1-4 有希の訪問
城岡高校は、長野県の東側の地方都市にある高校だ。
高校は市の外れの、すぐ近くに山が迫っている丘陵地帯に建っており、その周辺にはいくつもの畑のみが見渡せるような、とても長閑な場所にあった。
カノ国からの留学生である原田耕平は、さらに奥の山の中にある一軒家の農家を借りて住み、そこで野菜を育てながら、摩導自転車により城岡高校に通っていた。
大失電により高校は休校状態であるが、自転車通学や徒歩で近所から通って来ていたわずかな生徒達は、町に遊びに行く事もできず、他にすることも無いので、自主的に登校していた。
電気が停まってしまった家にいてもすることが無く、世の中の状況がどんどん悪くなってくると、やはり心配になってくる。
少しでも情報が欲しい気持ちから、学校に集まって、互いが知った情報や近況を話す事が自然と多くなっていた。
まあ、娯楽の多くが失われた中、友人とのばか話は小さな楽しみであった。
以前であればバスを使って登校していた生徒も、家にあった自転車に乗り、皆の顔を見たくて遠くから登校してくる生徒も増えており、そのまま学校近くの生徒の家に泊めてもらっていたりした。
そして、生徒会長により始められた校庭で行われる野菜の交換市は、あれ以降も好評で今でも盛況であった。
その朝耕平は、佐伯有希を摩導自転車の後ろに乗せて、彼が通っている高校まで一緒に走ってきた。
有希は、東京にある彼女の自宅近くで、親と生き別れて一人ぼっちとなっていた小さな女の子 田山梨花ちゃんと出会い、自転車に二人乗りして梨花ちゃんの実家まで送り届けようとしていた。
しかし、山道を昇っている際に自転車や荷物を失い、その後の山越えをしている中、空腹と精神的なショックで気を失い、道路わきの斜面に転落してしまった。
行倒れとなった有希の助けを求めるため、梨花ちゃんは耕平の家の近くまでやって来た時、摩導自転車で走る耕平を見つけ、必死になって助けを求めた。
有希は耕平に介抱された後、連れていた梨花ちゃんは摩導カートでお母さんの元に無事届けることが出来た。
その後、有希は電気や食事がない自分の家に帰る事など考えておらず、カノ島の支援を受けている耕平の家で、有希も有耶無耶のうちに一緒に住む事となった。
耕平が乗っていた摩導自転車とは、形状こそ普通の自転車であるが、摩導の技術が組み込まれ走行する自転車である。
電動自転車とは異なり、摩導具によりアシストされた自転車は、そもそも走行原理が異なっており、タイヤで走るというよりは、摩導カートのように地面との引力や斥力を用いる事で安定して高速に走ることが出来る。
耕平の住む家は山の中に有るが、そもそも山道を登るときも漕ぐことに力は必要なく、曲がりくねった見通しが悪い急な下り坂で有っても、スリップなどせず安全に高速に走り降りることが出来る。
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あれから僕は有希といっしょに住むようになり、今日は生活も落ち着いてきたので、僕が通う城岡高校にまで初めて彼女を連れて行く途中であった。
えっと、一つ屋根の下ですけど、彼女とは男女の関係は有りませんよ。 部屋も別ですし、あくまで同居人です。
彼女は耕平より1つ年上の高校生で、梨花ちゃん情報だと歌が上手と聞いているが、僕はまだ彼女の歌声は聞いたことが無い。
普段は摩導自転車の後ろの荷台には野菜を縛っているが、荷台には有希が座っているので、今日運ぶ野菜は彼女が背負った大きなリュックに入れてある。
僕が通う高校に行くのは初めてなので、有希はちょっと嬉しそうであったが、高校は町はずれにあり、その周りには特に店など何もない。
梨花ちゃんの家を訪れた以外では、久しぶりに僕の家以外に出かける事になるのだが、以前彼女が住んでいた都会に比べると、ここはずいぶん田舎だと思うので、ちょっと申し訳けないな。
しかし、有希は、町が見れると言うよりも、耕平の同級生に会うのを楽しみにしていた。
有希のお出かけの準備でいつもより出発が遅くなり、交換市はそろそろ後片付けを始めた店もあり、持ってきた野菜を市場にいた生徒会長にいそいで渡し、耕平は有希を連れて自分の教室に向かった。
「おっ、耕平! お前は毎日通っていたんだってな。 久しぶりだな!」
耕平が教室に入ると、いきなり声を掛けてきたのは耕平の友達である早瀬和也である。
