98、哀惜の温度
奴の低い声は、金で囲まれた部屋ではよく響いた。
「さっきまでの口は、もう聞けないか」
「うっ······」
視界から消え、とても老人とは思えぬ速度で俺を貫いたハーウェイルは、その槍を握ったままこちらを睨んでいた。
「かはっ······」
刺されたのは腹の中心だった。
俺は『天上の間』の入り口大扉に、槍に貫かれたまま刺さっていた。奴の槍の柄には自分の血が滴るのが見え、足元からは水の落ちる音もした。少しだけ目が眩んだ。
「さ······すが······ここを守るだけのことはある······」
俺は鎌を消して槍を動かそうとする。だが、ビクともしなかった。それは足が宙に浮いた俺がやられているからではなく、この男の膂力そのものだった。
「貴様に恨みはないが、余計な反乱分子を排除するのが私の役目。何か言い遺すことがなければ、このまま焼き付くしてくれよう」
「排除······か······」
「せめてもの慈悲だ。言いたいことはあるか?」
「ない、な······そんなもの······。俺は······お前等を······殺しに来た······だけ······」
奴を嘲笑うように睨む。
「······そうか。ならせめて、骨まで灰にしてやろう」
その瞬間、腹に熱が帯びていくのを感じた。
「うっ······うあああああぁ······! あああああああぁ!」
焼きごてを当てられているかのような灼熱が傷口から走る。
「ま······てっ······!」
「どうした?」
冷や汗が溢れ出るほどの熱も痛みも去らず、徐々に上がっていた熱が今より上昇することだけが止まっていた。
「はぁ、はぁ······やっぱ······ひとつ······聞かせろ······」
途切れ途切れ吐く息に、肉の焼ける匂いを感じた。
「もう肺も焼けているはずだ。痛みは尋常じゃないはずだろう。だから一気に焼いてやろうと思ったが······そう言うのなら尋ねてやろう。なんだ?」
声も振り絞るのがやっとな程。息を吸うのも吐くのも激痛が走り、ある種の拷問を受けているようだと、痛みで埋まる脳の中に微かに過る。
「マリアンヌを······彼女を殺したのは······お前か······?」
「······ふん。そんなことが死に際で気になるか。つまらんことを気にするな」
「はやく······教えろ······」
一刻も早く、この激痛から解放されたかった。だが、ハーウェイルは自分のペースを決して崩さぬというよう、悠々とこちらを見据える。
「その痛みは嘘ではなさそうだし、企てには見えぬな。まぁ、だからと言って私を殺せるとは思えんが」
歯を食い縛り奴を睨んだ。自分では見えぬが、目には血が迸っているだろうと思った。そして、誰が言ったか知らないが、優しいと噂されるハーウェイルは「いいだろう、教えてやる」と、昨夜の顛末を話し始めた。
「昨日、確かにマリアンヌはここへ来た。だが、命を奪ったのは私ではない。我等が主――“神“だ。私が“神“の元へ報告に来た後マリアンヌは現れ、それを私は、ただ隣で見ていただけ。あの女が死ぬのをな。その亡骸の“処理“を私はしただけだ」
「何故······見つかる所へ置いた······?」
「世間が認知すれば、新たな【聖女】を作った所で誰も不思議には思わない。それに、あの場所で傷もなく見つかれば、皆が不運な事故だと思うだろう」
事実、あの濁りの点はあるものの、医者等の見解では発作による事故だとされていた。
「お前は······彼女が死ぬのを······止め······なかったのか······?」
「止める必要など何処にある? “神“は我々に寵愛を下さる偉大な御方。千年もの歴史を造り上げてきた誰も触れることは許されぬ“絶対の存在“だ。そんな方に進言するのさえ、本来なら烏滸がましい行為だろう」
「そうして······マリアンヌは······殺された、と······?」
「そうだ。神の慈悲を受けたにも関わらず、実に下劣な女だと私は思っていた」
痛みを忘れるほどの怒りが込み上げるのを感じた。
「お前は······彼女の死に······何も感じなかったのか······?」
「感じるはずもない。あんなのは幾らでも代えが利く、ただの人間だ。千年の歴史に比べたらなんてことはないだろう。あの女とは何度も話したことはあるが、無駄に話が長く迷惑な女だった。特にここ数日、毎日のように話してきてウンザリとしていたぐらいだったな。だから、神の手によって死んだ時は少し清々した気持ちも――」
「もう······いい······」
彼女が毎日······か······。
「どうした、痛みに耐えられないか?」
「······あぁ、耐えられない」
沸々と浮かんだばずの怒りは、途端に、嫉妬ではない哀しみの色に変わっていた。
「そうか。ならば楽にしてやろう。歯を食い縛るか悲鳴を上げるか、最期は好きにするがいい。ただ――」
再び腹部に甦る、痛みと熱。
