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ルネサンスの女神様 - 明るい未来を目指して!  作者: 亜之丸
復興を目指して [1か月後]
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1-6 南へ! 北へ!

 東京の日比谷公園には沢山のイベントテントが建てられていた。


 大失電により政府や中央行政機関が機能を停止し、それに業を煮やした一部の官僚や政治家、学者やエンジニア、それに一般の人など、誰彼と無くテントの下に集まり、復興に対する話し合いが24時間行なわれていた。

 霞が関の官庁街に近く、各省庁が持っていた防災備蓄食などが配布された事もあり、多くの人がそこに集まり、日比谷会議と呼ばれたテントの下では誰もが自由に意見を述べ、そしてそこで出た意見は実際に復興に役立てられてきた。

 日比谷会議の発案で組織化された、高速道路を自転車で走り抜ける銀輪隊と呼ばれるメッセンジャーシステムは、現在唯一の国内連絡網となっていた。




 大失電から約1か月、日比谷会議の提言により、停まってしまった鉄道について、電車に電気を送る架線はすべて撤去され、さらに線路を切り替えるポイントも、手動で切り替えられる転轍器(てんてつき)に変更された。

 そして、全ての踏切には人員が配備され、踏切の揚げ降ろしを手動で行う事う訓練が行われていた。

 列車が通過する事を知らせる電気的な信号機は使えず、人により車両に情報を知らせる為の信号所も一定間隔で設置されていった。

 そう、これらは鉄道の復活を行うための準備であった。


 今回鉄道を復活させる事にあたり、一番恐れたことは、しばらく鉄道が走らなくなっていた間に、鉄材として線路が持ち去られている恐れがあった。

 しかし、重量級の長い線路を運べるだけの大きな車がなくなった事が幸いしたのか、少なくとも今回試験走行を行う区域で持ち去られたレールは無かった。

 それとそのレールや固定ボルトが緩んでいないかなど、多くの人力をかけて保線員は何度もすべての区間を歩き、線路の検査を繰り返していた。


 ここまで無いない尽くしの1か月であったが、多くの鉄道員の苦労により、なんとかこの日にまでこぎつけた。

 そして、薄明りの早朝 高崎車両基地を出発した4軸駆動の蒸気機関車 D51、通称デゴイチ号は東北本線から東海道貨物線を経由して高輪ゲートウエイ横の保線区へと到着した。

 走行中に利用できる強い照明装置はまだ作られていないため、安全のために夜間の走行は見送られた。

 保線区で最終整備を行い、昼前の11時までには東京駅に入線し、本日は東京駅から横浜駅まで、東海道本線を蒸気機関車が走る、試験走行が予定されていた。


 今日の試験走行は、単なる機関車の走行実験などではなく、蒸気機関車が走る姿を多くの人に見せる事で、復興のシンボル的なイベントとして日比谷会議により計画されたものである。


 本当であれば日本一周でもさせたいところであるが、既に廃線となったり、民営化で線路が分断されてしまった路線も多く、また今の大失電後の状況では、それを行う事は現実的に無理であった。


 新幹線軌道の利用も検討されたが、蒸気機関車が用いている狭い車輪の幅では、広い新幹線の標準軌道を走らせることもできない。

 また、蒸気機関車を走らせるためには、燃料と給水と保安員が必要であり、運営に人力に頼る部分が多い為、それを各所に設ける事は出来なかった。


 日比谷会議の蒸気機関車運行の話は、もともと食糧輸送から必然的に始まった話ではあるが、その運用にはあまりにも多くの鉄道員を要することがわかったため、残念ながら今回の東京駅から横浜駅しか準備できなかった。




 それまで東京駅を囲っていたバリケードが久しぶりに取り外され、一般の人も入場が可能となったホームには、どこでこの話を聞きつけたのかは判らないが、その出発を一目見たいと多くの人が駆けつけた。

