1-8 カノラジオ放送局
東京ブランチのショップで買った摩導ラジオを持ち歩き、佐藤隆二は暇なときに音楽などを聴いていた。
隆二が持っているそのクレジットカードほどの大きさの薄い板が摩導ラジオであり、ポケットに入れて持ち歩き、どこでも聞くことが出来るのであった。
日本向けでのカノラジオチャンネルはまだ試験放送段階であるが、その試験放送を聞くために、すでに何台かの摩導ラジオは日本に存在していた。
隆二が持つ摩導ラジオはそのうちの一台であり、東京ブランチにあるショップの試験商品として販売されていたものを、隆二が自分のパラスを使って購入したものである。
カノ国人はバングルでカノラジオが聴けるため、わざわざ摩導ラジオを使う必要はなく、今のところこの摩導ラジオは日本の人が利用する事を前提に、東京ブランチで販売されているものである。
ただ、まだ試験放送である日本向けカノラジオは、特別な告知はされていないので、肝心の日本であってもほとんど知られてはいなかった。
さらに、摩導ラジオ自体はまだ量産はされておらず、カノ島で手作りで小規模に製造されている僅かな数量だけが、東京ブランチのショップで販売されているだけであった。
以前コンビニ会社に勤めていた隆二は、普段から新商品に敏感で、その数少ない商品を目ざとく見つけ、興味半分で買ってみたところ、それは二度と手放せない素晴らしい物であったのだ。
「佐藤さん、それなんですか!?
今のって、大失電の前に富士見坂が最後に発表した楽曲ですよね?」
後ろから声を掛けられ、慌ててボリュームを絞るが少し手遅れであった。
今日は地理部の定例打ち合わせがある為、集合場所である地理部の部室にまでやって来たのだが、時間の余裕を見て自転車で走ってきたため、少し早く着いてしまっていた。
部室には、誰もまだ来ていなかったので、すこし時間を潰すために、誰もいなかったこの空き教室を探し、そこで窓の外を見ながら小さな音で摩導ラジオを聞いていたのだが、気が付かないうちに入ってきた大山幹人に見つかってしまった。
「すみません、外から佐藤さんの姿が見えた物だから...
もう少し音を大きくして、それ僕にもその曲を聞かせてもらえませんか?」
世の中からスマホやテレビ、音楽プレイヤーが失われ、以前であれば湯水のごとく巷に流れていた配信や音楽であるが、幹人もファンであった日暮里のアイドルグループ、富士見坂の曲をもう一度聞きたいと願っていたようだ。
摩導ラジオ自体は特に秘密の商品などではなく、ショップにはまだ在庫も残っているようなので、普通に購入できるの商品であるが、それにはまず東京ブランチに立ち入ることができ、かつ購入にはカノ国の通貨であるパラスで支払う必要がある。
たったそれだけの事であるが、それは普通の日本人にとって、とても高いハードルとなっていた。
「佐藤さんのそれって、何ですか? どうすれば買うことが、いや手に入れることが出来ますか?」
「これは君達に渡した地図と同じく、これもカノ国の摩導具なんだ。
今聞いているのは、新しく始まるカノラジオの日本向けの試験放送で、近く本放送が始まるらしいよ。
しかし、これはカノ島の通貨を持っていないと買えないからな...
まあ、俺はそのパラスを持っているから、それを使って君にプレゼントすることは出来なくはないが、それだときっと君の分だけでは済まないよな。
そうだな、例のコンビニの商品として、クーポンで買えるようにできないか、マリエさんに相談してみるか。
値段は安くはないだろうけど、そうすれば誰でも買えるようになるな」
「それって、僕らが貰っている日当のクーポンで買えるってことですか?
