1-7 閉鎖工場
大失電から1か月もたつと、厳しい生活であっても、人々は受け入れはじめ、またそれに慣れざるを得なかった。
日本中の会社は何もできないうちに、経営が停止し、お金が使えない事で、多くの企業は消えて行った。
しかし、古くから町に存在し、その地域に根差した企業も多くあった。
それら会社や工場などは、親子何代もが同じ会社に務めていたり、会社の近くには沢山の社宅が有ったり、社員も会社の近くに家を買ったり、借りたりしている事が多かった。
さらに、古い会社は広い敷地や大きな工場、広い倉庫など沢山の資産も抱えていた。
そのような企業の社員達は、もう給料など出ないことはわかってはいるが、なんとか自分の会社を再開できないかと、社員自らが頑張っていた。
そしてこの工場でも、元社員であった人達が敷地内に集まっていた。
世の中では食料を欲する人達で治安も悪くなってきているために、工場のゲートは閉鎖されており、そこには警備員が立ち、見知らぬ人が勝手に工場敷地に立ち入らないように監視をしていた。
この会社も、経営は他社と同様に破綻しており、あれ以来給料を支払う事も出来ていないが、そこに集まった元社員たちは、居ても立っても居られず、自主的に集まってきていた。
今回発生した災害では、会社も自分と同じ被害者であり、このまま会社が消え去るのを待つだけではなく、少しでも将来への望みをつなげるために何か始めようとしていた。
今回の大失電では、これまであった自然災害のように、生命や施設・財産といった物が直接失われたわけではない。
この災害で失われたのは電気だけであり、工場で製品を製造をするための機械が動かないだけで、材料も工場にそのまま残っている。
目の前で動かなくなってしまった大きな製造装置や機械を見つめ、エンジニア達はなんとかそれをもう一度動かす方法が無いかと、検討をしたり、実験を行ったりしていた。
ここ『武蔵野トラック』も、そのような社員達が立ち上がった会社の1つであり、ここは大型のトラックを作っていた自動車製造工場であった。
工場の中には、まだ製造途中の自動車が残ったままになっているが、それ以上製造ラインを動かす事ができず、また、完成し出荷を待つ製品ですら、エンジンを動かすことは出来なかった。
かつて自動車は高額な製品であったが、トラックもいまや動かぬタダの箱になり果ててしまっていた。
たとえ工場内にある完成しているトラックが売れたとしても、そこからお金が入ってくることは無く、それでは次に車を製造に必要な材料を仕入れる事も出来ない。
お金の流れの停止は、経済の連鎖の切断であり、世の中の商業活動というもの自体が壊れてしまっている。
世の中全体が実にうまく連携しており、これまでは考えた事すらなかったが、今回流れが止まったことで、初めてその見えざる循環というものが存在した事に気づかされた。
世の中、無いない尽くしの今の状態は、どこか一部だけを必死に動かしても、それが次に続かずに、動きはすぐに消えて行ってしまう。
これまで考えたことが無かったが、こうなってしまうと自動車ってどうやって動いていたんだ? どうすれば金属を切ったり穴が開けられるんだ? どうすれば鉄は手に入るのか? エンジニアは基本的な事から苦悩していた。
この自動車工場にも多くの従業員が働いており、近くには社宅や自宅があり、さらに本社を頼って遠くの支社などから数多くの人が、地方からなんとかここまでたどり着いた。
さらに、関連の工場やそこに材料を卸したり、加工を下請けしてきた人たちも、助けを求めて本社に集まって来ていた。
そうなると、会社に関連した人間の家族を含めた、社員の数をはるかに超えた人達をどうやって食べさせていくか、大きな問題となっていた。
当初多くの人達は、その日の食べ物を手に入れるために街の商店を徘徊していた。
それはすぐに在庫が底をつくことになった。
そうなると、これから自分たちが生き残る為に解決するべきことは、食料の確保、そして長期的に生活ができる為に新たな仕事が必要であると考えた。
この工場は自動車工場であるので、自動車の走行試験を行う為に、敷地の中に大きなテストコースを備えていた。
総務では、工場でしばらく車は造れないと考え、まずテストコースの内側の緑地と従業員用の大きな駐車場を農地に変える事にした。
これからの長期戦を考えると、自分たちで必要な食料を、自分たちの手で作ろうと考えたのは当然の事であった。
他の人が作物を育てている間に、エンジニア達はなんとか工場を再び稼働させ、電気が無くとも動くことが出来るトラックを作る為の開発を始めていた。
物流や建設など大掛かりな復興には、車の中でもトラックがすぐに必要であると考え、なんとしても自分たちでトラックを動かせるようにと考えていた。
また、敷地を開墾して野菜を作るとしても、それが実際に食べられる食料になるには、まだ数ヶ月の時間を要する。
そのため、これまで車を売ってきた営業マンたちは、自転車や徒歩により各地に飛び、工場に食糧を届けるために各地の農家などを廻って、交渉を開始していた。
