悪役令嬢の本気その一【持ち物を壊す】
・このお話はフィクションでファンタジーです。
その一《持ち物を壊す》
貴族が一定年齢になると王都の学園に入学することになっている。
それは貴族の経済状況や教育方針、将来の爵位持ち子息の性格などを国が見極めるために義務として課せられているものだ。もちろん人によってはすでに家の仕事を手伝っている者もおり、その中でも機密を扱うがゆえに学園内に執務室を持つ者もいた。
件の王子も三番目とはいえ一応の国政を任されている身であり、歴代の王族が代々使用してきた学園内の立派な執務室を宛がわれていた。とはいえ、今のところその部屋は最愛の女性の逢瀬と側近という名の取り巻きが集まる用途のみに使われており、仮眠室がいつ眠る以外の行為に使われるのかがこのところの生徒たちによる極秘の賭けの対象になっている。
とにかく部外者が気軽に立ち入ることができない部屋には重厚な机と座り心地のいい椅子、三人掛けのソファが二つと中央のテーブルには白いレースのクロスがかけられていて、部屋だけ見れば上品で優雅に見えた。穏やかに差し込む日差しと静謐な空気は歴史を感じさせつつ部屋の主を待っている。
やがて華やかな声と人の気配が近づいてくると、豪華なドアを開けて数人の若者が入室した。この部屋の現主である第三王子と側近、そしてルーシィと呼ばれた小柄な令嬢だ。
彼女は楽しそうに笑いながら第三王子を追い越して品のいい机の前でくるりと回った。スカートがふわりと浮き細い足首やふくらはぎに男たちの視線が集まるが、青年たちのよこしまな視線を気にした様子もないルーシィはいつものように行儀悪く机に座ろうと体重をかけると―――
「きゃあぁ!」
音もなく机が真っ二つに切れ、ルーシィを巻き込んで崩れる。天板に挟まれるようになってしまった彼女を慌てて助け出そうと取り巻きたちが集まるが、倒れこんだルーシィのスカートが大きくめくれ太ももが露わになっていて手が出せなかった。
「一体誰だ! 俺のルーシィにこんなことをしたのは!」
興奮した彼女を助け出して落ち着かせながら怒鳴りだした第三王子に、側近たちは口々に同意しながら右往左往しているだけだ。誰も事態を収拾しようと行動する者はなく、さらに犯人を見つけようと動く者もいない。
「レジストーク公爵令嬢の仕業では……?」
しばらくたってようやく落ち着いてから、取り巻きの一人が思いつき青年たちも賛同する。
「あの女ならルーシィに危害を加えるためならなんでもするだろう」
「その場にいないからいくらでも否定できるな」
「陰険な女らしい行動だ」
「また嫌がらせの確かな証拠はないのね……」
少女のか細い声に男たちは次々に慰めを口にするが、グズグズと泣きじゃくるルーシィは王子に肩を抱かれながら宰相次男の手を握って悲しみを訴えた。
「本当にあの女はずる賢い……ん? これは……」
書類のまったく載っていなかった机の残骸の中でメモを見つけた第三王子が拾い上げて目を通すと、ぐしゃぐしゃに丸めて勢いよく投げ捨てる。
「殿下?」
「『カーラ・レジストークの本気、その一』だと?! ふざけるな!!」
激高した王子は整った顔に憤怒を浮かべて足音高く部屋を出ていくと、ついてきた側近にカーラの居場所を聞いて強襲するように近づいた。
「カーラ! 貴様、とうとう尻尾を出したな! お前がルーシィに被害を与えたことは明白だぞ!!」
教室の机に座っていたカーラは表情なく紅い目で見上げてから立ち上がり優雅に礼をとった。
「ごきげんよう、第三王子殿下。あいさつもなく用件を告げてくださってありがとうございます」
「これで貴様も極刑だな。未来の国母になるルーシィを害した証拠もある。もう言い逃れはできないぞ」
「あら。メモをお読みになったのですか」
意外だわという表情で小さく首をかしげるカーラ。
「それでもおかしいですわね。本来学園に設えられた執務室は関係者以外立ち入り禁止のはずです。それにキリアが真っ二つに切断したのは執務室の机のみですから、彼女が被害にあうはずがありません。机に座るような無作法な真似でもなさらないかぎり」
椅子は切断しなかったのだから普通に執務をしようとする分には大きな被害はでないはずだった。第三王子が訴えたのはルーシィの教科書の切断だったから、本気で切れる一番大きい物を狙っただけなのだが。
カーラの言葉に教室にいた生徒たちが息を詰めた。ここで笑い声など上げれば王家に喧嘩を売るようなものなので、教室でそんな物騒な話をしないで欲しかったと皆が思ったに違いない。
「無作法だろうがなんだろうが、ルーシィはお前が切った机に挟まれてひっくり返ったんだぞ!」
「まぁ、本当に机の上に乗ったんですの?」
カーラの口から思わず洩れた言葉に数人の生徒たちがこらえきれないように顔をそむけるのと、第三王子の顔が真っ赤になって手を伸ばしてきたのは同時だった。
「失礼いたします」
王子の手がカーラの首に手が届く寸前、涼やかな低い声とともに二人の間に黒い影が割り込む。
「遅いわ」
「申し訳ありません」
不満そうな公爵令嬢の声と侍従キリアのやり取りに教室の雰囲気が緩んでいく。
「貴様!」
「あの女に足止めをされました」
「あら、相手をしてあげたの? 優しいわね」
「あの女は障害ではなかったのですが、取り巻き……王子の側近たちが邪魔……話しかけてきたので無視、できなくて」
