悪役令嬢の本気その二【嫌味を言う】
・このお話はフィクションでファンタジーです。
その二《嫌味を言う》
「困ったわ」
屋敷の自室にてお茶を飲んでいたカーラは悩まし気にため息を吐いた。給仕していたキリアが白手袋をつけた手を止めて訝しげに見つめてくる。
「どうしました」
「嫌味って事実の指摘とは違うのよね」
思考と視線を迷わせながらつぶやかれた言葉にキリアは小さくうなずいた。
「そうですね。普通は違いますが、人によっては事実の指摘を嫌味だと思う人もいるでしょう。例えば三番目の馬鹿……王子やほぼ平民の礼儀を知らない小娘のように」
「小娘って、貴方も学生よね? 彼女はわたくしと同じ学年なんだから、それほど年齢差はないじゃない」
王子の前に不敬な言葉が入っていたが、二人は気にすることなく会話を続ける。
「肉体的な年齢は近いかもしれませんが、精神的なものは大人と子供ほどの差があるかと。小娘と話すくらいなら御年五歳になられるアドラム殿下と話をしたほうがよほど有意義です」
「貴方はたまに不敬なのではないかしら?と思えるほど幼い王子殿下に淡々と言い含めることがあるわよね。親である王太子殿下も笑って見守っていらっしゃるだけで何も言わないし。殿下のキリアへの信頼が怖いくらいだわ」
「理由は判りませんが私には確かな実績があるそうですよ」
「まだ子育てもしていないのに」
不服そうなカーラだが今はそれどころではないと気を取り直した。
「それにしても事実の指摘が嫌味になるといっても、それだけでは面白くありませんわね」
そう言って優雅にお茶を飲むカーラをキリアは薄い表情で見下ろす。レジストーク公爵家の中にあってひときわ目を引く紅い薔薇。艶やかな黒髪を結い上げ、聡明な眼差しは育ちの良さを表すかのように優雅にほほ笑んでいた。嫌味など言う必要もないほどの身分と恵まれた暮らしゆえに、性格は曲がったことを嫌いながらも柔軟に対応するための知識もある。
学園に通うようになり下位貴族たちと触れ合うようになっていささか口の悪さも目に付くが、若さゆえの強情さと寛容な精神は主として申し分ないものだった。
まぁ今は婚約を破棄した代償を第三王子に支払わせることに意識がいって、彼女が王子妃になるために費やした時間を顧みるつもりはないようだが、これが終われば心のケアを一番に考えなければならないだろうとキリアは手元の茶器を片付ける。
本当に嫌味が言えないと困るとは……鋭利な容姿を持つキリアだが、思考とともに浮かんだ微笑みは柔らかく親しみを感じさせた。青年を知る人間なら彼の新たな一面を見たと思わせるほどめったにない表情に、けれどカーラは気づくことなくやる気を漲らせて立ち上がったのだった。
「カーラ、貴様! いったいどういうつもりだ!」
「第三王子殿下、ごきげんよう」
移動教室の最中に廊下で突っかかってきたルーシィ以下ボンクラ共の筆頭王子に、公爵令嬢は慌てることなく優雅にお辞儀をする。
「機嫌がいいわけがないだろう! 貴様、愛しのルーシィを襲うために雇った男たちをどこにやった!」
数日前に婚約破棄を言い渡す際に宣言していたカーラの悪事の証拠が揃わないと怒鳴る王子は、顔の造作が整っているだけに残念感を醸し出していた。それを眺めていた周囲の同級生は薄情にも「先生に報告しておきますわ」とにこやかに笑いながら先に行ってしまう。
「雇ったことがないので知りません」
首を小さく傾げてほほ笑むカーラは大変麗しいが、自分の恋に盲目な王子はまるで汚らしいものを見るような目つきで見下ろしてきた。
「今更そんな媚びた笑顔を浮かべても醜悪なだけだぞ。自分の非を認めて白状したらどうだ」
「ありもしない罪を告白することはできませんわ」
対峙する王子と公爵令嬢をうかがうように見守る側近連中に、愛しい人を幸せそうに見守る男爵家の少女。整った顔に正義の怒りを浮かべた青年から穏やかなほほ笑みを浮かべたカーラが一歩離れる。
「今回のことで迷いが吹っ切れました。学園内にとどめようと思っていたのですが、考えてみればわたくしのうわさも城下まで広がっていましたわね。どこかの令嬢がありもしないことを学園外でみっともなく大声で訴えたことが原因だと調べはついております」