和也はバス登校組であったので、これまでほとんど高校に顔を出さなかったが、今日は街から1時間以上かけて、自転車でやって来ていた。
「うん、うちで取れた野菜を校庭の交換市に持って来ていたからな。
もっとも、教室に顔を出すとすることはあまり無く、野菜を渡すとだいたいすぐに帰っていたからな。
自分が作った野菜が役に立つのは嬉しいから、俺は毎朝持ってきているよ」
「あの交換市って、お金はどうしているんだ?」
「交換市って言うだけに、そこでお金は使えないから、持ち寄って来た物をお互い交渉して交換しているんだ。
僕は交渉は得意じゃないので、野菜は生徒会の人にお願いしているし、交換した得られたものは生徒会やクラスで分け合ってもらっているんだ。
まあ、僕が持ってきているのは自分で作って食べきれない野菜だし、そのまま食べないと腐って捨てる事になっちゃうからね」
「へぇー、あれって耕平が作った野菜だったんだ。
さっき窓から、生徒会長に野菜を渡していたのが見えたから、どこから運んできたのかなと思っていたんだ」
それに答えるように、耕平の後ろから有希が会話に加わる。
「野菜は採り入れないと翌日には育ちすぎちゃって、また旬になると沢山採れちゃうから私達だけでは食べきれないし、野菜の栽培って難しいわよね。
まあ、おかげでいろいろな野菜が毎日たっぷり食べられているので、私は健康的な食生活よ」
目の前には多くの農家の子供達がいるというのに、都会育ちの有希はそう言うと、腰に両手を当ててまるでそこが痩せたかのようなポーズをとるのであった。
毎日耕平以上に食べているのにね。
「耕平、この人誰?」
耕平は制服である白いシャツに黒い学生ズボン姿であるが、有希は家を出る時に制服を持ってきていなかった。
その姿は明らかにクラスメイトではなく、見知らぬ普段着の人だ。
「今日は僕のお客さんを連れてきたので、紹介しておくよ」
そういうと、教室にいた10人ほどの生徒は、耕平たちの周りにわらわらと集まってきた。
「おい、すぐに紹介しろよ!」
「え、耕平が女の子連れてきたの? どうしちゃったの?」
「私、佐伯有希と言います。 耕平より一つ年上の17歳です。
東京から自転車でこの近くまで走って来た時、途中で自転車が壊れて山道を歩いていたら、途中で気を失って倒れてしまったようで、その時に耕平に助けてもらって、今は耕平の家でご厄介になっています」
「おい、耕平。
お前そんな話してなかったじゃないか」
「有希さんって言ったわね? あなたいつから耕平のところにいるの?」
ちょっと険しい顔をした一人の女子が有希に尋ねる。
「道で行倒れになった日だから、そろそろ10日目くらいかな?
いやいや、ほんとに死んじゃうところでした。 あはは」
笑い事ではない。
大きな怪我こそなかったが、あの場所は近くに住む耕平くらいしか通らないので、夕暮れに近く、あのまま梨花ちゃんが耕平を見つけられなければ、そこは『天国にいちばん近い山』になるところであった。
「それで、耕平。 その綺麗なお姉さんと、お前一緒に暮らしているのかよ!」
その言葉でハッとして、若い盛りの皆はいきなり真剣な顔つきになった。
「今、僕の住んでいる家は、古い農家なので、使っていない部屋がいくつかあるから、そこに住んでもらっているんだ。
今日まではリハビリかねて畑を手伝ってもらったんだけど、これからも僕の家に住む事に成ったので、今日はみんなに紹介したくて連れて来たんだよ」
さすがに、山の奥にある耕平の家を訪ねてきた強者は、これまでに一人もいないかった。
地元の人はその周辺の山道の険しさを知っており、家の場所を聞いた時点で、実際に山の中にまで行ってみようとは考えられなかった。
「でも、耕平よ。
アパートだったら麓にだって沢山あるだろ? 前から気になっていたんだけれど、どうしてあんな山の中に住んでいるんだ?」
「まず、僕は畑で自分の手で植物栽培というものをしてみたかったんだよ。
あそこは畑がついて、タダ同然で大きな家を借りることが出来て、自転車の通学は気にならないから、僕にとっては最高の家だよ」
「そうね。 立派な農家で、私も素敵な家だと思うわ」
「もっとも街も電気が来ないので、夜は明かりすら苦労するから、山の中と言うだけであって、今となっては何も無い事については、あまり変わらなくなったけどな」
「何言ってるの!