「どうして最後だけ言い繕えないの」
「面倒になりました。私は正直者なのです」
「口が悪いのと紙一重だわ」
「おい!! 無視するな!」
会話を繰り広げながら激昂する第三王子と対峙するキリア、背に庇われているカーラという構図に第三者が現れたのはすぐだった。
「ああ、さっそくやってくれたんだね。あの執務机は頑丈で気に入っていたんだが真っ二つとはさすがだなぁ」
第三王子と似ているがどこか人を惹きつける魅力を持つ声で第二王子がカーラの隣に立つ。
「どうせ仕事などしていなかったです。今は必要ありませんわ。それに女の尻が乗った机を王族に使わせるおつもりですか」
「私は机に女性が乗っていたらやる気が出るけどね」
「好みは人それぞれですわね。ご兄弟だから似ているのかしら」
辛辣な言葉のやり取りに飽きたのかカーラはパンと一つ手を打って、キリアの近くで騒いでいる第三王子以下いつの間にか合流して文句を言っていたルーシィと取り巻き集団の注目を集めた。
「第三王子殿下。わたくし、レジストーク公爵家第四子カーラの本気の嫌がらせをお見せすると先日お伝えいたしました」
第二王子と侍従キリアの間から抜け出したカーラは毅然と顔を上げて男たちを見据える。受けて立つように睨み付ける第三王子は腰に手を当てて尊大な態度であまり身長差のない元婚約者を見下ろした。ふんぞり返りすぎた第三王子を支えるためにさり気なく後ろに立つ騎士団長四男が笑える。
「そのような無法が通るわけがないだろう。私は王子だぞ。嫌がらせをした時点で貴様は極刑だろうが」
「馬鹿な弟よ。これは父上が許可を出しているよ」
笑いをこらえてしまってとっさに返せなかったカーラの代わりに第二王子が呆れて言い返すが、それにはぶつぶつと言葉にならないことを呟くだけ。
「ですが……私は王族で……この女は……」
「お前は父上の裁定を拒否するのかい?」
それならば彼が引き起こしたすべての事象に対する責任を取ってもらうことになるが、彼一人で片が付くわけもなく、正直に言えばソレは第二王子に多大なる負担と迷惑をかけるものだという自覚がないらしい。
「……いいえ」
「第二王子殿下。私、本当に痛くて怖かったんです。助けてください……」
苦い表情でしぶしぶ返事を返す第三王子を押しのけて涙目で身分などお構いなしに声を上げるルーシィだったが、第二王子は第三王子と騎士団長四男を見て無表情を貫くカーラの腰を引き寄せると一同を見回した。
「なぁ。公爵家の令嬢程度の嫌がらせなど幼稚なうえに、お前が手を打てば阻止するのは簡単なのだろう? それなら被害にあわぬよう手を打てばいい」
柔和な笑みを浮かべながら第二王子はカーラを誘導して立ち去ろうとすると、第三王子は勝ち誇ったような笑みを浮かべて言い放つ。
「俺が本気を出したらルーシィには指一本触れることはできないぞ」
だからカーラの狙いはルーシィではなくて第三王子に本気を見せることなのだが、話が通じていないと顔を見合わせる二人。それでも今更理解させたところで後には引けないと沈黙したままその場を離れたのだった。
(おまけ)
「お嬢様。先ほどは口が悪かったですよ」
「あら、キリア。気が付いちゃった?」
「『女』も『尻』も公爵令嬢が口にしていい言葉ではありません。腹が立つのは判りますが、その程度で感情を露わにするなどレジストーク公爵家の名に恥じますよ」
「はぁい、気を付けます」
「……」
「はい。気を付けますわ」
「……よろしいでしょう」
「これが兄上が絶賛した公爵家侍従の淑女教育か。参考になるな。お前が馬鹿な弟の侍従だったらと本気で思うよ」
「第二王子殿下、申し訳ありません。私は賢い者にマナーを教えることはできますが、馬鹿な者を賢くする術は知らないのです。自分より背の高い者を見下すために仰け反り、側近に倒れないように補助させるような王族の教育はどうか他をお当たりください」
「ああ、うん。お前も弟の態度に腹が立っているのはよく判った……それよりカーラ嬢。倒れそうな弟と支える側近を見て笑いを堪えすぎじゃないか? いっそのこと笑ってくれて良かったのに」
「淑女が口を開けて笑うものではありませんわ。彼女ではないのですから。ですがあそこから連れ出していただきありがとうございます。けっこう限界でしたのよ」
【あまり物語に関係ない人物紹介】
・カーラのクラスメイト達
学園は貴族平民が混じって学んでいるが、平民といえどもある程度の裕福な家庭に限られていて、親の仕事の都合で貴族と付き合いがあったりする学生がほとんどである。
カーラはクラス内で一番身分の高い生徒だったが、極端に苦手な科目があったり学生で侍従のキリアにやり込められている姿をしょっちゅう見られているために、普通のクラスメイトとして貴族も平民も受け入れていた。
今回の嫌がらせは第三王子がカーラを訪ねて教室に来ることも多く、クラス委員長などが他の生徒が巻き込まれないように人員整理をしたり、侍従不在の騒動の時は彼への連絡を指示したりと忙しくしていた。
卒業文集には『学びとは知識だけではないのだと実感した』と類似した言葉が並んでいたことから、今回の騒動が第三王子だったからこそのんきに観察していられたが、これが第一王子だったら大変なことになったのだとの認識を持ったらしい。
担当教師が珍しく『ここまで団結したクラスは珍しい』と言うくらいには仲が良かったようだ。