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悪役令嬢の本気その五【正体不明の男に襲わせる(未遂)】

・このお話はフィクションでファンタジーです。

 その五《正体不明の男に襲わせる(未遂)》








「第三王子殿下、せっかく婚約を破棄されたのです。息抜き(・・・)に今度我が家で主催する仮面舞踏会に参加されませんか?」


 学園でそんなふうに声をかけてきたのはノワール伯爵家の三男だった。

 あまり知名度のない家柄なのか顔と名前も知らなかったが、純朴そうななんの取り柄もなさそうな男の誘いに乗ることしたのは、このところ愛しのルーシィが嫌がらせをされてきたからだ。


 嫌がらせをしてきている相手は判っている。私の元の婚約者で生意気なうえに王族にしがみつこうとする卑しい公爵家の女だ。あの女の兄たちは優秀な者ばかりで私の兄の側近であったり騎士団でも将来有望だというのに、私には母上のような可憐な容姿でもなく気遣いもできない不出来な女を無理やりあてがわれたのである。


 その女と婚約を破棄したのは一か月以上前だが、私の周りに変化はなく、私もそして元婚約者も何食わぬ顔で学園に来ていた。婚約を破棄されたというのに図々しくも何もなかったかのような顔で登校する公爵令嬢のせいで愛しのルーシィを守るためにずっと一緒にいたのだが、何事にも限度はある。限度があるというか、一人の時間が欲しくなったというか、少しだけ飽きてきたこともあって彼の話に乗ることにした。


「どなたかを(ともな)われますか?」

「いいや。側近たちにはルーシィの護衛をしてもらう。私個人の護衛はつくだろうが、今回はお忍び(・・・)だ」

「かしこまりました。それではこちらが招待状です。仮面舞踏会の規則はご存じですね?」

「私を誰だと思っているんだ」

「失礼いたしました」


 不機嫌になった王子に恭しく頭を垂れた青年は、穏やかに笑いながら綺麗に装飾された封筒を手渡すとそっと離れていく。そして黒地に銀の文字が浮かんだ招待状を懐に入れ、第三王子はいつものように楽しそうに歩み去っていった。








 仮面舞踏会とは主催した家が身分とその時々のテーマにあった人々を集めて楽しむものだ。ある程度の暗黙の了解はあるが、招待客はそれ(・・)を前提として一夜の夢を見る。

 規則(タブー)は二つだけ。仮面の下の人物を知っていても知らないふりをすること。仮面舞踏会以外で会でのことを話さないこと。どちらか一つでも破ればあらゆる家が主催する仮面舞踏会に二度と招待されなくなる。


 基本的に未婚者の参加は認められていないので『大人の社交』とも『道化たちの遊戯』とも揶揄されているが、年若い者たちのスリルと好奇心を安全に満たす役割なのも暗黙の了解だった。


「今回のテーマは『草花』か」


 第三王子が会場に足を踏み入れた時にはすでに人々が揃い、きらびやかな仮面をつけて楽しんでいた。それなりに人は集まったほうだろう。食事や会場の雰囲気を見ても年若い貴族を集めた比較的健全な舞踏会に見える。

 招待状をもらったのは伯爵家からだった気がするが、質は侯爵家にも劣らない一流のものが取り揃えられていた。


「さすがに王子を呼ぶことはあるか。まぁまぁじゃないか」


 シャンパン片手に息抜きをしようと歩く第三王子だが、社交経験の少ない彼は仮面を身に着けた人々が誰なのかほとんど判らない。そして彼らが仮面の奥から自分に好奇の視線を向けていることにも気づくこともなかった。


「ようこそいらっしゃいました。今日は身分を忘れて交流を楽しんでいって下さいね」


 招待を受けた礼儀として主催者にあいさつにいった第三王子だが、真っ赤な薔薇の生花をあしらったドレスは蠱惑的で、三十代から四十代であろう女性は魅力的だった。おそらく普通の社交では身に着けないような大胆なドレスだが、この仮面舞踏会の女主人によく似合っていた。

 そつなく挨拶を終えた第三王子が会場を見回していると、自分と同じ年齢か少し下の若者たちが集まっているのを見つける。男性三人に女性二人が一団となって会話を楽しんでいるようだ。