ふわりと身をひるがえしながら、それまでの楚々とした様子からごく普通の少女のようなそれへと様子を変えたカーラが楽しそうに笑って続けた。
「それでは第三王子殿下。次の講義が始まりますのでこれで失礼いたします」
そういえばいったい何をしにきたのだろうと首をかしげながら、ご機嫌な公爵令嬢は懸案が一つ片付いたと足取りも軽く移動教室へと向かったのだった。
「ネイ様、今日はどこに連れてってくれるんですかぁ?」
今までもお忍びでデートをしていたが、第三王子の婚約が破棄されたことによりこれからは堂々と歩くことができる。貴族御用達の高級な店にも連れて行ってくれるだろうし、おしゃれなカフェにも一緒に行くことができるだろう。
学園から出る馬車は王家のもので王子も楽しそうにルーシィの手を握っていた。青空とさわやかに吹き抜ける風、午後の早い時間であるから多くの人が道を行き交い、それらすべてが跪くほどの身分を持った青年が自分を大切にエスコートするのだ。賞賛と羨望のまなざしがどれだけ注がれようとも、第三王子はルーシィにだけ愛を乞うのだから楽しくて仕方がなかった。
「今日は市場に行ってみようと思う。途中で最近出来たばかりのスィーツの店に寄るつもりだよ」
こちらも楽しそうに笑う王子だが、ルーシィは高位貴族たちが行く高級店でないことに不満を持つ。
「ええ? せっかく手をつないでデートができるようになったのに、庶民と同じようなところに行くの?」
「すまないね。市場の視察という名目でなければ今日の外出の許可が下りなかったのだ。護衛をつけなければならない私の身分を許してほしい。あとでお詫びにプレゼントを贈るから」
プレゼントという言葉に大きな目を輝かせるルーシィと胸をなでおろす第三王子。和やかな車中に目的地に到着したと声がかかると、くすんだ赤茶色の髪の王族青年は馬車から降りて手を差し出した。
「お手をどうぞ」
「ありがとうございますぅ」
初々しい二人を温かく見守る住人達だったが――二人が降りた馬車が出発した直後からぽつりぽつりと雨が降り出した。王都の一部に雲がかかりにわか雨のようにさらさらと降り注ぐと、商人たちは軒先に出していた商品を次々としまっていく。市場もテントのある店はそのままだが、露天商は店を畳んで雨宿りに走っていった。
侍従から傘を受け取った第三王子とルーシィは人影もまばらな辺りを残念そうに見まわしてため息を吐く。
「ツイていないな」
「せっかく来たのに残念ですね」
「仕方がないからカフェに寄って帰るか」
出歩いていた人々が店の軒下や食堂で雨宿りをしている中、新しく開店したばかりのカフェも人が溢れかえっていた。空いている席はなく、それどころか待ち時間まであると侍従に聞いた王子は店主を呼び出して身分を明かし、席を空けるように命令する。
しばらく待つと窓際の二席が空けられたが、王子はもう少し広い席はないのかと注文を付けて四人掛けの席に案内させた。
直後。それを見ていたかのように雨が上がり人々は市場へと戻っていく。
「なんだ、晴れたじゃないか」
「良かったですねぇ。デートの続きができますよ」
おすすめのケーキを頬張りながら笑うルーシィを愛おしそうに見つめる第三王子だが、周囲の人々からの視線は冷たかった。お茶を終えると次々と席を立つ人が多い。中には店員に励ますような言葉をかけていく人もいた。護衛たちも居心地悪そうに視線をそらし、空気の重さなどまったく気にした様子もない二人だけが楽しそうに会話を交わしていく。
「城で出されるものにくらべたらいまいちだな」
「そうですねぇ。所詮平民のお菓子ですからね」
「お茶はルーシィと同じくらいには美味いぞ」
「うふふ。王室御用達の茶葉は美味しいですもんねぇ」
「気に入ったのなら今度プレゼントしてやる」
「私、お茶より髪留めが欲しいなぁ」
「いいぞ。天気も晴れたし市場を見終えたら髪留めを見に行こう」
「わぁ、嬉しいです」
腕を組んで店を出ていく二人を微妙な表情で見送っていた客が、彼らの姿が見えなくなったとたんこらえきれずに噴出した。
