270話目
「はい、あ。 ラルフこちらに」
「はい、お嬢様」
孫娘と心の中で思っていたシャーロットが男を連れてきた。
一瞬その男に向け殺意を抱く。
可愛い可愛いシャーロットに悪い虫がついたと。
「このラルフをヘルバー商会の者として鍛えて欲しいのです」
「ほう? してその意図は?」
「乙女の秘密ですわ」
そう答えるシャーロットは楽しそうに笑った。
「乙女の秘密……ですか」
「えぇ」
それ以上答える気は無さそうだ。
仕方ないので紹介されたラルフを見やる。
直立不動で体格は良い。
髪の毛はきちんと散髪されており人前に出れるように撫でつけられている。
身なりもきちんとしている。
顔も良い。
躾けは行き届いていそうだが……。
「分かりました」
侯爵家からの依頼だ。
断ることも出来ない。
「ただ、ヘルバー商会の者としてミラーリア侯爵家にふさわしい教育を行いますが宜しいでしょうか?」
「構いません」
言質は取った。
「では準備もございますので3日後から始めさせていただいても宜しいでしょうか」
「構いません」
終始にこやかに会話をするシャーロット。
要件を伝えるとご機嫌のまま帰っていった。
それから3日後ラルフという青年の教育が始まった。
シャーロットの意図は掴めないが頼まれたからにはきちんと教育しなければならない。
シャーロットの顔に泥を塗るような真似はさせられない。
心を鬼にして部下に任せる事無く私自ら教育を行った。
教育を始めてから数週間でまたシャーロットが顔を出した。
その頃にはラルフは及第点まで教育は進んでいた。
このラルフという男は意外と真面目で私の言葉も素直に吸収しこのまま教育を施したら幹部まで行けるのではという才覚を見せ始めていた。
「どう? ラルフの教育具合は」
「順調でございます」
「では来週ブリストウ領に連れて行きます。 ラルフに商会紋の写しを渡してください」
「商会紋をですか? 失礼ですが何に使用なさるおつもりでしょう」
商会紋を使用すると言う事は商会が確実に絡む。
いくらシャーロットからの頼みでも「はいどうぞ」と渡すわけにはいかない。
乱用されれば信用問題に関わってくる。
「貴方も……邪魔をするの?」
それまで笑顔で話していたシャーロットの表情が落ちた。
「お嬢様」
「あら……私ったら……」
ラルフに呼ばれ元の笑顔が戻る。
だが私の脳裏には先ほどの表情が抜け落ちたシャーロットの顔がこびりついた。
何を……するつもりだ。
「シャーロット様、この商会は侯爵様にも関わりがございます。 お嬢様からご要望がありましたとお伝えしますのでそれからでも宜しいでしょうか?」
「あら? お父様に? そんなことしなくてもいいのよ、了承して下さるから」
「申し訳ありません、商会紋を使用する際は届け出を出さねばならぬしきたりですので」
「そうなの? 分かったわ。 なら後日ラルフに持たせて下さい」
「かしこまりました」
商会紋を使用する際必ずミラーリア侯爵に届け出をしなければならないという決まりはないが、シャーロットの一連の行動とあの表情に違和感を覚えた。
侯爵の知らないところで娘が何かをしでかすのを阻止せねばならない、それがいくら可愛がっていたシャーロットでもだ。
その後軽い足取りで帰っていったシャーロットを見送ったあとラルフに問い詰める。
「……お嬢様は何をするおつもりですか」
「私の口からは言えません」
「……侯爵家に関わることだぞ」
「私の口からは何も言えません」
「死にたいのか?!」
「お嬢様の望みを叶えられるならば本望です」
問い詰めたところで答えは帰ってこなかった。
不安を抱いたまま侯爵に報告すればあっさりと、
「渡してやれ」
そう言われてしまった。
私の知らないところで商会が何かに利用される。
「ブリストウ領と言っていたな……確か最近話題になっていたな」
ミラーリア侯爵領からブリストウ領まではかなり距離がある。
話が入ってくるのが遅いうえ、渡り人関連だとほとんど話をする者がいない。
しょうがないと部下に指示を出しブリストウ領について情報を集めることにした。
しばらくして集まった情報の報告を受ける。
すると驚くべき報告を受けた。
ブリストウ領に居る渡り人が渡り人の魔力を回復できるという物だ。
それを報告してきた部下の表情が曇る。
そして私も理解してしまった。
お嬢様は……その渡り人を排除するつもりだと。
「お嬢様は知ってしまったのだな。 ここまで……ここまで拗らせてしまったのか……」
「そのようです」
お嬢様は素直で純粋だ。
侯爵翁に殊更懐いていた。
侯爵翁と渡り人の確執。
大好きな侯爵翁を苦しめる奴を排除しなければならない。
恐らく原動力はそれだ。
「侯爵も気づいておられた」
だからあっさりと許可を出したのだな。
覚悟は出来ているのか見て見ぬふりをしているのか。
「今後の動きに注視しておけ。 下手するとブリストウ領と争いになる……いや爵位がはく奪される可能性もあるぞ」
「かしこまりました」
嫌がおうにも巻き込まれる。
それに備えなければならない。
今後に向けて秘密裏に備えるよう指示を出した。