 何気なく見ていた王子だったが、その中の一人に視線がくぎ付けになる。

 最初は光り輝いているのかと思った。

 ミルクティー色の髪はきれいに結い上げて白い小さな花が飾られている。肌は白いが蝶の仮面をつけて微笑むその瞳は美しいエメラルドで、可憐なピンクの唇は王子の口づけを待っているかのように震えていた。華奢な体とちょうどいい大きさの胸に女性らしい細い腰が、まるで抱いてくれと訴えるように若草色のドレスに包まれているのを見て運命だと直感する。


 私は彼女に会うためにここに来たのだ。

 第三王子の足がゆっくりと女性へとむけられる。人々の密かな注目と熱気に気付かぬまま。


「はじめまして。貴女の仮面の奥に隠された美しさに惹かれて声をかけてしまいました」


 自分の仮面を今すぐに脱ぎ捨てて王子という身分を晒してこの女性を手に入れたいと思いながらも冷静になって声をかけた。声をかけられた令嬢はまっすぐに第三王子を見ると美しくお辞儀をする。


「こんばんは、パントセリアの黒と緑のお方。わたくしなどにお声がけいただきありがとうございます」


 衣装を見てすぐに第三王子の紋章に使われている植物(パントセリア)と判るとは、彼女はよほど身分のある淑女に違いない。甘えるような明るい声はルーシィを思い出させるが、彼女よりも上品な話し方をしていた。


「私は貴女の瞳にうつるためならどんなことでもするでしょう。一目見ただけで貴女に恋した私をお許しください」


 なりふり構わない口説く言葉に女性はうっすらと頬を染める。その仕草ですら愛おしくて第三王子はさらに彼女に近づいた。


「私と貴女の二人だけで語らいたい。夜は短いのです。どうか私の願いを叶えていただけませんか」


 仮面舞踏会において『二人だけで語らいたい』は夜の誘い文句である。ふつうはある程度親密になってから夜も更けたころに使われるが、そんなマナーなどどうでもいいと思ってしまうくらい目の前の女性を求めていた。

 あからさまなお誘いにうろたえながらも、その翡翠の目に浮かぶのは淡い期待なのだろう。女性は王子に近づくと口元に手を当ててそっとささやく。


「今日は家族も一緒なのです。ともに抜け出そうとすれば止められてしまいます。わたくしが先に出ますので、貴方様はもう少し時間が経ってから主催者様に部屋の場所を聞いてくださいませ。お待ち申し上げております」


 あでやかに笑いドレスの裾を翻して歩み去っていく華奢な背中を呆然と見送ると、王子は持っていた飲み物を一気に飲み干した。








 女主人が教えてくれたのはゲストルームが集まる建物の二階の一室だった。

 華美ではないが落ち着いた雰囲気の室内は趣味ではないが、待っている運命の女性には似合うのではないかと思えるほどに第三王子は浮ついていた。


 室内の照明は薄暗く、ベッドに座っていた女性が淡く光っているように見える。緊張で潤んでいる瞳を伏せているものの、第三王子はソファではなくベッドで待っていた彼女の前に立って手袋を外した手であごを持ち上げた。


「……緊張していますか?」


 長いまつげが微かに震えながら伏せられ、少しの違和感に一瞬言葉に詰まる。目の前にいるのは緑の妖精の衣装を着た先ほど誘った女性……のはずだ。ドレスも同じだし髪の色も髪型も同じに見える。

 王子の質問に首を振る彼女の華奢な肩を抱き……華奢な……

 ずいぶんと筋肉質な体に首を傾げ、こちらを見上げる彼女の喉には不自然な膨らみに気が付いた王子がベッドから離れる前にぷっくりとした小さな唇が薄く引き伸ばされて笑みを形作った。