 ここまでの交通機関はまだ動いてないので、遠方から歩いて来たり、自転車で駆け付けたりと、今日の出発式を見るためだけに、多くの人が集まってきていた。


 いよいよ出発すると思われる蒸気機関車は、停車中にシリンダ内に貯まった水を、車両下部から蒸気で吹き飛ばすことで、既に周りは白い蒸気に包まれ始めた。

 蒸気機関車は、電車のようにいきなり走り出せるものではなく、走る少し前からいろいろと予備動作が必要であった。



「只今より、東海道SL復興号の走行試験の出発式を執り行います」


 後ろに控えた楽隊によるファンファーレが一斉に鳴らされると、プラットホームに来ていた人からは、あちこちで万歳三唱が行われていた。


 煙突の白い煙が勢いを増して噴き上がると、駅長の号令が発せられた。


「それでは、出発進行!」


 その言葉に合わせて、汽笛が鳴らされる。


『ポワーーーーー!』


 耳をつんざくような、大きな汽笛が広い駅構内に鳴り響くと、近くにいた子供達は両耳を手で押さえながらも、キラキラした瞳でそれを見守った。

 蒸気によるピストンの強い力は、連結棒により4つの大きな動輪に伝えられ、D51の車輪がゆっくりと回転を始ると、東海道SL復興号は横浜に向けて走り始めた。


『シューー! シュッ! シュッ! シュッ!』


 万歳と大歓声、振られた沢山の小旗に見送られ、蒸気機関車は東京駅を出発した。

 途中、線路が見える建物からは、多くに人達が手を振って見送っている。


 蒸気機関車が走ったからと言って世の中が復興されるわけではない。

 しかし、黒く大きく蒸気機関車が力強く自分の街を走ることは多くの人の希望となり、多くの人々が見守る沿線を、後ろに煙を延ばしながら蒸気機関車は走り去って行った。



 東海道SL復興号は、人々に復興の強い希望を与える事になり、それを指導してきた日比谷会議は脚光を浴び始めていた。

 日比谷会議には政治家や官僚などの一部も参加しているので、再始動を始めた政府や省庁は、通信など連絡方法が少し確立し、もう少し周辺との連絡が可能な状態に戻るまで、もう少し静観しようとしていた。

 多くの人が称賛を送る中、ただそれを良かれと喜んでいる人ばかりではなかった。


 走り去った蒸気機関車を見つめ、つぶやく人がいた事を忘れてはならない。


「気に食わんな……」



 ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇



 東京駅で東海道SL復興号の試験走行が行われていたころ、東北と北海道の間にある津軽海峡でも大掛かりな実験が行われていた。

 今、津軽海峡で最も幅が狭い場所となる下北半島から、その対岸となる函館の汐首岬の間の海峡には、何台もの台船が並んでいた。


 沖ノ島の和邇(わに)作戦と呼ばれたこの実験は、津軽海峡に多くの船を並べたことから、日本の昔話である因幡の白兎(いなばのしろうさぎ)伝説を元につけられていた。

 伝説では、兎が和邇をだまして沖ノ島から陸まで並ばせて、その上を通って兎が島との間の海を渡ったという内容であるが、因幡地方で呼ぶ和邇とは、(わに)ではなく、鮫や(ふか)の名称であると言われている。



 全国の川や海の工事現場などから集められた、巨大なクレーン車や重機が乗るような大きな台船は、大きな錨で海底に固定され、また何本かの太いワイヤーで繋がれ、強い潮流でも流されないように継なげられていた。

