く。突然迫って来た恐怖に、身体が動かなくなってしまったのだろう。
『このままじゃあの子が!』
そう思った私の身体は、脳内で理解するよりも早く動いていた。
暴れる馬の背に飛び乗り、方向を変えようと手綱を握る。
「こっちだってば!」
思い切り力を込めて手綱を右に引くと、すんでのところで馬の方向が変わった。立ち尽くした子供を避け、その数メートル先でやっと馬を制止させる事に成功する。
『御者は!?』
咄嗟に後ろを振り返るが、御者の姿はいつの間にか消えていた。
「お嬢様!」
アネリが珍しく慌てた様子でやって来る。
「私は大丈夫。あの子は?」
子供の方を見ると、母親らしい女性が駆け寄って抱きしめている所だった。
「はあ、どうやら無事だったみたいね」
「はい、お嬢様のおかげです」
アネリに素直に称賛された事に驚いてしまう。と同時に、怖いと思ってしまう私は間違っていないと思う。
それからは、一部始終を見ていた街の人々から、称賛の嵐とたくさんのお土産を頂いてしまった。
ホクホクで屋敷に戻ると夕食の時間、ダイニングルームに入った途端お父様に抱きしめられた。
「聞いたよ。日中、街で暴走した馬車を停めたんだって。轢かれそうになった子供を助けたそうじゃないか」
アネリから聞いたのだろうか、お父様は全身から嬉しさを溢れ出させている。
「結果的にそうなっただけだから。あまり大事にはしないで」
「ははは、リアは謙虚だなぁ。本当に私の天使は素晴らしい!」
相変わらずの親バカっぷりに、こちらまで笑みが零れてしまう。お母様が亡くなってから勧められた再婚話を全て断って、お兄様と私を育ててくれたお父様。そんなお父様のたくさんの愛情があったから、私もお兄様も母親がいない事に寂しさを感じた事はなかったのだ。まあ、少々?行き過ぎた親バカというオプションが追加されてしまったけれど。
「暴走した馬車だなんて。街などに気楽に行くから危ない目に遭うのではなくて?」
話に入ってきたスピナジーニ夫人は、そう言いながらまるで汚い物でも見るかのような視線を送ってきた。この人は差別意識が酷い。街なんぞは貴族の行く場所ではないと思っているのだ。買い物がある時は商人を屋敷に呼ぶものだと思っている。まあ実際、そういう思考の貴族はいる。私には全く受け入れられない思想だけれど。
「そういえば、どうして街に行っていたんだい?学院に行くのに何か不足があった?」
ちょうど帰って来たお兄様が質問してきた。ちょうどいいタイミングだと、私は二人へのプレゼントをテーブルに置いた。
「二人に私の分身をプレゼントしようと思って」
買って来たカフスを二人の席に移動させる。
「それを身に着けていてくれたら、私の事を思い出してもらえるでしょ」
「リア……」
私のプレゼントに感極まったお父様が、オイオイと泣き出してしまった。
「ううう、リア。明日からリアがいなくなってしまうなんて……どうしよう、もう寂しいよ」
いやいや、泣くの早過ぎだって。席を立ちお父様の傍へ行った私は、イスに座ったまま泣いているお父様を抱きしめた。
「お父様、ちゃんと週末には戻って来るから。そんなに悲しまれると、学院に行きたくなくなっちゃうわ」
そう言うと、泣きながらもお父様が笑みを作った。
「そうだよね、ずっと離れ離れになるわけじゃないよね。父様、頑張るよ」
「ふふ、頑張って」
何を頑張るのかはわからないけれど、暴走はしないといいなと思う。