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アンナは自室で溜め息を吐いた。
思い出すのは、あの長身の妖艶な女の事ばかり。
あの切れ長のエメラルドグリーンの瞳で見つめられた僅かな時間を反芻していた。
星々が煌めく夜空よりも魅力的な彼女。
アンナはまるで恋をする乙女のように、堪らず溜め息を零すのだ。
「またあの女性の事を考えていたんですか?アンナ様」
侍女のユーリがアンナの髪を梳かしながら呆れる。
「凄く素敵だったわよね、彼女。国一番の美姫と噂される王女様より綺麗だったわ」
アンナが蕩けるような眼差しを浮かべる。
「不敬ですよ。でも、遠目に見た限りでも美しい人でしたね」
「あんなに綺麗な人見た事ないわ。思い出す度、溜め息が出ちゃう。せめてお名前を伺っておいたら良かったわ。お礼がしたかったもの」
「では、また明日街に出られてはいかがです?お会いになれる可能性は低いかもしれませんが、何もせずに溜め息を吐いて過ごされるよりはマシですよ」
ユーリがテキパキとアンナの寝支度を整えながら、提案してくれた。
「街かあー」
アンナは呟きながら、寝台へと入った。
★
「ええ、長身の綺麗な女性なんです」
アンナは昨日女性と遭遇したブティック近くの青果店の店主に聞き込みをしていた。
ユーリはアンナの一歩後ろに控えている。
「うーん、長身の女性ねえ。あー、もしかしてよっちゃんかなあ。でもよっちゃんは女じゃないからなあ」
違うかなあ、と言いながら店主は考え込む姿勢を取る。
「心当たりがありますか?」
「あるっちゃあるけど……。俺の知ってる奴はね、よっちゃんっていうんだけどさ。小綺麗な顔してる子だよ。でも、オカマだよ?女性ではないからきっと違うね」
「確かに女性でした。だから、きっと違うと思います。オカマって、あのー、女性の格好をした男性ですよね?あんなに綺麗な男性見た事ないです」
アンナがそういうと、店主は更に考え込む。
「女よりも綺麗なんだけど、身長かなり高いから女に間違う事ないと思うんだがね」
店主はそういいながら、後から来た客にいらっしゃーいと愛想良く対応に向かってしまった。
「お嬢様、また空振りでしたね」
もう既に数件の店や人に聞いて回っているが、成果は無い。
しかし、人々はアンナが長身の女性というと、よっちゃんなる人物の名前を出す。
だが、明らかに男性だと分かるから違うだろうとも言われる。
その件のよっちゃんが男性なら、アンナの探している人物では無い。
あの髪の先まで美しい女性が男性の筈がない、とアンナは首を振った。
「お嬢様、そろそろ一休みされませんか?カフェがありますね。どうです?一度情報を整理してみませんか?」
アンナはユーリの提案に従ってカフェに入店した。
これは、入ってみて初めて分かった事だが、そのカフェは、優雅にお茶が出来るような店では無かった。
店内はやけに薄暗く、葉巻の煙がモクモクと蔓延している。
フロアに置かれたいくつかのテーブルでは、男達が何やら集まり、カードゲームに勤しんでいる。
カウンターの中にいる店主らしきスキンヘッドの人物は、片目が潰れている。
鋭い眼光でアンナ達を一瞥すると、何も言わずに視線を逸らした。
アンナ達はかなり場違いだ。
カウンターの奥の暗がりには一人の男が昼間から酒らしきものを呑んでいるが、俯いてぼんやりしているらしく、様子は分からない。
「お嬢様、出ましょう」
ユーリがアンナの袖口を引っ張る。
「そ、そうね」
アンナがそう言うと、カードゲームに勤しんでいた男の内の一人に声を掛けられた。
「こんな所に、お綺麗どころが迷いこんでるぞ、マスター!やっぱあの外観にしたのは不味かったんじゃねえか?」
途端に男達が、どっと笑い出す。
「ちげぇーねー。マスターあんなナリだけど、少女趣味拗らせてるからな」
そう言った別の男を、スキンヘッドの男が睨みつける。
悪魔も逃げ出す程の形相だ。
その睨みを意に返さず、近寄ってきた男がアンナの肩を抱こうとする。
すると、先程までカウンターの奥で闇と同化していた筈の男が割って入った。
「なんだよ、ヨセフ」
怯みながら、アンナの肩を抱こうとした男が、割って入ってきた男を見上げる。
ヨセフと呼ばれた男は、静かに怯んだ男を見下ろすと、無言でアンナとユーリを引っ張って店から出た。
ヨセフと呼ばれた男は驚くほど長身の男性だった。
無言のまま、アンナとユーリを連れて人通りの多い路地まで来ると、矢張り無言で立ち止まった。
振り向いたヨセフは、漆黒の髪を綺麗に三つ編みにし、肩に垂らし、白いシャツをだらし無く着崩していた。
しかし、溢れ出る色香を、その乱雑に纏った服装が返って引き立てていた。
「助けていただいてありがとうございます。お名前はヨセフ様と仰るんですか?」
アンナが丁寧にお辞儀をする。
「よせ、柄じゃないんだ」
煩わしそうに顔を顰めるヨセフ。
「私、アンナと申します。ナルディス公爵家の娘です。ヨセフ様、是非お礼がしたいのですが、今日は生憎と何も持っておりませんので、後日我が家にいらっしゃってくれませんか?」
アンナが言うと、ヨセフは矢張り顔を顰める。
「あんた馬鹿だろう」
「あの、どの辺りが?」
「助けて貰った相手をわざわざ呼び出すのが、公爵家の娘の礼儀かい?それに、俺みたいな奴がのこのこ行っても門前払いに決まってるだろうが」
ヨセフが皮肉を言うと、アンナは頷いた。
「確かにそうですね。世間知らずで申し訳ありません。では、ヨセフ様の元をお尋ねしたいのですが、お住まいはどちらですか?」