悪役令嬢の本気その四【根も葉もない悪意あるうわさを流す】
・このお話はフィクションでファンタジーです。
その四《根も葉もない悪意あるうわさを流す》
レジストーク公爵家の令嬢は王子の婚約者であることを自慢して、王子が本当に愛してしまった可憐な少女をいじめた悪女である。
王子と男爵令嬢という身分差がある二人を引き裂こうと公爵家の権力を行使してくるが、王子は持てる力で愛する少女を守っているらしい。
レジストーク公爵家は第三王子を傀儡として王家を乗っ取るつもりだったが、優秀な王子に阻止された。
国王も二人を祝福しており、レジストーク公爵家は王にも見放された没落貴族になるだろう。
「わたくし個人へのうわさは半分だけね。これってもしかして……」
キリアからの報告にこれで何度目かになる疑問を口にするカーラ。ハーフアップにされた黒髪がさらりと頬を撫でて、いつもより幼い雰囲気を漂わせる。
「いくつかは第三王子と男爵令嬢がはしたなく大声で話した内容から来ていますが、うわさの元は側近の一人である宰相次男のようです」
「……これとは関係ないのだけど、わたくしも貴方も彼らの名前呼びをいつの間にかやめてしまったわね」
幼馴染とまでは言わないが幼いころからの顔なじみなのだ。もちろん名前だって知っている。
「先にこうなる決断をしたのは彼らです」
「そうね。貴族間の友好断絶なんてよくある話だもの。それにしても宰相家は好き勝手し過ぎではないかしら」
カーラはこれらのうわさを流したのは宰相次男であると断じた。宰相家と公爵五家はもともと不仲であり、国の在り方的にも癒着されては王族が困るのだが、だからこそこういった小さな嫌がらせは常にあったので驚くことではないのだが。
「いちおう公爵閣下はお嬢様の嫌がらせが済んでから対応するとおっしゃっていましたが、いかがなさいますか?」
うわさは広がるのに時間がかかる。カーラの本気の嫌がらせの一つである『悪意あるうわさ』に様々なヒレをつけるために早めに流していたのだが、肝心の王子の耳に入るのはまだまだ先だろう。彼は周囲の状況や情報を集めるといったことを側近任せにしているのだから。
「宰相家への対策はお父様に譲るわ。わたくしがしたいのは第三王子殿下に公爵家令嬢の本気を見せることなのだもの」
すっと立ち上がった姿は薔薇のように麗しく優雅で、気品に溢れていた。
「かしこまりました。すべてはお嬢様の御心のままに」
首を垂れた青年侍従はカーラのかすかな動きに反応して顔を上げると、とても楽しそうに笑う主の顔を見て小さく笑みをこぼしたのだった。
本気の嫌がらせ『お茶会に呼ばない』を成し遂げてから数日後。
王城の中でもひときわ警備の厳重なその場はとても緊張に満ちていた。それもそうだろう。その部屋にはこの国で二番目に身分の高い人物がいるのだから。
「そんなに緊張しないでちょうだい。今日のお茶会は貴女を責めるために呼んだわけじゃないのだから」
「王妃様……」
ミルクティー色の髪を緩く結い上げて、慈愛に満ちたエメラルドの瞳を楽しそうに細める王妃の向かいに座っているのはカーラだ。すぐ後ろにはキリアが控えているが侍従の立ち位置ではない。
猫足の乳白色の高級石を使ったティーテーブルには女性が一口でつまむことのできる色とりどりのお菓子が並び、さらにジャムやはちみつ、砂糖も三種類ほど用意されていた。
若草色のドレスを着た王妃と薄紫色のドレスを着たカーラの前には温かなお茶が置かれていて、しばらく当たり障りなく楽しんだ後に王妃は本題を切り出す。
「今日呼んだのは、城下で囁かれている三番目のバカ息子のうわさについてよ」
高級な茶器を持つ手がかすかに震えるも一瞬の硬直のあとは優雅に口をつけるカーラと、一切表情を変えずにたたずむキリア。どちらかというと壁際に控えていた侍女たちが息をのむ。
緊張を孕んだ空間と張り詰める沈黙の中、カーラが持っていた茶器がかすかな音を立ててテーブルに戻された。
「貴女が流した『第三王子は王妃を敬愛している』といううわさが『第三王子の好みは王妃のような胸のない女性である』などと変わってしまったことは知っているわね?」
「……はい。存じております」
「それでわたくしも件の令嬢を確認してみたのですが本当にまっ平だったわ。多少でも寄せて上げればふくらみを持たせることができるはずなのに、あのレベルでわたくしと同じなどと言われたくはなかったわね」
うわさを変化させたのは民衆だが、王妃の胸の大きさを気にしている連中もいたらしい。まさかそこに類似性を見出されるとは思ってもいなかったカーラたちが慌てた時には、すでに収拾がつかないくらいに広まってしまっていたのだ。
「貴女が本来流れてほしかったのは『第三王子は母親と似た女性しか愛せない』とかそんなところかしら。だから修正しました」
「お手数をおかけして申し訳ありません」
謝罪するカーラに王妃は珍しく少し苦いものを含ませた微笑みを浮かべる。
「うちのバカ息子が本当にごめんなさい。自分の浮気を棚に上げて貴女を責めるなんて、王族以前に人としてあり得ないわ。貴女が満足するまで仕返しをしたら必ずけじめをつけさせます」
「わたくしこそ殿下をお引止めすることができずに申し訳ありませんでした」
謝罪するカーラに王妃は憂いた視線のまま心の中を吐露するように語り続ける。
「あの子が王籍を抜ける覚悟を持ち、正式な手順さえ踏めば問題ではなかったのです」
正論に黙ったまま話を聞くカーラ。