「断末魔は、耳障りで私は嫌いだがな」
そして、熱はいよいよマグマのようになり、同時、俺の身体に火をともす。呼吸が出来なくなること。鼻につく焼ける匂い。肌が爛れていく感覚。景色がオレンジの炎に包まれ、金の部屋が僅かに色を変える。その奥では老人の――感情が読めぬ顔。
それらを感じながら、何と叫んでいるか分からぬうちに洞穴へ落ちるように暗闇はやってきた。不思議と自身の燃える音だけは炎が消えるまで聞こえた。
「······死んだか」
ハーウェイルは扉を貫くだけの槍を消した。『天上の間』の入り口には、槍の熱によって爛れた大きな穴だけが残っている。
「灰は、溶けた金にでも混ぜておくか」
彼が手をかざすと床は液体になり、空から落ちた水の時間が戻るように宙に金の滴が浮く。そしてそれは、大扉の穴へと埋め込まれていくと共に、穴の周囲を平らにしたては装飾さえも元に戻す。穴は時間が戻ったかのように塞がっていた。そこを補修するために使った床の穴は、金の水が流れ込むようにして同時に塞がった。床全体がやや沈んで埋められたのだろう。
「密告した者にも、排除が必要だな」
だが、ハーウェイルはそれだけ口にすると徐に身体を翻し、魔方陣の方へと再び戻る。そして、再び魔方陣に足を掛けようかという所。
「······そうだな。お前が生きていられれば」
「――っ!?」
ハーウェイルは、勢いよく大扉のほうを振り向いた。
「貴様、何故生きてる······。それに何処から······」
俺は、血の跡が裾に付いた黒いローブを着ていた。
山賊の血が染みた――初めて着た協会のローブだった。
「お前がローブも何もかも燃やすから、扉の外で置いておいた替えの服に着替えていた。やはり、死にかけるのは良い気分じゃない。······ともあれしかし、だ、ハーウェイル。お前、俺の【職業】について何も聞いてないのか? 偉大な主さまからは」
奴は黙りだった。
主への進言さえ“烏滸がましい“と言う奴だ。
主が言わなければ、それは尋ねるべきことではないと思っているのだろう。
つまり、
「やはり、お前も傀儡ってわけだ。“神“ともあろう者が、俺のような人間が此処へ来るなど見通せぬはずもない。だからこれも、奴の遊びの一環なのだろう」
初めて、ぐぬぬ、と憎々しげに歯噛みするハーウェイル。主に信用されていないという事実は流石に堪えるようだった。
「まぁ、そういうことだ。続きを始めるか」
右手に黒い光が集まり形を成していく。
そしてすぐに、黒い柄と三日月の刃を出現させた。
「万が一······なんてことも考えたが、やはりお前は殺しておかなくちゃならない。今後のためにも、な」
ただ、それ以上に大きな理由は――、
マリアンヌに『素で人を癒す力』があったから。
それはつまり、奴がもう“癒されない存在“であること――【職業】に飲まれた人間であることを示していた。彼女の素質は、俺自身、またリリィ等のことから実証済み。奴が自分で言った『ここ数日、毎日彼女と会った』というのが嘘であるはずもなく、この男がそんな彼女でも癒されなかった――救われなかったことに、だから哀しみを覚えた。この老人が“人ならざる化物“になってしまったことに。
ただ――、
「俺は【死神】だ。最近の噂ぐらい聞いたことはあるだろう?」
自分もこうなる可能性は十二分にある。
名前:イルフェース
Lv:443
職業:【死神】
ランク:A
信頼:79%
番号:3472556140
『※貴方の命は、7時間後に失われます』
保有スキル:【腐食】【ピンポイント】【幻覚】【無音】【透過】【無心】【暗幕】【無痛】【再生】【絶対零度】【部分透過】【浮遊】【マルチポイント】【死神の手】
今は平常を保っているが、もしかしたら恐らく最強であろう奴を殺した時、俺はそいつに飲まれるかもしれない。【死神】の力で“殺し“をする度、スッとするような落ち着く感覚があるのを覚えていた。それが、今回は特に強く訪れるだろう。それにまた、この神官が、いつ【職業】に完全に飲まれたかは分からない。もしかしたら『Lvが上がる毎』かもしれないのだから。
それに、不吉な数字の前だ······。
ただ、どんな時でも自我はいつだって“そこ“にある。また、眼前のこいつだって持っているようには見える。しかしもし、この些細な予想通りに“Lvが条件“なら、俺はこいつを殺した瞬間、間違いなく闇に飲まれるだろう。しかし、だからと言って瞬間的に飲まれるとは限らない。それならこれまでも、プツリ、と記憶が断片化してもおかしくないのだから。
「武器を出せ。無抵抗のやつを殺すより、そのほうが幾分やりやすい。お前は歴史を守るために、俺は歴史を壊すために、それなら、お互い戦う意味にもなるだろ?」
だからもし、抑えようのない闇が訪れたその時は、もう一度その闇に飲まれそうな“最期の刻“が訪れたその時は――、
「哀れな神官に、命の終わりを与えてやる」
俺は、自分自身を、自分の手で終わらせるつもりでいた。