彼ら営業マンは、自社のエンジニアにより自分たちの工場で新たなトラックが造れるものと信じ、まだ動く見込みすらないトラックを売り込んでいた。
それは、大きな農場主に対し、トラックを先物として販売する事で、今農家が持つ食料を少しでも分けてもらうと言う作戦を立てていた。
人口移動により流れてきた多くの移民者により、大きな農場では人力で耕作を行っていた。
以前の何割かに大きく減ってしまうかもしれないが、多くの人数で農作業を行っているので、それなりの収穫は出来るはずだ。
そこで農産物が秋に大量に収穫できたとしても、採れた作物の運搬できないと、消費地に送り出す事もできず、それは人々が飢える事になり、長期保管できる冷蔵倉庫も使えないので、畑でそのまま腐らせることになる。
経済や流通だけでなく、農協が機能しないことは、農家で必要とする種や肥料など農業資材の入手もできず、農業機械に頼れないため農業サイクルも破綻し、作る、運ぶ、消費するの一連のサイクルが失われていた。
武蔵野トラックの営業マンは、大きな収穫の秋までに、動くトラックを自分が何とか用立てるから、それまで工場の人たちを食べさせる作物を、なんとか提供してくれないかと農家に対して交渉を持ち掛けていた。
彼ら営業マンは大きなリュックを背負い、大きな農地が有るはるか郊外を自転車で走って行った。
多くの農家では先の見えない様な怪しいトラックの話に対し、その多くは断られたが、かつては誰もが知っているようなトラックメーカーの営業マンであるので、何件も廻っていると話だけは聞いてくれる農家も無くはなかった。
そんな営業マンの中、学生時代からジョギングを趣味としてきた飯田 天は、晴れ渡った空の下、自転車など使わずに広いエリアを自分の足で駆けていた。
ランニング姿の彼が背負ったリュックの中には、訪問用のスーツと革靴が入っていた。
飯田は走っているうちに、農家の車庫の中に自社のトラックが置かれているのがちらっと見え、走る足を止めてそれを確認をした。
この農家が自分達のトラックのユーザーであると知った飯田は、それをネタに農家の主人と話しをしていた。
農家も本格的な収穫時期を迎えた時、作物の移動について困ることに気が付いていたので、破綻を待つのではなく、互いに運命共同体として命運を飯田の会社にかけてみようと考えてくれた。
この主人はトラック会社というよりも、その飯田個人を気に入って、今回の話に乗ってくれたのであったが。
また営業マンによっては、農家に対して自分の工場の人をヘルプとして農家に出すと言う話も持ちかけていたが、流れてくる移住者によって人手はいくらでも足りているようであった。
さらに、手作業で用いる農機具が不足しているという話を聞くと、車の板金を手加工して、新たに作った農機具を作って持ち歩き、それで少しでも野菜を分けてもらう話もしていた。
農機具や工具を手で作る板金加工は、それまで機械でしか物を作った事がない工場の工員たちの良き練習材料となり、手加工だけであるが、工場は小さく動き始める事になった。
実際に農具などの金属製品を作り始めると、その需要は思った以上に多くあり、話は農家だけにとどまらず、スコップや鶴嘴、バールのようなものなど、土木作業の道具までも造る事になって行った。
トラック生産用に多くの金属材料を在庫していたのが幸いした。
しかし、営業が必死になって取ってくるトラックの注文は、エンジニアにとって大きなプレッシャーとしてのしかかっていた。
まだ動くエンジンの目途すらまったく立っていない状態であり、ましてや車が動くなんて全てが未知数だ。
そして、このままでは工場全員が詐欺集団となってしまう。
いや、詐欺集団と呼ばれるだけならばまだ良いが、秋までにトラックを動かさないと、実際に食料が町に届かない事になる。
そうなると、多くに人が生活できなくなり、多くの生命が失われることにつながることは容易に予想できる。
これまでは、自分たちの開発が遅れたとしても、社会が崩壊したり、ましてや誰かの命に係わる事などはなかった。
それを考えると、エンジニアは背中に冷たい物が流れるのを感じていた。
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この頃となると、以前の状態に戻れない事の覚悟が、世の中の全員に出来たようであった。
当初は道路に放置されていた自動車は赤い紙が貼られ、各地に作られた解体場へと運び込まれていった。
銀輪隊により日比谷会議のメッセージを伝えたことで、個人財産の行政処分に迷いがあった各地の自治体も、ようやく腹を決めて動き出したことによる。
また、公共事業は多くの人に労働と報酬をもたらし、報酬はわずかな食料であったが、それは人々の命をつなぎとめるので、自治体には公共事業を強く推進するようにと伝えられていた。