「え?」


 あごにかけていた手を引かれてベッドへと仰向けに倒れこむと、可憐だった(・・・)女性は王子の上に跨ぐように馬乗りになって自分の下肢を王子の股間へと擦り付ける。


「?! っ!!」

「同性のお相手は初めてですか?」


 可憐な唇から紡がれた声は低く、先ほどとは似ても似つかない。身長も王子より高くて別人だとすぐに判った。


「貴様は誰だ! 彼女をどこにやった!」


 体をひねって死に物狂いで女装した男の下から這い出た王子が羞恥と動揺で声高に叫ぶと、男は実に楽しそうな笑みを浮かべてベッドの上で膝を立てて座る。挑発的なその態度に顔を赤く染めた王子は蹴躓(けつまず)きながら転がるように部屋から逃げ出して、離れた廊下で待機していた護衛を呼んだ。


「不審な男がいる! 捕まえろ!」


 護衛がなぜそんなに離れた場所にいるのか疑問にも思わず叫ぶ第三王子。そしてそこには招待客が何人かいて、全員が驚いたように部屋の前に集まった。

 王子が開けたままにしているドアから全員が中をのぞくと……そこにいたのは不思議そうに首をかしげる可憐な容姿の貴族令嬢のみ。護衛の陰から同じように部屋を見た王子が絶句している間に護衛が人の隠れそうな場所を探すも彼女以外そこにはおらず、その場にいた全員が騒ぎ立てた王子を見た。


「そんな! 確かに男が……! お前は一体誰だ!」


 可憐な女性が女装した男性になり一瞬目を離したすきに女性に戻ったと混乱した王子が、自らの失態を隠すように怒鳴りながら令嬢の仮面を力ずくで剥ぎ取る。


「あっ!」


 何かが引っ掛かったのかきれいに結われていた髪がほどけて美しく広がると、見る間に漆黒へと変わっていった。華奢な体、艶やかな黒髪、可憐な声、そして背けていた顔を戻した女性が王子に向けるのはビジョンブラッド――レジストーク公爵家特有の瞳だった。


「お前……カーラ・レジストーク!!」


 運命の相手だと鼻息荒く口説こうとしていた女性が、実は自ら婚約破棄を宣言した元婚約者だったことに言葉の出ない第三王子。仮面舞踏会のタブーを犯した青年にカーラは冷めたまなざしを向けて完璧なお辞儀をする。


「その声はやはり殿下でしたのね。仮面舞踏会で相手の了承なしに仮面をはぎ取るのはマナー違反ですわよ?」


 扇子を広げて顔を隠しながら微笑んだカーラは遅れて入ってきた主催者の女性に近づくと小さく耳打ちした。


「ええ、判っております。そこのお方。本日はこのままお帰りください」


 女主人の采配に、第三王子は格下の貴族に指示された怒りから自身の仮面をはぎ取って怒鳴った。


「私は第三王子だぞ!! この女が私をはめた(・・・)んだ! 出ていくならこいつだろう!」


 仮面舞踏会で正体をさらすという更なる醜態に、女主人は手に持っていた扇子で自身の手のひらを打ち付けて黙らせる。


「……皆様、ここで起きたことは他言無用に願います。第三王子殿下。わたくしはこの会の主催者です。たとえ王族であろうとも責任を負って取り仕切るのはわたくしの役目ですわ」

「だからなんだ。お前の身分など知らないが俺より高い(・・・・・)はずがない!」


 反論は誰もしなかった。無知で傲慢で、その程度の人間だと判断されたと王子が気付いたかどうか。


「そう。貴方は王族でありながら身分を振りかざすのね。その歪んだ思想は誰に刷り込まれたの?」


 女性の口調が変わり、身内に対するものになる。


「父上が頂点に立つこの国で、その選ばれた血統たる王族の私に意見するのか? 伯爵家の女主人ごときが偉そうになにを言うつもりだ」


 可憐な女性を誘ったはずが男性に代わっていた驚きで騒ぎ立て、さらに仮面舞踏会の禁忌をいくつも犯してしまった王子が自身の失態を誤魔化すべく傲慢に言い放つ。ここに第二王子がいれば殴り飛ばされたかもしれないなとのんびりと眺めていたカーラは、指先まで美しく整えられている女主人の持つ扇がミシリと不穏な音を立てたのを聞いた。