「王室御用達の茶葉を使ってもこの店と同じレベルのお茶しか淹れられないとか……」
「あれ、王子さまって相手の令嬢を褒めてるの? 貶してるの?」
「もう、また雨が降ってきた!!……あれ? どうしたの? なんか楽しそうだけど」
外では再び雨が降り始めたらしく、またもや雨宿りにきた人々が残っていた客の中にいた友人と話し始める。
「いえ、実はね、さっきまでこの店に第三王子様がいらっしゃったんだけど……」
雨に降られてすることのなくなった人々がうわさ話に興じるのはしかたのないことだろう。王子の振る舞いも行動もすべて人の目にさらされていたのだから、王子の侍従が口止めを店側に頼んだとしても客までは及ばないのだ。
貴族がいれば不敬だと怒りだしそうな話を面白おかしく話してくれた友人に、外から来た女性はひとしきり笑った後に納得したようにうなずいて、自分が外で見てきた様子を語りだす。
「なんか外に出たとたんにまた雨が降り出したから、結局馬車を呼んで貴族街のお店に行くって怒鳴ってたよ。雨降ったのはお付きの人のせいじゃないのに、王子さまって残念だね」
「雨に降られるなんて普段の行いが悪いんじゃない?」
「それは王族の方々に不敬だよ~」
からからと楽しそうに話すのは若い女性たちや店の客たちによって、この話は意外な広がりを見せることとなる。
「お嬢様、困りました」
従順な侍従が珍しい表情でカーラの元へと戻ってきた。
「あら? どうしたの?」
先ほどまで魔力を放出していた彼女が魔力を回復するお茶を飲みながら首をかしげると、平凡な茶髪の青年は第三王子を確認していて気が付いたことを隠すことなく報告する。
「王都の住人は皆が迷惑そうな顔をするものの、面と向かって嫌味を言う者はおりません」
告げられてようやく目的を果たしていないことに気が付いたカーラの紅い目が大きく見開かれた。
よく考えなくとも当たり前のことである。平民が王族に声をかけることすらできないのに、嫌味など言えるはずがないのだ。自身が王族と近い育ちゆえに学園内では最低限の礼儀だけで済んでいたいので、それをすっかり忘れていた。
「策士策に溺れるってやつですかね」
呆れた侍従の視線から逃れるように視線を迷わせたカーラは正直少し面倒くさいと小さくため息を吐く。
「わたくしが魔力で局地的にでも天候を操ることが得意なことも殿下はお忘れのようですから、あと一、二度繰り返したらネタばらし、ではなくて嫌味を言わせていただこうかしら」
「すべては貴女の御心のままに」
忠実なる侍従は楽しそうに微笑み――
「それで、わたくしの大好きなマーハケーキは買ってきた?」
「モリソンさんのところは露天商ですから、雨が降れば休みですよ」
高貴なる公爵令嬢は悔しさに可憐な唇をかみしめたのだった。
「また雨なのね」
馬車を降りたルーシィはつまらなそうにため息を吐いた。
第三王子がお忍びで城下に行く日は、直前にどれだけ晴れていても雨が降るようになったからだ。今日ですでに六回目。自分たちが去れば雨が止んでいるという事実は四回目で知った。
案の定、馬車から降りても人影はまばらである。店も開いているのか判らないような状態で商人もやる気が感じられないうえに、人々の第三王子とルーシィを見る目が冷たいものになっていた。
第三王子が来れば雨が降る。さらに雨宿りしていた人々を追い出して自分たちだけ室内で楽しんでいくといううわさが流れるのも必然だったのかもしれない。
さすがに王族に聞こえるように嫌味を言う住人はいないが、皆が迷惑そうな顔で早く帰ってくれないかと思っている空気は鈍感な彼らにも感じられた。普通の雨ならば営業しているはずの屋台も、彼らが来る時間はいい休憩時間だと一時的に看板を下ろしてしまう。そうすれば人通りは減り、さらに閑散とした。
とても王子とデートする自分を自慢するどころじゃないのだ。
一日二日ならば同じ傘で移動できると喜んでいたが、これが六回目ともなると飽きがくる。貴族御用達の店ならば個別店舗なので雨で閉まってしまうことはないが、ルーシィはたくさんの人たちに王子に愛されているのだと見せつけたいのだ。傘の中にいてはそれができないことが不満だった。