僕はクーポンが溜まっているので、すぐに買いに行きますから、どの店舗で売るか決まったら教えてください」
「おいおい、まだマリエさんにお願いもしていないので、どうなるかまだわからないから、まあ少し待っていてくれ」
「ぜひ、すぐにお願いしてください!」
そう言う会話があったのだが、今はまだカノ国の関係者と付き合いがない一般の人は摩導ラジオを入手する方法がない。
摩導ラジオの販売方法は決まっていないが、いずれにしても本放送が始まるまでにどこかで販売を始めないと、せっかく放送が始まってもカノラジオを聴いてもらうことが出来ない。
問題は、摩導ラジオは日本向け放送であるが、日本では通貨が失われており、お金が使えない為に商品として一般販売する事は難しい。
そう言う意味で、確かに例のコンビニあれば、商品の1つとしてチケットでの販売は可能そうだ。
その後の話であるが、次のロットの摩導ラジオが生産され、それは例の工事現場の人たちが詰めかけるコンビニの商品として並べられることになった。
それはかなりの高級品であり、購入には多くのチケットを必要としたが、工事現場のあちこちから音楽が流れ始めるようになった。
近くでそれを見た現場の人達は、食べ物か、シャワーか、それともチケットを貯めて摩導ラジオを買おうかと、働いて得た貴重なチケットを何に使おうかという悩ましい状態になったようだ。
摩導ラジオを手に入れカノラジオが聞けるようになった人は、これから始まるという日本向けのローカル番組にも期待をしていた。
大失電以降、東京や日本各地の情報が全く判らなくなっており、どのような番組が聞けるのかはまだわからないが、少しでも情報が欲しいと思っていた。
昔からカノ島で聴くことが出来るカノラジオは、摩導通信を用いたラジオ放送を行っており、カノ国人であれば摩導バングルを使っていつでも聞くことができ、そこではさまざまな番組が放送されてきた。
そう、摩導バングルには電話のような通信機能以外に、カノラジオのような放送を受信する機能もあった。
カノラジオでは音楽、ニュース、トーク、教養など、いくつかのチャンネルがあり、摩導通信はどこでも届くため、その放送は海や山の中であっても、それこそ地球から離れた宇宙空間でも、どこにいても聴く事が可能であった。
摩導バングルは、普通のラジオのようにスピーカーが鳴るわけではなく、摩導バングルから頭の中の鼓膜を直接振動させて音を伝えるため、摩導バングルをした本人以外が聞くことは出来ない。
鼓膜の振動なので、骨伝導のようにこもった感じの音ではなく、すっきりした普通の音で聴くことができた。
すべてのカノ国人は摩導バングルを付けているので、これまでカノラジオを聞くために問題なかったが、それでは日本の人がこのラジオを聞くことが出来ないという問題が出る事になってしまった。
そこで、今回マリエからの依頼で摩導ラジオという物が作られたのであった。
これは一見すると名刺程度の大きさの薄い1枚の板であるが、ボリュームである右端を指でスライドさせることで、摩導具が空気を振動させ、周囲の人はカノラジオを聞くことが出来る。
またこの摩導ラジオの左側に表示された3つあるボタンは、ラジオのチャンネルを切り替えるスイッチである。
幾つかあるカノラジオのチャンネルの中から、島外の人でもが楽しめるような内容の番組を集めたトーク系と、ミュージック系とした2チャンネルと、今回登場した日本向けローカルチャンネルの合計3チャンネルが摩導ラジオで受信できる。
トーク系チャンネルはパーソナリティによるトーク番組が中心に集められており、時間によりいろいろな番組が放送されている。
これは、いわゆるAMラジオのようなチャンネルで、楽しい番組や生活情報などの番組が多い。
ミュージック系チャンネルは、語りはほとんどなく、BGMのように音楽のみが集められており、番組により地球上の様々な音楽が流されている。
こちらはFMラジオのような感じで、現在流れている曲名は摩導ラジオに表示されている。
そして、これまでのカノラジオには無かったローカル番組と言う新しいチャンネルが作られたことで、日本向けの番組チャンネルの製作が始まっており、近く放送される事になっていた。