「本当に……国王なのだから子供の教育まで目を通せとは申しませんが、これを放置しているとは(あき)れてものも言えないわ」

「なんだと! 貴様、私を愚弄するのか!」

「貴方様のことなど何も申しておりません。わたくしは国王陛下に呆れているのです」


 そう言いながら女主人は自ら仮面を脱ぐと。


「お、伯母上……なぜここに……」


 現国王の姉で公爵家へと嫁いだ女性に第三王子は青い顔で(おのの)く。


「こちらの伯爵家をお借りして主催したのはわたくしです。今回の趣旨はこの素晴らしい庭を見て思いつきましたの。そうしたら甥が騒ぎを起こし、しかも現公爵夫人のわたくしに向かって意見するなと怒鳴り散らす……そういえば王族がどうとか、身分がどうとか、選ばれた血統がどうなどと妄想を(わめ)いてもいたわね。それも全部報告いたします」


 第三王子に口出しさせぬまま公爵夫人はよほど腹に据えかねているのか言葉が止まらない。


「これが広間でなくて良かったわね。もしもっと人目のあるところだったら……あの処遇(・・・・)で済んだかどうか」


 降嫁されたとはいえまだまだ国の中枢に携わるお方が第三王子のこれから(北の砦送り)を知らぬはずがなく、カーラは起こりえたさらに悪い処遇に背筋を凍らせる。

 浮気をして人前で婚約破棄を叫び、さらに公爵家を侮辱したとはいえこれ以上の罰となると命にかかわるものが多くなる。そこまでの厳罰を望んでいたわけではなかったカーラは自分の見通しの甘さに唇を引き結んだ。

 不審な女装男に驚いた王子が部屋を出ている間に入れ替わり、残っていたカーラの仮面をはぎ取るくらいは予測できていたのだが、まさか王子(みずか)ら身分と顔を(さら)すとは思わなかったのだ。


「で、ですが伯母上。この女は私の大切な女性に嫌がらせを……」

「その話は陛下から聞いております。なんでも貴方は平民が(・・・)するような(・・・・・)小さな嫌がらせをレジストーク公爵令嬢が行ったと断じたとか。貴族女性を馬鹿にしすぎではないかしら? 確かに嫌がらせはいけないことだわ。けれど最初にやってもいない嫌がらせをしたと言いがかりをつけたのは誰? 権力を持つ者が片方の言い分しか聞かずに判断を下すという、愚かな行動を取ったのは誰かしら?」


 扇を広げて自分より背の高い青年を見下す眼差しにカーラがうっとりと見惚れていると、廊下からレジストーク公爵家の三番目の兄が迎えに来た。


「お忙しいところを失礼いたします。時間ですので妹を迎えに来ました」


 カーラと同じ黒髪に深紅の目を持つ美丈夫が切れ長の目をかすかに細めて妹の乱れた髪を見つめる。


「カーラ?」

「大丈夫よ、カルヴィンお兄様。仮面を外された時に髪も引っかかってしまっただけなの」


 レジストーク公爵家の三男カルヴィンは厳つい容姿をしていて、女性から絶大な人気を誇る長兄とも次兄ともタイプが違った。寡黙だし目つきが鋭く怖いという当時好きだった女性からの言葉に傷付いて王立学園を飛び級で卒業し、騎士団に下級騎士として入団してしまったという繊細なのか破天荒なのかよく判らない性格をしているのだ。外見は鋭利な美貌を持つので年上の女性には人気があるものの、年齢に見合わない落ち着きのせいもあって長兄よりも年上に見られて落ち込んだという心優しい兄である。


 今日は仮面舞踏会とはいえ長兄や次兄では女性たちに囲まれてカーラをエスコートするところではなくなってしまうという自己申告により、顔の左側半分だけを隠したカルヴィンが付き添ってくれていた。

 カーラの言葉にカルヴィンはジロリと第三王子を見る。長身で鍛えられた体を持つ青年の一瞥に、王子は無意識に足を引いた。


「怪我は?」

「ありません。心配してくれてありがとう」


 館の侍女に髪を整えてもらったカーラはカルヴィンの手を取り立ち上がると、公爵夫人に頭を下げて別れの挨拶をする。


「本日は思っていた以上にお騒がせして申し訳ありませんでした」

「いいえ。聞きしに勝る愚かさを直接見ることができて良かったわ。甥だからとつい情けをかけてしまいそうになっていたけれど、中途半端な同情はあの子のためにもやめたほうがいいわね」