そんなある日。
「ごきげんよう」
たまたま学園の廊下で第三王子殿下の元婚約者とすれ違った。相変わらず澄ました顔で、すべてが自分の思い通りになるとでも思っていそうな柔和な笑みを浮かべている。そういったところが男性に嫌われるのだと理解しないバカ女だが、証拠を残さない悪事の腕だけは貴族的だった。
今あいさつをしたのも隣に魔導士長長男がいたからだろう。子供のころから付き合いのある幼馴染だと話をきいている。そうでなければ男爵令嬢になど声をかけるような女ではないのだ。
「ああ、そういえば」
当たり障りのないあいさつのあとにそのまま別れると思っていた負け犬が何やら吠えた。
「今日、第三王子殿下は城下に出ませんのね」
黒髪に紅い目なんて気持ち悪い色を持つ令嬢が背後に可哀想なキリア君を連れて嫣然と微笑む。
「貴女になにか関係がありますか?」
魔導士長を父に持つ青年が言い返すが、彼女は気にした風もなく無表情で仕えるキリア君に話しかけた。
「それでしたら皆さまにお知らせしなくてわね。今日は雨が降りませんと」
「そういえばファルメリア男爵令嬢が最近見つけたお菓子を食べに行くとおっしゃっていましたよ。また『魅惑の学園スイーツ通信』が発行されるかもしれません」
「まぁ、それは楽しみだわ! 彼女がお勧めしてくれるお菓子はどれも美味しいのよね。それでは失礼いたします」
清楚な立ち振る舞いに穏やかな声で場を支配したカーラは別れの挨拶とともに立ち去っていく。
「ルーシィが気にすることじゃありませんよ」
魔導士長長男に優しく気遣われながら公爵令嬢についていく背の高い侍従をじっと見つめるルーシィ。自分がどれだけ慰めても彼の洗脳が解けることはなく、それどころか逆に嫌われる始末。カーラの権力がなくなれば自分の元へと逃げてくるかと思ったが、王子に婚約を破棄された惨めな令嬢のそばに献身的に寄り添う姿はルーシィの心を逆なでした。
「どうして……」
そしてその場を和やかに立ち去ったはずの二人もまた、頭を抱えることになっていた。
「わたくし、ちゃんと嫌味を言いましたわよね? 彼らはこの事態がわたくしたちのせいだと気が付いたわよね?」
「あの場で反応がなかったので、なんとも言えませんが……取り巻きは完全に怖気づいていましたし、小娘は私を見つめるばかりで……」
「やっぱり本人に直接言わないと駄目かしら」
「それしかないんじゃないでしょうか。これ以上王都に雨を降らすと住人に迷惑がかかります」
「公爵令嬢ごときの嫌がらせなんて簡単に防げるんじゃなかったの……焼きたてのマーハケーキ……」
結局。
後日、直接第三王子の元に出向いたカーラが嫌味を言って事態が発覚した。激怒した第三王子はお忍びデートをやめてしまったのだが、カーラもいちいち第三王子に付き合っていられないため、学園外に出ても雨が降らない事実をいまだ知らないらしい。
【あまり関係ない人物紹介】
・モリソン(年齢30代後半、露天商の店主でマーハケーキを販売している)
侯爵令嬢のカーラが絶賛するマーハケーキを作っている男性。既婚で子供は二人。厳つい風貌と筋肉質な大きな体に鋭い目つきと外見だけで圧倒されるが、話せば良識ある心優しい真面目な人物である。嫁と子供を溺愛しており、酒を飲むと娘が嫁に行った時のことを想像して泣いてしまうこともあるらしい。
・ファルメリア男爵令嬢(年齢カーラの一つ下)
学園で『魅惑の学園スイーツ通信』を発行している令嬢。ふくよかな体形とおっとりとした言動で食べ歩きという趣味を生かした活動を積極的に行っている。現男爵が商売に長けていて家が裕福になったおかげで、下町のお菓子も王家御用達の菓子も食べている彼女のお眼鏡に叶うのが、ここ最近の王都で商売している菓子店の目標になっている。
『魅惑の学園スイーツ通信』は学園内だけでなく広く庶民や貴族にも広まっていて、星を一つから三つで総合評価、価格設定、独創性のそれぞれを令嬢個人の見解で分かりやすく評価している。総評も細かく書かれていて、人柄と同じく温かみのある言葉と菓子の的確な表現に王宮の菓子専属職人も自身の評価に納得したという逸話がある。