都会の女の子が暮らしていくのはどれだけ大変か! あんな山の中、私でも無理だと思ったわ」
横から別の女子が叫ぶ。
さっきから有希に漂う都会の少女の雰囲気に、その女子は敏感に反応していた。
「あのさ、お前、耕平の家に行った事が有るのかよ?」
そう言われると、その女子は少し口ごもって
「いいえ、山道を歩いて少し入ったのだけれど、途中から誰にも出会わず、周りの木で道は暗く、狭くなってきて、熊にでも遭遇するんじゃないかと不安になってきて、途中で引き返してきちゃった」
人里に近いこの辺りの山に、熊はいないようだけど。
それより、この女子は山道の途中までだけど、耕平の家に行こうとしたようだ。
本人は気が付いていないが、実は耕平は女子に人気があったようだ。
「それで、有希さんとこれからも一緒に住むって言ってたけど、何かやった、いやあったのか?」
「うん、僕はカノ国からの留学生だろ。
昨日、彼女もカノ国の国籍を取ったんだ」
「それってどういうこと?
耕平の戸籍に入れてあげて、二人は晴れて夫婦になったってこと!?」
「あ、その手も有ったか」と有希。
「いやいやいや、本当に彼女がカノ国籍を取っただけだよ」
「えー、どうしてこんな大変な時に、わざわざ国籍を変えるのさ?
耕平に脅されたの? 国籍を取らねば、住むところが無いぞとか」
「そんなことは無いわよ、私自身の遺志よ。
これからはカノ国の時代だなって思ったのよ。
東京から自転車できて、各地は悲惨な状態になっていて、みんな心も荒んできていて……
電気が無くなったとたんに、日本はこんな状態になっちゃって、もう国も壊れそうでしょ?
いえ、もう日本と言う国もすでに無いのかもしれないけどね……
でもこの学校は、いい学校ね。
皆、元気が有って、ちょっと落ち着くわね」
「まあそうだね。
ここは比較的食糧も残っているから、多分東京よりも皆それほど困っていないんだろうね。
近くに大きな川が有るので、この町では水も簡単に手に入り、野菜や酪農など近くでいろいろ育てているからね」
耕平が住むこの信州地方は、昔、それも武将が活躍した戦国時代、多くの戦が行われた地であり、そこでは籠城が繰り返されてきた。
その地に住む者は、時代が変わっても飢饉や籠城が必要になった場合に備え、いつでも食料となりうる作物を、普段から自宅周辺で育てていた。
その、先祖からの長年の教えとして、救荒作物となりうる植物は多種にわたり、今でも大事に育てられていた。
それは耕平が今育てている畑や、納屋にも種として沢山残されていた。
農家が多いこの周辺では、交換市に食糧や物品がたくさん出され、それに伴い周辺に住む人は生活必需品も容易に手に入ることが出来た。
交換市の話を聞き付けた街に住む人々は、この学校にまで歩いたり、自転車で買い出しに来るほどであった。
農協は営業を停止しており、軽トラックもつかえず、農作物の出荷が出来なくなった農家にとって、いまこの学校で開かれている交換朝市は、貴重な収入の場であった。
そう、この学校の交換市は、周辺に住む多くの人々からも期待されていた。
そして、それは校庭マルシェとなり、ますます盛んになって行くのであった。