「……それでは失礼いたします」


 夫人の言葉に返すことなくレジストーク公爵家の兄妹は案内の侍女について退室していく。公爵夫人にはっきりと婚約破棄の件については自分に非があると断じられた王子はうなだれて立ち尽くしていたが、立ち去るカーラの背にポツリとつぶやいた。


「ルーシィが言ったんだ。私は王族という最も高貴な身分だから我慢する必要はないって。でも本当は人に身分差なんてないはずだから、ルーシィと一緒になれないのはおかしいって」


 その場にいた第三王子以外の全員があっけに取られてうつむく王子を見る。カーラも、普段驚くことが少ないカルヴィンでさえ足を止めた。

 王子の独白は続く。


「だってそうだろう? カーラとルーシィの体に容姿以外のどんな差がある。女は子供を産めればそれで十分なはずだ。そうだとしたら私の婚約者は性格の悪いカーラではなく、か弱くて優しいルーシィでもいいはずだろう」


 誰もが絶句して言葉も出ない中、付き合いが長いおかげでいち早く立ち直ったカーラがゆっくりと言葉を紡ぐ。


「平民や騎士でしたらそれでもいいのでしょうね」

「それはどういう意味だ。女性はドレスを着て、宝石を身に着けて、お茶会をしていればいいはずだ。そんなことならルーシィでもできる。現に母上だって式典に着飾って出席するくらしかしていないし」

「それは王妃殿下が子爵令嬢だったからですわ」


 苦々しい声で即答した公爵夫人は厳しい表情で第三王子を睨んだ。


「四人姉弟の末子である(国王)のわがままがどれだけの人の人生を狂わせたのか、お前は学んでいなかったのね」


 王太子である第一王子と第二王子の教育が上手くいったために第三王子まで目が行き届かなかったのかもしれないとカーラは目を伏せる。


 現在の国王が十代のころ。水面下で決まっていた婚約者候補を蹴って現王妃の子爵令嬢と結ばれたいと宣言した国王に、周囲は大変な騒動になったらしい。婚約発表前だから間に合ったと国王は思っていたようだが、婚約してからも、結婚してからも教育のなっていない王妃が本来するはずの仕事を他に振り分けるのが大変だったようだ。

 おかげで他国との外交でも後れを取ったこの国は、一時期だが交易で大変苦労していたのである。

 その時にはすでに公爵家へと嫁に行っていた夫人(元王女)に王妃の仕事の一部が回されてしまい、『こんなことならわたくしが女王になれば良かったわ!』と国王に言い放ったのは高位貴族の間では有名な話である。


 公爵夫人の言いたいことが判らず首をかしげる王子に、小さなため息を吐いて向き直ったカーラが丁寧にお辞儀をした。


「第三王子殿下。これで殿下のおっしゃっていた嫌がらせが終わりましたので、この一件はおしまいです。これから当分……もしかしたら二度とお会いすることはないかもしれませんが、どうか周囲の者たちの話をよく聞き、王族にふさわしい広い視野を持つことができるようにお祈りいたしております」

「はっ、婚約破棄された傷物令嬢のお前は修道院からも追い出されないように注意するといい」

「……それでは失礼いたします」


 最後まで自身の行いを顧みるつもりがない王子の言葉にエスコートで手をかけていたカルヴィンの腕に力が入ったが、カーラは何も言わずに軽く頭を下げて退室した。カルヴィンに至っては公爵夫人に丁寧なあいさつをしたものの王子には目も合わせずに歩いていく。

 やがて遠くて華やかな音楽が聞こえる人気のない廊下を歩きながら、普段は物静かなカルヴィンがポツリとつぶやいた。


「公爵夫人じゃないが確かにあれは聞きしに勝る愚か者だ。これまでよく頑張ったな」


 ねぎらう言葉に小さく笑ったカーラは自分のために怒ってくれている兄に少しだけ寄り添う。


「わたくしはただの(・・・)婚約者でした。彼の母親でも教育係でも側近でもありませんでしたから、離れて見ていただけですわ。王家からの慰謝料はたっぷりもらいましたし、この婚約を整えてきたお父様にもわたくしのお願いを聞いていただく予定ですの」