 しかし海峡の中央部は深く、(アンカー)では海底に固定が出来ないため、中央付近の固定は前後を継なぐワイヤーに頼っており、これはそれほど簡単な工事では無かった


 最初に海峡の両側から、船をアンカーで固定していき、続いてその船の間に浮きを付けた細く強いロープを渡す事から始められた。

 海流で流されないようにロープを海面上に引き上げると、ロープは徐々に太いワイヤーへと置き換えられていった。

 そして作業が進むと、途中の船は作業台船へと順に置き換えられていった。


 台船は500mおきに配置されることになり、最終的に台船は両岸に固定された2本の太い橋梁用高強度ワイヤーでしっかりと海上で結ばれた。


 また各台座の両側には、それぞれクランクアップできるタワーが建てられており、タワーの先端からは次となる台船の根元までケーブルが斜めに渡されている。

 そのタワーの先端には滑車が付けられており、そこに通したロープを引くことで、人が乗った篭をタワー頂上にあるケーブルの根元まで引き上げることができた。


 篭で頂上に昇った人は、隣の台船との間に斜めに張られたケーブルに安全金具を取り付けると、隣の台船の根元をめがけ、張られたケーブルを伝い滑り降りる。

 たとえ救命胴衣を着けているとは言っても、それは命がけの滑走である。


 海上に浮かぶ大きな台船とはいえ、波や潮流の影響で、マスト先端は大きな揺れとなっている。

 更に、ケーブルにはたわみがあるので、途中から角度が浅くなり、そこで止まった場合、後はハンドルを回して人力で進む必要がある。


 ―・―・― ―・―・―


 日本海を流れて北上してきた対馬暖流は、津軽海峡を津軽暖流として、西側の津軽半島側から東側の下北半島方向に流れる一定した海流がある。


 地球は月と太陽の引力の影響を常に受けており、特に惑星間の距離が近い月の引力の影響は大きい。

 月の引力で引かれた海水は、常に月の方向へと集まって来るので、自転している地球では、盛り上がった海面が月の方向へと動いて行くことになる。


 この物語の最初の頃に、2つの惑星間の引力が吊り合う点としてラグランジュポイントの話があったが、その太陽と地球と同様に、地球と月の間にも互いの引力が吊り合うラグランジュポイントは同様に存在する。

 よく、月は地球の周りをまわっていると表記されるが、それは地球を中心として見た時の話であり、宇宙空間から見た場合、地球と月のラグランジュポイントこそが回転の中心となっている。

 地球と月はそのラグランジェポイントを中心にグルグル回りながら、太陽の公転軌道を廻っているのである。


 自転ではなく、地球と月の回転から受ける遠心力は、月とのラグランジュポイントから遠ざかる方向へ働くので、遠心力は月との軸線の地球の裏側方向に働き、回転の外側でも潮位は高くなる。


 地球の海水は、引力と遠心力の2つの力により、月を軸とした地球の両側では、どちら面も潮位が高くなる。

 地球は自転で1日1回転しているので、月を結ぶ線を2回通過する為に、1日2回の干潮満潮を迎える事になる。

 海水は重く、慣性力や粘性などが働くために、すぐには動かないことや、陸地や海底の地形などの影響もあるため、海水に加わる力の変化よりも、実際にはすこし遅れて潮位は追従する。

 さらに、そこに太陽からの引力が加わり、月と太陽が同じ方向に並ぶ時に引力が最大となり、干満差が最大となる大潮となり、潮位は約29.5日の月齢によっても変化する。



 日本海は、東西の2面を大陸と日本の陸地に挟まれ、そこは両側が閉ざされた海である。

 海水は日本海の南北からしか流れ込めないので、月の引力による海水の移動に制限があり、それは太平洋と日本海では異なる海水面の高さとなる。


 季節による海水温度により海流変化もあるが、その2つの海を継ないだ津軽海峡の流れには海流の他にその潮流が加えられる。

 2つの海には潮位差ができ、干潮時は日本海と太平洋では最大で35cmの海面差を生じ,日本海から太平洋へ海水は最も強く流出する。

 また、満潮を迎えると、太平洋の海面は日本海よりも逆に高くなり,条件によっては太平洋から日本海へ流入が起き、海峡の流れも逆になる。


 大きく変化する潮流に対して、この海峡にケーブルを架設する作業はとても難しく難航していた。

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