このチャンネルでは、日本のパーソナリティーにより、日本各地からの現場中継など、日本国内の話題を対象に届けるローカル番組が行われる予定である。
今のところ新たなコンテンツはまだ制作途中であるため、試験的に作られた30分のパイロット番組がまだ1番組だけ作られており、そのコンテンツとカノ島で保存されていた日本の音楽とが試験放送の間は交互に流されていた。
今後自主制作番組はさらに増えていくものと期待されている。
摩導ラジオを購入した人は、電池切れを恐れて最初は頻繁に電源を切っていた。
しかし、摩導ラジオは頻繁に電源を切らなくとも、電池切れで聞けなくなるような心配は全くなかった。
マナクリスタルのフォースで動く摩導ラジオでは僅かなフォースだけで動作するので、そこには電気は使われておらず、寿命が短い電池も使われていないため、何年、いや何十年であっても使い続ける事が出来た。
工事現場など、摩導ラジオは家の外に持ち出され、そこではローカルチャンネルが大きな音で鳴らされていた。
その音楽やトークを聞いた人が、摩導ラジオの存在に気が付き、さらに摩導ラジオを欲しがる人が増えていった事は自然な事であったと思われる。
その摩導ラジオの中では、摩導通信を行う摩導チップが使われていた。
摩導チップにはもともと通信機機能を持っているので、そこにはマイクなど端末側から送信する機能も有り、それはやがて音楽リクエストなどにも使われることになるのだが、今のところその機能は公開はされていない。
カノラジオはラジオ局であるが、いわゆる放送局のような建物・設備がどこかに有るわけではない。
この放送は、摩導通信を中継する摩導サーバの中のスタジオや編集装置でバーチャル的に作成されており、摩導サーバーから直接コンテンツが放送として送信されている。
それら多くの番組のパーソナリティーはカノラジオのスタッフではなく、彼ら、彼女らは一般の人達である。
ニュースなどは自動音声を使っていたり、アナウンサーが読み上げる事もあるが、そのアナウンサーですら専門のスタッフではなく、そこはスタジオでもなく、一般の事務所であったり。自宅であったりした。
さまざまな仕事を行う人たちが、パーソナリティーとして自分の専門知識を自分の言葉で語り、それをサーバに登録していく事で、それらが番組となっていく。
誰でもが番組を作り、それに参加することができ、そこは趣味の話や人生相談、自分で作った歌など、摩導サーバに登録された番組は多岐にわたっていた。
番組ディレクターは摩導サーバーに集まって来たコンテンツからピックアップを行い、放送に適さない部分の削除を行い、そこに音楽や音源の素材を組み合わせて、番組としたものをサーバーに登録し、その放送リストを作っていた。
そしてカノラジオでは、その番組のリストに従い、それぞれのコンテンツが番組として放送されていた。
カノラジオは誰もがいつでも自由に聞くことが出来る放送ではあるが、摩導通信と言う通信を使って個別に送り出されているために、いつ、だれが、どの番組を聞いているかを調べることは容易であった。
多くの人に聞かれている人気番組を作った人には、また次の番組の依頼が番組ディレクターから伝えられた。
今回新たに始まったカノラジオの日本向け試験放送では、大失電後の日本のレポート番組が放送されていた。
そう、最近新たにカノ国人となり、今や東京ブランチの住人となったウワちゃんによる番組である。
自分用にもらった摩導カートに乗り、日本各地へ飛んでいくことが出来るようになったウワちゃんは、絶好調でレポートを行っていた。
一般のカノ島の人は日本の事にあまり興味を持っておらず、カノ島以外で発生している大失電の事も何のことだかわからない人が多かった。
ウワちゃんの番組が始まり、それはカノ島でも聞くことが出来たので、面白そうな番組をやっているとカノ島でも評判になり、本来情報網を失った日本に住む人達向けに作っている番組であるが、カノ島の人にもその番組は人気が出る事になった。
そして、多くのカノ国の人達も、地球上で重大な問題が発生したことをようやく知る事となっていった。