「そして間違えたことをしようとしているのならば、側近が身を挺してでも止めなければなりませんでした。それなのにバカ息子に苦言を呈したのは貴女だけで、それを嫌味や嫌がらせと取ったあの子に王族たる資格はありません。すでに王太子に子供がいる以上、あの子が問答無用で消されても文句は言えませんでした。それを――」
うっすらと涙を浮かべた王妃は座ったまま小さく頭を下げた。
「カーラが嫌がらせを行うという名目で時間を稼いてくれてありがとう。どんなにバカな息子でも、わたくしにとってはかけがえのない家族だったの」
人払いをしたうえでの王妃の感謝に、第三王子の行く末が決定したことを知ったカーラもポツリとつぶやく。
「わたくしも殿下をお慕いしていた時があったのです。初めての登城で緊張するわたくしに殿下は優しく手を握ってくださいました。あとで教育係に怒られてしまったようですが、わたくしは本当に励まされたのです」
第三王子との婚約は嫌なことも多かったがそればかりではなかった。王子としては純粋で、危うげに見えるほどの優しさを見せる彼とともにこの国を支えていこうと思っていたのだ。
「あの子は北の砦に送られるでしょう。もちろん取り巻きたちも各地に送られることになりました。男爵令嬢は何もせずに実家に返します。あの家ならばそれが罰になるでしょうから」
沈んだ声が告げた北の砦は北の大国と国境を接し、半年も雪に覆われて移動が制限される場所だ。王家直轄なので現在は現国王の三番目の姉が降嫁して、その夫が取り仕切っていた。
「司令官ということでしょうか?」
第三王子にそんなことができるのかと思わず質問すると、王妃は小さく首を振って否定した。
「事実上の幽閉です。あの子が心を入れ替えて兵士としてやり直す意思があるのなら見守ってほしいとお願いしました」
多分無理だろうと思っていても諦めきれないのが親心なのだろう。それならばもっと早くに手を打てば良かったものをとも思ったが、成人前の王族のあまりにもお粗末な行動ゆえに止める間もなかったのかもしれない。カーラや第二王子は事前に知ることができたが、それでも行動を起こす直前だった。
「王姉殿下が北の砦に在任する期間は残り六年。それまではどれだけ心を入れ替えても王都に戻すことはしません」
もちろん心を入れ替えなければ二度と戻ってくることはないと言外に告げ、王妃のお茶会は終了したのだった。
「お嬢様……」
公爵家へと戻ったカーラにキリアが心配そうに声をかける。常に厳格な態度をとり続ける彼にしては珍しい気遣う声に、赤い目を細めながらかすかに笑ったカーラは柔らかなソファに体を預けながらクッションを抱きしめた。
「知らなかったなんて!!」
そしておもむろに発せられる大きな声。令嬢にあるまじき無作法に普段ならこめかみに青筋を浮かべて注意するキリアですら、小さくうなずいて同意するのみ。
「第三王子が本気で母親と結婚したいって言っているから流した噂なのに、まさか王妃様が知らなかったなんて思わなかったわ」
「たしかお嬢様の胸が大きすぎるとか、背も高いとか、政治に詳しすぎるとか、目元がきついとか、公爵家という高すぎる身分がいやだとか言っていましたね」
「あとピンクとか緑の淡い色のドレスが似合う女性がいいとか……全部王妃様を基準に考えているのですもの。暴露してやりたくなりますわよ」
カーラにしてみれば自身にまったく非がないことで嫌われたのだ。嫌がらせは『根も葉もない悪意あるうわさを流す』だったが、事実を告げたところで悪意がないわけではないとそのままうわさを流し続けていた。
「それでもよろしかったのではないですか? かの方が流したかったうわさを補完してくださったのですから。私たちが『事実』を流せば、最悪不敬だと言われかねませんでした」
カーラたちが流したかった本当のうわさは第三王子の理想の女性が母親であるということだったが、王妃は見事に流したかったうわさへと自ら修正したことになる。
「まぁ、王妃様もまんざらではなさそうだったしいいのではないかしら」
ここまでで騒動からすでに一か月。元来根に持つ性格ではないカーラに飽きが見え始め、けれど泣き暮らすよりはよほど有意義だったと深く納得していたキリアは最後の始末の指示を粛々と待つ。
ちなみに。
件の王子が王都のうわさを聞くことはなかった。彼はこの日から一週間後に最後の嫌がらせをされて、北の砦へと護送されることになる。
【あまり関係ない人物紹介】
・北の国境侯爵(年齢45歳)と降嫁した元第三王女、現侯爵夫人(年齢45歳)
好戦的な北の国から国境を守る王領を代理統治している夫婦。現侯爵は天使のような清らかな見た目をしているが、思考は狂戦士そのもの。銀色の髪と濃い紫の目を持つ美青年で、薔薇の花を持っているのが当たり前のような容姿を見て当時の第三王女は「見た目詐欺だわ」と本人の前で言ってのけた後、「わたくしに子供と代理領主の権限の全てを下さい。その代わり貴方は好きなだけ戦いに出てもらって構わないわ」と頬を染めたらしい。
元第一王女などは「わたくしには判らない趣味なのよ」と悩まし気にため息をついたのが印象的だった。以外にも相思相愛らしく、真冬で外に出ることのできない時期が多いせいか子沢山になった。
北の砦に送られてくる騎士は見た目で侯爵を侮るが、侯爵が自ら手を下さずとも在住騎士への鬼畜ともいえるしごきぶりを見てすぐに考えを改めるらしい。
国王曰く「え? あそこって性格矯正施設じゃないの?」と現実逃避気味なことを言ったとか言わなかったとか。