 婚約破棄から嫌がらせの許可が出るまでのんきに笑っていたレジストーク公爵だが、もちろん妻と先代夫婦と息子たちにこってり絞られていた。一応王子の不貞行為はカーラから報告されていたので公爵は国王に改善を訴えてはいたが、所詮第三王子の婚約者だと軽く見られていたことは明白だった。


「本当に結婚前に判って良かったですわ。それに……」








「ふふっ、うふふ……」


 馬車の中で扇を広げ、()を見ないようにしながら笑いをこらえる公爵令嬢。

 隣に座る公爵子息もまじめな顔だが微妙に唇を歪めている。

 進行方向を向く座席に座るレジストークの兄妹の前に、カーラと同じ色のドレスを着た人物が澄ました顔で座っていた。


「お嬢様、まだ外ですよ。カルヴィン様を見習ってください」


 その人物から発せられるテノールにカーラはますます体を震わせた。


「あ~……キリア。その、よく似合っているよ」


 カーラの笑いとともに下降していく侍従の機嫌を取るようにカルヴィンが声をかけるが、笑いを止めることができずに車内の空気はさらに冷えてくる。


「ええ、よく判っておりますよ」


 仮面をはぎ取りかつらをむしり取ったキリアが若草色のドレス姿で不満げに足を組んだ。


「仕方ないわよ。わたくしと貴方で嫌がらせをするって言っちゃったんだもの。でもとても素敵よ、キリア」


 公爵家の力を使わずに嫌がらせを行うことは王家との約束の一つである。にじんだ涙を拭いながらようやく笑いを収めたカーラはとても清々しい顔で頼りになる青年にねぎらいの言葉をかけた。


「当たり前です。私は体格さえごまかせればそこら辺の淑女より淑女になれますよ」

「色は魔法で変えることができても体格は無理ね。わたくしは貴方が侍女でも構わなかったわ」

「性別に関係なく信用していただけているようで嬉しいです。二度とごめんですけどね」

「残念ね。似合っていたのに」

「本当にな」


 軽口をたたく主従コンビにそれまで黙って聞いていたカルヴィンが同意し、堅物で通っている人物の思わぬ同意にカーラとキリアは顔を見合わせる。


「カルヴィンお兄様、キリアは差し上げられないわ」

「カルヴィン様。私も同性の方はちょっと……」

「いや、誤解だ! 私はそんな意味で言ったわけでは……!」


 慌てて否定するカルヴィンに楽しそうに笑うカーラと真面目な顔であきれるキリアの三人を乗せた馬車は、夜の王都を軽やかに走っていった。


【あまり物語に関係ない人物紹介】


・ノワール伯爵家の三男


 自分ちで仮面舞踏会をやるから遊びに来てねと友人たちに声をかけていたら、第三王子が興味ありげに見てきたので社交辞令で誘った青年。社交辞令のはずが意外と乗り気な王子に驚いて、親に慌てて報告した。主催は公爵夫人だったので、それを知った公爵夫人がどうにか第三王子とカーラの仲を取り持とうとして失敗したのが今回の騒動。

 第三王子が北の砦に移されるまで食事もあまり喉を通らず眠れない日々が続いていたが、体調を崩して治療してもらった治療院で働いていた女医と親しくなって後に結婚した。姉さん女房で尻に敷かれつつ嫁を溺愛して幸せのようだ。


・伯爵家侍女(カーラの髪を結いなおした女性)


 なにこれ、めっちゃいい匂いだし、手触りがサラサラで最高だし、頬ずりしたいくらい気持ちいい!! 黒髪って重く見えがちだけど緩くうねらせているから光の反射で動きが判りやすくて、めっちゃ可愛い! 今度奥様とやってみよう。それと侍従さんの女装は私の渾身の作品ね!! ドレスはお嬢様と同じものだったから一目で男性だとばれたけど、アレはもっと工夫すれば男性を騙せると思う。今度うちのお坊ちゃまでやってみようかしら。奥様に許可を貰わないとなぁ

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[一言] 何気に伯爵家の息子に危機がw
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