今行われている公共事業として、人力車ならぬ人力タクシー、『リキタク』と呼ばれる交通手段や運搬方法も登場していた。
各地の役所では、無理やりにでも地域の雇用を生み出す公共事業を作ることに躍起になっていた。
リキタクは人力車のような大きな両輪のリアカーを車夫が曳く形で、後ろに一人が座る、もしくは近距離用では顧客が横に2人座れるリキタクもあった。
残念ながら、通貨として利用できる物がない為、一般の人がリキタクに料金を支払う手段がない為、役所間を移動する際の役所専用ハイヤーや、荷物を載せて役所間を移動する足として、リキタクは運用されていた。
但し、配給物資など食料の移送は、途中で略奪が発生している話も聞こえてくるため、そこはリキタクではなく、何人かの護衛を付けた専門のリヤカー部隊での移動を行っている。
新たな資源の製造が難しくなったため、多くの人を雇用した公共事業として、自動車は解体され、それらはすべて部品レベルにまで仕分けされて、新たな資源として流用されることになった。
とにかくお金という物が使えないため、人々に働いてもらい、それに対して配給を行う事で、広い範囲の公共事業を行おうとしていた。
また、車自体が無くなった事で、これまで車の為に道路に設置されてきた交通標識、信号機、電線、ガードレール、歩道橋などの撤去、解体も始まった。
未だに製鉄工場の高炉は停止しているため、それらは貴重な鉄材として復興のために再利用されていった。
鉄を野ざらしのまま放置すると、再利用すらできなくなるので、黒くなった鉄材の回収は速やかに行われていった。 何しろ、作業にかかわる人手だけは沢山いた。
そこから得られたガードレールの硬い板金は再生資源として、武蔵野トラックにも渡され、新たなスコップや鍬など土木工具や農機具へと加工されると、各地で始まっている土木作業や農作業にまわされる事になった。
また、バスやトラックなどの大型車体は、路上から運搬された後、その中まで改造され、それらは移住者の住居として活用されていった。
都心ではビルの解体も検討されたが、重機が使用できない状態で、高層ビルの解体は危険であり無理であると判断された。
その為、資源となるビル内部のすべてが運び出されたあと、コンクリートだけの塊となったビルは放棄され、そこは人が住まない巨大なコンクリートの廃墟と変わって行った。
建物を解体した街の土地は多くが農地となり、その周囲にはその農地で働く人が暮らす家が作られていった。
また造られた畑に水も必要であり、遠くの川の上流から用水路の掘削が行われ、そこには多くの人の仕事となる公共事業が行われていた。
遠距離運搬が失われている為、各地に食糧を分けて保存しておく必要があり、いろいろな倉庫が町の中に建てられ始めた。
遠隔地の大きな倉庫で保管されていた食料は、各地に作られた小さな倉庫に移され、冬に向けた備蓄を始めるのであった。
そして、倉庫で入りきらない食料を目ざとく見つけたり、質が落ちた野菜などを引き取る人が現れ、倉庫を中心としたそこには闇市が広がって行くのであった。
残念なことに、そこでも通貨が定まっておらず自由な取引ができないので、まだこの闇市が大きく発展していくことは出来なかった。
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ランニング姿でトラックを売る為に世間を走り歩いていた営業マンの飯田に、ある情報が耳に入っていた。
海の近くを走っていたのだが、その噂話はそこから少し離れた別の漁港で、エンジンが動く船が見つかったと言う話であった。
それを聞くと、急いでその港まで走って行ったのであったが、そこに着いた時にはエンジンはおろか、すでにその船自体がどこかに運び去られたとの事で、おしいことに実物を見る事は叶わなかった。
しかし周りに人に聞き込みを続けると、持ち主であった人を見つけることができ、その人に少し詳しく確認をすると聞いた噂は本当であった。
「いやー、もう動かないだろうと思って、古い小型船のエンジンをはずそうかと思い、最後に位置と掛けてみたら、なぜか動いてしまって、びっくりしたよ」
飯田はその動く船のエンジンと、自分の持ち駒であるトラックとを先物交換してもらいたかったのだが、あと一歩間に合わなかった。
飯田の自動車工場にとどまらず、動くエンジンの噂に敏感に反応し、同様に動き出している工場が他にも有ったようだ。
当然、それは自動車工場に限らず、様々な企業で新たなる動力源を求めて同じような状況であった。
特に各地を回っていると、どこが最初に機械を動かすことが出来るかを互いに競い合っている噂は絶えなかった。
飯田はトラックのエンジンを動かしたいのだが、その前に工場の工作機械を動かす必要がある。
工作機械が動かないと、手作業だけでは車やエンジンを作ることは出来ないのだ。
見つかったのが、例え車に搭載できないエンジンであっても、工場の動力として必要な物であるため、喉から手が出るほど欲しいものであった。
とても残念がる飯田の姿がそこにあった。